「匠の記憶」第2回 ベーシスト/作曲家(工藤静香など) 後藤次利さん

「匠の記憶」第2回目のゲストは、2月18日リリース、ハイレゾ配信もスタートした工藤静香さんのベストアルバム『MY TREASURE BEST-中島みゆき×後藤次利コレクション』の作曲者・後藤次利さんです。
日本が世界に誇る超絶技巧のベーシスト・編曲家としても高名な後藤さんが、工藤さんの作品、そして自身について語る極めて貴重なインタビュー!

 

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My Treasure Best
-中島みゆき×後藤次利コレクション-

ハイレゾで購入

 

 

~後藤さんにCD音源とハイレゾ音源の聴き比べをしていただきました~

「慟哭」(1993年)

「FU-JI-TSU」(1988年)

単・純・愛 vs 本当の嘘(新曲)(2015年)

 


 

■ハイレゾ化によって「音の交通整理」がされた気がする

――本日はお忙しいところありがとうございます。まずは3曲聴いての感想をお聞かせください。まずは、大きな違いみたいなものを、感じられましたか?

後藤 正直もし、酔っ払っていたらわからないくらいの違いですよね(笑)。でも今の中では、最初の曲が一番音が違ってるような気がしたんです……。

――「慟哭」ですか?

後藤 新曲に関しては録音自体が悪くないから、あまり差がわからなかったです。さらに言うと、新曲に関しては、むしろCDのほうが音圧が塊(かたまり)になってて、いい場合もあるんじゃないかなと。結局はハイレゾは、解像度みたいなものですか?

――そうですね。映像でいうと、100万画素と400万画素の違いみたいな。

後藤 「慟哭」は、確かに最初のCD音源を聴いた時、ちょっとギターのカッティングのエッジとか音像があまり美しくなく見えたんですけど、そういう、エッジみたいな部分は良かったです。なんというか、ハイレゾ化によって交通整理された感じがちょっとしました。作品によって効果的なのか、効果的じゃないのか? ちょっとあるのかな?という気がしました。どうなんでしょうか?

――コンプレッサーとか、先程おっしゃった音圧とか、少しパンチの効いた音に聴こえるので、それを好まれる方は実際いますね。

後藤 どっちをとるかですね。特に(今回の)新曲のアレンジからいくと、低音の塊みたいなところを重視しているところがあるから……。

――「好み」みたいな話にもなってくるんですけどね(笑)。ハイレゾのいいところは、ちょっとマニアックにはなりますけど、隠し味に使っている楽器の音色が鮮明に聴こえてくる……とか、そういう部分になるのかなと。

後藤 これ、多分、僕はタッチしていないのでわからないけど、たぶんリマスターしてますよね。このCDじゃなくて、元の音源を聴くともっと違ったのかな、と。

――確かに今回、CDのリマスタリングもすごくいい仕事をされていると思います。

後藤 (最初のリリースから)何回もフィルター通ってきた結果(笑)。でも、3曲だけの印象ですけど、元の音源とですごく変化を感じる。これもハイレゾにする場合は、CDのマスタリングみたいに色々な調整をするんですか?

――基本的には、スタジオの音をそのまま表現する、というのを目指していますね。たぶんCDのほうがだいぶEQ(※音質の補正や改善すること)されてますし、コンプ(※コンプレッサー。一定の音量を超えると音量を抑える音響機器を使って、逆に音圧を上げたりすること)もされてますし。元の録音によってだいぶ変わるんですよね。70年代に録音したものと、デジタル全盛時代に録音したものと、やっぱり違うので。古い音源の場合はハイレゾに対応した調整を施すということもあるようです。

後藤 なるほど。今回の音源は全曲聴いてはいないですけど、年代によっても録音方法によっても違いますよね。新しい音源は完璧にPro Tools(※1990年代初頭に開発されたプロフェッショナル向けのハードディスクレコーディング・システム)の時代で、それ以前はたぶん、ソニーの48(※通称「ヨンパチ」。SONY製の48チャンネルマルチトラックレコーダー・PCM-3348のこと)じゃなくて……88~89年って、どういう録り方してました?

――48ですね。

後藤 48、ありました? でも、当然チャンネル数少ない場合は、もう1台のレコーダーを同期してチャンネルを増やしていたと思うのですが、もう1台はなんだったんでしょう。

――おそらくアナログレコーダーが多かったんじゃないでしょうか? 話は変わりますが、工藤さんのボーカルについては、聴き比べてどんな印象を持たれましたか?

