「自分に才能があるかどうかは、努力してはじめてわかるんです。死ぬほど努力しぬいたやつらだけが、その才能を比べあうことができるんです」

 第85回は小説家の夢枕獏さんをお迎えして、別ペンネームで作品を書いたことについてや、新作『ヤマンタカ 大菩薩峠血風録』(KADOKAWA)とネタ元の関係、超過密スケジュールの中「倒れるまで書いた」経験、大好きなプロレスについてまで、幅広くお話をうかがいました。

◆1979年生まれの新人/夢枕は忙しいけど九(いちじく)はヒマです/月を見る猿

――まずは、この本の話から始めましょう。最近文庫化されたばかりの『K体掌説』(文春文庫)です。これは「九星鳴(いちじく・せいめい)」という作家のデビュー作ということになっていますが、実は夢枕獏氏のアナザーネームですね。帯にすごいことが書かれています。「新人の原稿料でいい! 違うペンネームで小説を書きたいby夢枕獏」

夢枕 ええとね、みなさんご存じないと思いますが、もう10年ぐらい前からですね、違うペンネームで書きたい、とずっと思っていたんです。というのは、夢枕獏のペンネームでやると、『餓狼伝』(双葉社)なら何部ぐらい売れて、『陰陽師』(文藝春秋)なら何部ぐらい売れるというのがだいたいわかるようになるんですね。どういう本で、どういう形態で、どの出版社から出すと、どういう反応があるのかというところまでわかってきて、何か違うことをやりたいなと思ったんです。そこで「違うペンネームでやりたい」ということを、注文があるたびに言ってきたんですけど、みんな「嫌だ」って言うんですよ。向こうは「夢枕獏」だから注文をくれるので、当たり前なんですけどね。
 集英社に、仲のいい編集者の山田(裕樹)さんという人がいるんですけど、山田さんに話したら、「獏さん、うちでやる場合は新人の原稿料ですよ」って(笑)。そうだよなと思いましたね。夢枕で書けば夢枕の、新人でやった場合は新人の原稿料でなきゃ反則だよなと思って、それで文藝春秋でたまたま話をして「やらせてくれ」と。「『陰陽師』を休ませてくれ」と言ったら「嫌だ」と言うんで(笑)、『陰陽師』は隔月連載なんですけど、それを休むわけにはいかない。じゃあ、新人の原稿料でいいので、年に一回だけやらせてください、ということでやって、すごい短い話にしたんです。僕は長い話ばかり書いてきたので、短い話を書く新人をデビューさせよう、ということで。
 作家の年齢は30歳ちょっとに設定したんです。なぜかというと、僕のデビュー作である『猫弾きのオルオラネ』(現在ハヤカワ文庫JA)が、最初に集英社コバルト文庫から出た発売日(1979年4月)を、僕の誕生日にしたんです。そういう設定で書いたのが、この『K体掌説』でした。

――違うペンネームで書きたい、という気持ちは、やはり「新しいことに挑戦したい」ということなんでしょうか。

夢枕 それはありますね。違うことというのもおかしいんですけど、つまらなくなるときがあるんですよ。原稿を書くのは病気ですから、つまんなくても面白くてもやるんで、いいんですけど、生きることがつまんないかな、みたいな感じになることがあるんです。何か新しいことをやったほうが、賑やかしになっていいかなと思って。

――九星鳴(いちじく・せいめい)というのは、実に変わったペンネームですね。

夢枕 星が鳴くと書いて「せいめい」と読ませる、というのがひらめいたんです。『陰陽師』の安倍晴明と掛けたわけではなくて、これは偶然なんですけどね。夢枕はちょっと時間がないけど、九(いちじく)はヒマなのでいつでも注文を受けますよと文庫のあとがきにも書いてあるんです(笑)。いかがですか、編集者のみなさん(笑)。

――この作品集は1ページ、長くても数ページの、非常に短い作品が集まった本です。これを読んでびっくりするのが、夢枕さんが持っている詩情、ポエジーですね。短い分量の中に出てくるんです。月のイメージがとくに、すごくいいですね。

夢枕 僕は月が好きなんですね。実はこの10年ぐらい、俳句を書いていてですね。俳句って結構、簡単だと思っていたんですよ。かなり長い間そう思っていたんですが、亡くなられた中上健次さんも長いことそう思われていたみたいです。どういうことかというと、長篇小説を書いていると、いい1行がたまにあるんですよ。あ、これを575にまとめれば俳句になるな、と思っていた時期があるんですが、いざやろうとしたら、とんでもない間違いでした。これが結構大変なんですよ。
 今、俳句の小説を書こうとしているんです。なんとなく作り始めたのがですね、「寒月を見あげておりし土座衛門」とか(笑)。そういった、ちょっと変なフィクションの俳句です。そういったものをぽつぽつと作っていて、もう3年ぐらいしたら、俳句小説もいけるんじゃないかと思います。

――おお、それは面白そうですね! 『K体掌説』もみなさんにもぜひ読んでいただきたいのですが、そうですね、本当に短いものを1本、ここで読み上げましょうか。「月を見る猿」という作品ですが、短いのですぐ終わります。

 猿が、月を見ているのである。
 山中の、苔むした岩の上に座して、月を見ているのである。
 そして、どうやら猿はその目から涙を流し、泣いているようなのである。
 思わず私は問うた。
「いったい何を泣いているのだ」
 すると、猿は月を見ながら答えた。
「二十五万年も昔のことだが、おれはあそこに妻と片腕をおいてきてしまったのだ」
 なるほど、よく見ればその猿には左手がなかった。

 どうですか、みなさん? 神秘的で、なんともいえない悲しみが浮かんでくると思いませんか。こういうのがたくさん揃っているのです。

夢枕 こういうイメージはね、結構いくらでも出るんですよ(笑)。

――もったいないですね(笑)。夢枕獏名義でやってもいいんじゃないですか。

夢枕 どっちでもいいんですけど、これを出したときもね、文藝春秋のほうから、「夢枕獏の名前で出せば広告料も出るし、部数もわずかですが増やせますけど、いかがしますか」と言われたんです。でも、執筆に費やしたこの10年間を捨てるわけにもいかないから(笑)、広告料が少なくてもいいから、「九星鳴」でお願いしますということにしたんです。

