吉祥寺に仕事場があるので、都内に出るときは中央線か、井の頭線だ。近年は、中央線よりも、なんだかのんびりしているから、井の頭線を使うことが多い。吉祥寺始発で座れるし。
高校生の時、渋谷西武B館の地下に詩集専門の書店があった。そういう情報をどこからとも無く仕入れてくる奴がいて、教えてくれたのだ。そういう「ススンデル」友人て、いつの時代もいる。
詩なんて、それまでは軟弱だと思って、嫌いだった。ところが、はっぴいえんどというロックバンドを知ったおかげで、興味を持つようになった。はっぴいえんどのドラマーで、ほとんどの歌詞を書いていた松本隆の歌詞をかっこいいと思ったからだ。松本隆が渡辺武信の詩を好きだと書いていたので、聞いたこともない彼の詩集が無性に読みたくなった。でも近所の書店にはどこにも売っていない。ネット無き時代だ。情報は圧倒的に少なかった。その渡辺武信の詩集が、西武B館の地下の書店に行ったら、当たり前のようにあったので、、さすが都内、吉祥寺はイナカだ、と思った。
それから高田渡経由で山之口貘という詩人も知った。「ぞうさん」の歌詞で有名な、まどみちおも、この頃再発見した。
そうやって世の中には「カッコイイ詩」もあることを知った。渋谷にはそんな詩集専門の店があったのだった。渋谷という街を仰ぎ見る気持ちになった。そうだ、思い出した。「ぽるとぱろうる」という書店だ。名前からして、何か飛び抜けて見えた。
ロック喫茶にも行った。ジャズ喫茶にも行った。そこはイナカ吉祥寺のそれとはやっぱり違っていて、もう少し古くて大人な雰囲気があった。見たことない輸入盤もかかっていた。
大好きだった遠藤賢司が開いた「Waltz」という喫茶店にもドキドキしながら行って、アイスコーヒーを飲んで、彼のヒット曲のタイトルにもなっている「カレーライス」を食べた。後に有名になるピラミッドカレーはまだ無かった。最初は道玄坂の途中の2階にあった。
PARCOは1階の天井がやたら高くてオシャレだと思ったし、今は無き「ジャン・ジャン」に、ライヴや芝居を見に行った。
いろんな映画館にもいったし、ライヴハウスにも行った。パチンコ屋の上の「屋根裏」にはRCサクセションが出ていた。そうだ、オシャレとしての古着を初めて買ったのも、渋谷だ。
大学生になると、音楽仲間の先輩が「屋根裏」の下のパチンコ屋でバイトをしていたので、よく酒を飲みに行った。いろんな店を飲み歩いたけど、安い焼き鳥屋が多かったな。
まあ、誰にでもある若い時代の話だ。
当時行った店は、ほとんどもう無い。それらが無くなったのとはまったく関係なく、ボクは渋谷駅から出ることが少なくなっていった。呼ばれてライブハウスに出演する以外の用事がなくなった。渋谷は、今や乗換駅、途中駅だ。
考えてみると、子どもの頃は全然行かない街で、若い時通って、歳をとったら行かなくなる街って誰にでもあるに違いない。人生の途中に留まった街。途中街。
今回はボクの途中街・渋谷に行くことにした。
担当編集者男は、それなら7月なので、鰻でも食べて暑気払いをしましょうと言う。いいじゃないか。そうしよう。
例によって編集者男と編集者女が、候補の店を何軒かリストアップしてくれた。
円山町にある老舗の鰻屋や、個室のある古い鰻屋など、どこも魅力あり、しかも知らない店ばかり。だから、第1候補から第3候補まで希望を書いてメールした。
そしたら、しばらくして「全部、取材を断られました」とメールが来た。なんじゃそりゃと思って、新たに編集者女の見つけてきた店をメールしたら、しばらくして「土用のうなぎの時期のせいか、どこの店も予約が取れませんでした。渋谷じゃなくてもいいですか」とメールが来た。いや、もう渋谷で書く気満々だし。
いい大人の編集者が、後手後手に回っている感じだ。
さらに探してもらって、ようやく取材の予約が取れたのが「元祖 うな鐵」だ。創業昭和32年。ボクの生まれる前年。そうか、いいね、そこで決定。
新しいものを作るのが文化だ、なんて。流行は必ず古くなるんだよ。消えてしまった渋谷PARCO跡を眺め、ボンヤリと感傷的気分。
鰻を食べる前に、久しぶりに3人で渋谷の街を歩いてみようということになった。今パルコが無い、と聞いたからだ。パルコが、無い。無いというのは、休業か閉店して営業してないのか。物質的に建物がすでに無いのか。
