プロ野球が熱い季節。
広島東洋カープが今年も強く、すでにマジックが点灯。
一方、我が地元、北海道日本ハムファイターズは全然ダメ、弱すぎる。
今ではすっかりコンサドーレ札幌派の僕ですが、
小学生時代は少年野球チームに所属していました。
区の選抜選手に選ばれたこともあり、
特に下手な選手ではなかったと思いますが、
とあるバットを手に入れたことで、
調子にのって痛い思いをした話をご紹介。
今回もお時間のない方のために、「さわり」だけをご紹介。
少しの時間お付き合いください。
夢に追い風!?バットの懸賞に挑戦
小学校から帰ってきては、雨の日も風の日も壁に向かってボールを投げた。
ただそれだけをひたすら毎日続けることができるくらい、
大好きだった野球。
当時、父が小学〇年生という月刊雑誌を毎月買ってきてくれていた。
その本の最終ページに「今月のプレゼントコーナー」があり、
1つのアイテムに目が止まりました。
西武ライオンズ 石毛 宏典(いしげひろみち)モデル
木製バット 1名様
当時、黄金時代の西武ライオンズ。
そのライオンズの不動のサードでキャプテンの石毛、背番号7。
石毛が使っているバットを、子供用にショートスケールにした木製バット。
どうしても欲しくて、普段は応募しない懸賞にチャレンジしてみた。
俺がこのバットを得れば、ホームランを量産して、西武にドラフト1位指名されるだろう!
しかし、全国発売している雑誌で、且つ、当選者1名の狭き門。
それまで懸賞で当たった物と言えば、
もれなくもらえるドッジ弾平ハチマキ。
スーパーのクジで当たった牛乳1L×3本。
そんな地味な物しか当たったことがありませんでした。
半ば諦めながらも、
少しの淡い期待を抱きながら、汚い字で書いたハガキをポストに投函した。
忘れた頃に石毛さんがやってきて、プロ野球選手の仲間入り?
応募してから数か月が経ち、応募したことすら忘れていました。
ある日、学校から帰宅すると、何か大きめの段ボールが僕宛てに届いていた。
なんだろう?
段ボールを開けてみると、
なんと石毛モデルバットが入っている。
まさかまさか、全国で1名にしか当たらないバットが、
この北海道は札幌市の僕のところにやってきた。
激しい競争をくぐり抜け、海を渡って俺の元に届いたこのバット。
なにかしらの理由があって、俺の手に渡ったといって過言ではない。
将来はプロ野球選手待ったなし。
俺は、バットという名の「ドラフトへの切符」を手にしたも同然だった。
【あす楽対応】 アンダーアーマー UA ベースボール 硬式 木製 バット 柳田モデル 84cm 1300679 UNDER ARMOUR バット 硬式用 野球用品 スワロースポーツ
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バットを手にしてから災難続きで俺は石毛にはなれなかった
しかし、現実とは残酷なもので、
バットを手にしてからというもの、
バッティングセンターに行く度に、災難が僕を立て続けに襲った。
亀裂ボールでナックルボール
石毛モデルバットを持って、バッティングセンターに足を運んだ。
このバットならホームランは当たり前。
そんな暗示にかかっていた僕だったが、とんでもない魔球に遭遇する。
ボールがこちらに向かって放たれた瞬間、
ボールがゆらゆら揺れ始めた。
魔球ナックル!?えげつない変化に翻弄され体が硬直。
「だめだ、打てない!見送ろう!」と感じたその瞬間、
まさかのバッティングセンターでデッドボール。
想定外すぎて呆然としました。
原因は、ボールの2/3に亀裂が入っている不良品で、
ボールが真っすぐ飛ばなかった。
とりあえず怪我はなかった。
秋山幸二ばりの自打球
後日、またまたバッティングセンターへ。
今度こそ石毛の魂が宿ったこのバットでホームランを!
ボールが来た!
これは打てる!
どりゃぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ
自分で打ったボールが自分の右目に直撃。
まさかの自打球。
1991年7月24日、オールスターゲーム第2戦の秋山幸二ばりの自打球。
悶絶。
翌日、目のまわりが真っ青。
まるで昭和のアニメの殴られた後みたいになった。
腫れが引くまでは、
「なんだかかわいそうな子供」みたいな視線を感じた。
まとめ
自打球が理由で、僕のプロ野球選手への道が途絶えた。
それから僕は石毛を恨んだ。
石毛には何も非がないのに、一方的にな!!
というのは冗談ですが、
車庫の奥深くに封印してしまいました。
さよなら、僕のベースボールライフ。