北上川を核として
旧北上川河口に近い中瀬地区も、津波で大きな被害を受けた。石巻市震災復興基本計画において〈中瀬地区みらいの公園づくりワークショップ〉が行なわれ、石ノ森萬画館を核とした公園整備と有効活用が進められる。
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亀山 紘(かめやま ひろし)さん
石巻市長 工学博士1942年宮城県石巻市生まれ。神奈川大学工学部応用化学科卒業後、宮城県塩釜高等学校教諭。東北大学工学部文部技官を経て、東北大学工学部講師、石巻専修大学教授、石巻専修大学開放センター所長。2009年より、現職。
著書に、『東日本大震災 復興まちづくり最前線』(共著/学芸出版社2013)
川との精神的、物理的距離が近く、堤防に遮られないで暮らしてきた石巻に、〈命を守る堤防〉ができることになりました。江戸初期に、川村孫兵衛が北上川を改修して以来の大工事になる今回、川を中心に据えたグランドデザインが進んでいます。地震・津波で多くの方が犠牲になりながらも、「海と川と一緒に生きていく」ことを決断した石巻。復興を超えた新しい石巻づくりにみんなが心を一つにして、取り組んでいます。
北上川を核として
新しい石巻づくり
石巻市は、東日本大震災からの復旧・復興を実現していくための道標として「石巻市震災復興基本計画」を策定しました。目指しているのは新たな産業創出や減災のまちづくりなどを推進しながら、快適で住みやすく、市民の夢や希望を実現できる「新しい石巻市」をつくることです。そのために「災害に強いまちづくり」、「産業・経済の再生」、「絆と協働の共鳴社会づくり」の三つを基本理念に掲げました。2020年度(平成32)までを計画期間の区切りと定めています。
震災前から
石巻のみなさんは、いつでも海や北上川を身近に見ながら暮らしてきました。そのため堤防は人と川を隔てる障害物という感覚があって、堤防の整備をなかなか受け入れられない伝統がありました。
私が石巻市長に就任したのは2009年(平成21)4月ですが、かなり高い確率で宮城沖地震がくるだろうと言われていましたので、翌年の5月に〈いしのまき水辺の緑のプロムナード計画懇談会〉を立ち上げ、策定した計画に「河口部の無堤防地域に津波・高潮対策を行なわなくてはならない」と盛り込んでいます。
水辺は、高潮などの被害をもたらす一方、散策や憩いの場ともなります。
北上川は市内を大きく蛇行して、まちを包み込むような流れになっています。また、北上運河もありますから、石巻はいわば水の回廊でぐるっと囲まれています。歴史と文化が薫る石巻で、水辺に点在する景観ポイントや観光施設をつなぐルートを設定し散策できるようにしようと考えました。
〈いしのまき水辺の緑のプロムナード計画〉では、水辺空間を治水や観光・環境対策、さらに中心街活性化対策も考慮し、より親しみやすい場所につくり変えようとしていました。堤防をつくるといっても壁をつくるようなことにならないようにと考えて、2010年(平成22)には川沿いの町内会を訪ねて、「こんな構想を考えています」とお伝えする懇談会を行ない、〈北上川・石巻湊公開講座〉やシンポジウムも企画してきました。
石巻市「石巻市震災復興基本計画(平成23年12月)、いしのまき水辺の緑のプロムナード計画の概要(平成25年3月)」、国土地理院基盤地図情報(縮尺レベル25000)「宮城」及び、国土交通省国土数値情報「河川データ(平成19年)、鉄道データ(平成25 年)、高速道路時系列データ(平成25 年)」より編集部で作図
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の基盤地図情報を使用した。(承認番号 平26情使、第516号)
かわまちづくりへ踏み出す
震災前からこのように準備していましたので、今回の災害からの復興も、「私たちは海と川と一緒に生きていく」と決断してあたりたいと思い、2013年(平成25)7月に〈第1回旧北上川河口かわまちづくり検討会〉を行ないました。
