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読売新聞の記事から。
《 国立大付属校「脱エリートを」…学力より抽選で 》
国立大学の付属校の入学者は学力で選ぶべきか、抽選で決めるべきか――。
文部科学省の有識者会議でこんな議論が交わされている。「エリート校化し、公立校の教育に貢献する役割を果たしていない」との批判から、近くまとめる報告書に、抽選で選抜するなどして様々な子供を入学させるよう求める提言が盛り込まれる見通しだが、困惑する声も聞かれる。
「ツクコマ」の愛称で知られる筑波大付属駒場高校。今春、102人の東大合格者を出した屈指の進学校だ。付属校を担当する筑波大の宮本信也副学長は、有識者会議の議論に「抽選で合否を決めれば生徒の学力に幅が出て、教育の質を保てなくなる」と戸惑う。「科学に秀でた人材育成を目指しており、国の目的と合うはずだ」と強調した。
( → 読売新聞 2017年08月27日 )
これが実現したら、どうなるか?
狙いはこうだ。
「抽選で合否を決めれば、普通の生徒だらけになるので、普通の生徒の教育に貢献する教育研究ができる」
しかしこれは勘違いだ。国立大付属高校は、教育研究をする特別優秀なエリート教員が集まっているわけではない。そこで上げた成果が国全体に波及するわけでもない。優秀なのは教員ではなく、生徒なのだ。「優秀な教員が集まっているから、素晴らしい教育がなされている」と思うのは、とんでもない勘違いだ。
特に、筑波大付属駒場高校は、エリート教育なんかやっていない。少なくとも私が在学していた時代には、受験教育なんか無視して、教師の勝手な「教育研究ごっこ」をやっていた。つまり、大学の講義の一部みたいなことを講義していた。これでは受験の学力はまったく身につかないから、生徒は受験のための学力を、学校ではなく自宅で身に着けるしかなかった。(おおむね半分の科目で。)
これと同じことを、全国規模でやったら、教科書を使わないから、教科書に基づく教育のテストでは、学力は大幅に低下してしまうだろう。
はっきり言って、筑波大付属駒場高校の教育は、有利ではなく、ハンディキャップである。こんなところに普通の生徒が集まったら、生徒は続々と落後して、大学合格率は大幅に低下する。愚の骨頂だ。
つまり、狙いはまったく成立しない。
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では、狙いとは違って、どうなるか? こうだ。
「平凡な生徒ばかりが集まって、東大合格率も大学進学率も、著しく低下する。大学入試には不利だという評判が立ち、入学倍率は著しく低下する。偏差値 40レベルとなる。もはや国立学校の存在意義がなくなる。
一方で、これまでは国立大学付属高校に入学していた人たちは、次の二つに分極する。
・ 金持ちの子弟は、麻布・開成などに入学する。
・ 貧乏な子弟は、公立高校に入学する。
かくて、金持ち層はまったく影響がないが、貧乏層は著しく不利になる。階級分化が固定され、金持ちは高学歴でますます有利になり、貧乏人は高学歴になれずにますます不利になる」
つまり、貧乏人だけが狙い撃ちされる形で、圧倒的に不利になる。
こんなことは当たり前のことだが、有識者会議は、それを理解できない。なぜか?
「国立大学付属高校に入学すれば、生徒は素晴らしい教育を受けて、能力が大幅に上がる」
と思い込んでいるからだ。つまり、現実を理解できていないで、夢想しているからだ。
たぶん、「有識者会議」には、国立大学付属高校の出身者がいないのだろう。だから、現実から遊離した、砂上の楼閣みたいな議論をしているわけだ。
[ 付記1 ]
筑駒は、もともと農学校だったので、農作業が義務化されている。田植えをするという授業がある。
出典:Wikipedia
「筑駒の独特の教育はすばらしい」と思っている人がいるのなら、全国のすべての高校でそれを真似して、田植えをさせればいいのだ。
「そうすれば東大合格率が大幅に上昇するはずだ」
と思う人も出てくるだろう。(皮肉)
[ 付記2 ]
筑波大付属駒場高校の東大合格率が高いのは、教育が優れているからではなく、秀才がたくさん集まっているからだ。同級生同士の刺激がものすごい。
あと、生徒のレベルが高いから、授業のレベルも高くなる。受験に役立たない授業も半分ぐらいあるが、受験に(普通に)役立つ授業も半分ぐらいはある。そこでは、レベルの高い授業がなされるから、有益だ。(一方、公立高校の授業は、校内の平均レベルを対象とするから、優秀な生徒にとっては、レベルが低すぎて役立たない。)
[ 付記3 ]
「受験に有利」ということを狙いとするのであれば、国立大付属高校に入るのはやめた方がいい。麻布・開成・灘高校のように、受験に特化した学校に入った方がずっと有利である。
では、国立大付属高校には、存在意義がないのか? いや、ある。それは何か?
