中学2年生か3年生くらいからずっと精神の具合が悪い、気がする。初めのきっかけはたぶん自分の家族が崩壊していることに気づいてしまったことだった。私は自分の家はまあまあ普通の家だと思っていた。普通の中流家庭だと。だけど中学生になってから別に全然普通じゃなかったことが分かった。
こちらのきっかけはよく覚えていないのだが、中学生になり何かがあって母親と寝室が同じになった私は知らぬ間に母親の愚痴を処理する係になった。もしかしたらパートを始めたことがきっかけだったかもしれない。パートでの散々な扱いの愚痴やら(しかもこれがけっこう本当にやばそうで現代日本の社会の闇を身近に認識した初めての経験だった)父親の今までの所業やらひたすら楽しくない話のオンパレードであった。
母親の話によると私の父はまあまあびっくりなクズで戦後祖父が一代で築いたとある中小企業の跡取りとして、大人数の兄妹の末っ子として、それはそれは大変甘やかされて育った人だった。(長男ではなかったが長男が海外に飛んでしまったので跡取りになったらしい)。父は小さな頃から欲しいものをほとんど与えられ育てられ、大学は寄付金を積んで入り(中高はそこの付属校で大学は所謂F欄)、自由に遊びたいからと親の金でマンションを借り車を買い大学生活をしっかり五年間満喫し、社会勉強のために実家の取引先の会社へコネ入社をした。これは全て母からの伝聞なので誇張はあるかもしれないがとりあえず絵に描いたようなボンクラである。そこで母と出会い結婚し、立派な経営者となるために自分の店を始めるわけだが、この父びっくりするくらい馬鹿なのである。そしてお金を管理することがとにかく下手で人を管理することがとにかく下手で、何回か会社を作っては潰しを繰り返し最後には私の母の実家や自分の親戚に借金をいくつか返してもらい自己破産的な何か(名称を忘れた)をしたというではないか。しかもその間つつましく努力していたならまだしも家に生活費も入れず自分の趣味にお金を使い自分の母親からお小遣いをもらい遊んでいたらしいのである。先ほども書いたがこれは全て母からの伝聞なので正しいかは分からない。ただ、私はその頃私の父親が普通ではないんだろうなとそこで気づいたのだ。
そして姉が浪人生になった。姉の存在というのは私にとってとても大きく(たぶんシスコンなのだ)、姉は自分よりもずっと要領が良く何でもできる存在であったためこれはとてもショックだったことを覚えている。
そして、私も姉も元エリートだった。自分で書くのもおこがましいが。私も姉も中学受験をしたのだが2人とも塾に通っている間は常に一番上位のクラスにいた。そんでもって私も姉も志望していた学校に進学をした。
私は本当にその学校に幼い頃から憧れていた。行くならここだと決めていた。しかし実際に入ってみたら想像していたものと何もかもが違った。その学校は第一志望に落ちて色んなことに未練タラタラの同級生ばかりだった。二番手校の宿命である。そして私はそんな同級生たちが第一志望にしていた学校に合格していた。考えるまでもなくそちらが格上ではあったが、私は私が行きたい学校に行くんだとその学校を蹴ったのだ。まあ中学受験は大変ではあったけれど正直周りの子よりも頑張らないで成果が出てしまったのでそんなことが出来たんだと思う。しかし、蓋を開けてみれば二番手校であった私の第一志望は半分以上の生徒が自分の過去に追い縋り「こんな学校来たくなかった」と愚痴愚痴傷を舐め合っている、というのが現実だった。このような現象は二番手校ではよく見られることを私は後で知ったのだけれど、それは無理もない。だって小学六年生の私はテレビも大して見ずに塾にばかり言って流行りのCMソングさえ存在を知らなかったわけで、そんな私がそんな情報を自分から手に入れるなんて無理な話なのだ。そんな話、エデュくらいでしか見れないじゃん。
私は私の第一志望がひたすら悪く言われる学校生活が本当に辛かった。今思えばここから少しずつおかしくなっていったのかもしれない。なかなかの大所帯だった仲良しグループの中に、私と同じでその学校を第一志望にしていた子はいなかった。
