「日本はわれわれの理解を超えた奇妙な国なんだ」とロバーツは半ば驚愕、半ば茫然の思いでしみじみと日本の異常性を痛感するのだ。
しかし、実際にはロバーツは来日していなかった。ハラキリ、サムライ、ニンジャ、ゲイシャの居る、本当の日本ではない並行世界の日本に迷い込んでしまっていた、というオチである。
本書『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』も、この「切腹都市」のロバーツの赴任先を中国と韓国に置き換えれば、そのまま皮肉が成立する。「儒教」という概念をてことして、本当はありもしない架空の中国と韓国の姿がこの本の中にはある。
韓国に行けば、近代化されたソウルの中に儒教の痕跡を見つけることはできない。そもそも韓国はアジア最大のプロテスタント教国(信徒数約1000万人弱)という事実も、本書の中からは欠落している。中国社会の腐敗や中国人のモラルの無さを「儒教」によって必死に説明しようとしているが、政治の腐敗と人心の荒廃は共産国特有の現象であり、わざわざ「儒教」を持ち出す蓋然性を感じない。
本当はそんな国ではない、と十分知っているにもかかわらず、著者はいまだロバーツを演じているだけなのではないか。そんな気さえする読後感の悪さだ。
文筆家。1982年生まれ。保守派論客として各紙誌に寄稿する他、テレビ・ラジオなどでもコメンテーターを務める。2012年に竹島上陸。著書に『意識高い系の研究』(文藝春秋)、『草食系のための対米自立論』(小学館)、『ヒトラーはなぜ猫が嫌いだったのか』(コアマガジン)、『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)他多数。