2012年07月03日

アイヌ語と文字

いかなる民族・文化・言語であれ、常に変化するものであり、不変のものは存在しない。
一つの例として、アイヌ語と文字の問題を取り上げたい。


小林よしのりは、「文字を持たぬまま、イレズミをしたまま、風呂に入らないまま、医療施設もないまま、土地所有観念もないまま、アイヌが存続していくのは、日本国がではなく、時代が許さなかったのだ!」(『わしズム』p18)「国境の、文字を持たない少数民族が、独自性を保ち続けるのは極めて困難なのが歴史の常である」「アイヌはロシアか日本か、いずれかに同化せざるを得ない宿命にあったのかもしれない」(同p29)と書き、アイヌに対する同化政策を批判する見解への反論として「それならばアイヌは文字も書けないままでよかったのか?」(同p31)などと書いている。


彼の認識では、文字を持たない民族がしょせん多数派に同化されて消えていくものであり、日本による植民地化や同化政策は正しかったという見解なのであろう。

しかし仮に日本政府による同化政策がなかったとしても、アイヌが独自に文字を持つ可能性はありえたし、実際にそう言うことができる現実もあったのである。

なお、江戸時代には、松前藩がアイヌが和人の文化や言葉を取り入れたのを禁止した時期もある。


アイヌは文字が「ない」とよく言うが、これは過去形で表現するのが正しい。
今はアイヌ語をローマ字やカタカナで表記しており、現在は文字が「ある」と言うべきである。


そう言うと「いや、アイヌには独自の文字がないでしょう」と言う人もいる。しかし「独自の文字」とは何だろう?

英語やフランス語はローマ字(ラテン文字)で表記するわけだが、イギリス文字やフランス文字があるわけではない。
というか、ドイツ語・スペイン語・イタリア語・スウェーデン語・ポーランド語・ハンガリー語・・・などなど、ヨーロッパの諸言語はすべてローマ字で表記しているのである。
ラテン文字はもともとローマ帝国でラテン語を標記するために使われていた文字だが、これがヨーロッパ各地に伝わり、各地域の言語を表記するために使われるようになったのである。
要するにイギリス人の先祖は自分たちの言語を表記するためにラテン文字を取り入れたわけだし、スウェーデン人の先祖も同じことをしたわけである。


すでに書いたように、日本で使われている漢字は、文字通り中国から伝わったものである。
カタカナやひらがなも、漢字を崩したり、省略することによって開発されたものであり、日本にもともとあった独自の文字ではない。
(神代文字であるとかホツマ文字なるものがあったという話もあるが、まゆつば物である。)


さて、仮にアイヌに対する同化政策が実施されなかったとしても、アイヌ語が無文字のままでいたとは言い切れない。
実際問題、これまでの歴史の中では、アイヌ自身が独自に文字を取り入れて自分たちの文字文化を発展させてきた歴史が認められるのである。


西洋人がアイヌに接触してアイヌの言葉をローマ字で記録したものとしては、17世紀初頭にイタリア人宣教師、アンジェリスが書き残したものが最も古いものである。
それ以降、ポーランド人、ドイツ人、ハンガリー人などの西洋人がアイヌ語をローマ字で表記したものが残っている。
また、ロシア人がキリル文字(ロシア語などスラブ系の諸言語を表記するために使われている文字)でアイヌ語を表記し、辞典を作ったりもしている。


また、和人は江戸時代からカタカナでアイヌ語を記録し、数々の記録が残されている。
明治以降は金田一京助らがアイヌ語を書き記す際はおもにローマ字を使った。


これらは非アイヌによるアイヌの文字化の歴史である。


アイヌ自身が自分たちの言葉を文字で筆録するようになったのは、明治以降の話であるが、公刊されたものとしては、有名な知里幸恵の『アイヌ神謡集』(1923年初刊)がはじめてのものである。
知里幸恵は、キリスト教を信仰する家庭のもとに育ち、彼女自身が敬虔なキリスト教徒であった。

イギリス聖公会が明治時代に、函館にアイヌの児童を対象にした学校(愛隣学校)を設立し、キリスト教を教えつつ、英語や西洋の学問をアイヌたちに教えたという。
そこで、ローマ字の読み書きを習得したアイヌの青年たちが巣立っていった。
その中に知里幸恵の母親の知里ナミや、ナミの姉である金成マツがいた。
知里幸恵がどこでローマ字を習ったのかはっきりした記録はないが、彼女はおばの金成マツのもとでずっと暮らしていたので、金成マツからの影響が強いと思われる。
また、学校教育で英語を学んでいたのでそれも関係しているかもしれない。


そのローマ字表記はアイヌ語の研究者でもあったイギリス人宣教師、ジョン・バチェラーたちの西洋人が開発した表記がもとになっているが、アイヌ語の母語話者である知里幸恵自身が、改良を加えた部分もある。

また、樺太では千徳太郎治という人が、キリル文字を使ってアイヌ語の手紙を書いていたことが分かっている。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110004599170


さらに、戦後になると、山本多助・鍋沢元蔵・葛野辰次郎・萱野茂らが、カナでアイヌ語で書き残すようになるが、その中でアイヌ語独自の表記(音節末子音を表記するために小さく書く文字など)を工夫しながら独自の表記を開発していった。
もちろん、そのアイヌ語のカナ表記は、学者たち(金田一京助らの和人およびアイヌの知里真志保)が使っていたものからの影響もあると思われる。


ということで、アイヌ自身が独自に文字を取り入れて自分たちの言語を表記するようになった経緯がある。
日本政府による同化政策の是非と、自らの文化受容による文字の使用は別に考えるべき問題である。

posted by poronup at 07:44| 北海道 ☔| Comment(0) | アイヌ語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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