写真: LINE株式会社 佐々木大輔執行役員の貴重なスキューバダイビング姿
タイトルは全力で釣りにいった。
いやさ
このタイトルで、何かとおもって読んだら、退職エントリーだったという。普通わからないよねー。
ということで sasakill の話をしようとおもってスマホ画面に向かっているわけだが…
思い出トークってむずかしいね。
まず、人から見えるもの、自分から見えるもの、見えかたが違うし、自分以外の人間にまつわる記憶なんてものはまったくもって定かじゃないので、色々間違っているであろうことを先にことわっておきます。
タイトルは全力で釣りにいった。
いやさ
夢の仕事について語るときに僕らの語ること : アルカンタラの熱い夏
お盆に帰省した際、近所の山をトレイルランしつつ目的地の神社を詣でておったところ、クマに遭遇しまして。向こうさんもびっくりしてすぐ藪の中に逃げたんですが、こっちもこっちで驚いて、お賽銭もあげぬまま苔だらけの踏み石を蹴り、飛び、転げるように下山しました。熊鈴
sasakill.blog.jp
ということで sasakill の話をしようとおもってスマホ画面に向かっているわけだが…
思い出トークってむずかしいね。
まず、人から見えるもの、自分から見えるもの、見えかたが違うし、自分以外の人間にまつわる記憶なんてものはまったくもって定かじゃないので、色々間違っているであろうことを先にことわっておきます。
彼の入社は 12 年とちょっと前だから、ライブドア事件の半年ぐらい前。
うわ、ライブドア事件もうすぐ干支ひとまわりだ。
…って、そんな昔のことなんて覚えてねーよww
思い出エントリやめだやめだ!
いや…いったん、ガチで 12 年前を思い返してみますよ…。
BGM: でこぼこフレンズ「ぼくときみ」
ぼくときみ はじめてあった こんにちは こんにちは
sasakill 入社は、12 年前。
セバスとかと同日入社だったよね。
セバスって誰だよ。
知る人ぞ知るセバス。
ああっ、いきなり話が脱線してる…。
「紙媒体の会社いたけどブログサービス絡みの仕事やってましたよ」
みたいな触れ込みだったので、自ずと (?) ライブドアブログの担当になってた。
当時は「ライブドアブログ担当の有賀です」でお馴染みの人がいて、入社直後の sasakill は「有賀君の下働き」みたいな人だった。
入社の挨拶メールもとにかくよくわからない内容で
当時は「ライブドアブログ担当の有賀です」でお馴染みの人がいて、入社直後の sasakill は「有賀君の下働き」みたいな人だった。
入社の挨拶メールもとにかくよくわからない内容で
「なんか共感を求めてる感じなんだけどこれのどこに共感すればいいの?」
みたいな内容だったし、入社して早々に何か些細な手続のミスかなんかで始末書提出させられてるし、「何か不思議な人だなー」っていう感じだった。
セバスと一緒に「不思議さん」の括りだった。
セバスと一緒に「不思議さん」の括りだった。
だから誰なんだよセバス。
ちょっとしてから「チェリーブログ」っていう、若年層のブロガー集めて、年齢別一覧とかプロフィール写真から気になるブロガーを見つけようみたいなアグリゲーションサービスをやるとかで、それの企画を仕切ったのが彼だったのかな。で、サーバサイドは私がササーっと作った。佐々木だけにササーっとね。
は?
ライブドアで彼が「下働き」ではなくて、一人立ちして一つのコンテンツを任されるというのはこれが初仕事だった気がする。違うかな。うーん、正確かどうかよくわからないけど。
あー、ほらね、昔語りは 12 年前からはじめて、まだほんの 2 ヶ月しかすすんでない。
だめだ。
こんなペースで 12 年ぶん書くのは無理。
仕切り直し。
仕切り直し。
ぼくときみ さんぽして ちいさな きのみをみつけたよ
まぁ、色々あったような、色々なかったような。
sasakillが退職するっていうから面白全部でインタビューしてみたら送別会を開催させられたでござる : 941::blog
「実は辞めることにしたんです」と彼から聞いたのはいつだったか。おそらく10年は同じ職場で働いていたので「そうか、辞めるって選択肢がそもそもあるのか」と驚いたのを覚えている。というわけで今日は佐々木大輔ことsasakill氏の退職にあたり、主旨がよくわからないイン
blog.kushii.net
くっしーが「sasakill 退職インタビュー」をしたってので、読んでみると私の名前が 2 度も出てきた。
─────
そう、最初はnipotanとか、malaとか、ikebeさんとか。自分にとってはエポックメイキングというか。
─────
入ってすぐ「Webディレクターにはこういうこと期待されてるからここまでやれよ」て言われたのはnipotanなんですよね。最初なんにも出来ないし、出来ないこともわかってないわけです。「でもお前ここまでやるんだよ」って教えてくれて、なるほどねと。仕事を教わったわけじゃないんだけど、水準を示す人だったからすごいお世話になったし、本人が思ってる以上におれはお世話になったし。
