こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。民主主義の欠点や限界をあげつらい、戦後の民主主義が日本をダメにしたみたいな批判をする政治家がめちゃくちゃカッコ悪いのは、自分も戦後民主主義の恩恵をたっぷり受けて育ったことを棚に上げているからだという話を以前にしました。
もちろん民主主義は完璧じゃないけど、これまでの歴史上、もっとも欠点が少ない政治体制ではありますし、なにより優れた点がひとつあることを忘れちゃいけません。それは、政治家(為政者)を尊敬しなくてもいいということ。
政治家がヘンな政策をぶち上げたり不正をはたらいたりしたら、遠慮なく批判や諷刺、嘲笑の対象にできる。王様は裸だ、といっても投獄されたり殺されたりしない。それが民主主義の特徴です。
なのにその最大のメリットを自ら放棄して、政治家をむやみやたらと尊敬したり、熱狂的な支持者となって政治批判をタブーにしようとする人たちがいます。自分の家族や友人でもないのに、政治家がからかわれると腹を立てる人たちってなんなんでしょうね。権威に服従することをこの上ない喜びとしてるなら、それはご自由ですが、他人にまでそれを強要しないでいただきたい。
ほめて伸びる政治家なんていません。政治家はエラい人と思うことが、民主主義を劣化させる第一歩です。政治家ほど誘惑の多い職業はありませんから、与党・野党を問わず、ほっとけば必ず腐ります。政治家の不正が発覚しなかった年が、これまでありましたか? たぶんないですよ。あのひとはいいひとだから、なんて例外はないんです。政治家に性善説は通用しません。
たいていの人間が「いいひと」でいられるのは、ただ単に、特権にアクセスできる権利を持ってないからにすぎません。人間は弱いもんです。特権に手が届くようになれば、いとも簡単にそれを手にして腐ります。
政治家には普通の人がアクセスできない数々の特権が用意されてます。特権というのは合法的なズルのことです。ズルのなかに法律が線を引いて、ここからこっちは合法とします、と決めてるだけ。だから特権と不正は紙一重。この線の向こう側にあるものは不正だとわかっていても、政治家は手を伸ばせば届きます。届くところにあるおいしいものには、手を出してしまうのが人間です。そして手を出したあと、これは不正じゃない、がんばった自分へのごほうびだ、みたいに正当化するのも、人間の業。自分はみんなのために尽くしているんだ。私は選挙で選ばれた人間なのだ。などなど、政治家には自分へのいいわけも種類豊富にラインナップされてます。
『会社苦いかしょっぱいか』に書きましたけど、昭和26年、国会議員の歳費と秘書給与が倍増されると、愛人を秘書にする議員が続出して、国会や議員宿舎が怪しい女だらけになりました。あまりの風紀の乱れに粛正決議案が提出される直前までいったというね、これコントじゃなくて現実なんですよ。新聞雑誌で報道されてますから。
むかしからそんなもんなんです。特権を付与された偉くない普通の弱い人間、それが政治家です。だからこそ、尊敬してはいけないんです。見守りが必要なのはこどもじゃなくて政治家です。政治家が本当に「いいひと」なら、「私は弱い人間なので、どうかみなさん、私が特権や不正に溺れて自分を見失わぬよう、見張っててください」と自分から頼むべきですし、あえてキビシイ目で見守るのが本物の支援者です。政治批判や政治諷刺は、政治家を腐らせないためのささやかな抵抗手段ですから、みなさん遠慮なくやっていいんです。政治家が不正をしてもヘリクツ並べてかばったり、見て見ぬふりしたりするのは、支援者でなく共犯者です。
[ 2017/08/27 20:58 ]
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