実は、筑駒の生徒の大半は、東大合格ラインを大幅に超えている。東大の合格水準が 240点ぐらいだとしたら、350点以上を取るような生徒がいっぱいいる。彼らにとっては東大合格なんて、もともと楽々とクリアできる水準なのだ。教育よりも素材が上回っている。彼らの狙いは、東大合格なんていう簡単なものではなくて、数学オリンピックでメダルを取るとか、そういうことなのだ。
その意味で、エリートが集まる高校というのは、非常に有益である。国全体で、とても大きな効果がある。
なのに、そのエリート高校をつぶしてしまったら、国からエリートが消滅する。一方で、エリートを優遇する中国や韓国は残る。
有識者会議の方針が成立したら、日本は中国や韓国の後塵を拝することになるだろう。たぶん、この政策の狙いは、亡国だ。日本の知的水準を切り下げて、中国や韓国に負ける国にしてしまえ、というわけだ。それが真の狙いだ。
たぶん、スパイ(工作者)が潜入しているんだな。
[ 付記4 ]
話の根源を考えると、そもそも根源的な誤解があるようだ。冒頭の引用記事から、一部抜粋しよう。
「エリート校化し、公立校の教育に貢献する役割を果たしていない」との批判
こういう批判はあるだろうが、これは根本的な誤解に基づく。
(1) 国立大付属校の目的は、公立校の教育に貢献することではない。公立校の教育に貢献することは、全国規模で大多数の公立校の教師がやっていることだ。それに比べれば、国立学校のやっていることなど、九牛の一毛にすぎない。
国立学校は、別に、優れた教師がいるわけではない。優れた生徒がいるだけだ。「優れた教師がいるから、優れた教育貢献ができる」と思い込むのは、根本的な勘違いだ。
(2) エリート校は、あって悪いものではない。憲法第二十六条には、こうある。
「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」
憲法で規定されているにもかかわらず、エリート層に限っては、「自分の能力を発揮するのにふさわしい教育」を受ける権利がないがしろにされて、「大多数の凡人向けの教育を受けること」を強制されがちだ。エリート層に限って、虐待されているわけだ。
これを助長するのが、冒頭の記事だ。ここではまるで「エリートであることは悪いことだ」という趣旨だ。スポーツで言えば、金メダルを取るような優秀な選手に「エリートだから悪だ」と批判するようなものだ。
こういうふうにエリート批判をする方針そのものが、根本的に狂っている。共産主義の中国だって、こんな馬鹿げたことはしない。「富の平等」をめざすことはあっても、「能力の平等」をめざしてエリートをつぶすようなことはない。
有識者会議がめざしている方向は、ほとんど狂気の沙汰だ。最も近いのは、ポルポト派だ。有識者会議の方針は、ポルポト主義と言ってもいいだろう。あるいは、毛沢東主義か。エリートを破壊するついでに、国家をも破壊するわけだ。まったく、狂気の沙汰だ。
[ 付記5 ]
代案としての「抽選入学」というのは、さらに輪をかけて馬鹿げている。なぜか? 説明しよう。
有識者会議の考えは、たぶん、こうだろう。
「エリート層だけでなく、一般の大多数の生徒に役立つような教育を試行するべきだ。そのためには、一般の大多数の生徒が入学できるように、抽選入学にすればいい。そうすれば各種の層の生徒が入学するから、うまく教育研究ができる」
しかしこれは成立しない。なぜなら、抽選入学をしている学校なんて、ほとんど存在しないからだ。
全国のどの公立高校も、抽選入学ではなくて、入学試験がある。したがって、一定の学力層の生徒が集まる。
一方、抽選入学をすれば、玉石混淆となる。優等生も劣等生もごちゃまぜになる。当然、まともな授業は成立しない。とすれば、こんな生徒構成の場で教育研究をしても、その成果は一般の公立高校にはまったく還元されないのだ。(生徒構成が全然違うからだ。)
どうせ「教育研究の成果の還元」を狙うのであれば、次のようにするべきだろう。
「中程度の学力の生徒に絞る」
しかし、これだったら、(学区のない)国立大付属高校でやる必要はない。その辺の公立高校でいくらでもやればいい。そこに優秀な教員を派遣すればいいだけだ。
実は、国立大付属高校の特質は、「教育研究をすること」ではなくて、「学区がないこと」だ。これだからこそ、神奈川県や千葉県や埼玉県の生徒も受験することができる。東京周辺地域で、優れたエリート校のない環境に住んでいる貧乏子弟でも、きちんとエリート教育が受けられる。……これこそが本質なのだ。(憲法を守るという意味もある。)
有識者会議は、「教育研究の成果の還元」を狙っているようで、実際にはそれとは正反対の効果を出す「抽選入学」を打ち出す。自己矛盾。それというのも、単に「エリート嫌い」であるからにすぎない。
愚者が権力を握って政治を左右すると国が滅びる、という見本だろう。
せめて有識者会議の人々は、「自分たちはエリートが嫌いな愚者であるにすぎない」と自認するべきだ。「無知の知」のように。
【 関連サイト 】
情報がある。
《 国立大附属は「誰でも入れる学校に」有識者会議 》
文部科学省で、「国立教員養成大学・学部、大学院、附属学校の改革に関する有識者会議」が開催されています。
国立大附属については、筑駒、学芸大附属、筑波大付属を念頭に、「特定の層しか入れない学校」と批判され、共働き家庭なども含めて、だれもが入れる学校にしなければならないとの提言がありました。
現状の国立大附属は「受験校」であるとして、本来の国立大附属の役割とは異なることから、改革が進みそうです。
進学校としての役割は、私立学校や都立学校が担うことになり、国立大附属は、進学校というイメージは消えていくかもしれませんね。
( → インターエデュ )
「だれもが入れる学校にしなければならないとの提言」
どこまでアホなんだか、という見本かな。
1学年の定員が 160人なのに、1学年 100万人もいる生徒が、どうして「だれもが入れる」となるのか? 「 160 という小さな器には、100万という大きな量は入らない」と理解できないのか?
