【3】文書作成当時の中国共産党の言説としては不自然な表現が多い

『要綱』では「わが党」という表現が多用されており、原文(仮にあるなら)の執筆者は中国共産党の意思決定を行える立場の人間と見られる。だが、たとえば文中にはこんな表現がある。

“好感、親近感をいだかせる目的は、わが党、わが国(中共)への警戒心を、無意識のうちに棄て去らせることにある”( B工作主点の行動要領、第一 群集心理の掌握戦)

“一部の日本の反動極右分子が発する「中共を警戒せよ! 日本侵略の謀略をやっている」との呼びかけを一笑にふし”(同上)

 中国国内でも「中共」という単語は使われるが、これは中国共産党の略称で、中華人民共和国を指すことは絶対にない。中華人民共和国を「中共」と呼ぶのは、台湾の中華民国を正統政府であるとみなす当時の日本国内の用法で、むしろ中国(中華人民共和国)側はこの呼称に不快感を示してきたはずだ。似たような事例は他にもある。

“第一歩は、日本人大衆シナ大陸に対し”( B工作主点の行動要領、第一 群集心理の掌握戦、(一展覧会・演劇・スポーツ))

 1972年当時の中国人が、党内文書で中国大陸を指して「シナ大陸」と呼ぶことはありえない。さらに「日本人大衆」という表記もヘンだ。当時の中国なら、おそらく「日本人民」と書くはずだからである。

 そもそも中国共産党の1970年代の対日姿勢は、過去に「侵略戦争」を起こした「日本軍閥」の指導者と一般民衆である「日本人民」を分け、後者と連帯する姿勢が基本方針だったはずだが、『要綱』の論調にこうした要素が全然見られないのも不自然である。だがいっぽうで、以下のような一節はある。

“反面、スポーツに名をかりた「根性もの」と称される劇、映画、動画、または歴史劇、映画、歌謡、並に「ふるさとの歌祭り」等の郷土愛、民族一体感を呼び覚ますものは好ましくない”(B工作主点の行動要領、(第三 政党工作)(一)連合政府は手段)

「根性もの」と「ふるさとの歌祭り」・・・。原文の中国語ではどう書かれていたのだろうか? 当時の中国は文革によって半鎖国状態にあり、党の中堅クラスまでの幹部を含めた国民の大部分は海外事情から切り離されていたので、特に注釈もなく「根性もの」と書いて意味が通じるとは思えない。『要綱』には他にも怪しい点が多いが、いちいち引用するときりがないので以下に箇条書きで示そう。

・台湾の蒋介石政権を「蒋匪」などと書かずに「蒋一派」と書いているのがヘン。

・当時の中国の主要敵国だったソ連の覇権反対についての言及がほとんどないのがヘン。

・当時の中国が論争中だった日本共産党への批判や言及がほとんどないのがヘン。

・当時の中国では使わなかった「極左」という表現が出てくるのがヘン。

・毛沢東晩年の中国の文書でよく使われた「プロレタリア文化大革命の偉大なる勝利」とか「偉大なる領袖毛主席」などの表現がほとんど出てこないのも少しヘン(これは実務的な文書では省かれる場合もあるが・・・)。

・中国共産党は過去、清朝の溥儀、内モンゴルの徳王、チベットのダライ・ラマやパンチェン・ラマなど征服地の元支配者を誰も処刑していない(非公式的に迫害は加えたが)のに、日本の天皇についてだけ「処刑」を明言しているのがヘン。

・日本の右翼団体については東京都内の各団体数まで細かく知っているほど記述が詳しいのに、当時の日本で勢いがあったはずの毛沢東主義の新左翼セクトや親中派市民団体(日中友好協会など)への言及がほとんどないのがヘン。

 極めつけは、日本を弱体化させるために「性の解放」「春画、春本のはんらんは望ましい」という記述があることだろう。当時、文革期の中国は極度に禁欲的で、女性がスカートを履くだけで白眼視されたり、恋愛小説を個人的に執筆した作家が逮捕されたような時代である。これから侵略予定の日本をフリーセックスのエロ天国に改造してしまったら、やがて進駐した軍人や共産党員は目移りがして統治に支障をきたすのではかろうか?