■雪の中、加賀と近所のそば屋へ。でかい声で「ここ、富士そばより美味いっす」とか言うので非常に困る。
■ハマジムに行って明日からの撮影する作品の打ち合わせ。今回は仙台からスタートし、ラストに上野駅での路上ライブを予定しているのだ。ネットでの公開となるが、紹介ページでは「『NANA』風のポスターで」と決定。
上京&音楽モノなのでAV版「NANA」と想像してもらって結構。以前から撮ってみたかった企画なので楽しみ。
■下北まで移動し、ラ・カメラへ。「後ろの正面だあれ?」&「特典映像」に爆笑。
で、真利子に「童貞」を「これ、一生に一度しか撮れないっすよ、すげぇっす」と言われる。けど、カッターで体切ったり、自宅マンションからバンジーする人間に言われてもさ、と思う。
■帰り道、途中にポレポレへ寄って「かえるのうた」トークショー。
井口(昇)さんといまおかさんって本物の「女の子映画」が撮れる人だな、と実感。
■ちょっと長いけど「ガンダーラ映画祭」パンフ用に書いた文章を以下に載せます。
「童貞。をプロデュース」に対しての童貞Kと僕のコメントです。これ、上映初日に配られる予定のパンフに載る予定でしたが、諸事情により未完成なので、「童貞」分だけでもここでアップしておきます。鑑賞後の人には「なるほどね」と思って頂き、未見の方には「どんなドキュメントじゃ」と想像して頂きたいと思います。
「童貞」とは何もない空しさや何も出来ない無力さ、そんな心の真空状態を表す言葉なのだ。きっと。
高二の夏、仲間との約束「童貞喪失宣言」から早6年余りが過ぎてしまった。
何度も何度もさみしくて死にそうで死ねない夜を迎えて、悶え苦しんで転げ回って、映画観て泣いて、酒呑んで吐いて、今にも暴れ出しそうな何かをどうにかしたくて、それなのにシコってもシコっても勃起はおさまんなくて、なんだか器用に生きている奴等が羨ましくて悔しくて仕方なくて、グラビアの女の子たちは優しく微笑みかけてくれるのに、それでも誰かに抱きしめてもらわないと立っていられないような気がして……。
そんな僕に対して、抱きしめる代わりに松江さんはカメラを渡したのです。今思えば人の弱みにつけこんだ宗教の勧誘みたいな気がしないでもないんだけど、その時は松江さんの巧い口車に乗せられちゃったんだな。
で、お前を撮れ、と。
にしても、一体何を撮ればいいんだ? 僕なんか撮ったところで果たして面白いのかしら?それで僕はとりあえずカメラに向かって叫んでみたのです。
「一体、僕はどうしたらいいんだッ!? 」
そしたらカメラは僕にその答えをくれたんだ。カメラっていうのは単に映像を記録する為の装置じゃなかったのです。自意識粉砕機。そうだ、自意識粉砕機だ。僕はその時、自意識のベットリこびり付いた主観の他に、カメラっていう新たな視点を手に入れたのです。
そして、ここからが松江さんの才能の凄いところだよ。
僕の身に振りかかる数々の不運。そのすべてが、松江さんの超自然的な能力によって仕組まれたものであると気付くのに、さほど時間は掛からなかった。でも、そこで僕が失ったものっていうのは僕が今まで寄り掛かっていたものであり、甘んじてきたもの。そしてその奥には僕が今まで目を逸らしてきたもの、対峙しなければならない真実があった。僕の心の真空状態の先にある、真っ暗でそれでも信じなきゃいけない未来だ。躊躇したり立ち止まったりしたら、人間はきっと立っていられなくなる。しっかり前を向いて走らなければ、たちまち倒れてしまうのだ。
でも走り続ける為に大切なのは、倒れないようにバランスをとっていく器用さよりも、一歩一歩を確実に踏みしめて行く為のリズム。次の一歩を信じて、今この一歩を思い切り踏みしめていく勇気、それが大切なのだ。そしてそれは人を信じるという事であり、また自分自身を信じるという事でもある。今まで異性に怯え自意識だけを肥大させて生きてきた僕には出来なかった事だ。その結果として、僕らが抱えている底なしの孤独。それが「童貞」なのだ。そんな事を松江さんは僕に言いたかったんじゃないかろーか、と今になって僕はそう思うのです。
……いや、違うな。
人の童貞をオモチャにしやがって! あんたジゴクにおちるよッ!!
