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宮川日護師様の投稿は、登場人物の想いが伝わり、いつも胸が熱くなります。
・会員を分け隔てなく、とにかく人の不幸に関わり、必ず幸せにするとの慈悲と勇気の精神に満ち溢れていた。
・自身の生い立ちから現在までの話しをし、池田先生が如何に素晴らしい師匠であるかを何度も何度も熱く語り、教学も分かりやすく順々と教える。
・目の前の人に優しく厳しく、また一人の人格をもった人間として接していたから、相手は「自信」と「他者への信頼」を取り戻していった…
─その様な人達が草創期の組織には溢れていたのに、いつの頃からか聞かなくなりました。
池田先生の『慈悲の魂』を受け継いだ人達の集まりが、創価学会だったはずなのに。
数の報告に掛からない会員達は置いてきぼり、「おかしい!」と意見した者達には酷い噂を吹聴し村八分で処分対象になる。
『一対一の対話』→大事なのは、関わった人は『最後まで見捨てない』…だと思います。
一人ひとりが↑それに徹していれば、決して今の様な創価にはなっていなかったでしょう─
《虹と創価家族様》が投稿されていた事に同感します。
・希望の対話を止めない。
・正しき信心は、広宣流布を進める人にある。
・権力に屈しない戦いに、真実の弟子のあるべき姿・どんなに権力からの迫害を受けても民衆との対話を止めない。
・希望の種まきを続けてこそ、新時代の広宣流布が開かれる。
・声を上げるだけでなく、身で正しさを伝える戦いに。
─『身で正しさを伝える戦い』
そうなんです…日蓮大聖人や牧口先生*戸田先生…中でも池田先生の『生き方』や『行動』があるから信じる事が出来ると思います。
『生きざまや行動』は絶対に嘘は付けない─
《虹の戦士様》の投稿にも『人を救う』根幹が書かれていると思います。
『仏教に関する知識や歴代の会長の事を知らなくても、仏壇に真剣に祈る姿を見て「この人は信じているのだ」と感じたのがきっかけでした。
この人は信じられる嘘を行ってない、自分の事を思って仏法を話してくれていると直感で感じ、自分の心が動いたのを覚えています。
それを思い出すと、海外での広宣流布で大切な事は、自分が大御本尊様を信じて祈り、みんなの幸せのために行動する、自分を折伏してくれた人の様にあれば良いのだと思っています。
一緒に御本尊様の前に座り、お題目を唱えてもらい体験してもらう。
これで十分なのではないでしょうか。
凡夫即身成仏論、日蓮本仏論よりも無疑日信の信心のほうが大切なのではと私は思っています』
─無疑曰信(疑い無きを信と曰う)とは、何があろうが紛動される事なく、どこまでも御本尊を信じて疑わぬ信心。
理論だけ勉強しても信心を深められないし、体験し命で感ずる以外しかないと。
私は途上国での折伏しか経験ありませんが、難しい教学を理解できなくても『最後まで見捨てない対話』は誰でも出来ます。
そこから『慈悲』が生まれ『諸天の加護』があると思うのです。
大聖人様が行動の中で探求された仏法は、教学の有無に関わらず どの様な人でも救われる宗教なのだから─
暫くの間 Read Only だったのは、掲示板が少し様変わりした様で投稿し辛い感じがして…
最近では「支持表明」等もあり、以前の様に「時事問題」とかを気楽に投稿できるまでロム宣に戻ります。
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