格闘技

「柳澤さん、『1984年の佐山聡』を書かないんですか?」

平野啓一郎×柳澤健【特別対談・後編】

大の格闘技ファンであり、佐山聡氏とも交流のある作家・平野啓一郎氏と、『1984年のUWF』の著者・柳澤健氏が、UWFについて、そして日本の格闘技について語りつくした。柳澤氏はどんな思いを込めて『1984U』を書いたのか、そして平野氏はそれをどんな思いで読んだのか。

熱量のある特別対談、その後編をお届けする。(前編はこちらから→http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52566

まずは掣圏道の話から

柳澤 掣圏道の話だけを聞いても、佐山聡という人がプロレスから総合格闘技に至る流れの中で果たした役割の大きさが伝わりますね。平野さんは新潮社のムックでの対談をきっかけに佐山さんと知り合った、とのことですが、そこから佐山さんと親しくなっていったわけですか。

平野 いや、結局お目に掛かったのは数回ですね。北海道の月寒ドームまで『掣圏道アルティメット・ボクシング』を観戦に行ったりもしたし、食事をご一緒させていただいたこともありました。

その頃佐山さんは「自分は世代的に(総合格闘技の)選手になるのは無理だったので、いい先生になろうと思ってた」と話をされてて、世代的なこともあるけど、確かに、選手が競技者でありつつルールも作っていく、というのは矛盾しているので、どうしてもどっちかに専念せざるをえなかったのかなとは思いました。

柳澤 佐山さんは嘉納治五郎を目指していたのでしょう。嘉納治五郎が直接偉大な柔道家を育てたかというと、実はそうでもない。でも、近代柔道のファウンダーとしては、間違いなく偉大な存在です。佐山さん本人もそこを目指していたのでは、と思うのです。

平野 なるほど。ちなみに、僕がお目に掛かった当初は、佐山さんは今のような思想的なことは全然話されてなくて、若干その萌芽があるかな……という程度でした。ただ、その後、急速に「親米右翼」的な方向に傾斜していったので、一度、ノーム・チョムスキー(反戦思想を掲げるアメリカの思想家)のアメリカ批判の本を贈ったりもしたんですけど……多分読まれなかったと思います(笑)。

柳澤 それはすごい!(笑)

 

平野 不思議なのは、佐山さんは本来、誰よりもハイブリッドな発想の人だと思うんですよ。少年時代の柔道やレスリングに始まり、目白ジムでキックボクシングの練習をして、イワン・ゴメスの影響からブラジルのヴァーリ・トゥードを知って、グレイシー柔術とか、それにロシアンフックとか。そうやって世界中のあらゆる格闘技を貪欲に吸収していったのに、最終的には日本に回帰してしまう。

ちょっと突飛な比較ですが、文学だと三島由紀夫がそうですね。あれほど豊かにヨーロッパ文学の影響を受けていながら、最後は純粋な日本といった観念に矛盾したまま辿り着いてしまう。

多くの人は佐山さんを検証するとき、そこの問題を切り離して考えちゃうんですよね。思想は思想で別個にして、格闘技のパイオニアとして評価する、というふうに。でも、僕はあまりにも純粋な「強さ」の追求が、精神的なものへと至って、「日本回帰」してしまう、という、この問題は切断せずに考えるべきだと思います。

明らかに、佐山さんが作り上げてきた世界はシンクレティズムなのに、どうして「日本回帰」なのか。……まあ、やっぱり、UWFやシューティングでの複雑な人間関係が心理的に影響しているのかもしれませんが。

柳澤 確かに彼のパーソナルな部分を考察するとき、そのことを無視してはいけないかもしれませんね。佐山聡は、プロレスの歴史の中でもかなり特異な存在じゃないですか。タイガーマスクで一時代を築いたのは間違いないけれど、本人の中では屈辱だったはずですよ。あんなにルックスがいいのに、覆面レスラーをやらされたわけですから。

柳澤健 1960年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、メーカ勤務をへて文藝春秋に入社。『週刊文春』『スポーツ・グラフィック・ナンバー』などに在籍。退社後の2007年『1976年のアントニオ猪木』を発表。以後、『1964年のジャイアント馬場』『1985年のクラッシュ・ギャルズ』、そして『1984年のUWF』など、数々のノンフィクション作品を発表している。

平野 声もいいですよね(笑)。それから、新日本プロレスの入門テストに落ちたりと、体格的なコンプレックスはあったでしょう。階級のある格闘技だったら、身長や体重のことをそんなに気にする必要はなかったはずですが。

柳澤 彼が180cmあったらプロレスの歴史は変わっていたかもしれません。いや、170cmそこそこなのに、世界的なスーパースターになったわけだから、よけいに凄いのか。しかし、一貫して本人は偉大なプロレスラーであったことに誇りを持っていない。佐山さんのプライドは格闘技にあってプロレスにはないんです。あれは不思議です。

平野 佐山さんって、技の形がきれいですよ、とにかく。プランチャをやるときも、指先まで手足がピンッと伸びていて、すごくカッコよく見える。ドロップキック一つにしても、必ず相手を蹴って半回転して腹から落ちてますからね。柳澤さんもこの本で書かれていましたけど、第1次UWFで凄かったのは、スーパー・タイガーと藤原喜明のノーフォールデスマッチですよ。

柳澤 凄いよね。あんなに派手に蹴っていて、ケガをさせないんだから。どんな技術だよって(笑)。

平野 今、プロレスと思ってみてても、死ぬんじゃないかなって感じがする。美しい見せ方だけじゃなくて、そういう迫力の出し方も巧い。この本を読んで改めて思うのは、佐山さんが抜群にクリエイティブな人だったということです。それは間違いない。

その一方で、僕は第1次UWFの現場で必死に汗をかいていた前田日明さんにも感情移入するところはあるんです。

この本にも書かれているような、仲間意識の強さとか、言動とか、彼のルーツの問題とか、……それこそ、いろんな矛盾を引き受けながら生きている姿に、多くの人が熱狂的に共感したのは、僕はわかるんですよね。

柳澤 僕は前田日明を評価していないわけではないんですよ。むしろ、アントニオ猪木の世界観を否定した唯一のレスラーであることへの評価は大きいものがあります。前田こそが第1次UWFという団体の組織のなかで、人間関係の中心にいた人物であることも間違いない。

講談社所蔵

新日本を飛び出した後、新間さん(寿=元新日本プロレス営業本部長。アントニオ猪木の懐刀といわれた人物)が前田に「お前、新日に戻れ」と言っても「自分だけ戻るわけにいかない」と、仲間を見捨てなかった。そんな彼の優しさや人間的魅力については、僕も丹念に書いたつもりです。

ただ、僕の本のタイトルは「1984年のUWF」で「前田日明物語」ではまったくない。僕が物語の中核として書きたかったのは、人間関係ではなく、「なぜ、プロレスから総合格闘技が生まれたのか?」「なぜ、天才プロレスラーが総合格闘技を作らなくてはならなかったのか」という疑問に答えようとする本なので、前田ではなく佐山聡に行き着いてしまうのは仕方のないことだったんです。