今回の津波では、多くの方が犠牲になりました。実際に目の前で大切な人を失った方々は、まだ水に対する恐怖心や否定感があると思います。ただ同時に市民の心の中には、長年、川とともに生きてきた想いが大切にしまわれているのです。〈命を守る堤防〉をみなさんが受け入れたのは、みんなが心を一つにして新しい石巻をつくりたい、と望んだからでしょう。堤防の高さが決まらない地域では工事に着手できませんから。
特に門脇地区では7.2mの堤防ができて、景色が一変するでしょうから厳しい決断だったと思います。
〈旧北上川河口かわまちづくり検討会〉の座長である島谷幸宏さん(九州大学大学院工学研究院教授)や委員の佐々木葉さん(早稲田大学創造理工学部社会環境工学科教授)には、「日和山から見たときの北上川の流れに留意すること」とか、「川をこんなに真っ直ぐにしたらダメだ」と修正していただきました。私たちは、単に川べりから川を眺めたときの姿しか気づいていませんでしたので、川の全体を見て、なぜ川がこの形になったかをしっかりとらえて生かしていく専門家の「目線が違う」アドバイスに、多くのことを教えられました。
非可住地域からの移転
今回の津波はL2(注1)でしたが、国ではL1の津波がくることを想定しています。
石巻市震災復興基本計画では、L1津波に対応する防潮堤とL2津波に対応する高盛土道路及び防災緑地で、市街地を守ることにしています。高盛土道路より北の約23.7haの区域は、土地区画整理事業を行ない宅地整備しますが、これより南の区域については、災害危険区域に指定して、内陸部への集団移転が予定されています。阪神淡路大震災のときとの違いは、ここにあります。
三陸地方の場合、内陸部は水田か高台で平地が少なく土地が足りません。また、用地や財源の確保に加え、諸々の手続きを踏まなくてはなりませんから、非常に時間がかかっています。被災後3年半の月日が経っているにもかかわらず、まだ仮設住宅で不自由な生活を強いられている方がおられることに、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
- (注1)L1とL2
- 1000年に一度程度の低頻度で発生する巨大津波を含めた今後の津波対策について、土木学会東日本大震災特別委員会津波特定テーマ委員会によって示された、津波防護レベル。海岸構造物による防護及び、津波に強いまちづくりの方針に関する提案と今後の検討方向などの指針とされる。
津波防護レベル〈L1〉:すべての人命を守ることを前提とし、主に海岸保全施設で対応する津波のレベル
津波防護レベル〈L2〉:海岸保全施設のみならず、まちづくりと避難計画を併せて対応する津波のレベル
石巻らしさ
江戸時代に川村孫兵衛(注2)が北上川の改修工事を行なっていますが、今回の大改修はそれ以来400年間で初めての大改修になります。
ただ、大規模な堤防をつくっても、それを乗り越える津波がこないとは限りません。そのことは今回の地震の教訓でもあります。堤防をつくって安心するのではなく、自助の部分を強めることが大切です。そのためには、市民のみなさんに川への関心を持っていただくことが不可欠です。意見を交換したり、丁寧なプロセスで合意形成しているのはそのためです。
北上川は、常に満々と水を湛え、実に堂々とした川です。日本に川はいろいろあるけれど、石巻には北上川がある。それを誇りに思って、北上川を中心に据えた地域づくりができることは、とても豊かな財産です。そういう川の文化が石巻にあることを改めて見直し、自助、共助の核としたいと思います。
- (注2)川村孫兵衛重吉(1575~1648年)
- 現在の山口県萩市に生まれ、毛利輝元に仕えたのち、初代仙台藩主・伊達政宗に取り立てられる。北上川の水害を防止するため、1616年(元和2)から河川の付け替えを行なった。これにより、北上川・江合川(えあいがわ)・迫川(はさまがわ)の河道が固定され水はけが良くなったことで、仙台平野北部の新田開発が進んだ。石巻の築港工事にも着手し、石巻港は仙台米の一大集積地となる。当時、江戸で消費された米の三分の二が石巻から千石船で送られた仙台米が占めたともいわれている。
