おとなんつづり

オトナになっても純粋に心豊かに。自由な視点で綴ります。

どうでも良いことを難しく考えてしまう自分の性格と付き合っていく


先日、懐かしい後輩の話題になりました。

後輩は私とは正反対の性格で、しっかり者で要領が良くて自由。どうやら育った環境も真逆のようです。自分の性格どうしようもないところあるなぁと思えてきました。

 

目次

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性格は育ちで決まってしまう部分もあるのではないか

 

後輩は好きな事を自由に楽しむタイプ。

相手が目上だろうが、お偉い方だろうが、初対面だろうが「嫌なモノは嫌」と断ります。きっぱりと。でも明るくて軽いので嫌味がありません。

 

私も断れるけれど、相手の方を傷つけないようにと無駄に言葉を選ぶので、イライラさせてしまう事があるんですよね。相手の方にしてみれば、最初からキッパリ断られた方が簡潔明瞭で清々しいのに。

 

後輩を真似して、ある程度はビシッと言えても、後になって言い過ぎたかなぁとか色々思い出してしまう。人の真似はやっぱり無理があるのです。

 

 

新しいチャレンジを認める?否定する?

 

この後輩の自由さはどこにあるんでしょうね。

あるとき、なるほどなぁと思う事があったんですよ。ちょっと聞いてください。

 

後輩が突然にアフロヘアーで会社に出勤したことがありました。

 

▼アフロヘア―ってこういうのよ 

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漫画でよく、爆弾に当たってチリチリふわふわになる髪型ってあるでしょう?

あの位のボリューム感でした。だからもう~驚きましたよ!だって突然のアフロですよ?

 

・・・想像してみてください。

OLアフロってあまりお目にかからないと思いませんか?

 

デザインや音楽系、接客商売のお仕事ならあり得るでしょうけれど、私たちは技術系の事務で、まぁまぁお堅い系な職場。私なんていつもブラウスの裾はスカートにインして仕事してましたから。(私の場合は真面目すぎですけどねっ)

 

あのときはほんと驚いたなぁ~。

 

   

自由な後輩の家庭環境は私と真逆

 

そんな時に後輩の家へお邪魔したのですが、そこでもまた驚いたのです。

お母様は後輩の髪を「楽しい髪型ねぇ。ふふふ」と、笑顔でふわふわ触りながら言ったのです。嬉しそうに。

 

ええっ!

このアフロを楽しいだって~!?

笑ってる場合じゃないよぉ!?

 

 

否定しないのです。娘の新しいチャレンジを喜んでいるのですよ。

私の親ならば、会社にその髪型で行くなんて大丈夫?と心配すると思います。

 

実は、後輩と同じくらいの年齢のとき、ソバージュ(髪全体にパーマ)という髪型が流行して、私も挑戦したことがあったけれど、その時はかなり落胆されましたから。流行に左右されてしまった自分を責め、毎日ドライヤーでまっすぐに伸ばしていました。

 

ただね・・・

「親が何と言おうが楽しむ!」という自由な心の持ち主であれば別。私の場合、そうはならないのです。親の発する言動に納得し、萎縮してしまう。

 

   

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必死に生きて来た両親は責められない

 

両親を責める気持ちはありませんよ。

私にとって両親は人として理想です。もう他界していますが、2人とも愛に溢れた人だったんです。息を引き取るまでに「終活」をきちんと済ませ、感謝と謙虚さを忘れなかった。もし来世があるのなら、また家族になりたいなぁと思っています。

 

そんな両親ですが、心の自由度は低かったように思います。 

2人とも、幼くして家族を支えて来たからだろうと思います。生きていく為に必死だった暮らし方です。

田舎の繋がりもあるし、時代的に今よりももっと過酷だったでしょう。ヤミ米の話など、ちょっと話を聞いただけでも、私には到底耐えられそうにない世界を生きていましたよ。

  

だから、苦労してきた両親の言動は説得力があって頷いてしまうのです。そして、私もまたそんな両親の行動をもとに、自分なりに解釈していく。

 

 

 

性格は、親、その親と長いルーツの上で成り立ってしまう部分、多少あるように思います。自分で変えたくても、すでにDNAインプットされている部分ってあるなと。

 

 

難しく考える原因は不安や恐れ?

 

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ただ、既にDNAルーツを持っていたとしても・・・。

尊敬している人などに否定されたり落胆されたりすると、一瞬傷つきますよね。

そんな風に傷つきたくないから、あれこれ考えてしまうのかなと思うんですよ。防御本能みたいな感じでしょうか。「不安・恐れ」から来るように思うんですよね。

 

それとは逆に、褒められたり喜ばれたりすると嬉しいし、どんどん楽しくなっていくので「不安・恐れ」は薄いかなぁと思います。多少落ち込んでも、今までの嬉しさの蓄えがあるから跳ね返せる気もします。

 

それらの蓄積されたものが、性格に影響出てくるのかもしれません。

 

 

自分で心のカスタマイズ服を作る

 

ということは・・・蓄積されたボディ(素の性格)をそのままに、心のカスタマイズ服を作るしかないのかなと思うんです。

 

ドラゴンボールで言うならば、スーパーサイア人ゴット的に。

 

 

突然出しちゃった。悟空。

ご存知ですか?けっこう好きなんですよ~私。

彼だって最初は落ちこぼれのサイア人で、自分なりにカスタマイズしていったんですからね。もともとの素質もあったでしょうけれど、それだけじゃないのです。

個人的にはピラフ一味が最強かと。ビルス様も可愛くて良いですよね。

 

 

 

いけない。話を戻して・・・

いかに自分に合う「心の服」をまとうかじゃないかと思うのです。

みんなが着ているからと、流行の服(世間体)を真似して着ても、結局苦々しい気持ちになって長く着ていられない。やっぱり自分オリジナル持っていないと、しんどいんですよね。

 

心だって、たまにはリフォームしたり、新調するくらいの柔らい気持ちでいないと、長年のダメージに耐えられなかったりするのかな。

 

 

 

蓄積されたボディ(素の性格)を変えようとするから辛いのであって。

上にまとう服を変える気持ちでいれば、ちょっとマシかもしれない。

 

 

しかし何でしょうね・・・

この難しく考えてしまう癖。

 

ボディだの、服だの。サイア人ゴットだの。そんな事いちいち考えずに好きに生きればいいのに。

 

でも最近、こんな面倒な自分をちょっと愛しく思えてきました。だいぶ、まぁこういう自分も良しとしようかって。 

ここは大きな一歩のように思っています。