精神分析のススメ

海外在住メンヘル専門家。ヒップな精神分析をめざしております。

御在所岳がボウボウ炎上 自己愛性パーソナリティ障害とネットの闇

フミコさんが、こんなツイートをなさったので、

 

「『御在所岳でまさかの遭難』というギャグ記事を読んでメチャクチャ笑ってしまった。ツッコミどころしかないw」

 

読んでしまいましたよ。件の炎上案件を。

 

元の記事は削除されたのか、ブログ主さんはアカウントに鍵をおかけになられたようです。

 

でも、ブコメは残っているようです。凄絶でした。

 

ブログ主さんの迫害恐怖に慄く、内面世界を反映した内容であった。と私は受け取っております。

 

私のおぼろげな記憶を頼って書くので、誤謬もあるでしょうが、お見逃しください。(又は、ご指摘頂ければ幸いです。)

 

個人的な印象を述べさせて頂きますと、ブログ主さんは、概ね、自己愛性、もしかしたら、境界性パーソナリティ障害であろう、と思われました。

 

炎上記事からは、尊大で傲慢な行動、共感の欠如、という、診断基準が見受けられますが、自己愛性に特徴的な、権力志向や、嫉妬に関する妄想が明らかではなかったように思われます。(Nightwings さん曰く、彼女の「クソバイス」記事中に、『てゆうか、何様?なんなの?私のことが嫌いなの?もしくは、私が幸せそうだから嫉妬してるの?。』 という記述があったそうです。はい。がっつり、自己愛性でしたね。)

 

 

只、多くの方が彼女のことを、中年男性だと思い違いをしていた、というのは興味深い点です。

 

境界性の方は、孤独を恐れ、親密な関係性を他者に求められている、と実感することで、承認欲求を充たそうとします。40代前の女性に多く見られます。

 

自己愛性の方は、権力、成功、自己の魅力を感じることで、承認欲求を充たそうとします。男性に多く見られます。

 

境界性と、自己愛に共通するのは、強力な劣等感、および、決して愛されないという感覚に対する防衛(境界例の方では、恋愛対象となる異性への執着。自己愛の方では、非現実的なレベルのプライド)が病的に強固である。ということです。

 

どちらにしても、ダメな自分を絶望的に感じるがため、そこからの脱却が「病的に強固」になりえざるを得ないのです。

 

自己愛性の「素晴らしい自分」が、往々にして、短期間は周囲に受け入れられても、すぐに剥がれてしまう「薄いメッキ」と、称されるのは、その対極である「糞な自分」が芯にある為なのです。彼らには、「ダメなところはあるけれど、改善しようする自分」、という、グレーゾーンが存在しません。

 

自己イメージが、この様に引き裂かれている(分裂症の迫害妄想にも繫がる概念で、スプリッティングと、業界用語では言います)自己愛性の方々には、他者のイメージも「素晴らしい」か、「糞」にしかなりえません。

 

ブコメからの情報ですが、FBには激励コメントも付いていたのに、ツイートとブコメは大炎上。

 

記事上ではロープウェイの職員の方はベタ褒めで、警察官の方は、若造呼ばわり。

 

このような、非現実的な「分裂(スプリッティング)」が、日常茶飯に起こる、些細なことから、同人物が「素晴らしい」から、「糞」に転落するのが、自己愛性と、境界例に見られる波乱万丈な人間関係の原因でもあります。

 

PD(パーソナリティ障害)な方々に、少しでも批判的な意見を述べることは、無意味です。

 

絶望的な劣等感に苛まれ、自殺願望が生じるか、暴力的に攻撃してくるかのどちらかだからです。

 

ブログ主さんが、炎上のストレスで、2歳の息子さんにイライラがつのり、暴力的になったり、自殺したりしていないかが、懸念されます。

 

1400近く付いたブコメの多くは、「生きて帰れて、良かったね」という比較的クールであったり、「クレイマークライマー」的、ウィットに富んだメッセージなのですが、かなり攻撃的な内容(「死ねば?」等)も3割(くらいかな?)見受けられました(炎上の定義でもありますが…)。でも、1000もブコメつくと、3割でも、300個は、言葉の暴力。

しかも、彼女には、これらの比較的非暴力的コメント全てが、「私なんか死んで当然」につながる、絶対に聞きたくない、けれど、常に頭の中にある、言葉として感受されるのです。

 

PDな方々は、内面の荒廃を外界に投影し、理不尽な(キチガイじみた、と言って良いです)暴力を他者に振るうと同時に、等しく理不尽な暴力が自分にも振るわれる状況に陥りがちです。

 

ネットコミュニティが批判的に、炎上主を追い詰めることは、個人の鬱屈の現れ、ひいては社会の荒廃の表れでもあります。

 

個人個人が自制心を持ってコメントすることは、炎上主を甘やかし、学びの機会を与えない、というでは決してありません。

 

ムカつくからといって、無闇に「死ね!」と、言葉の暴力を吐くのではなく、一呼吸おいて、共感に欠ける彼らが、いかに、他者からの共感を享受することなく、荒廃した人生を歩んできたのかに思いを馳せて頂けたら、ネットももっと安全な、楽しい場所になるのでは。という願いを込めて、もう読むことはかなわない、炎上記事について、書いてみました。

あ、氷太さんみたいに、

ブログが炎上したらどうするべきなのか - もう勝負ついてるから。

自我が確立した、大人なブログ主だと、炎上しても、消火活動がきちんとできるので、過激に批判的なコメントは、相手をみて、つけましょうね。 あんまりポリコレ、みんな仲良しになると、闇、大好きな私も楽しくないし。

 

かく言う私も、アドラー心理学のセミナーに行ったブログ主に、

「興味沸きました!でも、難しすぎて、私には無理かな?」

みたいな軽い記事を書かれると、

「学べや、おらぁ!」

って、思っちゃいました。てへっ。

 

「その解釈は、(刺さりすぎて)発狂するから、止めとけ」

と、スーパーバイザーに、(言葉で、ですよ)羽交い絞めされた、(自分的には)青い正義感に燃える、(患者目線では)Sな心理療法士やってた時期もありましたからねー。

(「本当に今は違うの?」という鋭い突っ込みは、華麗にスルーしますよっ。)