あれこれやそれこれ

雑記系ブログのさらなる高みを目指すブログ

ブログは公共の場所なのか、私的な場所なのか、から考えたいろいろ

ブログやるなら覚悟が必要だ教えられたことを思い出した

いや、もう言及飛ばすのもあれなので終わらせたいんですけどレイシープさんのお話。どうもそれぞれがそれぞれのポジションから記事を書くので言及がしばしば飛んでくる。どれも微笑ましく拝読させていただいています。

どんな記事でもそうなんですが、ブログっていうのは「どんな人生をいままで歩いてきたか」によって文体も変われば思考も変わるし表現だって変わります。ただそこには「その人の考えたこと」が載っていると思うんですよ。

だからその人の「考え」なんだなと思って読ませていただいているし、それについて「自分と合うから味方」とか「自分と合わないから敵」とかをいちいち考えないんですよ。めんどくさいでしょそういうの。人の意見は尊重したいんです(うまいこと言う)

でもそんな中で一つだけ引っかかった言葉があったのでそれについて考えてみたいと思います。先に言いますが敵意はありません。僕も同じような道を通ったひとりとして取り上げただけですので。

ブログは公共の場?

 おーみ (id:omidesu)さんのブコメ。

 当たり前のように「ブログは公共の場」と書かれているのですが、いつからブログって公共の場になったのでしょう。ブログというのは個人が個人の考えを(ある程度)自由に表現することができる個人メディアだと思っていたのですが違うのかな。

いろんな立場の人が読む可能性は認めますが、「読み始めて嫌なら閉じる」権利は当然読者側にあります。嫌なら読まなければいいだけなのです。強制しているわけではありません。

公共の場だから人を傷つけるような事を言ってはいけない、というご意見は書かれた記事にも載せておられます。ご意見は尊重します。

いろんな立場の人が読む可能性があるんだから、もう少しそのことを考慮して自分の意見を言えば、ここまで荒れなかったんじゃないかと思う。 特に、今子育て真っ盛りのお母さんは、何人も傷ついたんじゃないかな…

「ベイビーハラスメント」。この記事を読んで年頃世代のアラサー女が思うこと - ブロケツ

 それを言い出すとブログって書けなくなるんですよ。たとえば「リンゴが好き」と書けばいちごを好きな人を傷つけているかもしれない。パイナップルを好きな人を否定しているかもしれない。考慮とはそういうものでしょ?それをやっていればブログでは「リンゴが好き」って書けなくなるんです(極論ですよ?)

では逆に「貴方の記事によって子育て真っ盛りのお母さんを何人も傷つけたんじゃないか」という言葉はどこかで誰かに刃を向けていないのかな?

自分の意見をブログで書くことはどこかで誰かを傷つけるかもしれない。ブログを書くときにそれを意識することはとても大事ですが、それに囚われすぎるとブログなんて書けなくなります。人を傷つけるのが嫌なのならブログはやめておいたほうが良いと思います。

これを「ブーメラン」といいます。はてなーなら是非覚えておきたいですねw

なんてことを僕は偉そうに今書いていますが、昔はそんな考えが全くできませんでした。人の考えというのは経験などによって変化していくものです。

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引っかかっていたひと言が身にしみた

昔こんな記事を書いたことがあるんです。

身構えないでブログなんて気楽に書きましょうね、というお話。まぁ普段からこんなことばっかり僕は言ってるので「ふーん」という記事かもしれませんが。

何度かのリライトをしているので肝心な部分を消してしまっているので中身的にはおかしくなってしまっているのですが、このブログの記事中にこんな一文を入れていたんですよ。

「ブログを書くことで人を傷つけていないか、記事をアップする前にもう一度絶対に見直して欲しい」

ブログというのは自分の考えなどが表現されるものだから、その中に「誰かを傷つけたり嫌な事を書いていないか気遣いをしなくてはいけない」と僕も考えていたんです。どこでだれがどんな風に読むかわからないのだから。