なんだか中学受験の話が長くなってしまったが、とにもかくにも私の絶対的存在である姉は大学受験に失敗した。もとより本気で頑張っているそぶりもなかったがもちろん家の中の空気は悪くなり母と姉が言い合うことが増えた。
その頃の私はひたすら自殺することを考えていた。母は夜中にひたすら私に家にお金がないことを話していた。私にこのままだと高校に上がれないかもしれないとまで言った。実際のところ病気で亡くなった祖父の遺産があったのでそんなことはなかったんだろうけれど。母は私と姉の教育費に莫大な費用がかかっていること、これからかかることを話した。そしていつ通り父の話、パートの話、私はそれをひたすら相槌を打ちながら聞いていた。初めて聞いたころは涙が出たりしたけれど気づいたら上手く涙を操れるようになっていて、泣きそうになっても平気な顔が出来るようになった。それは深夜3時を過ぎることもあった。
そこで私は思ったのだ。私がここで死んだら教育費が半額、いやむしろ私と姉の年の差ぶんさらに少なくなって費用が浮くじゃないかと。その頃の私は自分の能力へのおごりやら、周りと心から馴染めなかったことへの焦りやら、家の事情を一気に知ってしまったことやらでまったく勉強に手がつかず成績は学年で半分より下だった。小学生の時の塾の友達は相変わらずエリートで充実した学校生活を送っているように見えた。私は典型的な落ちこぼれの元中学受験生になったのである。そんな私は自分はもういい大学には行けないと思っていた。だったら死んじゃってその浮いたお金で姉の学費を払えばいいのじゃないかと。死んだら別に葬儀代しかかからないしこの先私が生きていく上でかかる費用よりずっとずっと安いじゃないかと。
ふざけた考えである。お金がないという母の話は半分本当で半分嘘で私が死ななくたって姉は二度も大学に入ったし今だって大学に言っている。私だって高校に上がれたしそのままあれよあれよと浪人生になり予備校に通っている。
そして私は自殺する期日を決めた。それまでに荷物を全部整理しようと思った。今思えば完全に頭がおかしくなっていたんだけれど私はその時本気だった。
まだたった四年前のことなのでその日のことはよくおぼえている。その日私は少し寝坊をして数分の遅刻をして学校に行った。私は中二の頃から若干遅刻や欠席が増えていた。朝から母と姉は口喧嘩をしていた。ものすごく鬱々とした気分で家を出たのを覚えている。そして学校に着き、自分の席に着いた途端全部ダメになった。突然今までコントロール出来ていた涙腺が全部ダメになり涙が止まらなくなったのだ。頭の中では泣き止まないと、いつも通り、目立ってしまう、遅刻したのに、とぐるぐるといろんなことが駆け巡っていた。全然悲しいことなんて考えてないのだ。だけど涙が止まらなかった。そしてそのまま涙を流していると、そんな私に気づいた先生が私を保健室に連れて行った。そこから気づけば4時間ほどひたすら保健室で泣いていた。保健室の先生にはどうして泣いているの、と聞かれた。痴漢をされたのかと聞かれた。全然違うと首を振った。それに私も分からないのだ。確かに悲しいことはたくさんあるけれど死のうと思っていたけれどどうしてこんなに涙が止まらないのか分からなかった。ずっとどうして泣いているんだろうと思いながら涙を流していた。それから担任の先生が来て、私は家に帰りたいと喚いて早退をした。遅刻して突然泣き出してそのまま昼休みまで帰ってこなかった同級生が目立たないわけがないから、私はとにかく学校から逃げたかった。そのまま昼休みの教室にカバンを取りに行き私は帰路に着いた。友達が大丈夫?と心配しながらお菓子をくれたので、泣きすぎて腫れているだろう顔で笑いながら大丈夫と言った。
そこから私は不登校になった。夜眠れば母が私を置いていなくなる夢を見て目が覚めた。相変わらず母の愚痴は無くならなかった。嫌な夢を見るので眠りたくなくてギリギリまで起きていた。そうやって質の悪い睡眠をとれば嫌な夢は見なかった。お昼に起きてぼーっとしながら過ごした。たぶんリーガルハイとか見てたと思う。母は出張に行っているらしい父にあなたのせいで娘が学校に行けなくなっていると何通もメールを送った。
