私は地方出身関西在住者であるので、お笑いに対してはほとんど思い入れがない。
そんな私がほんの一時期、「面白い人になりたい!」と頑張っていた時期があった😅
20代のころ、就職をして
私が20代で、こっち(関西)で就職した頃の話。
私の会社の同期のうち、仲がよいのが5~6名いた。なぜだかよくわからないのだけども、この同期の集団が、やたらお笑いに厳しい集団であった😅
ところで、関西人はオモロイというイメージがあるのは周知のことだと思うけれど、ほとんどの関西人はことさら面白く振る舞おうとはしない、普通の人ではないかと思っている。
このときは、神のいたずらなのか何なのかは知らないけど、私以外のほとんど全員が、面白さにこだわる連中であった。
例えばある人は、小学生の頃から「お笑いネタ帳」というのを独自でつけていて、面白くなりたいと努力をしていたというのだ😅
そういう集団だったので、お笑いに興味のない私は、皆からよく
「ミナオは本当におもんないよな~w」
「ミナオの話にはオチがないw」
などと言われたもんよ。
この時私は、私も面白く振る舞わないと、集団の中で認められないと思ったんだろうね。で、「オモロイ人になりたい!」という努力をするようになった。
オモロくなる努力は苦痛
で、同期の一人のマネをして、私も「お笑いネタ帳」をつけることにしたのよ。
しかし、ネタ帳のつけかたがよくわからない😅
当時はネットも普及しはじめのころで、私もあまり使いこなせてなかったし、ネタ帳のつけ方のような情報を集めることは難しかった。
とりあえずお笑い番組を見て、これ使えそうだな~と思うのをメモするのが精一杯だった。
ネタ帳のほかは、本屋にいって「芸人に学ぶ 面白い人になる方法」みたいな本も買ったかな?もうタイトルも忘れちゃったけどね。
で、こういう取り組みをするのだけれども、はっきりいって苦痛。
そもそも私、お笑いには興味がないんだもんね。学校の勉強をやっているのと似たようなものよ。やりたくはないが、やらなきゃ認めてもらえないという義務感みたいなものでやっているからね。私の心の中から湧き上がるような気持ちで「オモロイ人になりたい」と思ってやっているわけではないから、苦痛なのは当たり前。
私はオモロクナイ私でしかない
で、ほどなくして「お笑いネタ帳」を書くことも、お笑い番組を見ることも、しなくなった。結局、この同期5~6人も、その後は人事異動などで異なる部署に散ってしまい、日常で会う機会はほとんどなくなった。
「オモロイ私」から解放されて、正直私はホッとした。
今思うと、「他人のモノサシで自分を評価する」という私の悪い癖が出まくったエピソードだと思う。いや、そもそも「面白くないと他人に受け入れられない」というのは、同期の誰かが明言したわけでもなく、私が勝手に想像して信じていたことにすぎない。自分で勝手に生きるハードルを上げて、そのハードルが超えられなくて苦労してるんだから、ある意味で「オモロイ私」だなと思う。
はっきり言おう。私はオモロクナイのですよ😅
オモロイ彼らのマネをして、仮にオモロイと認められたとしても、それは私じゃない。オモロイ誰かの皮をかぶった誰かに過ぎないからね。
明るくオモロイ生き方は魅力的だけれども、努力してそうなろうと思うことは私には苦痛。だから、明るく面白い生き方は、私の生き方ではないのだと思う。
暗く、ジメジメと重たく、自分のドロドロとした内面をこういうブログに吐き出す私のほうが、よっぽど私の性にあっているような気がする。
仮に、苦痛をおして努力をして、私がオモロクなったとして、そんな私が仲間から「お前、オモロイ奴だな」と認められたとしても、その認められた人間とは、一体何者なのだろうか。
ブログをやっていてもたまにもたげてくる「オモロイ人になりたい病」
どうしてこの話をするのかというと、ブログを書いていても、「オモロイ私」にならなきゃ💦って感じることがあるんだよね。
ブログをやっている人は多様だ。考え方が「オモロイ」人、世界の切り取り方が「オモロイ」人、行動が「オモロイ」人、文章が「オモロイ」人。オモロイ人はたくさんいる。
そういう彼らのブログを読んでいると
「すごい!」
「私も彼らのようになって、スターやブクマがいっぱいほしい!」
と思うこともしばしば。
(興味なさそうなフリしてるのにね😅)
でもそれは、彼らだからできることであって、私はやはり「オモロクナイ私」でしかないと踏みとどまりながら、私のスタイルでやっていくしかないのかなという結論に、いつも落ち着く。
多少は踏みとどまれるようになっただけでも、20代の頃と比べて、進歩したと言えるかなあ❓