駅の方から歩いて行って、細い坂道を上る。
「ここ、スペイン坂でしたっけ」
「たぶん」
「そのはずです」
3人ともおぼつかない。いかに来てないか。
「ここ、上がるとパルコですよね」
「ですね」
と、その途中にあった映画館「シネマライズ」が閉館している。
ユニークな形状の建物は残っていて、ユニークなだけに、入口が暗く、インフォメーション的なものがなにもなく、ビルが目を閉じ口をつむいだような有様が痛ましい(後で知ったが、ライブハウス的なスペースになっているようだ)。
やっぱり「意表をついたデザイン」というのは、ひとたびその内実が失われると、本当に依りどころないような、頼りなくかわいそうになる形状に見えてしまう。
「新しい」というカタチがいつも危ないのはそこだ。
人類は文化というものを持ってしまったから、「新しい」には価値を与えやすい。というか、新しいものを生み出すのが文化だと、勘違いしやすい。新しいのがエライと思いやすい。
新型。最新式。ニュー。ネオ。「今まで見たことも無い○○」。それが正しいと思ってしまう。新しいものを、頭の中で古いものより上位に置いてしまいがちだ。
それは危ない脳味噌の罠だ。
当たり前だが、新しいは、一瞬たりとも止まることのない時間の経過で、必ず古くなる。流行は、必ず時代遅れになる。新しいは、エラくない。長持ちするものの方に価値がある。日本の街は変わり続けてなんとか都会らしさを保ってきたから、それを忘れやすい。
知り合いの男が、若い女子に「ホットパンツ」と言って、キョトンとされたそうだ。とたんに、すごく恥ずかしくなったという。今や言わないな、ホットパンツ。それは恥ずかしくなるかもしれない。名前が名前なだけに。熱いパンツ。
別のオジサンは、やはり若い子に、
「そういう服は、ブティックで買うの?」
と聞いて、キョトンとされたそうだ。ブティック。聞かない。今はショップ(「チョップ」「キック」の発音でなく「別府」の抑揚で)か。でもショップもすぐに次の言い方に変わる。すでにススンデル人々の間では変わっているかもしれない。
そういう風に、ある時代、PARCOは新しかった。最先端だった。公園通りを上ると、PARCOがまぶしく輝いていた。
それが、いつからか、若者たちに「パルコ、駅から遠いし」と言われるようになったという。それはカナシイ。しかもPARCOでなく、カタカナで呼ばれているイメージ。
それが諸行無常というものだ。大昔からそんなことわかっているのだ。ギリシャ時代から大人は「今の若者はなってない」と嘆いていたのと同じだ。同じでもないか。
パルコのあった場所に来た。見事に、無い。工事現場の囲いがあるだけで、Part2、Part3を含め3つあった建物が、ただ、無い。向こうの建物が見えている。一瞬ポカンとしたが、
「ホントに無いねぇ」
と、なんだか笑ってしまった。張り紙に「2019年秋に新しい渋谷パルコとして生まれ変わります」と書いてある。「新しい」になんだか強い力を感じない。自分でも「パルコ」とカタカナ表記してるし。流行商売は大変だ。
人はたくさん歩いているが、ここにパルコの建物が無いことに、無関心に見える。
それからボクたちはもう少し歩いて、坂を上がりきった先に、あの渋谷公会堂が、すっぽりと無いのを見た。パルコと同じく、立て替え工事中。ここでもコンサートや芝居を観た。はずだけど、何を観たかもうほとんど忘れた。
その公会堂の裏の渋谷区役所も無かった。
「あ・・・そう言えば、婚姻届、渋谷区役所で出したんだ」
と編集者女が呟いた。彼女はその結婚の後、たしか3年もしない間に離婚している。
「婚姻届の時、向こうの母親がついて来て、ちょっとウザいなって思ったんだ」
それはちょっと、そうかもしれない。
「でも大学のときは、服買うのも、遊びに来るのも、渋谷が多かったな」
遠くを見る目をして編集者女が言った。
「渋谷西武のティファニーで、指輪も買ってもらった」
うわー、ティファニーで指輪。よくテレビなんかで見た気がする。本当に買ってた人がここにいた。