そして一週間経った頃、姉が言ったのだ。私を理由にして父に文句を言うのをやめろ、と。私を学校に行かせろ、と。私は正直行きたくなかった。突然泣き出して学校に来なくなった同級生をみんなどういう風に見るんだろうと怖かったのだ。だけれど私は次の日には学校にいた。この辺りのことはよく覚えていない。
ただ死ぬのは辞めようと思った。そして母の愚痴をひたすら聞くのも辞めようと。そして泣くのを我慢するのも辞めよう、と。相変わらず母の愚痴はそのままだったけれど私はなるべく耳に入れないことを努めた。ひたすら怒りに任せて何度も同じ内容の話を愚痴愚痴と話す母をなだめたりした。母は子どもは親の愚痴を聞くものだと言った。自分だって、そうしていたのだからと。
ここまで書いて力尽きた。あとは幼い頃からの無意識な男に対する対抗意識やクズの父親やツイッターのジェンダー論議なんかの影響でミサンドリーをこじらせてしまって今現在マジやばい話とか、なんかもうやりたいこともないし目標もないし希望もないしやる気もなくて浪人やる気がなくて祖父の遺産をドブにすててるのが悲しい話をしようと思ったんだけど中学の頃の話書いている間にいいストレス解消になって3時間止まらなかった涙も止まったのでもうやめます。
とりあえず中学生の時は客観的に見て思考が止まってたしヤバかったと思えるんだけどなんか未だに精神的に元気じゃない気がするんだけどエリート街道落っこちて這い上がるのが大変だし這い上がらなくてもそもそも生きてくのって大変だからそれを理由にしたいからそういう気持ちでわざといるだけなんじゃないかとか、色々考えちゃってどうしようもなくてほんと人生が間違いなく停滞していてとりあえずヤバイけどどうにかする気もしないんだよな。違う中学を選んでそのままいい感じにエリート街道突っ込んでたらたぶん私は名誉男性を目指す女になってた気がするのでエリート街道落っこちたのはまあいいんだけどとにかく人生の目標が欲しいんだよ。やりたいことが欲しい。母は自分が死んだりいなくなって必要にかられたらどうせバイトか就職かできんでしょというけどそうなったらそのショックで本当にダメになって死んじゃいそうだなと思っています。母は私があの時母に捨てられる悪夢を見てたなんて未だに知らないんだなぁ。というか私は未だにあの時を週一くらいのペースで思い出しては、ちゃんと泣きたい時は我慢しないで泣かないととか思ってるんだけど、母の中ではもう終わった話で私が一時的に発狂したか駄々こねてたかなんかだと思ってるんだと思う。
母はやっぱ色んなことが間違えてる母親だけど、母は私のために色んなことを犠牲にしてくれたし私はそんな母親に甘えて社会に出たくないとゴネているだけなので本当人生どうしようかな。やる気ってどうしたら出るんだろうね。というかやる気って何なんだよ。六年間無気力に生きてきた私にはあまりにも難しい。クソガキだった小学生時代を人生の頂点にするのはあまりにも悲しいからどうにかしないとと思ってる現在進行系クソガキ。
毎日社会に対してたくさん憤りながら生きてるけど私が戦っている相手って誰なんだろうとふと考えると全然分からないし。女を下に見てくる男と戦ってんのかな 男を甘やかしてる女と戦ってんのかな 失敗をしらず弱さを知らないエリートと戦ってんのかな 本当良く分からなくて毎日辛いの本質はここなんじゃないかなとは思っている。自分が何に一番辛いのかが分からないことが一番辛い。父親がクズで結局今現在は生活費を1円も入れずに家にいることとかも辛いし、社会が怖くて辛いし、本当辛いことばっかで本当に辛いこととただの私の怠慢とがごちゃ混ぜになっちゃっている。こうやって分かってるフリをしてる自分も痛くて辛いしね。とにかく何か一つ物事を考えるたびに3つ4つ5つと自分の良くないんじゃないかみたいなところを見つけてしまったりしてひたすら負のループを繰り返しているのである。無間地獄。
まあ中学受験は終わってからが本番なのでそこで余裕なくなったり全部終わったと油断して子ども放り投げると塾に言われたことしかできないような子どもは大抵死ぬのでちゃんとした家庭の人間じゃないんだったらマジ気をつけろよ、という話です。