後藤 いや、同じじゃないですか? 今日はハイレゾを褒めなくちゃいけないのかもしれないけど(笑)。だって、すごく解像度の高いテレビみて、肌こんなに映しちゃって可哀そうだなって思う時もあるし、いや、いいなっていう時もあるし、それぞれだからわからないですね。新曲に関しては、僕はCDのほうがいいなと思ったし。

――そうかもしれませんね。

後藤 いいんじゃないですか? CDとハイレゾ、両方のラインで走っていければ。

――工藤さん以外の音源も聴いてみましょうか?  ここにレッド・ツェッペリンの音源がありますので。

後藤 大元(の音源)がどうだったかな?……とはいえ、1stアルバム行きましょうか?

レッド・ツェッペリンの1stアルバムから、「Good Times Bad Times」のCD音源とハイレゾ音源を聴き比べてもらいました)

後藤 大体この(CDの)音自体が、僕らが高校の時に聴いてたアナログより全然良いです。この段階でもう違う(笑)。(ハイレゾは)ドラムの音とかが全然違いますね。カッコいいです。元のプレイヤーがプレイバック(※スタジオ録音時にプレイヤーが自分の演奏を聴いて確認する作業)で決めてた時は、こんないい音で聴いてなかったはずなので、びっくりするんじゃないですか?(笑) ハイレゾって結局、トータルの音源にその処理を施すわけですよね。バラの楽器で、全部作り直したらもっとすごいんでしょうね?

――そうですね。リミキシングしたら、ということですよね。

後藤 トータルでこれだけ違う。でも、これだけタムドラムの音像が違うっていうのは、その帯域を集中的に何かやるって、そういうことじゃないんですか?

――たぶん、EQなんかを上げてるということではなくて。元々入っている音の解像度を、ちゃんと上げてあげるというか。

後藤 よりクリアになる周波数、っていうのはあるんですか?

――たとえば今の曲でいうと、割とドラムセットのそれぞれのパーツの音程が違うから、そのレイヤー感はより出ます。あと、CDなどではカットされていた音域が、ハイレゾだと生かされるというのもありますね。

後藤 音源の、上から下までの周波数を細かく切ってやるような感じですか? 病院のMRI検査のような……。

――まさにそうです。ハイレゾだとより周波数をより細かく解析するので、原音の再現性が高くなります。

(再度、「Good Times Bad Times」を聴く)

後藤 これ当時、69年くらいのレーコーディングかな? テレコ(テープレコーダー)は何チャンネルくらいでしょうか?

――8、じゃないでしょうか。

後藤 これだけの楽器数を同時に録ったんですかね? それともピンポン(※録音作業方法のひとつ。 録音可能トラック数が足りない時などに、ボーカルや演奏などの音声信号を録音した複数のトラックから同一のテープ上あるいはセッション内の空きトラックにミックスをしてまとめることによって、トラックを稼ぐ手法)しながらだったんですかね?

――たぶんそうだと思います(※取材後調べたところ、1968年のThe Beatlesは『ホワイト・アルバム』から8トラックを導入。1969年の今作は過渡期だが、8トラックでピンポン録音ではない可能性が高いと思われる)。

後藤 頭のギターからスッキリしてますよね。タムドラムがクリアっていうよりも、前に出てきますね。ギターの間に、カウベルみたいな音が入ってるのもクリアに聴こえるし、音像は変わらないんだろうけど、立体感を感じます。

――当時は(テープレコーダーの)トラック数がとても少なかったために、ひとつひとつの楽器がエンジニアリングやマイキングの妙もあって、しっかりと録れています。ハイレゾになると、そうして録音されたそれぞれの楽器が、よりくっきりと聴こえるんですね。

後藤 女の人で化粧映えする人としない人と、それぞれタイプがあるじゃないですか(笑)。音楽によっても、そんな感じしますけど。

 

■ベーシストとして、作曲家/プロデューサーとして

――これまで後藤さんはプレイヤーとしても、様々なシンガーのバックで弾かれてますよね。これまで演奏された楽曲で、それがハイレゾになったら面白いんじゃないかというタイトルってありますか?

後藤 うーん、そうですね……なったらなったで嬉しいし、聴きたいけど、なきゃないで、まあ当時のもんだなと。あまり固執してないんで……。

――むむ、無欲ですね(笑)。

後藤 今日の工藤さんの、「FU-JI-TSU」とか聴くと、最近のは別として、88,89年から4~5年くらいの間だけど、やっぱベースの音、小さいですよね。「FU-JI-TSU」はシンセベース(※シンセサイザーで演奏されるベースパート)なんですけど、それでも小さい。コアのベース、低域の音のほうが、ハイレゾは出てるんじゃないですかね。

――今日はもちろん工藤さんのベスト盤、『中島みゆき×後藤次利コレクション』の取材なのですけど……後藤さんにとって「歌手・工藤静香」はどういう存在ですか?

