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お願いごとをする練習

私は人に助けてもらうのが苦手です。

 

仕事に関連する資料集めとかを担当の編集者さんに頼むことも最近まではできませんでした。

時間がなくても自分でやろうとしてしまう。

その結果、時間がいつも足りなくて、間に合わなくて、イライラして、仕事仲間に対して申し訳なくてやましい気持ちになって…。

そんな時に限って久しぶりの友達から連絡をもらって食事の約束を入れて、「お店私が予約しとくよ」とか言っちゃう。「お店選びお願いしてもいい?」が言えない。そしてまた抱え込んで苦しくなって。

 

これって、自分がダメだって自己否定のスパイラルに入りやすくなるのと同時に、自分がたんに「お願いごとをするのが下手」というだけなのに、「人に頼りすぎるべきではない」とかいう「べき論」に自分の中ですり替えて、お願いごとが上手い人を批判したり妬んだりするようにもなるんですよね。

 

そういえば、私は病気の時ずっと死にたかったんだけど、死にたい時、自分は助けてもらうのに価しない人間だとなぜか信じていて、だから「助けて」が言えなかった。その「助けて」の言葉の代わりに「死にたい」になるんだなと思った。つまり本当は助けてくれって言ってるんだろうと思った(私の場合)。

 

助けてって言わないことで、自分で自分の生き方を狭めてる、助けてもらい上手な他の人のことも妬んで責めちゃう。

 

なぜ自分がお願いごとが下手になったのかと振り返ってみた時、行き着いたのは母親の「自立しなさい」「甘えるな」「人に頼るな」という言葉でした。

母は「人に頼るな」と言い続けた結果、自分が辛い時に人や福祉などの制度に助けを求めることができずに自殺しました。

 

そもそも、

助けて欲しい、っていう事ってそんなに他人に迷惑なことなのかな、って考えてみました。

逆の立場に立った時、私は「これお願いしたいんだけど」と頼まれて人のために何かをすると、役に立てたようで嬉しくて、むしろ頼まれた時に嬉しいなと思うことの方が多かった…。

 

だったらもっと気軽に助けてを言える人になってみようかなと思いました。

 

それで、今はお願いごとの練習をしています。

お返しをせず、言葉の「ありがとう😊」だけで、人にお願いをすることをやってみました。

 

例えば先週、学校に遅刻しそうな時。

思い切って友達に「一階の自販機でメッツコーラが売ってるから買っておいてくれない?」とラインした。

学校に着いてみると、机の上にはメッツコーラが置いてあったので、

「ごめんね」ではなく、「ありがとう😊」を頼まれてくれた友達に言いに行きました。

「このジュース、飲んだことなくて気になってたから頼まれた自分も買ってみたよ、美味しいね」って言ってました。

あれ? なんだかあっさり頼まれてくれている…迷惑そうにもされなかったし、むしろ新しいジュースを飲む体験が友達にも生まれて話題が弾みました。

 

そっか、お願いごとってもっと気軽にしていいんだ。

もちろん断られることもあるけど、それは「迷惑」とか「なんであなたのパシリにならないとならないのか」「自助努力が足りない」「助けるに値しない」とかの理由ではなく、「都合がつかないから助けられない」だけなのかも。

考えすぎは良くないな。

 

人にお願いをする練習を少しずつ少しずつして、もう少し生きやすい環境を自分で整えていきたいです。