――悲しみとポエジーに満ちた作品もあれば、一方で非常に馬鹿馬鹿しい話もあって、飽きない作品です。みなさん、ぜひお読みください。

◆「机龍之助は、民衆なんです」/3割削られていた『大菩薩峠』/「翼を借りて飛んじゃいけない」

――先ほど「元ネタがある作品は、それ以上に面白くしなければダメだ」とおっしゃっていましたね。まさにそれを体現した作品が、昨年12月に出た傑作『ヤマンタカ 大菩薩峠血風録』(KADOKAWA)です。みなさんご存じないかもしれませんが、1913年から41年にかけて書かれた『大菩薩峠』(中里介山)という、日本の大衆小説の草分けといわれる、幕末を舞台にした大河時代小説があるんです。未完に終わった作品でありながら、芥川龍之介や谷崎潤一郎、泉鏡花、菊地寛といった純文学から大衆文学の巨匠もみなこぞって高く評価した。この『ヤマンタカ』は、そのリメイクともいえる作品ですが、なぜ書こうと思い立たれたんですか。

夢枕 なんと言ったらいいんでしょうね。新聞小説の連載を頼まれたんですが、そのとき時代小説をやりたいと思ったんです。そこで、西部劇の『シェーン』(1953年、ジョージ・スティーヴンス監督)みたいな話をやりたいと思ったんですね。少年と若い夫婦が暮らす農場に、流れ者の男がやってきて、悪漢を退治して去っていく。それを日本に置き換えて、紫のけむりと書いて『紫煙』にしようと。僕は小田原に住んでいるんですが、そこを舞台にして、流れ者の武士がやってきて、悪代官を斬り倒して去っていく話を書こうと思っていたんですよ。そのとき、スタジオジブリの鈴木敏夫さんと会う機会があったんですが、鈴木さんが「獏さん、『大菩薩峠』読んだことありますか?」っていうから「読みましたよ、最初の2巻だけですけど」(笑)。この作品はね、いまの文庫版でも20巻以上あるんだけど、1巻2巻を読んでも、面白くないんだよ。なんでこんなに世間が騒いでいるのか、よくわかんない。そう話したら、鈴木敏夫さんは「僕は3回読みました」って。なんでこんな話を3回も読めたんですかっていったら、「獏さん、机龍之助(『大菩薩峠』の主人公)は、民衆なんですよ」っておっしゃるんです。
 映画でも小説でも、冒頭の場面に出てくるんですが、大菩薩峠(山梨県に実在する峠)の上で、机龍之助は老巡礼をいきなり斬り殺すんです。なぜ斬り殺したのか、理由は何も書いてないまま話が展開していくんです。鈴木さんは「獏さん、ここがすごいんですよ」と言うんです。机龍之助はニヒリストの元祖ともいわれているんですが、これは世間が騙されているんですね。なぜ騙されているのかというのは後でお話しますが、僕は「机龍之助は民衆なんです」という言葉に負けたんですね。
 東北でたいへんな地震があって、福島で原発が爆発したりして、これからおれたちはどうすればいいんだろう、みたいな感じで、迷っていたんです。怒りもあったし。机龍之助が民衆ならば、いま持っている怒りのようなものを、机龍之助に乗っけて書けるんじゃないかと思ったんですね。で、もう一度『大菩薩峠』を読み返してみたら、やっぱりワケがわからない。ちょうどそのときたまたま出たのが、『「大菩薩峠」を都新聞で読む』(伊東祐吏著、論創社)という本だったんです。『大菩薩峠』という作品は、都新聞(現在の東京新聞の前身)をはじめいくつかの新聞を転々として連載されてきたんですが、連載時には、のちに出た本と内容が違っていたんですよ。巡礼を斬り殺した理由もちゃんと書いてある。剣の試合があるので、その練習として試し斬りをしていたんですね。だから、ニヒルとかいうんじゃなく、単なるやくざみたいなやつなんですよ、机龍之助というのは。
 そうやって読んでいくと、結構面白いんです。中山道を西に行っていたはずが、いつの間にか東に行っていたり、ある人物がいきなり違う場所で出てきて「こいつはどうしていたんだ」と思ったりするんですが、それは本にするときに作者の中里介山が3割も削っちゃったからなんです。だから、実際の連載より3割も少ないものを、我々は読まされていたんです。なんでそんなことをしたかというと、どうやら作者は、大衆小説だったものを、文学小説にしたかったらしいんですね。これが大きな間違いでした(笑)。
 実は、一番面白いのは、現行の文庫でいうと最初の60ページぐらいまでなんですよ。その60ページまでを小説にしよう、それなら面白く書ける自信がある。そうやって、わずか60ページがこの分厚い本になってしまいました(笑)。
 時は幕末。舞台は大菩薩峠の真下ですから、新選組の近藤勇や土方歳三がいた場所なんですね。時期も重なっていて、原作の中にも土方歳三とかは出てくるんですよ。よっしゃ、こんな美味しいネタはないぞと思って、大菩薩峠をはじめいろんなところへ取材に行きまして、それで書いたんですね。これはもう、剣豪小説として書こう、文学性はいいや、と思って(笑)。とにかく面白い話になればいいやと思って書いた作品です。
 なんで『ヤマンタカ』というタイトルにしたかというと、「ヤマンタカ」というのは日本の密教でいう大威徳明王(だいいとくみょうおう)という、たいへん霊験あらたかな神のサンスクリット名なんです。大威徳明王というのは、太平洋戦争末期に、軍部がアメリカ沈没しろみたいなことを祈願していたぐらい、すごい尊神なんですけど、このヤマンタカが、実は文殊菩薩の化身でもあるんです。文殊菩薩の化身でもありながら、同時に恐ろしいヤマンタカという顕われ方をする存在っていうのが、これは机龍之助だなと思って、このタイトルにしたんです。
 これにもちょっといきさつがあって、僕の知り合いで米田さんという、双葉社にいた編集者の方がいるんですけど、その人にこの作品の話をしたときに「獏さん、そのタイトルは『新・大菩薩峠』じゃないでしょうね」と言われたんです。僕はその時は、そのタイトルにしようと思っていたので「なんでわかるんですか」と言ったら「そりゃわかりますよ」って言われて。「獏さん、井上雄彦が書いている漫画の『バガボンド』は、吉川英治の『宮本武蔵』だけど、なんで『バガボンド』にしたかわかりますか? 獏さん、『大菩薩峠』の翼を借りて飛んじゃいけない」って言われたんです。ああ、そうだなあと思って『新・大菩薩峠』はやめて、『ヤマンタカ』というタイトルにしたんです。

