Photo by Getty Images
警察 公安 インテリジェンス

「街宣車をぶっこわせ」昭和の怪人と取っ組み合った公安捜査官

ある公安警察官の遺言 第6回
極左過激派やオウム真理教事件など、昭和から平成にかけて日本を揺るがせた大事件の「裏側」で活動してきた公安捜査官・古川原一彦。その古川原が死の直前に明かした、公安警察の内幕やルール無視の大胆な捜査手法から、激動の時代に生きたひとりの捜査官の生きざまに迫ります。長年、古川原と交流を持ち、警察やインテリジェンスの世界を取材し続けてきた作家・竹内明氏が知られざる公安警察の実像に迫る連続ルポ、第6回(前回までの内容はこちら)。

「汚れ仕事」は現場の責任

かつて公安警察の活動は秘密のべールに包まれ、非合法的な捜査手法も用いられていた。居宅侵入、盗聴、窃盗……。当時は「テロを防ぐ」という大義のための、最後の手段としてなら、組織の中で許容されていたのである。

 

そんな時代にあって、なお公安部公安一課のはみ出し者といわれた警部補・古川原一彦は生前、筆者にこう語った。

「当時から公安警察が組織的に(非合法捜査を)やっていたわけではないんだ。上司が『盗聴しろ』とか、『自宅に入って証拠を盗んで来い』なんて言わねえ。

公安警察には伝統的に非公然の捜査手法が存在していて、いざというときのためにその訓練を受ける。あとは現場の班長が自分の責任で判断して実行していたんだ。上司に責任が及ばないようにね。自分を守るためにも絶対に守るようにするんだ。

俺みたいに汚れ仕事ばかりやっていた捜査員はこういった作業に長けていただけだ」

ターゲットは「昭和の怪人」

ここで時計の針を1980年代はじめに戻そう。

公安一課の古川原には、極左活動家と戦う日々が続いていた。そんなある日、管理官が古川原に「ちょっと来い」と手招きをした。

「なんでしょう?」

管理官のデスクの前に古川原が立つと、管理官はしかめ面を作り、くいっと顎を動かした。その顎が窓の外を指している。そこでは奥崎謙三(2005年死去)が街宣活動をしていた。

奥崎謙三「昭和の怪人」奥崎謙三(写真:共同通信社)
拡大画像表示

奥崎は兵庫出身の元軍人にして、数々の事件を引き起こした昭和のアナーキスト。天皇陛下の戦争責任や、部下を射殺した日本軍の上官の責任を追及する過激な行動を続けてきた活動家だ。原一男監督の映画『ゆきゆきて、神軍』の主人公になったことで知る人も多いだろう。

1956年に不動産業者を刺殺して懲役10年(傷害致死)。1969年の皇居の新年参賀で昭和天皇にパチンコ玉を発射して懲役1年6ヵ月、1976年にはポルノ写真に天皇一家の顔写真をコラージュしたビラを都心のデパート屋上からばら撒いて懲役1年2ヵ月。

合計13年もの懲役を喰った「昭和の怪人」が、次の標的にしたのが、元内閣総理大臣・田中角栄だった。