─────
これ読んで、最初
「sasakill はわしが育てた」
とか、ふざけて、そういうタイトルでこれ書こうかなとおもったけど、おこがましいというか、実際のところ本人の読み通り、そんなにお世話したっけかなぁ?というのが本音。
彼が入社 1 年足らずぐらいの頃から担当していた livedoor クリップっていうソーシャルブックマークサービスが 6 年続いたけれど終了になって、その時に、サービス開始直前の「産みの苦しみ」を味わったあの頃の思い出話を、他のブログに書いたことがある。
これの時の記憶があまりにも鮮烈で、sasakill のことを思い浮かべると未だに「明け方の六本木ヒルズ」の景色が頭に浮かぶ。
あの頃の自分は、わりと彼には優しく接していたつもり。
彼が入社 1 年足らずぐらいの頃から担当していた livedoor クリップっていうソーシャルブックマークサービスが 6 年続いたけれど終了になって、その時に、サービス開始直前の「産みの苦しみ」を味わったあの頃の思い出話を、他のブログに書いたことがある。
「10 年続ける」ということ : niPhotane
18:33:01 <k*****> あともう一点気になってるのがデータ削除タイミングです18:33:21 >nipotan< ○○が削除されたら削除したいところ18:34:37 <k*****> なるほど。あと放置しとくとどんどんデータが増えていくと思うのですが、ログのローテートみたいな感じで古いのを消す感
nipotan.blog.jp
あの頃の自分は、わりと彼には優しく接していたつもり。
なんだけど、くっしーがブログに書いたインタビューの翌日の送別会で
「当時 nipotan はめっちゃ怖くてビビってた」
みたいに言われた。
同席してたキクチン(自重)からも
「ついでだから自分も言いますけど、あの当時 nipotan さんめっちゃ怖くてビビってましたよ」
って、ついでにぶっちゃけられた。
「人当たりが悪い」ってのはあまり良いことじゃないなーって猛省させられましたね。
現在、sasakill は執行役員、キクチン(自重) は sasakill 直下部門のマネージャー。
ほら、その当時はペーペーでも、今では重い肩書と決裁権を持ってる人間 2 人から
「あの頃、アンタ、めっちゃ怖くてビビってたんだよ」
って、そんな風に積年の恨みを持たれている私が、出世なんか出来る筈もないだろうに。
「人当たりが悪い」のはホント害悪。
改めないとだね。
って、出世云々のくだりは冗談だからな…。
真に受けるなよ…。
まぁ、その送別会参加のメンツみんなひっくるめて、
「大企業っぽいとこで一緒に働いていたら、色々あって中小企業みたいになってしまい、成長企業に買われたら、そのまま末に大企業になった」
みたいな経験を共にしていて、中間にある「中小企業みたいな時代」を共に過ごした人って、いつ倒れるかわからない中を暗中模索しながら走り抜けた、謂わば「戦友」のような暗黙の仲間意識みたいなものがあるのかも知れない。
当時は風通しもよかったからすぐにお互いの声も届くし、誰かが面白いことはじめたらこぞってみんなやったりして、あのノリは若い感じがして良かったな。
中小企業のノリでみんな共通の趣味に走ったりね。
急に麻雀ブームはじまってよく一緒に卓を囲んだり。
ランニングブームもあったな。
急に麻雀ブームはじまってよく一緒に卓を囲んだり。
ランニングブームもあったな。
沖縄研修旅行で一緒に残波岬をぐるっと周回ランニングしたり。
冒頭のスキューバは、その日の昼に、真栄田岬に潜りに行ったんだよね。
冒頭のスキューバは、その日の昼に、真栄田岬に潜りに行ったんだよね。
前田美咲 (Stella☆Beats) じゃないよ。真栄田岬だよ。
あの頃何かしら集まりがあると、三枝匡氏の著書に倣って…というか受け売りの度を超えた悪ノリでどんな会合もやたら「BU」と呼んでいた。
飲み会や、何か食うのもすぐ「BU」。
あの頃何かしら集まりがあると、三枝匡氏の著書に倣って…というか受け売りの度を超えた悪ノリでどんな会合もやたら「BU」と呼んでいた。
飲み会や、何か食うのもすぐ「BU」。
「ビーユー」なんだけど、部活動みたいに「ぶ」ってあえて呼んだり。
BU 活動とか言ったり言わなかったり、とにかく頻繁にカジュアルに、赤坂とか西新宿あたりでよく飲んだりした。
sasakill は飲み会の席ですぐ真っ赤になってよく眠る人だった。
sasakill は飲み会の席ですぐ真っ赤になってよく眠る人だった。
ぼくがおいしそう っていったら きみは きれいだね っていったよ
仕事の話については、自分とはまったく違う感性を持っている人。そこらへんは対極といってもいいぐらいだったんじゃないかな。
仕事の話については、自分とはまったく違う感性を持っている人。そこらへんは対極といってもいいぐらいだったんじゃないかな。
「人当たり」って点でも明らかに対極でしょう。
「nipotan 怖い」ってあちこちで言われるけど「sasakill 怖い」って話聞いたことない。