◆「音無しの構え」の秘密/机龍之助vs鞍馬天狗/流行作家の椅子は幾つあるか

――今のお話にもありましたが、あとがきにも書かれていましたね。「(原作の第1巻の)55ページまでが一番面白い」と。で、55ページまでの挿話をこんなに長く書いてしまった(笑)。原作では、土方歳三は1巻の最後に出てくるので、55ページまでには出てこない。そういうふうにいろいろデフォルメしてあって、本当によく作ってあると思います。書評にも書いたんですけど、原典には机龍之助の両親のこととか、まったく出てこないんです。ところが、父親と息子の葛藤や、母親の病気などが書き込まれていて、原典では伏せられていた話を想像で補っている。そうしてまったく新しい世界を作り上げている。「机龍之助は民衆である」という、鈴木敏夫さんの言葉をもとにして、現代の民衆がみんな持っている虚無的な感情をうまくすくい上げているので、この机龍之助には読者が感情移入できるんですよね。

夢枕 読んでない方はご存じないと思いますが、机龍之助が使う「音無しの構え」という必殺技があるんですよ。ちょっと用語が不明確で「音無しの剣」とか「音無しの構え」とか言ったりするんですけど、描写がないんです。これがやたらと強いんですが、たとえば柴田錬三郎さんの小説に出てくる、眠狂四郎の「円月殺法」ならばちゃんと書いてあるんですよ。刀をくるっと回して、相手は誘い込まれて、吸い込まれるように斬られちゃう。でも「音無しの構え」はどんな構えなのか書いてないんですけど、僕はそれがどういう技か解明して、自分ででっち上げて(笑)ちゃんと書いてるんです。これは、いい小説ですよ。

――本当にいい小説です。55ページまでの挿話からここまで広げて、想像で細部まで作り上げるというのはびっくりしますね。この机龍之助というニヒルなヒーローは、のちの眠狂四郎など後続に大きな影響を与え、日本のエンターテインメントにおけるひとつのヒーロー像を確立したといってもいいでしょう。今はニヒルなヒーローはあまり人気がありませんが、この作品でまた盛り返すかもしれません。『ヤマンタカ』は、この一冊でもう終わりなんでしょうか。

夢枕 注文があればいつでも書けるように、伏線は張ってあります。「倉田さまがお持ちになっていた刀です」というのが出てきますが、これは倉田典膳という、のちに鞍馬天狗になる人物が持っていた刀なんですね。続篇があれば、幕末の京都が舞台で、鞍馬天狗も出てくる話を考えています。

――それはいいですね! 読みたいですね! それにしても、これだけ多くのシリーズを並行して続けていて、なおかつ新しいものを書こうとしているのはすごいですね。

夢枕  書くネタはいくらでもありますから、モチベーションがすり減ることのほうが不安ですね。

――さっきのお話に出てきた、山田裕樹さんという集英社の有名な編集者は、『神々の山嶺(いただき)』(集英社のち角川文庫)の担当ですね。これは柴田錬三郎賞をとった名作です。北方謙三さんに冒険小説を書かせたのもこの山田さんで、多くの作家が彼に影響を受けて名作を書いています。

夢枕 彼は、作家を騙すのがうまいから(笑)。

――騙して、その気にさせる、ということでしょうか(笑)。『神々の山嶺』のあとがきにも書かれていますが、山田さんの話がいいですね。「獏さん、流行作家の椅子というのが幾つあるか御存知ですか」と口説かれたそうですね。

夢枕  彼と会ったのは、まだ20代のころでした。『神々の山嶺』を書く20年近く前のことです。僕はまだ1冊しか本を出してなかったんですけど、それを読んで、「面白かったです、うちで何か書きませんか」みたいな話をされて、どこかに飲みにいったんですよ。そこでこういう話をされたんです。「獏さん、いま流行作家の椅子が幾つあるか、わかりますか」って。そんなの知るわけないでしょう(笑)。そうしたら「14あるんです」。いつの時代も(流行作家は)14人しかいないんですと言う。結局のところ、流行作家というのは、この14個しかない椅子の、椅子取りゲームなんですよって言うんです。で、今ちょうど1個だけ椅子が空いてるんですけど、そこに座りませんかって誘うわけですよ、彼が(笑)。彼が言うには、この間まで新田次郎先生が座っていた椅子が、新田先生がお亡くなりになったので空いています。どうぞ座ってください、というんですね。つまり「山の話を書け」ということですよ。僕は山が好きだ、ということも彼は知っていたので。実はこういうネタがあって、書きたいんだということを彼に話をしたんです。それが、この『神々の山嶺』のもとになりました。
 ただ、僕はそのとき、ヒマラヤにまだ2度ぐらいしか行ってなかったんですよ。エヴェレストにもまだ行ってなかったし、ちょっと待ってよと。エヴェレストに行ったり、チベットのほうに行ったり、いろいろ取材しないといけないからちょっと待ってと。で、20年ぐらいかかっちゃって(笑)。20年ぐらい待たせてから書き始めて、それから書き終わるのに5年かかりましたね。

――ひさびさに読み返したんですが、やはり圧倒的ですね。山の描写が素晴らしい。人物達の熱きエモーションに胸うたれる思いです。誰にも書けない境地にたっている。山の話はもう全部書き尽くした、とあとがきでも書かれていますが、もう難しいですか?