でもこの記事にブックマークでコメントを書いていただいた方がおられて。

 鈴木こあらさん。IDコール飛ばすのすら申し訳ないのでしません(笑)ただこのブコメをもらった時、新人ブロガーだった僕にはあんまり意味がわかりませんでした。

傷つけたくない、それが本心ならブログをやらないほうが良い。ブログを受け止めた人の中に傷ついたり嫌だと思う人がでる、という覚悟が必要だと。

その覚悟っているのかなとこの時は思ったんですよ。傷つけるような記事を書くつもりがないんだから、そんな覚悟はいらないんじゃないかって。

でもね?

ブログを続けていくことで自分の思っている事を記事にすればするほどその考えに「同調できない人」というのは出てきます。はっきり主張すればするほど傷つく人も出てきてきます。

Aが好きだと言うと「Bが好きな人」とか「Cが好きな人」の中には傷つく人が出てくる「可能性がある」んです。Aが好きだと言うことで「Bを好きな自分は否定されている」と思ってしまう人が出てきてしまうんです。

野球に例えましょう。

僕は阪神タイガースが好き、といえば言うほど読者の中に「巨人ファンの私を否定している」とか「中日ファンの私は傷つけられた」という人が出てくるんです。そんなわけない、と思うかもしれませんがこれ絶対出てきますからね。

中にはそれをネガティブなコメントで投げつけてくる人がいます。「傷つけられた」「否定された」って。ブックマーク見てたらそんな光景あると思います。

自分がブログというもので何かを「発信する」ということは、そういう意見とか否定的な人がどんな状況であっても出てくる、という覚悟が必要だと鈴木こあらさんはいいたかったと思うんですよ。

それはあの時の僕には理解できなかったけど、いろんな記事を書いて「街路樹を燃やされて」みたり(もうリンク貼らへんし)面白いと書かれたりつまらないと書かれたりしながらやっと理解できることなんです。

 自分が発信する言葉は受け止める人によって様々な形に変化すること。でも万人受けするような言葉というのは読んでもつまらない文章だと思うのです。

炎上狙いの人でなければ、意図的に誰かを傷つけようとしていなくても「結果的に傷ついてしまう人が出てしまう」覚悟をしてブログを書くべきだとは思います。

ドラマの「白い巨塔」でこんなセリフがあるんですよ。「誰からも好かれる人なんて絶対にいない。だって誰からも好かれる人間を嫌う人間というのが必ずいるでしょ?」ブログでも同じことが言えると思います。

そんな覚悟をしながら明日もブログを書きます

おーみさんが母親に対して寛容な社会であってほしいというのは十分理解できますよ。特に子供が小さいときのお母さんっていうのは本当に「24時間母親をしなくてはいけない」ような時期がありますから。

だからおーみさんの記事に噛み付くとかはしないで。この流れ、どんどん源流から遠ざかってる。もっと楽しく書ける記事、ブロガーのみんなはネタ持ってるでしょ?そっちに是非がんばって。人の意見は人の意見、尊重はすごく大事。(手斧の投げ合いという楽しさもわかるんだけど)

ノイローゼになってしまう母親が事件を起こすこともある、あやまって子供を虐待してしまう事件もある。「子供に対する虐待はダメだ」と簡単には言えるけど、泣き止まない子供を1人抱きしめて夜中の3時とか4時に泣き疲れている妻を見ると、虐待してしまう気持ちがわからないというと嘘になる。

年齢とか性別とか経験とかいろんなものが重なってブログって出来ているから、簡単に「これは間違い」「これは正しい」って言いにくいもんなんですよね。ただ、全員が同じように意見に流されているのを見ると僕は違和感を感じて仕方がない部分はありますね。

いろんなブロガーの意見を理解することが自分のブログを理解してもらえることへの一歩につながるのかな、なんて思ったりします。覚悟?できてるつもり。

うまくまとめられないけど、びわ湖からは以上です!