「関東大震災朝鮮人虐殺の国家責任を問う会」
https://www.shinsai-toukai.com/
によると6千人とい う数字は独立新聞の記事が根拠。
独立新聞とは
当時の上海臨時政府発行の新聞。
上海臨時政府とは
尹奉吉(天長節事件)、
李奉昌(桜田門事件)等の
テロリストを送り込んだ抗日機関。
吉野作造の出した虐殺数は抗日機関紙の
独立新聞社長からの伝聞であったため
資料集に掲載されなかった
当時から併合朝鮮には同情的だった
吉野作造があげた虐殺数ですら2711人(記述2613人)。
吉野のいう数字は、吉野自身が調査したものでなく、
金承学(キム・スン ハク?)からの伝聞。
金承学とは独立新聞の社長。
『関東大震災と朝鮮人』資料集の編者(姜徳相・琴秉洞)による解説
吉野作造氏のものは赤松克麿氏の助力のもとに10月末日迄の
調査をまとめ、改造社の依頼に応じた原稿であるが、
改造社によれば豊富な資料と精細な検討によって出来た
鏤骨苦心の好文字であったが其筋の内閲を経たる結果
遺憾ながら「全部割愛」を余儀なくされたという。
統計は「朝鮮罹災同胞慰問班の一員から聞いた」ものであり、
その意味で金承学氏の調査と根拠を一にするが、
それでも地名人員に少なからざる差異がある。(iii頁)
http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/09/04/8169265
抗日組織が出している新聞のいう数字に
信憑性がありますか?。
〇反骨・反権力の文人である永井荷風の日記には、
朝鮮人虐殺の話は一切出ていない。
当時の日本人の世相
〇当時、内鮮両方で、上海臨時政府といった抗日組織、
義烈団などの朝鮮人無政府主義者グループによるテロが
類発しており摂政の宮暗殺計画が漏れ聞こえていたこと。
〇朝鮮人労働者の過激な労働運動(雇い主の吊し上げ、リンチ)
があり、一部、朝鮮人労働者と社会主義運動、あるいは
無政府主義運動と結託関係にあったこと。
〇震災時、大小の朝鮮人暴動があったこと。
〇それ以外の朝鮮人良民と内地人は良好な関係にあったこと。
〇震災後も朝鮮人の往来は途絶えることなかったこと。
昭和3年の大禮記念博覧会(昭和天皇の即位を祝して
各都市で行われた博覧会)では朝鮮館も登場します。
その後、朝鮮でも博覧会がひらかれている。
(以上資料但馬オサム氏提供)