夏の映画、邦画編を選んでいたら、90年代の作品ばかりになってしまったのには、理由がないわけではありません。
90年代に10代だった私にとって、夏の映画は青春映画であって、「私だけの映画」でした。大衆娯楽である映画作品を「私だけのもの」と思えるのはティーンに特有の気分でしょう。
それらの映画に描かれているのは派手なCGやアクションはないけれども、映画でしかありえないエピソードであって、しかしそれでも、私の身にも起きるかもしれない出来事のように感じられました。
40代がそこまで見えてきた今の私にとって、これらの映画は人生を下支えしています。このようなことが実際には、私に起こらなかったといっても。
20世紀ノスタルジア
20世紀ノスタルジア
製作年:1997年
監督:原将人
高校2年の夏休みに、一組の男女が一緒に映画を撮り始める――というと甘酸っぱいストーリーのようですが、転校生として、主人公の杏(広末涼子)の学校にやってきた徹は宇宙人・チュンセにボディジャックされているといいます。それを「映画の設定」だと捉えた杏は自身も宇宙人・ポウセとして撮影を続けるが、チュンセは滅び行く地球の現状に絶望していく――そんなお話をあくまで実生活のリアリティを失わないレベルで語りきり、『あまちゃん』で出てきたときの能年玲奈(現・のん)と同様か、それ以上のインパクトのあった高校生の広末涼子の姿を収めた傑作。
水の中の八月
水の中の八月
製作年:1995年
監督:石井聰亙(現・石井岳龍)
こちらは広末涼子と同学年の小嶺麗奈主演。高飛び込みの選手、泉(小嶺)と高校の先輩の真魚との出会いを描く序盤こそ、オーソドックスなボーイミーツガールストーリーに思えるけれど、超新星爆発や隕石の落下による異常気象、“石化病”という奇病の流行、という展開に、今思えば90年代末特有の終末感を感じますが(そしてそれは『20世紀ノスタルジア』とも符合します)、こういうことが実際に起こらなかったとしても、当時の私たちには言いようのないリアリティがありました(1995年という年!)。
鉄塔武蔵野線
小学生の夏休み、送電線の鉄塔に「武蔵野線71」と書かれたプレートを見つけた少年(伊藤淳史)が、どこまでも続く電線を辿れば「1号鉄塔」まで行けるのでは、と歩き始める――。サマー・ストーリーも、男の子が主人公になると『スタンド・バイ・ミー』式の「生きて帰りし物語」、イニシエーションの話になりますが、この映画の出色は何といっても「鉄塔」というモチーフ。原作は「日本ファンタジーノベル大賞」を受賞した傑作ですが、この物語のファンタジーは、ありそうもないことや異世界への扉が開かれることにあるのではなく、他の誰よりも深い「鉄塔」愛にあります。
サイドカーに犬
今作のみ2000年代の作品。10歳の少女の夏、家出した母の代わりにやってきた、“ヨーコさん”という蓮っ葉な若い女性(竹内結子が好演しています)との出会いの記憶を、20年後の現在からの回想として語る形式が特徴的で、私がリアリティを感じたのもそこでした。10代でしか感じ得ない、甘さと苦さを噛みしめて、少女や少年は大人になっていきます。竹内結子の口ずさむ、RCサクセションの「いい事ばかりはありゃしない」!
いい事ばかりは ありゃしない
きのうは 白バイにつかまった
月光仮面が来ないのと あの娘が 電話かけてきた
金が欲しくて働いて 眠るだけ
RCサクセション「いい事ばかりはありゃしない」歌詞より
今回、はてなブログの特別お題「夏の映画・ドラマ・アニメ」に乗っかって、 色々と考えたり、他の方の挙げている作品を眺めてみるのは、とても愉しい体験でした。
『鉄塔武蔵野線』原作本。小説というより研究日誌のような、「鉄塔愛」に満ち満ちています。
『サイドカーに犬』原作の同名小説を所収。長嶋有さんは私の最も敬愛する日本の小説家のひとり。夏の話、ということでいえば『ねたあとに』(朝日新聞出版)は最高の小説です。