タイトルはこれ↓をもじってみました。
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/hosp/1284211128/l50
ここが変だよ精神科
買ってはいけないの作者も、CCHR だと載っているページもあった(下に註釈)が、今に「買ってはいけないを買ってはいけない」みたいに
「精神医療批判は、やりたい放題」とか「聞かせて下さい、あなたの精神医療被害者救済被害」とか言う本が出たりしてw
註釈
最初に見たページじゃないけど、wikipedia の市民の人権擁護の会(CCHR)にも、共著ありと載ってる。
市民の人権擁護の会(CCHR) wikipedia
ある医師のブログに載らなかったコメントという記事にもリンクしたこんな↓ページもあった。
http://www.keiten.info/university/201001_1.htm
医療崩壊を煽る医療ジャーナリストの、とある真相追究 敬天新聞
> 「文部科学省/高等教育局医学教育課/大学病院支援室」が、〝いい加減で 扇動的に危機感ばかりあおるデタラメ報道はやめろ〟と六月に抗議していた。
>「結論ありき報道」は、医療現場で蔑視の対象
>伊藤氏の医療批判は「善と悪」の判断がハッキリしている。そして医療という「人助け」の中で細心の注意を払いながらも 謝って事故を起してしまった医師を、伊藤氏はシンプルな脳みそで「悪」と定義づけ徹底批判する。
>それが実に徹底しているか ら読者・視聴者は伊藤氏の美辞麗句に耳を傾け、無警戒に扇動されてしまう。 しかし伊藤氏が週刊文春やら新潮やらテレビやらで騒ぐ医療崩壊の報道には、ほとんど「深層まで突っ込んだ取材」がされた 気配がない。
>マスコミの用意したシナリオを「より過激」に
>
事件の深層を追究せず(あまり深くも考えず)、クライアント兼「総監督」たるマスコミに依頼され、「巨悪たる大病院や厚労省に立ち向かう庶民派『医療
ジャーナリスト』伊藤隼也」というシンプルなシナリオを作り、自らも役割をオーバーアクションで演じる。
監督(たるマスコミ)の指導を一心に鵜呑みにし、「被害者代表」の演技を続けるから、観客たる視聴者や読者は雰囲気に圧倒され、用意された勧善懲悪をとり
あえず感受してしまう。
(伊藤氏は精神医療だけを批判している人では無いが、ある医師と一緒の記事に出てたり、親交はあるようだ。)
この↓あたりを、特に読んでもらいたいので、あまりいくつも上に記事を書かないことにする。
http://ameblo.jp/oooquree/entry-11330266827.html
ある医師のブログに載らなかったコメント
http://ameblo.jp/oooquree/entry-11330425066.html
CCHRやサイエントロジーの注意喚起しないのはおかしい。しかもソースだけ載せない。
『社会が社会として機能していない、または日本には社会がないに等しい、事に気がついている人たち』
精神医療の問題に限らず、社会には矛盾がある。弱者救済は救済ではない場合もある。こんなこと今に始まったわけではない。いつの時代どんな体制でも欺瞞や矛
盾はあり、それに引っ掛かる人、引っ掛からない人、それを利用する人、欺瞞や矛盾を作り出したり、それによって利得を得ようとする人
・・・と、さまざま居るだろう。
利得を得る人というのは、何も一種類じゃないし、さまざまな利得の得方があるだろう。
精神医療批判している人で職業的なものとしてやっている人たちも、巧みにこの社会無き日本社会の性質を利用している面はあるのではないか?