夢枕 もう山ネタは無理かな、と思いましたね(笑)。

◆連載シリーズの切り替え/『餓狼伝』同話2度送り事件/「倒れて本望」

――いま連載は何本ありますか。

夢枕 小説は10本、月産枚数は最盛期よりだいぶ減って、100枚以上200枚以内というところです。月によって変動はありますが、多くて200枚ぐらい。『ヤマンタカ』を書くときに、各社の原稿を減らしていただいたんですよ。毎月を隔月にしていただいたりして、これを書き上げたんですね。で、戻してないんですよ(笑)。本来書くべきだったものが全部こちらに行ってしまって、で、なんで戻ってないかというといろいろ理由があるんですけど、その間に絵本を3冊ぐらい書いたのと、オペラをふたつぐらい書いて、隙間が全部埋まってしまった。で、この6月に最後の絵本原稿が全部終わったので、ようやく普通の小説だけの原稿になった途端に、今エッセイが2本入っていて、それから、ある漫画雑誌から「格闘ものを書かねえか」と声がかかりまして(笑)。久しぶりに、漫画雑誌に書くのも面白いなと思って、心が動いているところです。
 あと、10月に引越しを予定しているんですよ。そのときに、資料がどこにあるか全部わかる状態になるので、少し増やせますから。

――いま連載されているのは、『餓狼伝』(双葉社「小説推理」)、『キマイラ』(朝日新聞出版「一冊の本」)、『陰陽師』(文藝春秋「オール讀物」)と、それから何がありますか。

夢枕 講談社の「小説現代」で『真伝・寛永御前試合』という剣豪小説をやっています。えげつない、外道剣士しか出てこないやつをね。それから集英社の「小説すばる」で『明治大帝の密使』という、徳川埋蔵金の話を10数年やっていて、これはもう佳境に入りました。KADOKAWAでは、デジタル誌の「文芸カドカワ」で『蠱毒の城―月の船-』という、遣唐使の戦いの物語を、これも連載60回を越えています。

――すごいですね。それほどの多忙を極めながら、昨日までフランスにいらしたそうですが。

夢枕 ええ、仲のいいイラストレーターの天野喜孝さんと、あと陶芸家の叶松谷(かのう・しょうこく)さんと一緒に。高島屋さんの美術部が、来年で創立120周年なんですね。それで、ハロウィンにちなんだイベントをやりたいということなので、僕が物語を書いて、それに合わせて、清水焼の大家である叶さんが器を作って、それに天野さんが絵付けをする。ハロウィンですから、ケルト神話にちなんだ絵柄にしたい。本当なら3年ぐらい前から始めないといけなかったんですけど、まあ来年だからいいやということで今年になっちゃったんですね。それで、僕の物語部分が100枚になっちゃって、ようやく書き終わったので取材に行ってきたんです。

――こんなに連載を抱えていて、頭の構造はどうなっているんですか(笑)。連載ごとにぱぱっと切り替えられるものなんですか。

夢枕 切り替えたら、ひたすらそのことを考えて、前のことはあまり考えないようにします。並行はしないですね。何度かは、こっちをちょっと書いて「忘れてませんよ」と出して、またこっちをちょっと書いて、ということが1年に1回ぐらいありますけど。

――昔、やはり多くの連載を抱えていた吉川英治が、『三国志』で同じ武将を2回死なせたことがありましたが、そういった問題はありませんでしたか。

夢枕 1回だけあります。『餓狼伝』で、70回目をもう出してるのに、69回目からまた書いちゃったことがあって、もう1回書き直したんですよ(笑)。

――その違いを読んでみたいですね(笑)。それにしても、これだけ過密スケジュールで仕事をされていて、体調を崩されたことはないんですか。

夢枕 よく、作家の人で「倒れるまで書いた」とか、「おれは倒れた」とかいう話があるじゃないですか。僕も怖いもの見たさというか、どこまでやれば倒れるのか、わからなかったんですよ。それで昔、京王プラザホテルにカンヅメで書いていたときのことなんですが、書いていると眠くなるんですよ。で、舌を噛んで目が覚めるんです。なんで舌を噛むかというと、机に向かってこういう感じで(こくりこくりと舟をこぐ)書いているから、口が半開きになって舌が下がってくる。それをかちかちと歯で噛んで、痛みで目が覚めるんですね。そうなったら10分か15分ぐらい寝て、そうするとまたしばらく書けるんです。それを1週間ぐらい繰り返していたときに、UWF(※)ができたんです。みなさんご存じないでしょうけど(笑)。

(※UWF:ユニバーサル・レスリング・フェデレーションの略。1984年に創立され、1990年まで活動したプロレス団体。キックと関節技を主とするシビアな格闘技系ファイトスタイルで知られ、前田日明、藤原喜明、高田延彦らが所属していた)

 そのオープニングの試合に行くために必死で書いてね、飯も食わないで後楽園ホールまで行ってね、ラッシャー木村が初めてドロップキックをやった日なんですけど、みんなわからないでしょうねえ(笑)。木村はいい人でねえ。プロレスラーとして、日の目を見ない時期が長かったんですけど、ジャイアント馬場の全日本プロレスへ行って、そこでいいキャラになるんですよ。マイク・パフォーマンスというのがあって、普通、レスラーはマイクをもらうと「てめえこのヤロー、ぶっ殺してやる」とか言わなきゃいけないのに、馬場にむかって「俺はな、馬場に勝つために焼肉を10人前食ってきたんだけど、負けちゃったよ。だから次は、20人前食ってくるからな」とか、「これだけ試合してると、馬場のことを他人とは思えなくなってくるんだよ。一度でいいからアニキと呼ばせてくれよ」とか言うんですよ(笑)。
 そういう心温まるマイク・パフォーマンスをするようになる人なんですが、そこへ行く前に、当時最も尖っていた格闘技団体のUWFへ行って、普段はやらないドロップキックをやる木村を見て、僕は涙を流しましてねえ。ビールで乾杯したあと、東海道線で帰る途中に気分が悪くなりまして、戸塚駅で電車から放り出されましてね。ホームで倒れていたら救急車で運ばれて、病院で「点滴はどちらの手にしますか」と訊かれたんで「左手にしてください」って。で、左手で点滴を受けながら、徳間書店の『闇狩り師』の原稿を書きました。そういうことが、2回ぐらいありましたね。

