やさしいひと

小説の感想として、「優しい物語ですね」とか「心温まる」とか「ほっこりした」という言葉をもらうことがよくあって、それが一時期、いやでいやでたまらなかった。
なんでこんなにいやなんだろうと考えたところ、ひとつには、基本的に「ヨ~シ、いっちょ優しい物語を書くぞ~!」と思って書いたことが一度もない、というのがある。実際自分で読み返しても、優しいお話だ、などとは到底思えない。絶対1回は雨の場面入れるよな、自分雨好きだな、とかは思う。
ふたつめに、自分は人類を大きく「いじわる」「優しい」の2つにわけると確実にいじわる側の人間だよなと思っている、というのがある。ほんとに毎日意地の悪いことばかり考えている。そんな人間の書く話が優しい物語なわけないよ私にだまされちゃいかんぜ、と思っていた。

関係ないけど高校に通っていた頃の友人がひとりで美容院に行けない人で、3年間ずっと付き添っていた。その美容院に『いじわるばあさん』という漫画があって行く度読んでいたら美容師さんが「ねー知っとった?いじわるばあさんってほんとはおじさんばい!アヒャヒャ!」と言い出して、のちにそれは青島幸男が演じていたいじわるばあさんのドラマの話だと知るのだが、当時はばあさんがおじさんて、いったい何言ってんのこの人と思ったものだった。

話は戻るがとにかく優しくない私は、なにやら詐欺をはたらいているような感じがして、優しい物語と言われるたびギャバンと叫んで逃げたくなっていた。宇宙刑事

しかしあらためて考えてみると、その人たちはあくまで読んだ感想を言っているだけで、寺地さんって優しい人ですねと言ってるわけではけっしてないのだった。感想はあくまでも、読んだ人のものなのだった。たぶん優しい物語だねと思う人は、その人自身がもともと優しい性質なのだと思う。
優しい物語だねという感想は、読んでその人自身が持つ性質が引き出された結果なのだ。
なんだそっかー。安心したー。詐欺とちがったー。

で、何が言いたかったのかと言うと、だから、読者のひとを信じて、とにかく今書けることをドンガドンガ書いていこうぜ私、とあらためて思ったということなのだが、余談であるはずの美容院の話がけっこう長くて長久手古戦場なので、どうしようもなくまとまりに欠けてーる。