後藤 そうですね~なんだろう……彼女は、一番最初に会った時は、制服でスタジオに来てましたからね、学校帰りに。たぶんシングル20曲作ったのですが、87年ソロデビューだから……当時は3ヶ月に一曲のペースでしたもんね。最初から、彼女の音域とか、手加減するとか、一切考えないで作れたんですね。こっちが100%力出しても、工藤静香はちゃんと応えてくれる。まだ10代だったのに……。

――ちなみに、中島みゆきさんと共作される場合って、詞先なんですか? 曲先なんですか?

後藤 みゆきさんに限らず、工藤さんのアルバム100曲近かったかもしれないですけど、曲先ばっかりですよ。メロディーを作って、スタジオで「ラララ」で坪倉唯子さん(※B.B.クイーンズのボーカリストとして有名だが、スタジオのセッションボーカル、ライブのサポートボーカルも多数務める)に歌ってもらったりしてたんですけど。今回の新曲も、僕が最初デモを録って、「ラララ」をやってもらったのは坪倉さんですね。それをみゆきさんに渡して詞ができて、アレンジャーの方へお願いして。ハイレゾの話とは関係ないかもしれないけど、この「仮歌」ってのが、とても大事なんですよ。そこでのメロディーの提示の仕方は、「ラララ」のほうが、シンセサイザーより伝わりやすい。肉声でのやり方を間違うと、間違って伝わる可能性もあるんで。そういう意味でも工藤静香さんの仮歌は坪倉さんと決めていて、「踊るポンポコリン」で忙しい日々でもやって頂きました(笑)。

――この時は、渡辺有三さん(※おニャン子クラブ等を育てたポニーキャニオンの敏腕プロデューサー。2014年に死去)は、もうそんなに現場にはいらっしゃってなかったんですか?

後藤 いやいや、最初にメロディーの段階で有三さんから発注を受けて、僕が作って、そこで吟味してからスタジオに入って、仮歌やって。僕はすごく有三さんに育ててもらった部分があると思います。自分でこの曲、いい曲だと思っても、客観的な耳とか眼を持ってる人と組むのはいいことですよね。それが、作家を「育てていた」時代だと思うんです。それからレコード会社のシステムも変わってしまったので、なんとも微妙なんですけど……僕は素敵な時代に生きさせてもらったなと。各社に、名ディレクター、名プロデューサーがいた時代でしたから。

――そうですね……いまは、ちょっと楽曲コンペ(※新曲のリリースに関して公募をかけて楽曲を集め、 応募のあった曲の中から、採用曲を決めるコンペティションのこと)の悪弊みたいなのが、正直ちょっとありますよね。話は変わりますが、音楽家としての後藤さんのこれからの野望は?

後藤 野望なんてないですよ。細々と、片隅で。ここまでいろんなことやってきましたけど、ベースに戻るという気持ちがすごくある。ギターから始めたけど、ベースを頑張ってきたら、そのプレイでアレンジャーっていうことにも声をかけてもらえて、作曲~プロデュースもそうです。自分が作曲した歌が、町を歩いてて聴こえてくるのは嬉しいですよ。でも、自分がやり終えて、汗かいて帰ってくるのは最終的にベースなんですね。自分の体とシンクロしてるっていうか。それで、いま大阪の専門学校で、ベースだけでアンサンブルやるようなプロジェクトを持っているんですよ。「Bass On Bass」っていうんですけど。ベースを主体にした音楽のプロジェクトをやっていきたくて。

――それは素晴らしいですね……ギタリスト、キーボーディストがアレンジャーになることはよくあるケースだと思いますが、ベーシストとしての活動がメインの方がアレンジまでやるというのは、後藤さんがたぶん日本で初めてじゃないですか?

後藤 でも、亡くなられた佐久間(正英)さんとか、亀田(誠治)さんとか、ベーシスト出身の方もいっぱいいますよ。

――現在はそうですけど、最も早く成功されたうちのひとりは間違いなく後藤さんだし、海外でもあまり類をみない。

後藤 どうですかね……でも、多少楽器の性格とかあるのかもしれないです。やっぱり話しやすいのはベーシストかドラマーなんですよね。誰かのサポートでベースをやると、ステージの後ろに居るからなのか、わりと客観視して見れる立場ではあるかなと。そういう癖がついているかもしれない。

――今回工藤さんの作品集を聴かせていただいて、年代とかも違うんですけど、統一感がすごくあるなと思ったんです。いろんな音楽のジャンルがある中で、言い方は難しいかもしれないですけど、サウンドとか、曲作りのコンセプトみたいなものって何かありますか?