◆「脳が垂れるまで」考える/「又吉! 騙されるなよ!」/本当に描きたいものを描くために

――本当にすごいですねえ(嘆息)。これだけ小説を書くために、どう展開させてどう結末をつけるか、どのようにして考えているんですか。

夢枕 これはね、たぶんみなさんと同じだと思うんですけど、寝て待っていてもアイデアって来ないんですよ。たとえば、あと3日で30枚書かなければいけない、というような限られた時間の中で、待っていてもアイデアって絶対出てこない。だから、死ぬほど考える、ということ以外にありません。ひたすら考えるんです。
 亡くなられた、米長邦夫さんという将棋の名人と対談したときに、米長さんがおっしゃっていた言葉を僕もよく使わせていただいているんですけど、「脳が垂れるまで考えてください」っていうんです。米長さんのイメージだと、将棋盤の上に、脳が溶けて鼻からこぼれ落ちるぐらいまで考える」というんですね。多少の脚色はあると思いますが、僕が言うときは「脳が溶けて、鼻から落ちて原稿用紙に垂れるくらい考える」というのが、アイデアを出すときの鉄則ですね。それ以外にはないと思ってます。
 これは星新一さんも似たことをおっしゃっていて、「最初の2つか3つまでのショート・ショートは、神様がくれたもの。あとは全部、自分が必死に考えたネタである」そうです。

――以前ここにいらした大沢在昌さんも、「考えて考えて、頭がねじ切れるぐらいまで考えるんだよ」とおっしゃっていました。そうしないと新しいものは出てこないし、若い人たちに負けてしまう。負けたくないから頑張ってるんだ、と言っていましたね。

夢枕 そうですよね、若い作家のことは意識しますね。最近は、又吉直樹さんの本が売れに売れていて、僕にも半分くらい回ってこないかなと思うぐらい売れていますよね(笑)。1作目の『火花』(文藝春秋)もいいし、今度出た2作目の『劇場』(新潮社)もいいね。

――素晴らしくいいですね。又吉直樹は本物の作家だと思う。芸人は仮の姿だと思いますね。

夢枕 『劇場』が雑誌に載ったときに、NHKで又吉さんの密着番組をやっていたんだけど、彼は、執筆のためにアパートを借りているんですね。何もない部屋に机があって、そこに向かう背中を撮っているんだけど、これがいい背中をしているんですよ。ちょっと丸まっているんですね。それが、もう「私は10年この格好をしてますよ」というような感じの、いい背中なんです。それでね、できた原稿を編集部へ持っていくわけですよ。持っていくと、編集の方が「又吉さん、書き直してくださいよ」とおっしゃるんですね。その、書き直すときの台詞がですね。はっきり覚えてないので意訳をして申し上げると、「地獄が書けてない」みたいなことなんですよ。この、人間の深みをもっと掘り下げたらいいだろう、みたいにおっしゃるんですけど、「又吉! 騙されるんじゃないぞ!」と、カミさんと見ながら叫んでましたよ(笑)。
 というのはですね、僕らがデビューする寸前のころに、北方謙ちゃんとか、亡くなられた立松和平さんとかが、純文学系のところに持ち込んでいたときに、言われていたのと同じことなんですよ。当時と同じ言葉をいまだに使って。最近、100万部も200万部も売っている作家が他にいますか。それなのに、古い言葉をいまだに使っているというのが、僕はちょっとね、「又吉、騙されるなよ」という感じでしたね。
 ちょっと前に、漫画の新人がデビューするまでを、テレビでやってたんですよ。5年か3年かわかりませんが、好きで毎日描いてきた漫画家志望者が、一番可愛い女の子を描いて持ってきたのを、編集者が「この髪型は今ウケないんだよね。今は、主人公の好きになる女の子の髪型はこうだよ」みたいに、売れてる漫画のデータから計算したやり方に押し込めようとするんですよ。そのときにも、この前に感じた又吉現象が起こって「お前、言うとおりにしちゃダメだぞ!」と思ったんだけど、でも言うとおりにしないと載せてもらえないから、微妙なところなんですけど。やはり、過去のデータで新人を縛ろうと言うのは、信頼関係がないと難しいところだけど、出版社に限らず企業というのは面倒臭いところで、何かいい発言をすると、「この責任は誰が取るんだ」みたいなことでその企画が流れてしまったりする。「この新人はいいから使ってください」と言っても、編集長が「いま流行りの傾向じゃないからダメだ」とかね。編集長ともなると守りに入る方が結構多いのでね。でも才能のある人は、それでも出てくるんですよね。
 萩尾望都さんという『ポーの一族』(小学館)を描いた漫画家の方も、その作品を描くまでは「そんなの売れませんよ」と言われていて、それでも一作だけ描かせてください、と言って描いたら、売れたんですね。池田理代子さん(『ベルサイユのばら』など)とかみんなそうですね。本当に描きたいものがあるのに、注文を受けたものを描いてきて、ある程度売れてきてから、編集者を騙して、自分の描きたいものを描く。そういう作品が、結構売れたりしているんです。