日本には社会がない。あるのは地縁血縁に支えられた共同体やコミュニティ。
それで何とかやっていけたり、社会的救済や社会的に正当な方法より、自力救済的なものの方が上回って居たりするから、日本に近代的な自我を有した人々が便利だと思って作ったようなソサエティなんて無いのだろう。
精神医療の無茶ぶりを正すべき機関がないとしたら、それがおかしいわけだけど、現行のシステムでそれにあたるのは、人権問題としてなら、法務省の人権擁護部
とか、人権救済は弁護士の仕事(建て前で罰則はない)だし、問題ある医者や病院を監督する立場にある厚労省にも責任はあるだろう。その他個別の行政の対応
なども。
これらのシステムが機能してないから、問題が解決できない。つまり社会が社会として機能してない。
機能不全は家庭だけじゃない。(AC理論は論文も出てない理論もどきの疑似科学だが。)
社会的な批判もしてるというかもしれないが、精神医療批判に比類してずっと少ない、見かけない。
批判だけすれば良いというものでも無い。
システムが機能するような働きかけや活動を積極的にやっているとは思えない。
働きかけでも、派手なものには手を出すが、300万人都市の名古屋の自殺対策がまさに非難しているとおりのやり方だったのに、要望書一つ提出しようとしなかった。
そのくせまた自殺対策に対して要望書提出とかやってる!なにそれ?!w
建設的にどのように働きかけ関係各機関を機能させるか、ではなくて
仮想敵を作って、それと闘う姿勢を表現している(わかりにくい言い方だけど表現とかパフォーマンスというのが的確な形容な気がする)、時には感情的に煽って同じように攻撃的になったり精神医療の非難をすることを薦めてみたり、という人も居る。
社会を機能させようとするより、批判してよい分野のお仕事をしていたら、その立場や領域を守った方が、本人には都合が良いだろう。
ネットのジャーナリストなどより、新聞記者の方がこういうことは徹底してそうだ。
知らせるのが仕事だから、昔の神戸の地震の時も復旧作業を手伝うより、写真撮影してたら怒られたり軽蔑されたが、その映像のおかげで支援の輪が広がったとか、美談のようにやってた。そういうこともあるだろうけど、そうとも言えない事もあるのではないか?
社会正義が書くだけしか発揮されないというのも、随分と片寄って調子の良い発動の仕方だと思う。
実際、気持ちはあっても現実的に物理的に都合がつかないということもあるのかもしれないが、それだとやはり自分の都合を素材にしている人たちに押し付けていることになるので、そこに社会正義があるのかどうか疑問だし、それを言ったら精神医療でも病院側医者側行政側の都合もあるだろう。それは一切聞く耳を持ってないが、自分達も似たような部分があるのには、気づこうともしないのは何故だろう?
『精神医療批判ヲチ』
精神医療批判ヲチが、出来るのでは無いだろうか?
精神医療批判ヲチサイトやブログが出来たら、けっこうなPV(ページビュー)稼げないだろうか?
とさえ思ってしまう。
CCHRの弁護士がついてるわりに、バランスが取れた考え方をしている人のブログで、精神医療批判している人や団体も、いろいろな考え方に分かれていると言うのを
派閥がある
と、書いていたのには笑ってしまった。
そんなに、利権と親和性が高い言葉を使ってしまって良いのか?!
ネットの精神医療批判は、つっこみどころ満載だ。
例えば、前だと、一般の人(たぶんCCHR関連・・・と思ったけど違う業者の人っぽい)のブログで、精神科に行くのは恥ずかしいと流行らせよう!とか書いてあったが
その人のブログのスキンは、ラッセンだった。
絵画商法(追記 展示会潜入取材動画)と縁が深いアーチストなのに。。。。。。。。。 恥ずかしい
精神医療の邪悪さ危険さを知らないのは、情報弱者 みたいなノリで書いてあったのに絵画商法 ○ール○バン知らないのは、恥ずかしくないのだろうか?
(それを指摘して、恥ずかしいと書いたら、削除された)
こんな調子のところも多い
YAHOO 知恵袋を、YAHOO 知恵遅れと 揶揄する言い方での、紹介で、
「無知が無能に無用を教える場所 」
というのがあるんだけど
精神医療批判被害者救済も同じような匂いがしないでもない。
最近疑問を持った事で、こういうのもあった。
コメントで、自分には薬を盛らないのに、何も知らなさそうな人には大量に盛ってる、薬の大袋を持って帰ってく、というような意味の事を書かれてても
そこのブログ主は、保険点数が変更されて、多剤処方では儲からなくしてあると説明はしなかった。
多剤3剤以上で、2割減
そこのブログで、その前に保険診療の精神科の多剤処方の点数の変更について、記事があるかどうか、色々な語句で検索したが出なかった。
ある医師のブログにもなかった。NPO法人ではなく申請中の任意団体の代表を名乗る人のブログにだけはあった。でもこの人はCCHRを、ソースに使ったり肯定的に載せている。それでサイエントロジーとの関係やフランスで詐欺で有罪と言うのを書くと削除。
(ちなみに、薬の大袋コメントがあったブログは、ライターのです。)
もう、多剤処方しても、儲からないようになったので、たくさん出してるとしても、儲けのためではない。
急にやめられないから仕方なく、ではないか? でも今までは、多剤処方で儲けてたんだろう。
多剤で、 逓減措置にしないと、多剤処方がなくならないと、厚労省も見てるのか、なんか凄いw
結局お金が減るまでの措置をやらないと、やめないということなのだろう。凄い話だ。