・「笑うしかない」
「童貞と関わるとロクなことがない」。
それが今回の作品を作って得た教訓。
真性童貞の加賀と一か月付き合ったが、彼は言われた通りのカットを撮って来ないし、時間は守らない。約束の時間に連絡しても「まだ西荻(加賀の自宅)です」だと。もう「家族に何かあったの?」と聞くのも疲れた。で、何かを要求すれば「あーだ、こーだ」と(経験もしてないくせに)文句を垂れる。チャレンジ精神が皆無なのね、童貞って。しかも語尾に「すいません」と付けるのも腹立たしい。
「いいかげんにその性格、直せ」と童貞を捨てる為に風俗を勧めるも、「風俗嬢は汚いから嫌だ。職業差別と受け取って貰って結構」なんてのたまう。そんな言葉を聞く度に頬をひっぱたいてやったが、叩き過ぎて手が痛い。
やはり23年間もこの日本に生きてて、未だ「童貞」ってのは異常だ。
これだけ巷にエロが溢れてると、嫌でも己の性と向き合わざるを得ないはずだ。なのにそれを避け、逃げ、オナニーで済ます。この短絡的な行為が、時間を守らない、約束を破る、仕事が続かないということに繋がっているのだろう。
僕がこういう風に加賀を貶めるようなことを書いても、きっとあなたは「そんなこと言っちゃって、松江さんたら、本当は優しいのに」と思うだろう。違う、違う、何も分かっちゃいない。あなたは2時間も「クリスマス、クリスマス…うぐぐ」と呟く映像を、「しゃべり場」を見ながらオナニーする映像(さすがにこれはカットした)を、ゴミ貯めの中でギターを何度も失敗し、その度に「テープ無駄にしちゃった」とコメントする映像を見させらえた時、どれだけ腹立たしいか分からないだろう。僕はそんなものが15本も手渡された時(しかもラベルには「FUCK!」とか「家家家家家」と加賀でさえ判別不能なことしか書いてない)、いいかげんにキレた。
それからだ、僕が加賀に対し、距離を置くようになったのは。
以来、彼が何か失敗をしても「あ、しょうがないか童貞だから」「バカだな、けど童貞だもんな」「童貞か、可哀想だな」と思えた。加賀にアドバイスし、一緒に考え、何か面白い素材を期待するような制作の仕方をしていたら、とてもじゃないが僕の方が保たなかった。付き合ってられるか。深夜に突然かかる「まさみさん(仮名)が、まさみさんが…ぐごぉ」って、電話だけでもうんざりなのに。
それでも僕が計18時間分の素材を全て見、編集し、まとめられたのは彼の周囲に集まる人間が素敵だったからだ。同居人の(加賀曰く)イケメンの大西くん、クリスマスイブにもバッティングセンターに付き合い、「明石家サンタ」でイブを過ごした友人や、「加賀君は素敵」と、「本気で?」としか思えないコメントを言った女友達に、マドンナまさみ(仮名)さん。
皆さんはいい人です、ホントに。
加賀は「友達には感謝してる」なんて言ってるが、そのありがたさに気付くのは彼が童貞を捨て、彼女とイブにケーキでも突っ突きながら「あれ、意外とつまんない」と我に返った時だろう(そんな日、絶対に来ないだろうが)。
あとはやっぱりカンパニー松尾監督と、浜田社長と、女優Rちゃんには感謝。加賀は最後までRちゃんの名前を知らなかったけど、例のプレイと帰り際の松尾さんの言葉は忘れない…はず。あなたがこの作品見て、何かのきっかけで加賀と話をして、もし彼が忘れてたらひっぱたいていいから。僕が許可する。
最後に、この作品を見る観客に言いたいことは、ただただ、笑ってくれってこと。
それは素直な笑いでもいいし、懐かしい気持ちでもいい。
けど、もし加賀を見てて、切実な共感を覚えた男性がいたとしても、僕は二度とプロデュースをしないのであしからず(女性の場合は応相談)。だって「童貞と関わるとロクなことがない」から。
あー、しんどかったなぁ、ノーギャラなのに。
文・「童貞。をプロデュース」構成:編集、松江哲明(ガンダーラというテーマなら「カレーライスの女たち2」にすれば良かったと締め切り3日前に後悔)