◆「人間を書く」ことと「肉体を書く」こと/「空間で原稿料を稼いでいる」/リズミカルな文体の源は

――出版社が直しを要求することはよくありますが、夢枕さんの作品は、唯一無二すぎて編集者も直しようがないんじゃないでしょうか(笑)。北上次郎さんが夢枕さんの作品について書評で書いているんですが、「人間の肉体こそ最高のドラマである」と。こういう作品は、夢枕さんにしか書けないでしょう。

夢枕 そう言っていただけるのはありがたいですねえ。僕は最初、人間のことが書けないと思っていたんです。今でもあまり得意じゃないんですけど。あと、女。女と人間のことは書けない。なら何が書けるかというと、自然描写と肉体ならなんとかなるなと思ったんですね。人が人を殴るときの感情も書こう、というのは意識しています。だから最初のころは、拳が当たって顔がこう横を向いて(自分の拳を顔に当てながら実演する)、当たったところの細胞が一瞬にして潰れるんですけど、それを原稿用紙2枚分ぐらい使って、細胞がどう潰れていくか書くわけです。最初に柔らかいものが当たって、次に骨が当たる感触があって、めちめちめち、と細胞が3つ潰れて、それから骨がみしりといったとかね。次に、見ていた風景が変わって、なんで横の風景を見ているんだろう、と書いたりする。そうやっていろんな手口を使っています。

――スティーヴン・ハンターという狙撃小説の大家も、銃を撃って弾丸が当たって、相手が死ぬまでを、えんえんと描写して、なんと6ページかけたりしていますね。

夢枕 そういうことを書こう、というのは結構意識していますね。みんながたとえないものにたとえる、という快感があるんです。たとえば、音楽を演奏している描写を書くんですよ。それが、あとから格闘の場面だとわかる。楽器と楽器が響き合っていて、おまえがこうやって弦を鳴らすならおれもこうやって、みたいな感じでふたりの演奏が高まっていくと、空中でふたりが演奏し合っている。ふたりの魂が空中できらきら光っていて、気がついたら肉体の中に戻っていた、みたいな感覚を書くのが好きですね。

――感覚の描き方も鮮烈ですし、謳い上げるというか、改行を繰り返して畳み掛ける文章も圧巻ですよね。

夢枕 それはもう勢いなので、感覚としか言いようがないですけど、北方謙ちゃんが「おまえは空間で原稿料を稼いでいる」って言うんですよ。「1行3文字で同じ原稿料なのは許せない」って(笑)。

――北方謙三さんは改行しないでみっちり描きますからね。でも、夢枕獏さんの「1行3文字」の文体も素晴らしい。読んでいると非常にリズミカルで、劇的ですよね。あの文体はどこからきているんでしょうか。

夢枕 詩が好きだったからでしょうね。あと、漫画に負けたくないので意識的に改行を多くしたこともあります。漫画って、文章より目の速度が速いんですね。その速度を維持するには、1行のセンテンスを短くするのがいい。そうするとスピード感が出て、「読んだ!」という感じがするんです。

――夢枕さんの文体を真似た、新人の作品っていっぱいあるんですよ。でも、どれも下手くそでね。やっぱりリズムがないんですよ。書いた本人はリズミカルなつもりでも、謳い上げる力がない。ご自分では、自分の文体が変わってきたと思うことはありますか。

夢枕 最初のころは、僕は萩原朔太郎と宮沢賢治が好きで、あの詩を朗読してテープに入れていたりしたことがあるんです。デビュー前の、高校生ぐらいのころですけどね。575に近いリズムというのは心地良いし、文章を書いていてあの感じがないと嫌なんですね。ただ、自分の読む速度と他人の読む速度は違うんですけど、でも自分の心地よいところでやるしかないので。そこは意識しています。

――『ヤマンタカ』でも、リズミカルな改行で畳み掛ける場面があって、剣戟の場面なんかすごくいいですね。

◆作家はサービス業/才能は努力しないとわからない/スランプが怖くなくなる方法

――そろそろ時間もなくなってきましたが、夢枕獏さんは山田風太郎賞の選考委員をされています。山田風太郎賞は新人が対象ではありませんが、新人の原稿に求めるものは何でしょうか。

夢枕 山田風太郎賞と、あと今度から「ゆきのまち幻想文学賞」の選考委員もやります。これは次回からですけどね。
 新人に求めるのは、わかりやすいかどうか、ですね。読んでいて、わかりやすいかどうか。僕自身は、作家はサービス業だと思っているので、読んだときに、その人の身体が右を向いているか左を向いているか、舞台で見ていたらどっちを向いているかがわかるように心がけています。小説を書いていて、描写はしないけれども、ふたりが夜の街を歩いているとしたら、ネオンがどっちから光っていて、右肩にそのネオンの色が映っているか映っていないかはイメージして書いています。そこまで書くか書かないかは、また別の話ですけど。

――完成された新人の原稿と、完成されていないけれども荒々しい才能がある原稿なら、どちらを取りますか。

夢枕 完成されてないけれども荒々しいほうが、いいですね。新人の原稿なので、思いが余っちゃって文章がついていかないほうが、伸びしろがあると感じますね。

――僕も、編集者からよく言われるんです。「池上さん、小さくまとまった新人はいらないから、荒々しくて、尖った才能のある新人を見つけてください」とね。たぶんみんなそういう思いがあるんじゃないでしょうか。最終候補には残るんだけどなかなか受賞できないという人が、ここの受講生にも何人かいますが、そこから突き抜ける何かが必要なのではないか。でもそれは他人が教えることはできないんですね。その人が持っているものしかない。

夢枕 たぶん、最後に必要なのは、持って生まれた才能だと思うんですね。100m競走って、誰が一番速いかは遺伝子で決まっちゃってますから。文章とか小説を書くのも、所詮は才能ですよ。才能のあるやつが、いいものを書く。ただ、才能を比べあうには、努力しないと比べられないんです。自分に才能があるかどうかって、努力してはじめてわかるんですね。だから、死ぬほど努力したやつらだけが、才能を比べあうことができるんだと思いますね。