その後も、仙台城下の用水路「四ッ谷堰」や水上交通を整備する「貞山堀」の建設に着手。重吉没後、その志を継いだ養子の元吉が貞山堀を完成させている。
(取材:2014年8月12日)
市街地の復興計画
左:宮城県石巻市復興事業部基盤整備課長の三浦智文さん
右:同基盤整備課主査の相原春彦さん
防潮堤と道路網の整備
石巻が3・11の東日本大震災で受けた被害の大半は、津波被害です。壊滅的な被害が生じた区域から、床上浸水した区域など、被害はさまざまです。まちの中心部でも、広範囲にわたり浸水しました。今回の復興事業は、津波に対して強いまちづくりを目指しています。
まず、堤防を整備します。数十年から百数十年の頻度で発生する津波にも耐える高さとして、TP(Tokyo Peil:東京湾平均海面)7.2mの高さの海岸堤防を整備します。今回の津波と同程度の津波と高潮を勘案した最大クラスの津波に対しては、さらに内陸側に高盛土道路をつくることにより、二重の防御を設けて、津波からまちを守ろうとしています。
まちの中心部を流れる旧北上川にも、津波が遡上しました。海岸堤防と同様に、下流から上流にかけてTP7.2~4.5mの河川堤防をつくり、津波からまちを守ります。
また石巻では、津波から逃げ遅れたことで被災した方もたくさんいたことから、避難路の整備もまちづくりの上で重要となります。海沿いから内陸へ逃げる避難路や避難場所の整備と、それらに接続する幹線道路を整備します。
再開発によるまちづくり
こうして安全と安心の確保に努めていますが、それに加えて住民のみなさんがどうやって暮らしていくのかにも、配慮していかなくてはなりません。そのために、中心市街地の活性化に取り組み、方策の一つとして再開発事業を行ない、定住人口増加の促進、産業振興を図っています。
石巻の津波は、旧北上川を遡上したことで被害が大きくなりました。中心市街地では、だいたい1~2mの高さで建物の1階部分が浸かった区域が多かったため、特に建築規制を設けているわけではありませんが、再開発事業では、権利者らの声を反映させた結果として、1階に居住スペースをつくらないような計画を立てています。具体的には、ピロティ式(1階部分を独立柱によって構成)にして駐車場にするとか、商業施設として利用しようというものです。
市街地再開発事業としては7カ所が復興交付金の採択を受けていて、そのうちの3カ所で都市計画決定と事業の認可を受けて実際に事業が進められている段階です。
責任ある再開発事業を
石巻の環境や気候風土、人の性質や生業は、長い時間をかけて育まれたものです。そういう地元の状況を理解し、実情に即した再開発事業が求められています。権利者のみなさんの生活が持続可能なものであるように、配慮する必要があります。
本日(2014年8月12日)の河北新報の1面にも、神戸の再開発の事例が掲載されていました。神戸に限らず、全国の事例から得られる教訓としまして、高コスト体質に陥る再開発は戒め、身の丈に合った事業計画にしなくてはなりません。
権利者の生活も考えながら、一方で、国の公金をいただいて事業として行なっている側面もあり、失敗は許されません。市ではそういう責任意識を持って対応しています。
万が一、事業が成功しなかった場合、結果的に権利者にダメージが及ばないか。市としては、まず第一に市民のことを配慮しますから、懸念材料がある再開発を簡単に容認することは難しく、一つ一つの手続きを進めるにあたっては、丁寧な折衝を行なってきました。失敗してダメージを受けることがないように、たとえ時間がかかっても慎重に進めていることをご理解いただきたいと思います。
どこにでもある地方都市から脱却して、石巻らしさを取り戻した復興、再開発事業を実現したいと思います。
(取材:2014年8月12日)
北上川と親しむ暮らし
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浅野 亨(あさの とおる)さん
石巻商工会議所会頭
宮城ヤンマー株式会社代表取締役社長
想定外の津波被害