後藤 この作品集には入ってないんですけど、シングルの3枚目に「抱いてくれたらいいのに」という曲があって、作詞は松井五郎さんだったんですけど。その時の「ロッカバラード」(※ロックのリズムや曲調を持ったバラード。8分の12拍子の曲が多い。3連ロックとも)っていうアイデアは有三さんだったんですね。アイドルでロッカバラードで、あそこで成功したっていうのは、その後の作曲においても、すごく幅が広げられましたね。最初は8ビートで16ビートが混じったものを作るつもりだったんですが、自由に作っていいんだ!って。そこからたぶん手加減もなく作れるようになった。あれが僕の中では、工藤さんを書いていた、一つの突破口のような曲でしたね。

 

■多様な音楽の楽しみ方を

後藤 改めて、ハイレゾの話に戻りますけど、音の解像度って、もっと極めていくとすごいことになるんだろうけど、なんでも使い方でしょうね。曖昧なほうがいいことがあるのも同じで。どんどん選択肢が増えるのは悪いことじゃないと思うけど、なんか蓄音機みたいなものがいい場合もあるだろうし。見えすぎて、良すぎて、疲れることもあるし。どんどんいい音っていうか、クリア度が上がっていくのはいいこと。でも、用途でしょうね。

――使い方と、あとは聴く時の気分なんでしょうね。

後藤 さっきもお話しした大阪の学校の卒業生がみんなバンドとかを組んで、関西圏で活動しているんです。そういう二十歳前後の子達と接するのも、楽しいですね。みんなが、インディーズなりで、頑張って作った音源とかCDをくれるんですよ。聴かせてもらって、感想送って、やりとりしてるのが幸せな瞬間でもあります。

――音楽の楽しみ方は一つじゃないと。では最後に、今回の工藤さんのアルバムについて、改めてお聞かせ願えますか。

後藤 僕もまだ、通して聴いてないんです。ドキドキしますね。人がどう見てるのかわからないんですけど、自分の中ではまだ、怖いなって思うんです。それってまだ、現役感があるってことなのかな?とも思うんですけど、「あ~こういう時代があったよね」とか思えない。ドキドキするんですよ。もっと、こうすればよかったったとか。ハイレゾと関係ないかもしれませんが、音質っていうか、音のバランスという意味で。だから基本、怖いですよね。でも作品としてひとつにしてくれたことは、とても嬉しいです。あと今回、タワーレコードが僕の78年の『オン・ベース』という教則レコードと、79年の初ソロ・アルバム『Mr.BASSMAN』をCD化してリリースしてくれたんだけど、それもまだちょっと聴けてないですね。自分自身の(作品)に限らずなんですけど、なかなか楽しんで自分の演奏を聴ける境地まで、まだ行けてないです。

――まだまだ記憶が生々しい、と。

後藤 生々しいし、未だに「こうすればよかった」って思いながら聴きます。でも今回、新曲を書かせてくださったのは、すごく大きいですね。

――本日は長時間にわたり、興味深いお話をありがとうございました!

 


 

【プロフィール】

 
後藤 次利(ごとう つぐとし)
 
1952年2月5日生まれ。東京都出身。ベーシスト、作曲家、編曲家。
1977年、原田真二『シャドー・ボクサー』で初めて編曲を担当。その後、編曲家としての活動を開始。
八神純子、中島みゆきなどの楽曲を手がけ、1980年には沢田研二の『TOKIO』で第22回日本レコード大賞編曲賞を受賞。その他多数のアーティストへのサポートの傍ら、ソロアルバムを2枚リリース。
1980年代からは作曲家としての活動を本格的に開始。以降、シブガキ隊『スシくいねェ!』、一世風靡セピア『前略、道の上より』、工藤静香『MUGON・ん・・・色っぽい』『恋一夜』『嵐の素顔』『慟哭』など、シングル20作品など、おニャン子クラブの曲、国武万里『ポケベルが鳴らなくて』、とんねるず『ガラガラヘビがやってくる』、野猿の全楽曲(『Be cool !』など)を制作。特に、作詞家・秋元康とのゴールデン・コンビとして数多くのヒット作品を手がける。
1983年、CBS・ソニーにアーティスト兼プロデューサーとして、「FITZBEAT」レーベルを立ち上げ。レーベル・プロデューサーとして、レベッカ等を世に送り出す傍ら、ソロアルバムを3作を発表する。
2003年、ドラマー山木秀夫とインストゥルメンタルユニット「gym」結成。
2004年8月、CROSSOVER JAPAN’04での共演を機に斉藤ノブ、藤井尚之とインストゥルメンタルグループ「Non Chords」結成。
2006年には、井上陽水『love complex』、SMAP『Pop Up! SMAP』での中居正広ソロ曲にて作詞、作・編曲などを手がけ、同年5月には自身の新レーベル「TUTINOK(ツチノコ)」を立ち上げる。同レーベルよりsaxplayer klammy(クラミー)とのユニット「WAIP」としての1st album『WAIP』をリリース。
2013年、そのツチノコレーベルから音楽人生40周年を記念したソロアルバム「Significant Other(シグニフィカント・アザー)」を発売。現在も精力的に様々な音楽活動を続けている。