西武といえば、JR渋谷駅の西口駅前の東急プラザのビルも今、取り壊されて更地になっている。東口の東急文化会館はとっくにHikarieに変わっている。西も東も取り壊して新しくしている。渋谷は今そういう時期なのか。なんて、そういう言い方は安易だ。変化は日常で、そこに波があるだけだ。ヨーロッパと違い、日本の都市は作り直し続けることで、なんとか都市らしさを保っているようなところがある。だから単品ではみな安っぽい。
▲PARCOの消失だけじゃない。西口駅前では、東急プラザも取り壊されて、今は更地になっているんだ。
変り続ける渋谷の街に歩き疲れて、鰻屋さんにやってきた。いきなりうな重じゃなくて、まずは種類豊富な串ものを嗜もう。大人のお客さんが皆、顔を紅潮させて、楽しそうだ。
猛暑の夕方、小一時間歩きまわって、井の頭線渋谷駅西口にほど近い「元祖 うな鐵」にやってきた。
歩いたおかげで、からだが生ビール受け入れ態勢万全だ。
開店時間の夕方4時半の5分前。編集者男が引き戸を開け、中の店の人に声をかけると、快く入れてくれた。その対応がすごく感じよくて、ほっとする。職人のいる店は、緊張する。
もちろんまだ客は誰もいない。広い店内では仕込みの作業や開店準備で店員さんたちが慌ただしく動いていた。鰻のタレの匂いがする。でもまだあの扇情的な鰻を焼く匂いではない。
卓について、何はともあれ生ビールを三つ頼む。
乾杯して、飲む。あたりまえにウマイ。汗をかいて、喉が渇いている。
ここはハナからうな重やうな丼を注文する店ではなく、酒を飲んで鰻の串を楽しむ比重が高そうな店のようだ。
お通しは、小皿にのった大根の浅漬け。シソの実が入っている。いかにもさっぱりしている。来るべきコッテリの到来を予感させる。でも、ならば、最初じゃなくて、途中でスッと出してくれたほうが気が利いてるのに、と思うのはわがままだろうか。
いろんな串がある。店員がやってきて、メニューの串の説明をしてくれた。よく「肝串」や「肝すい」というが、その「肝」が鰻のレバだというのは初めて知った。まあ肝臓だから肝だけど、そのままレバとは思っていなかった。この店ではその部分だけを塩で焼いたのを「ればぁ」という名で出し、レバを含む内蔵全体を焼いた「きも」と分けている。
「くりから」。これもよく聞く。鰻の腹身を串に巻いたものだが、なんとこの店が発祥だと、若き三代目の店主が説明してくれた。初代、つまり彼のおじいちゃんが、当時まだ鰻屋が捨てていた腹身の部分を工夫してこの一品にしたのが、今や全国に広がったのだと言う。そうなのか。今やビルの一角に入っているが、そんな歴史ある店なのかここは。「くりから」、なんとなく江戸時代からあると思っていた。
蒲焼きを小さくした「短尺」。鰻の背中の身をタレ焼きにした「串巻」。
まだ客がいないせいもあってか、三代目はすべての串の説明を、やや早口だが丁寧に説明してくれた。彼が去ったあと、編集者女は、
「情報量が多すぎて、わかんない」
と笑った。笑うところだろうか。彼女は筆記用具を出してメモすることも、録音機材やスマートフォンで説明を録音することも無かった。編集者として、今日はいったい何をしに来ているんだろう。と思っていたら、メニューに合わせて串を並べ直し、一緒に写メを撮っていた。名前だけはわかるようにしているのだろう。ギリギリ仕事をしている。
串のほかに「うざく」と「肝の佃煮」「肝わさ」も頼んだ。
うざくは、鰻の酢の物だ。ここのうざくは、たっぷりのキュウリの薄切りの上に鰻が乗っていて、ボクにはとても嬉しいスタイルだった。
肝の佃煮は、初めて食べたが、肝の歯ごたえの際立った佃煮で、ほろ苦く香りよく、これはビールにも酒にも合いそうだ。うな重の存在がやや遠のいている気がする。
▲「肝の佃煮」「肝わさ」の小鉢もいいんだ。肝の佃煮って初めて。ビールに合うナア。
かいた汗を補填するかのようにどんどんビールを飲んで、三杯目を飲み干す頃には、店にはかなりお客さんが入っていた。ひとり客は見当たらない。二人客は年配の夫婦が多い感じで、あとはサラリーマンぽい四人六人客。みな賑やかにビールや酎ハイを飲んでいる。
肝焼きをアテに酒をちびちびやりながら、うな重が焼けるまでの三十分四十分を静かにじっと待つ、という鰻屋ではない。
