元ネタは「大仁田襲撃」と変わらないレベルの記事
以上から分かるように、中国共産党の対日侵略計画を記したはずの『日本解放第二期工作要綱』は純然たるデマだ。ユダヤ人の世界侵略計画とされる『シオン賢者の議定書』や、大日本帝国の中国侵略計画として戦時下の中華圏や欧米で流布された『田中上奏文』と同種の文書とみていいだろう。これらの陰謀文書はいずれも、外国語での翻訳版しかこの世に存在しないという共通点もある。
そもそも、『綱要』を掲載した『國民新聞』というメディアもかなり怪しげである。同紙は戦前に存在した徳富蘇峰の創刊の同名紙の後継を自称していたが、徳富版の『國民新聞』は戦時中に『都新聞』と合併して『東京新聞』となり消滅。戦後の1966年に“復刊”したと主張して『要綱』を掲載した『國民新聞』(2015年停刊)とは、組織も人材も資金もほとんど連続性がない。
国会図書館でバックナンバーを確認すると、『國民新聞』は1966年の“復刊”号に「大御心」という大時代的な表現があり、2000年になっても天皇陛下を「聖上」と表記。また、インターネットアーカイブで同紙公式サイト(すでに消滅)から2012年1月25日号の見出しを見ると「大内山に聖寿万歳轟く」「竹の園生のいやさかを」とある。一見、『國民新聞』という一般名詞的な紙名に惑わされがちだが、実態はかなり特殊な業界の方向けの専門新聞(政治機関紙?)なのである。
また、1972年に『綱要』を入手したと主張する西内雅は、同年に蒋介石の戦時中の演説を収録した小冊子『敵か?友か?』(國民新聞社)の解題を書いているほか、『國民新聞』紙上にしばしば蒋介石や中華民国を賛美する言説を寄せている。他に『国魂 : 愛国百人一首の解説』や『大東亜戦争の終局 : 昭和天皇の聖業』(ともに錦正社)という香ばしいタイトルの著書もある。
すなわち『要綱』は本来、掲載媒体も発表者も読者もごく閉じられた業界でなされた“飛ばし”記事に近い代物だったのだ。仮に東スポが「大仁田厚、有刺鉄線バットで襲撃される」といった記事を書いても誰も本気で心配しないように、ある意味で“ファン同士のお約束”の文脈内で共有される一種のネタだったとも言える。日中国交正常化を控えた当時、それに不満を持つ右翼や親中華民国派の人たちは、ウソでもいいから溜飲を下げたかったわけである。
事実、『綱要』は発表当時ほとんど話題にならず、その後も長らく歴史に埋もれてきた。文書発表の6年後に毛沢東や周恩来が死に、1970年代末には中国が対ソ連戦略から日本に自衛隊の増強を求め(過去にそんな時代もあったのだ)、やがて日中蜜月時代と天安門事件とソ連崩壊があり、中国が豊かになり北京五輪が成功し、一方で日中関係は冷却化して中国が台頭・・・。と、すでに日本も中国も国際情勢も大きく変わっており、1972年時点のデマが何の現代的意味も持ち得ないことは明らかだろう。
2ちゃんねるとまとめサイトのおかげで復活した怪文書
それでは、忘れ去られていた45年前のネタ文書が、なぜ遠い未来の2017年になってベストセラー書籍で紹介されるほどの市民権を得たのか?