石巻の平野部は津波の被害経験が少ない地域で、1960年(昭和35)のチリ地震でも、津波はきましたが大きな被害はなく、堤防のない珍しい一級河川という特徴のまま、今日まできていました。その危うさは、以前からいわれていたことです。
私の家は市内中心部の川沿いにありましたから、何回か津波の被害に遭っています。それで、地震が起きたらすぐに逃げるということが身についています。そのお蔭で、川沿いの人は他の地区と比べて、人的被害を免れた人が多かったかもしれません。
当初は堤防に反対
自宅は今回の津波で全壊しましたが、北上川と親しむ暮らしをずっと続けてきましたから、堤防建設には、当初、反対でした。津波だって、どれぐらい大きなものがくるかわからない。堤防では防ぎきれないかもしれないのだから、堤防をつくっても意味がない、まず、逃げることが大切だと主張してきたのです。
しかし、これだけの被害を受けた石巻のこれからのことを考えると、なんのガードもなしというわけにはいきません。つくらざるを得ない、と納得したのです。それでどうせつくるのなら、自然と共生する良い堤防にしよう、と頭を切り替えることにしました。
北上川を中心にまちを再生
石巻もご多分に漏れず、中心街はシャッター街です。人口は減り、高齢化が進み、郊外に大型ショッピングモールがある全国どこにも見られるような地方都市になっていました。
365日満々と水を湛えている北上川は、我々にとっての誇りです。津波で大変な被害を受けましたが、水と親しんでいかなくては石巻らしさを失ってしまうのです。それで復興にあたっては、改めて北上川を中心としたまちづくりをすべきと思いました。覚悟を決めて、もう一度水と仲良くしようと、川をまちづくりの中心に据えることに決めたのです。
堤防はつくりますが、コンクリートむき出しの堤防ができるのではありません。石巻には堤防が嫌いな人が多いのですが、たぶん、でき上がった姿を見て「ああ、堤防はできたけれど、結構良いものができたな」と思ってもらえるんじゃないでしょうか。
商工会議所としては、今後の石巻の経済的な復興を目指さなくてはなりません。
その際には、行政と議会と商工会議所と市民が一体となり、四輪駆動で取り組むことが必要です。このことは3・11以前から言ってきたことですから、一丸となって復興に邁進している今の気運を生かして、一層の推進力を持って進めたいと考えています。
上:井内地区に残る石積みの階段〈かわど〉。石巻の人たちの暮らしは、このように北上川と密接にあった。
左:中心部の店の壁に、津波の高さを記録する書き込みがあった。
(取材:2014年8月12日)
北上川下流河川事務所の取組み
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山田 拓也(やまだ たくや)さん
国土交通省 東北地方整備局
北上川下流河川事務所調査一課長2007年入省。国土交通省水管理・国土保全局海岸室津波・高潮対策係長、2013年4月より現職。
地盤沈下への緊急処置
東北地方太平洋沖地震によって、太平洋側の地域で、広範囲にわたり地盤沈下が起こりました。旧北上川河口部に位置する石巻市街地はもともと低平地でしたが、地震前に比べて約60cmほど広域的に地盤沈下が起こり、ゼロメートル地帯が広がりました。このため、地盤が相対的に低くなった場所では、雨が降ると水が溜まるようになり、全体的に浸水リスクが高くなっています。牡鹿(おしか)半島の鮎川では、地震前に比べて約1m14cm沈下しています。
浸水範囲は石巻市で全体面積の13%、東松島市で36%とかなり広範囲に及び、海に近い平野部はほぼ浸水したという状況です。死者・行方不明者は石巻市で約4000人、東松島市で約1200人に及びました。石巻市は最も人的被害が多い自治体です。また、河川管理施設も大変な被害を受けました。
石巻はもともと川湊として発展した歴史があり、堤防が整備されていない地域でした。河口部に船が係留されているというのが石巻でよく見られる風景だったのですが、その船が津波でまちなかに流されたということもありました。
地盤沈下によって川から市街地への逆流が起こるようになり、その対策として2011年(平成23)6月末までに川沿いに緊急的に大型土嚢を設置しました。潮位が上がるたびに、まちなかに海水が入って浸水する状況になったからです。