――もうひとつ、さっきはストーリーについてうかがいましたけど、最近はキャラクターを重視する書き手も多い。夢枕さんは、キャラクターの作り方についてはどう考えていますか。

夢枕 僕はですね、格闘ものでは極力キャラを立てるようにしています。たとえば、最近書いたキャラクターで、投げ技が得意なやつを出したんですよ。こいつには、灰皿に針を立てるという勝負をさせました。酒場でやるんですけど、ガラスの灰皿を裏返しにして、針を持ってきてそこに立てるんです。これは力学上、絶対に無理なんですけど、でもこいつは立てることができる。それだけバランス感覚が優れているから、投げ技がうまいという設定で、針を立てあう勝負をするんです。最初は卵から始まって、石を重ねたりもする。そういうバランスおたくみたいなやつが、実は投げ技が得意で、ボクシングで投げるというシーンを書いたんです。ボクシングで、スリップダウンというのがありますね。あのスリップという現象を作るんですよ。相手が殴ってくるときに、自分は殴らないんだけど、ちょんと当てるだけで相手はバランスを崩して倒れちゃう。そういうシーンから積み上げていって、そのキャラを立てるのに50枚ぐらい費やしました(笑)。
 そういう、何かの能力に特化させるとキャラが立つんです。ほかにも、たとえば握力が強いやつだったら、板垣恵介さんの漫画『グラップラー刃牙』(秋田書店)には花山薫という侠客で、握撃という技を使うやつが出てくるんです。これは相手の腕を掴むと、血管がぱんと破裂してしまう技なんですが、僕の場合は、バットをねじって折るやつを出しました。よく空手で、バットを蹴って折るデモンストレーションをやるんですが、僕が『餓狼伝』に出した隅田元丸という、寝技がものすごく強い柔道家は、バットを手でねじって折るんですよ。そういうキャラクターを考えるのは、楽しいですね。
 あと、技の名前を考えるのも楽しいです。技の名前だけ先にできて、それからどんな技にするか考えることもありますね。なるべく可愛い名前にしたほうが怖いんです。「雛落とし」という技は、お雛さまみたいに首がもげちゃうというイメージで、相手の顎の下に肘を入れたまま背負い投げで落とすと、首が折れるという技にしました(笑)。

――楽しそうに話しますねえ(笑)。技の名前が先に出てきて、というのが面白いですね。悩むことはないみたいですね。今までのキャリアで、スランプになるようなことはありませんでしたか。

夢枕 それは何度かありました。でも、僕は一生書き続けると決めているので、仮に20歳から80歳まで60年書くとしたら、スランプなのはそのうち数ヶ月か、せいぜい1年ぐらいだと思うんです。そう考えれば全然怖くないですよ。だから、一生続けると思えば、スランプはないも同然ですよ、みなさん(笑)。
 スランプだって後でネタになると思えば、結構いいですよ。女が逃げてもネタになるし、何があってもネタになる。作家は何でもネタにできるものなんです。

◆人名に数字の効用とは/わが青春のUWF/「本気を出して書く」

――では、もう時間を少々過ぎていますが、今日は夢枕獏さんに会いたい、ということで初めて受講に来た人がたくさんいるようですので、質疑応答に入りましょう。

男性の受講生 獏先生の作品には、九十九乱蔵(『闇狩り師』)や、羽柴彦六(『獅子の門』)、丹波文七(『餓狼伝』)など、名前に数字の入っている人物がよく出てきますが、数字に対するこだわりのようなものはあるのでしょうか。

夢枕 あっ、そうですね。初めて気づきました(笑)。それぞれには理由があるんですけど、たとえば九十九乱蔵は、付喪神(つくもがみ)とかけてあったりとかね。何だろう、おそらく語呂の良さとか、目で見たときに読み間違いがない感じでしょうかね。

男性の受講生 柳澤健さんの『1984年のUWF』(文藝春秋)が出てから、あの時期のUWFという運動体に対する再評価の流れがあるのですが、獏先生は、あのころを振り返ってどのように思われますか。

夢枕 いい質問が来ましたね。みなさん、ちょっとごめんなさいね(笑)。プロレスというものはですね、簡単にいうと八百長なんですけど、本当は八百長じゃないんです。みなさん信じないかもしれないけど。真剣勝負のあるジャンルには、八百長があるんです。でもプロレスは真剣勝負じゃないので、八百長はないんです。このロジックは理解できると思うんですが、こういう理論武装をしないと生きていけない時代だったんですね、1980年代までは。
 プロレスは勝ち負けがあらかじめ決まっているゲームだ、ということはわかっていたんですけど、じゃあUWFはどうよっていうとね、わかんないんです。誰も教えてくれない。おれは内部の人間じゃないし。それでね、小出しに小出しに聞いていかないといけない。だんだん手探りでわかっていったのが、あの時代でしたね。それでもいくつか、真剣勝負があるんじゃないかと思っていたんです。でもほとんどなかった。唯一あったのは、前田日明と佐山聡が闘った試合(注:1985年9月2日、大阪臨海スポーツセンター。前田が、団体の運営方針をめぐって対立していた佐山に不穏な攻撃を仕掛け、下腹部に蹴りが入ったのを、佐山がとっさの機転でレフェリーに「急所攻撃だ」とアピールし、その意を汲んだレフェリーが前田の反則負けを宣告、事態を収拾したとされる)。これは真剣勝負じゃない真剣勝負、プロレス破りを前田が仕掛けた試合だった。おれはね、このときレフェリーをやっていたミスター空中さんに、フロリダのタンパまで行って、この話を聞いたんだから(笑)。カール・ゴッチのところまで行ってね(注:ミスター空中はカール・ゴッチの娘婿にあたる)。
 いま思えば、プロレスとは、UWFとは何か、ということを確認していった時期ですね。その後は、いろんな人と仲良くなって、だいたいわかるようになったんですけど。いちばん面白かったね、あの時代は。

