そもそも、「アイヌ語は文字がないから廃れたんだ」と簡単に言う人もいるが、それは言語と文字の関係に対する誤解が含まれている。
アジアやアフリカには数多くの無文字の言語が存在するが、その継続を阻害する要因がない限り、文字があろうとなかろうと生きた形で存続するのである。
私をはじめとする日本語を生まれたときから話して使っている人(要する母語話者)たちは、文字を通じて日本語を習得したわけではない。
家で、親が日本語で私を育て、周りの大人たちも日本語で私に話しかけたから私は日本語を覚えたわけである。
仮に日本語が無文字の言語だったとしても、その営みは変わらないはずである。
文字は、家庭での体験・学習(絵本や漫画、テレビなど)や学校教育の中で徐々に習得したものに過ぎない。
和人もかつては、識字率はそれほど高くなく、農村や漁村などには文盲の人がたくさんいたことも歴史的事実である。
アイヌがアイヌ語だけを話して生活する共同体が維持されたならば、アイヌ語を使うのをわざわざやめて、自分たちにとって「外国語」のような日本語で子供たちを育てる必要はなかったはずだ。
文字があろうがなかろうが、アイヌの親たちがアイヌ語で子供たちに語りかけ、アイヌ語で育てる生活が続いていたならばアイヌ語は生きた形で存続しただろう。
問題は、なぜそうなったかである。
私の見解はすでに書いた。政府による日本語の強制・推進と、学校教育における劣等感の植え付け(洗脳に近いかもしれない)、和人社会による差別・偏見がアイヌ語を衰退に追いやったのである。