その後、同年の8月末までにL型のコンクリート擁壁などで、潮位の上昇による浸水を食い止めるようにしました。それでも台風がくると水位が上がり、波浪も進入してくるため、現状でも十分な対策であるとはいえません。昨年も大きな台風が来襲し、コンクリート擁壁のすれすれまで水位が上がりました。
また地盤沈下したために、陸側から川側に自然排水ができなくなりました。そのため排水路の水位が上昇した際には、石巻市で設置した仮設の排水ポンプを使って浸水被害を防止するようになっています。
排水ポンプの運転にはコストがかかりますし、故障したら大変なことになります。したがって、海水が市街地に逆流しないように、できるだけ早く対策を講じる必要があります。この逆流を止めるために、北上川下流河川事務所では、河岸に矢板を打ち込む護岸工事を行なっています。
地盤沈下したために、陸側から川側に自然排水ができなくなった。そのため石巻市で設置した仮設の排水ポンプを使い、揚水して流している。
堤防整備に向けた合意形成
石巻市の復興計画は、海岸堤防と河川堤防、二線堤として高盛土の道路をつくり、これらで市街地を守っていく計画です。この高盛土の道路の上流側は可住地域、下流側は人が住まない非可住地域と定められています。
石巻は川湊として発展し、堤防のないまちでしたから、新しく堤防が整備されることについて、心配される方もいらっしゃいました。このため、堤防がまちとひとの関係を遮るのでなくて、堤防が整備されたことで地域の方々にとって水辺の使い勝手がより良くなったらいいなという想いで、新しい水辺づくりに取り組んできました。
堤防整備に向けた合意形成を進めるため、北上川下流河川事務所では2013年(平成25)11月以降から1900人ぐらいの方に、また堤防の高さが決まってからは、140回以上の説明会を開催し、1800名以上の方々にご説明してきました。石巻市はもちろんのこと、石巻商工会議所や〈コンパクトシティいしのまき・街なか創生協議会〉などとも連携を取りながら進めています。
旧北上川河口部の復興にあたっては、まちづくりと連携し、安全・安心で、人々が賑わい、憩いの場となる水辺空間の整備を目指してきました。昨年(2013年度〈平成25〉)から取り組んでいる〈旧北上川かわまちづくり〉では、九州大学の島谷幸宏先生に座長になっていただきました。〈検討会〉と〈学識ワーキング〉と〈市民部会〉を設け、三つの検討の場がバランス良く意見を出し合えるような組織編成になっています。
私たち職員も〈かわまちづくり担当職員ワーキング〉を行ないました。「堤防を生かしたまちづくり-10~20年後のこどもたちのために-」というテーマで話し合いをしたり、島谷先生のご指導のもと、模型を使って試行錯誤しながらデザインにも挑戦しました。
〈かわまちづくり〉という言葉には亀山市長はじめ、みなさんの想いが込められていると思います。住民・学識者・行政の合同チームで、ここまで心を一つにして進んでこられたのは、みんな同じ方向を向いていて、一日でも早く石巻を復興したいという共通した願いがあったからだと思います。
かわまちづくりの基本方針
〈旧北上川かわまちづくり〉の基本方針は、「古くから川湊として発展してきた経緯、優れた石の産地であること等の地域の歴史や文化等を踏まえた景観を形成する」ことと定めました。
この基本方針に則って、実際のデザインを全体と拠点部に分けて考え、全体については、
原則1:堤防を地形の一部としてとらえる。
原則2:構造物のサイズは常にできるだけ小さくなるように努力する。
原則3:水辺環境・水辺利用に対する配慮を行なう。
とし、主に堤防整備に関しては、「雄大で大らか」「歴史や文化を尊重する」「ヒューマンスケール」「利用形態を重視する」といったキーワードが挙げられています。
また、拠点部については
原則1:まちの成り立ち、今後のまちづくりを踏まえる。
原則2:利用形態を踏まえる。
原則3:拠点にふさわしい質の高いデザイン。
