関東大震災朝鮮人慰霊碑に流言蜚語で6千人余命が殺されたと嘘が!第3話 [嫌われ者国家チャイナ、韓国、北朝鮮の崩壊への記録]
一昨日に引続き「あやまった策動と流言蜚語のため六千余名にのぼる朝鮮人が尊い生命を奪われました」と書かれている内容にについて検証してみましょう。
警視庁編『大正大震火災誌』(1925年7月)から923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災後3日目の流言蜚語を分析してみましょう。
3日目になりますと流言蜚語はガクンと減り午前中は全く無くありませんでした。
午後13時頃には次の一件だけです。
・朝鮮人約200名、本所向島方面より大日本紡績株式会社および墨田駅を襲撃。
この部分では大日本紡績株式会社これは現在のユニチカに当たる会社工場と思われ、墨田駅は各電鉄会社の記録を見ても登場して来ませんので不明です。
午後16時頃も次の一件だけです。
・朝鮮人数百名、本郷湯島方面より上野公園に来襲するので、谷中方面に避難せよ。荷物などは持ち去る必要なく、後日富豪より分配する。
午後22時頃も次の一件だけです。
・兵士約30名、朝鮮人暴動鎮圧のため月島に赴いた。
3日目には流言飛語は3件のにみ激減しており、民衆が冷静さを取り戻して来ている事が分かります。
4日目になりますと流言飛語は減りその内容も更に信憑性の無いものに変わっています。
15時頃
・朝鮮人、警察署より解放されたならば、速やかにこれを捕らえて殺戮すべし。
18時頃
・朝鮮人、市内の井戸に毒薬を投入。
21時頃
・青年団員が取り押さえて警察署に同行した朝鮮人は、即時釈放された。
・上野公園および焼け残り地域内には、警察官に変装した朝鮮人がいるので注意すべし。
4日目以降は冷静さを取り戻したのかこれ以上の流言蜚語は確認できなかった様です。
当時の記録をこうやって分析して見ますと、流言飛語で大混乱したのは震災の翌日だけで三日目以降は冷静さを取り戻している事が分かります。
こうした史実からから考えますと横網町公園内の関東大震災朝鮮人慰霊碑に流言蜚語で6千人余命が殺されたと記載されていますが、当時の人々が朝鮮人6千余名を1日で殺す事は物理的に不可能である事が分かります。
そこで何故6千余名と言う数字が出て来たのかを検証しますと流言蜚語に登場する朝鮮人の数を単純に合計しただけの可能性があり、全く根拠の無い数字であると言わざるを得ません。
この様な嘘の碑は我々東京都民の公有地から撤去すべきではないでしょうか。
次回は、反日外郭団体である公益財団法人東京都慰霊協会の諸問題について考えましょう。