女性の受講生 先生は作家デビューする前にサラリーマン生活をされていたことがあるそうですが、そのころについてお聞かせください。

夢枕  サラリーマン生活はほんの1年ほどだったんですよ。僕は大学に入るときに、作家になりたかったので東海大学の日本文学科へ行ったら、小説という授業がないのでびっくりして、教授のところへ行って話をしたんです。「音大には音楽の実技があって、芸大にも絵や彫刻の実技があるのに、なんで日本文学科には小説や短歌の実技はないんですか」、と言ったらですね、「大学の文学部は学問をするところである。実技を学ぶところではないんだよ。もし君が不満ならば、君が作家になって、うちで授業をやってくれよ」と言われまして(笑)。作家になってからその話が来てね、10年ぐらい、年に1回、小説講座のようなことをやりました。
 で、大学を卒業したときに、出版社に行きたくて、福音館を受けたんですね。出版社に行けば小説を書けるんじゃないか、と単純に考えて、実際には全然違うんですけど。で、福音館には『八郎』(斎藤隆介作・滝平二郎画)というすごくいい絵本があって、これが好きだったので福音館を受けに行ったら、見事に落ちましてね。落ちたら山小屋で働こうと思っていたので、北アルプスの山小屋で働いていたら、ヒマラヤへ行っちゃって。ヒマラヤから帰ってきたときに、とにかく働かないと食っていけないので、働きながら小説を書こうと思ったんですよ。そうしたら、小田原市でタウン誌を出している会社が、社員がいなくなったというんですよ。なぜかというと、潰れそうだから。社員の家も抵当に入っていて、給料も未払いであると。じゃあ行こう、と思ったんですよ。僕は作家として食えるようになったら辞めようと思っていたので、これは対等である、と判断して。
 それで行ったら、本当に1年で潰れましてね。期待通り、と言ってしまうと一緒に頑張っていた仲間に申し訳ないんですけど。ちょうどそのころが、自分のデビュー時期に重なってきたのかな。会社が潰れて、どうしようかなと思っていたときに、ちょっと反省したのがね。「いつか本気を出せば」って思っていたんだけど、じゃあ自分は本当に本気を出したことがあるかと考えたら、ないなとわかったので、それなら本気を出そう、と、半年間ほとんど家から出ないで原稿を書いたんですよ。持っていたカメラを全部売り払って、家に入れる食い扶持を半年分確保して、あとはひたすらこもって書きましたね。雨戸を閉め切って、部屋を昼夜同じ状態にして。そうやって書いたのが、のちの『幻獣変化』(角川文庫)と「巨神伝」(のち『遙かなる巨神』と改題、創元SF文庫)ですね。この2作はこの時期に書いたものです。「宇宙塵」という、小松左京さんや星新一さんがデビューしたSFの同人誌があって、そこへ持っていったときに、主宰の小隅黎さんこと柴野拓美さんという人から、「君はこっち側の人だから、あきらめてください」と言われたんです。あなたは普通の生き方をしてもダメだから、普通の幸せはあきらめて、こっち側で死んでください、みたいなことを言われましてね(笑)。それがけっこう嬉しくて、それから真面目にというか、腹が据わって書けるようになった。それからは、アルバイトしかしないで小説を書いたんです。

――「本気を出す」というのはいいですね。みなさんも自分を甘やかさないようにして、本気を出して書きましょう。まだまだお聞きしたいのですが、もう時間をだいぶオーバーしていますので、このあたりで終わりにしたいと思います。今日は長時間にわたり、本当にありがとうございました。
(場内、大拍手)


【講師プロフィール】  
◆夢枕獏(ゆめまくら・ばく)氏  
1951年、神奈川県小田原市生まれ。東海大学文学部日本文学科卒業。79年、短篇集『猫弾きのオルオラネ』でデビュー。82年『キマイラ吼』、84年『闇狩り師』『魔獣狩り』、85年『獅子の門』『餓狼伝』、88年『陰陽師』などの名シリーズをスタートさせベストセラーに。89年『上弦の月を喰べる獅子』で第10日本SF大賞、97年『神々の山嶺』で第11回柴田練三郎賞、11年『大江戸釣客伝』で第39回泉鏡花文学賞&第5回舟橋聖一文学賞&第46回吉川英治文学賞を受賞。現在山田風太郎賞選考委員。

●猫弾きのオルオラネ(ハヤカワ文庫JA)
https://www.amazon.co.jp//dp/415030548X/

●キマイラ吼(ソノラマ文庫211)
https://www.amazon.co.jp//dp/425776211X/

●闇狩り師(徳間文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4198940029/

●魔獣狩り(新潮文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/410120313X/

●餓狼伝(双葉文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/B009A71H0Q/

●陰陽師(文春文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4167908611/

●上弦の月を喰べる獅子(ハヤカワ文庫JAユ1-5)
※第10回日本SF大賞
https://www.amazon.co.jp//dp/4150310262/

●神々の山嶺 (集英社文庫) ※第11回柴田錬三郎賞
https://www.amazon.co.jp//dp/4087472221/

●大江戸釣客伝 (講談社文庫) ※第39回泉鏡花賞&
第5回舟橋聖一文学賞&第46回吉川英治文学賞 
https://www.amazon.co.jp//dp/4062775549/

●K体掌説  九星鳴著 (講談社)
https://www.amazon.co.jp//dp/4163901604/

●ヤマンタカ 大菩薩峠血風録 (角川書店)
https://www.amazon.co.jp//dp/4041048303/

●羊の宇宙  夢枕獏・著 たむらしげる・イラスト  
https://www.amazon.co.jp//dp/4062090511/

●ちいさな おおきな き  夢枕獏・著 山村浩二・イラスト
https://www.amazon.co.jp//dp/4097265911/

●幻獣変化 (角川文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4041626056/

●涅槃の王1 幻獣変化 (祥伝社文庫)
https://www.amazon.co.jp/dp/4396327862/

●遙かなる巨神  (創元社SF文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4488730019/

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