として中央地区、大島神社(住吉神社)前や住吉小学校前、湊地区、藤巻・井内地区のデザイン検討案を具体的な完成予想図として提示し、市民のみなさんにご理解いただけるよう努めています。
場所によっては川前にスペースが取れる場所がありますので、そういう所には木を植え、澱みができる淵の所には葦が生えるようにしていきます。水際には捨て石を置いて、直線的でなく水際が有機的な曲線を描くようにつくります。川前の堤防の傾斜を一部緩やかにして、川へ近づきやすくするなど、いろいろな工夫を凝らしているところです。
北上川下流河川事務所提供の資料、国土地理院基盤地図情報(縮尺レベル25000)「宮城」及び、国土交通省国土数値情報「河川データ(平成19年)」より編集部で作図
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の基盤地図情報を使用した。(承認番号 平26情使、第516号)
藤巻・井内地区
整備理念:「現在の河畔、石積み護岸の風景を保全するとともに、稲井石の産地として石の雰囲気を生かした整備を行なう」
家のある位置から護岸までは、津波で洗われた箇所に緊急措置として捨て石と土嚢を置いている。
愛される北上川に
旧北上川の新たな水辺は、平成30年度(2018)までの完成を目途に整備を進めています。
新しい堤防のイメージや施工方法などについて、地元の方々に理解を深めていただくための一助として〈旧北上川かわまちづくり情報館〉を開館しました(2014年〈平成26〉7月4日)。
ここに来てパネルや模型の展示を見たうえで、わからないことを河川事務所に質問していただければ、より丁寧な説明ができます。幸い、2014年(平成26)6月に開催した市民報告会で行なったアンケートでは、約8割近い方が水辺整備の案について「地域の人の意見が反映されている」と答えてくださいました。
新たな水辺整備の検討を進めるうえで、地域の方々のご協力は欠かせません。石巻商工会議所会頭の浅野亨さんは、最初、堤防はいらないというお考えでした。しかし、話し合いを重ねるうちに堤防を整備することにご理解をいただき、「どうせつくるなら良いものをつくろう」と尽力してくださいました。新たな水辺づくりの検討を進めるうえで、その牽引力はものすごく大きかったと思います。
私たちは、震災以降、住民の方々と意識を共有するために、できるだけ丁寧な進め方をしたいと努めてきました。ごく短期間に、ものすごく大きな構築物をつくらなければならず、みなさんの想いを汲み取らないで大きな堤防だけができてしまうというようなことにはしたくなかったからです。
我々河川管理者からすれば、今まで地域になかった堤防という施設を新たにつくるわけですから、除草など維持管理をはじめ、新たな作業が増えることになります。そういう部分も含めて、地域の方々にご理解・ご協力をいただかなければ、長く使い続けられる川にはなりません。
丁寧に話し合いを重ねて、納得がいく形にすることで、愛着を持って地域の方々に使い続けられる旧北上川が再生できる、と考えています。
石を用いて自然な水際をつくろうとしているが、〈旧北上川かわまちづくり情報館〉では、その石にメッセージを書くことができる。
(取材:2014年8月13日)
目次
| 治水哲学を涵養するもの | 高橋 裕 |
|---|---|
| 気候変動が促す、個によるリスクマネージメント | 沖 大幹 |
| 気象データの進化 XバンドMPレーダへの期待 | 真木雅之 |
| 自然災害と恵みの循環 | 原田憲一 |
| 雨水を溜め、安全に流す知恵 大和川の総合治水 | 谷口昭一 |
| わたしの里川 里川の郷 東彼杵町 | 古賀邦雄 |
| 自分の命を守るために リバーネット21ながぬまの取組み | 山本隆幸 |
| 〈かわまちづくり〉で進む、石巻の復興計画 | 亀山 紘 石巻市復興事業部 基盤整備課 浅野 亨 山田拓也 |
| 本間家の蔵が語る3・11震災 | 本間英一 |
| Go!Go! 109水系 5 大河と共に北へ向かえ! 天塩川 | 坂本貴啓 |
| 水の文化書誌 戦後水害の変遷を辿る | 古賀邦雄 |
| 文化をつくる 減災力 | 編集部 |