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Action Time Vision ~取材の現場から~

昨年4月に発生した熊本地震の様子(Photo by Taro Karibe/Getty Images)

静岡県は防災の日が年に二回やってくる。9月1日の「防災の日」の他に、12月の第一日曜日が「地域防災の日」として制定されているのだ。前者は1923年の関東大震災で、後者は1944年の東南海地震をそれぞれ記念したものだ。

学校や職場での避難訓練や、建物の耐震化など手厚い防災対策は静岡県民あるあるの一つだが、それは、静岡が東海地震に半ばとりつかれていたからに他ならない。

東海地震とは、静岡県南部を中心に震度7の揺れが襲い、最大9200人もの人命が奪われるという被害想定(内閣府・2003年発表)が出されている激甚災害だ。その対策として1978年に大規模地震対策特別措置法(大震法)が成立した。この法律に基づいた対策は次のようになる。

“東海地震は、その震源域が一部陸上にもあるために、数多くの観測機器が設置されている。24時間体制で観測が続けられて、東海地震発生の予兆と思われる異常を捕らえたら、地震学者が判定会という有識者会議に緊急招集される。そこで東海地震の発生のおそれありと判定されると、内閣総理大臣に報告され、総理大臣は警戒宣言を発表する。

それを受け、新幹線、鉄道はすぐに運行を停止。高速道路も減速して警戒地域内には立ち入れなくなる。百貨店なども営業を停止。学校は直ちに児童を帰宅させて避難体制をとる。そして、万全の体制で東海地震を迎える──”

危機管理としては、あまりにも希望的観測がすぎる展開と言わざるをえない。なんといっても、世界で唯一「地震予知が明文化されている」法律なのである。21世紀の科学力を持ってしても、地震予知は不可能と言われているにも関わらず。この法律自体、実は長年に渡り、地震学者からも疑問の声があがっていた。

「警戒宣言が出されたとして、肝心の東海地震が発生しない場合、その状態をいつまで続けるのか? それだけ異常が出たものを、今度はどう解除するのか? そうしたことかがまったく想定されていないのです」

名古屋大学減災連携センターの武村雅之教授は地震学者としての立場から、こう訴える。確かに、日本の物流の要を閉鎖する警戒宣言は発令されるだけで、日本経済、ひいては世界経済に大きな影響を与えるだろう。

「警戒宣言が出たからといって、実際に東海地震が発生するとは限らない。もしくは、前兆なしで発生するかも知れない。その場合の責任は誰がとるのか。社会は地震学者にそうしたことまで負わせようとしているのです」

幸か不幸か40年間近く、警戒宣言が発せられることはなかった。武村教授はこうした地震学への過度な信頼を「社会は地震学にもたれかかっている」と表現する。だが、なぜこうした法律が成立したのか。その責任の一端は地震学者にもあることは否めない。

70年代、地震学者たちによって東海地震説が提唱された。前述の1944年の東南海地震で、静岡県直下の震源域だけは地震が起こらなかった。その結果、地震を発生させるエネルギーだけはそのままになっており、静岡県を直撃する地震が明日発生してもおかしくない、という警告がなされたのだ。

当時の政府は、東海地震の被害規模の大きさに、有効な対策を求められることになった。このとき、地震学者たちは答えも用意していた。地震予知の可能性である。当時、地震学会は、予知に関して楽観論が支配的だった。

「前兆現象を捕らえる予知のためには大規模な観測網を構築して、多くのデータを蓄積していかなくてはならない。継続的な大規模な研究が必要です。そのためには、多くの人員と予算なしには実現しない。こうした対策は『研究』ではなく、『事業』だから実現できた。大震法の成立は、当時の地震学の先人たちの大きな功績なのです」

すでに故人となった成立当時を知る地震学者から筆者が直接聞いた言葉である。

文=小川善照

 

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