有識者会議は、小学校1年生レベルの算数を理解できる人で構成した方がいい。アホぞろいの有識者会議とは、これいかに?
桜陰は愚直に教育指導要領通りにしか進まないし(センター試験当日でまだ教科書が終わっていない)、開成は一応、高三はじめにすべて教科書が終わる進度ですが、生徒はまったく学校を頼りにしていません。
武蔵や灘は筑駒と同じように「なるべく受験に役に立たない」ことを教えることを目標にしています。まあ武蔵は受験実績的にはものの見事に落ちぶれていきましたが。
彼らは優れた仲間と切磋琢磨することと受験学力は予備校で培います。事情は筑駒と一緒ですよ。
東京なら世帯収入760万円以下(子供二人)なら年額44万円上限の補助がつきますからね。
さすがにそれ以上世帯収入がある人はなにかしら倹約して教育費をねん出すればいいと思いますが。
それなら、普通じゃないの? 悪くはない。
筑駒は、教科書を全然やらない科目が多い。一方で、農学なんていう、余計なことをせっせと教える。稲作でもするなら役立つけど、そんな卒業生はいない。
灘は、6年分を5年で教えるはずだけど。筑駒は、全然教えない科目が多い。
> 受験学力は予備校で培います
筑駒だと、自習でやる人が多いと思う。予備校は、頭の悪い人が行くところでしょ。模試だけは有益だけど。
あと、そもそも基礎学力を教えられていないので、自分で教科書や参考書を読む必要がある。
> 高校授業料無償化もはじまりましたし、国立と私立でそれほどの差もないでしょう。
そう言えばそうですね。事情は変わった。
でも調べてみたら、無償化は名前だけで、実はすごく高額の出費を強いられる。
→ https://kaiseigakuen.jp/about/expenses/
無償化ではなくて、一部補助というだけですね。
そんなものはないと思います。高校教育とは無関係のこと(大学の講義みたいなこと)を教えているんだし、他の学校にフィードバックなんか、あるはずがない。そもそも当の筑駒の生徒自身が、ひどく大迷惑を受けているし。
フィードバックなんかしたら、全国の生徒の学力が大幅に低下してしまいます。……って、本文にすでに書いたんだが。ちゃんと読んで。
共通一次にすらはじまっていなかった時代はいざ知らず、いまどきの筑駒生で予備校に行っていない生徒なんていませんよ。聞いてみるとよいと思いますよ、現筑駒生の親御さんに。森林原人は行かなかったかもしれませんが。
できる連中は鉄緑会、SEG、その次の連中は駿台、もっともできない連中は東進というのが一般的です。
変わり種で四谷学院もあります。四谷学院はバカにされがちですが、マジメに55段階をこなすととても東大に行けない連中も理II、文IIIには合格できるのでカリキュラムとしては大したものです。もっとも55段階をこなす根気があるヤツはほとんどいませんが。
それは夏休みなどの長期休暇だけでしょ? 夏休みなら、時間はある。
普段は予備校なんかに行っている時間はありません。学校で授業を受けて、課外活動(スポーツ)をして、自宅で宿題をしたら、一日の時間がなくなってしまう。
週末は寝だめをするし、教科書を自習するから、やはり時間がない。
あと、Z会みたいな通信添削をする時間もかかる。予備校に行く時間なんかない。そもそも効率が悪い。
予備校の参考書なら読みます。その方が圧倒的に高速で済む。
あ。思い出したが、筑駒でも成績下位の人は予備校をよく利用していたようです。全国模試でトップに入るような人ばかりが私のまわりにいたから、成績下位の人のことは忘れていた。
成績優秀な人には、予備校に通うメリットって何もないんですよね。どうせ東大合格水準は楽々とクリアするので、予備校に通ったことの効果などは何もない。むしろ自分の趣味の道に走る人が多い。
>高校教育とは無関係のこと(大学の講義みたいなこと)を教えているんだし
だから、高校教育より初等教育の方を注視すべきと書いています。文部科学省の有識者会議が”公立校の教育に貢献する役割”を国立大付属校に求めているわけです。その役割を担うのは本来、付属校の中でも初等教育の方ではないか、ということです。
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