多様性を認めることの大切さは、長年にわたって彼と接していく中でなんとなくわかったこと。
過去の自分はそれが出来ずに、最初は自分と違いすぎて会話をしていてもなんだかもどかしかった。
まぁ、似た者や同じ感性を共感できる人ばっかを集めて仕事して馴れ合ってたって居心地はいいかも知れないけどそんなのマジしょーもないし。
今になっておもえば、知らない世界を見せてもらえたなと。
sasakill は何も考えてなさそうで、実は頭はキレるし、物事を立体的にとらえて考えて、相関がきちんとまとまって頭に整理されているタイプ。
そして、良くも悪くも「牧歌的」に仕事をする人だった。
たまに突然大鉈を振るうんだけど、けっこうそれが感性として違いすぎるもんだから勝手にヒヤヒヤしたりする時もあった。
彼がイチから手掛けた、ウェブにおける「代表作」って何だろうなーって考えると、ニッチにやたらウケの良かったものはあったけど、マスに響くメガヒットみたいなのは無かったような気がする。
だけど、この、ニッチにやたらウケるってのが、彼の前職とかがまさにそれ系で、個人的にはそういうのはむしろ好きだったりする。
ニッチだろうとやたらウケるのを考えて狙って世に出すのって簡単なことじゃないからな。
「ロケタッチ」とかは、私が勝手におもう彼の代表作。まさにニッチにやたらウケていた。熱狂的なファンもたくさんいた。
私はあのサービス開発にはまっったく絡んでいないけど、社内有数のヘビーユーザーだった。世界観とか面白いとおもってたし、頑張って使いまくってたら「なんかいっぱい使ってくれてるんで」みたいに言われて T シャツとかキャップとかノベルティくれた。
そんなノベルティで釣るなんて、ワシゃ子どもかい。
とか言いつつ、けっこうあの T シャツ着てた。
ぼくときみは ちがうから きみをすきに なるのかな
あの頃の我らが中小企業は、有難いことに、あれからは想像もつかないぐらいとんでもなく大きな会社になって、中小企業時代のノリで行なわれた趣味の集まりやら飲み会やら、そういう会もほとんどなくなってしまった。
「sasakill と飲む」なんていう過去の「日常」は今では年イチ程度の「非日常」になっていた。
仕事でも滅多に絡まなくなった。
別に役職の違い云々とかではなく、組織が大きくなるというのはそういうものなのだとおもう。
あの頃の我らが中小企業は、有難いことに、あれからは想像もつかないぐらいとんでもなく大きな会社になって、中小企業時代のノリで行なわれた趣味の集まりやら飲み会やら、そういう会もほとんどなくなってしまった。
「sasakill と飲む」なんていう過去の「日常」は今では年イチ程度の「非日常」になっていた。
仕事でも滅多に絡まなくなった。
別に役職の違い云々とかではなく、組織が大きくなるというのはそういうものなのだとおもう。
社内でも滅多に会わないし。
「ゆうこす」こと菅本裕子さんが LINE LIVE しに来た時に、だいぶ久々に会社で会った気がする。
ほとんど喋らなかったけど。
それは、ネガティブな感情というよりは、なんだか、そうやって退職の話を伝え聞くのとかが、あの頃と今との距離の差がすごくて、距離感がうまく掴めなくなっていることに戸惑っているような感じ。
しかし、何で辞めるんだろうね?
聞くのも野暮だけど。
でも、くっしーの sasakill 退職インタビューで、エンジニアとして、真っ先に私の名前が出てきたことは、しょ…正直…う…嬉しかったんだからねっ…!!
くどいけど、自分が彼に何をしたのか、彼がそう読んでいた通り、「世話した」なんていう自覚はあんまりなく、でも、もし自分が彼に何か教え、彼はそれを礎に 12 年間勤めたのであれば、彼は
「ニポタニズム最後の継承者」
であり、そんな彼から仕事を教わった者たちは
「ササキズムの継承者」
なわけだ。
ササキズム継承者の彼ら彼女らには、僅かながらも「ニポタニズム」のにおいがきっとどこかに漂っていて、そんな「イズム」における「孫世代」と、この先「ここのどこか」で一緒に働き、もしそこに自分に似たにおいを感じた時、JR 新宿ミライナタワーに居ながらにして「明け方の六本木ヒルズ」を思い起こし、ノスタルジーに浸ったりしてるとおもう。
ここは私たちに任せて、新天地でより一層磨かれた「ササキズム」を育ててください。
いつか、どこかの街角で、もしかしたら遠野で…
いつか、どこかの街角で、もしかしたら遠野で…
その場所に吹く風に、ふと
「明け方の六本木ヒルズ」
を感じられたら、そんな時は感情が抑えられなくなって爆発するかも知れない。
この先について、多くを語らないあなたらしさはそのままに、まぁ、避けようがないぐらい SNS で繋がりまくってるし、こっちから誘うのは滅多にないのわかってるだろうから、いつかまた「飲みませんか?浜の母や予約しました」って LINE が来るのを楽しみにしてます。
ぼくから sasakill へ
それじゃあ、またね。
残念な聖戦
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