でもボクはこういう店も好きだ。みんな、赤い顔をして楽しそうだ。「よーし、今日は鰻でも食おうか!」という勢いが笑い声に出ている。いつの間にか、鰻の焼けるあの匂いが店中に漂っている。でも、すぐに食べたい、という鰻欲はさほど刺激されない。
▲鰻の腹身を串に巻いた「くりから」。初代が、当時まだ捨てていた腹身を工夫したんだって。ワサビで頂くと、いい按配。
編集者男はいち早くビールから焼酎ロックに変えている。ボクと編集者女は、少し遅れて冷酒に変えた。うまい酒を取り揃えている。やはり飲みにやや重点の置かれた店だ。
「こないだ、老舗の台湾料理の『麗郷』がどこだかわかんなくなって、ぐるぐる歩いて、自分でビックリしましたよ」
れいきょう。道玄坂からちょっと入った印象的なレンガ造りの店はボクも若い時から知っている。あそこはまだある。でもたしかにあの辺りも、すっかり様変わりしている。オジサンは迷うかもしれない。トイレから戻ったら、編集者女が、
「酔っぱらって『こんなもん、いらねぇよ!』って、投げつけました」
と、笑っていたので、何の話か聞いたら、例のティファニーで買ってもらった指輪のその後だった。面白いからすぐメモした。彼女の左薬指に指輪は無い。でも「投げつけました」の後が(笑)になっているから、もう事件は成仏したのだろう。
その指輪は、今、どこにあるのだろう?誰かがしているのか。元夫の引き出しの奥にひっそり眠っているのか。ゴミのように捨てられてしまったか。どこかの店に売られたのか。ネット上で取引されているのか。渋谷の指輪物語。
▲写真奥から、かぶと、ひれ、串巻、肝、短尺(たんざく)。炭で丁寧に焼いてくれるから、自然とこちらもゆっくりと、楽な気持ちになれる。お酒も進むヨ。
酒をおかわりして、いろんな串を食べた。エシャレットなんかも食べた。うな重やうな丼がますます遠ざかって行く。そのことを言うと、編集者女が、
「食べてもいいし、食べなくてもいいですよね」
と笑った。どうでもいいのか。ボクは我に返って、すぐにうな重をひとつ頼んだ。それは食べた方がいいだろう。テーマは「途中めし」なんだから。
先月は編集者男が飛ばしていたが、今月は編集者女が飛ばしている。指輪の魔力かもしれない。
結局三人でひとつのうな重をつつき合った。「一杯のかけそば」か。あれはしかし、なんだったんだ。もう知らない人も多い、流行絵本だ。最初からボクはキライだったが。
▲すでにビール&お酒で酩酊模糊の編集者女のいい加減科白をふりきり、最後はうな重で〆ました。これが、ちょうどいい重みなんだ。上出来上出来!
冷酒のアテに、あたたかいうな重は、悪くなかった。けっこう飲み食いしている三人には、ひとつでちょうどよかった。こんな食べ方はしたことが無い。それが許される雰囲気のこの店は、自分の身の丈に合った鰻屋だと思った。しかし、それが締めというわけでもなく、まだダラダラ飲み続けた。
店を出て、さらにもう1軒行こうということになり、編集者女が知っている店に案内すると言うのでついていったが、全然その店が見つからなくて、30分ぐらい歩かされた。何をしているんだ。しかもついてみればボクも知っている店だった。編集者女は指輪の魔力に酔わされていたようだ。
そうやって、ダラダラと、渋谷の夏の夜はふけていった。これもまた、人生の途中。
紹介したお店
元祖 うな鐡
住所:東京都渋谷区道玄坂2-8-8 コスモ渋谷館1階
TEL:03-3461-9024
営業時間:月~木11:30~15:00 16:30~22:30(L.O22:00)
金 11:30~15:00 16:30~23:00(L.O22:30)
土 11:30~15:00 16:30~21:00(L.O20:30)
定休日:日曜・祝日
※掲載された情報は、取材時点のものであり、変更されている可能性があります。
著者プロフィール
文・写真・イラスト:久住昌之
漫画家・音楽家。
1958年東京都三鷹市出身。'81年、泉晴紀とのコンビ「泉昌之」として漫画誌『ガロ』デビュー。以後、旺盛な漫画執筆・原作、デザイナー、ミュージシャンとしての活動を続ける。主な作品に「かっこいいスキヤキ」(泉昌之名義)、「タキモトの世界」、「孤独のグルメ」(原作/画・谷口ジロー)「花のズボラ飯」他、著書多数。最新刊は『ニッポン線路つたい歩き』。