kaku_1960_04今でこそ世界的にも確固たる地位を築いたジャパニーズウイスキーですが、その歴史において、戦争は避けて通れない事実もあります。

戦前のサントリーもニッカも、本格的なウイスキーが当時の国民に受け入れられたとはいえない状況がありました。

両社が進出する前の、アルコールに着色しただけの焼酎にも匹敵するアルコールを、当時の国民はウイスキーと認識していました。

その中で、本格的に製造したウイスキーのスモーキーさに、違和感を感じたのは否めませんでした。

そんな状況でしたから、サントリーもニッカも苦境に立たされていました。
サントリーは国内での試作ブレンドのモニタリングの末、現在の角瓶に当たるサントリーウイスキー12年をリリース、ニッカもようやく第一号ウイスキーを出したときでした。

しかし第二次世界大戦、大東亜戦争が勃発すると、日本はイギリスと敵対したことで、スコッチウイスキーの輸入が途絶えることとなりました。

rareold明治からイギリス式を規範とした大日本帝国海軍は、オフの時のたしなみであるウイスキーが途絶えることは深刻なリスクでした。

その中で、海軍はウイスキーの蒸留、製造をしていたサントリーの山崎とニッカの余市を海軍指定工場として、ほぼ独占的にウイスキーの製造を行わせ、買い取っていきました。

その中で入手困難だった大麦麦芽などの原料も、海軍が独占的に供給を行いました。

こうしてサントリーとニッカは、倒産の危機から脱出しただけではなく莫大な利益を上げることにも成功したのです。

そして戦後、生きて帰還した海軍の兵士や士官によって、サントリー、ニッカの評判が広まることとなりました。

もしこの事実がなかったとしたら、日本のウイスキーは国内で多く飲まれただけでなく、海外に知れ渡るほどに発展したのでしょうか?

戦争を賛美するわけではないですが、ジャパニーズウイスキーが賞賛される背景には、戦争の事実をしっかり受け止める必要があるのです。