ブログ界隈のSNSを見ていると、
「否定する人間とは付き合う必要はない。」
「肯定してくれる人こそ、大切な人物。」
みたいなありがたい言葉が目につく。
いやそんなわけないから。
これを真に受けると、人生損するよ。
この手のことを言う人はただの寂しい人間、または警戒すべき人間だから一考すべき。
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肯定or否定
何気ない会話の中で、相手が相談を持ちかけてきました。
「私〜しようと思うんだ。どう思う?」
どう思う?
→自分の意見を言わなければなりません。どうしましょうね?
程度の差はあるにしろ、肯定か否定かどちらかに寄ることになるでしょう。
興味ないわ、とかなかなか言えないし。
肯定するのって簡単!
肯定するのって簡単です。
相手が言った言葉を拾って、褒めるだけでいいもんね!
言葉選びのリスクもすごく小さい。
「すごい!」
「さすがですね!」
大して頭も使わなくていいし、相手も気持ちいい!
会話の雰囲気はよくなる一方です。
わぁい、いいことづくめ!
もちろん、これは大切なコミュニーケーションの考え方です。
相談の本心は、実は耳触りのいい言葉が聞きたいだけってことも多いですしね。
否定した場合、会話はどうなるか
これに対して、否定的な意見を言うのってどういうプロセスを踏むんでしょうね?
まず相手の言ったことを咀嚼して、自分の意見を考え・伝えなければいけないですよね。
次に、会話で否定的な意見が出た場合、雰囲気はどうなるでしょうか。
おそらく、険悪になりますよね。
場合によっちゃ喧嘩になるかもしれません。
もう嫌いになっちゃうかも。
だーれも楽しくない。
誰だって進んで嫌われたくはないさ。
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否定的な意見を言う心理って?
では、あえてそんな意見を口にする意図はなんでしょうね?
取る必要のないリスクを取ってまで否定する理由は。
それこそ、相手のことを思っているからこそ。
不要なリスクを取ってまで否定的な意見を言うんですよ。
リスクに対する考え方は?成功する具体的な計画は立っているの?
関係が深い相手が「否定的な意見」を言う場合は、こんな意図のある否定でしょう。
冒頭で揚げたような「否定的な意見」を否定する人は、この観点がないんです。
ただ否定することでストレスを発散したり、優越感に浸る人物としかこれまで関係を持ってこなかった。
または発言している本人がこの手の人間であるか、のどちらかです。
本気で言っているならね。
以上を踏まえてネットを見てみよう
さて、ネット上だけとかの浅い付き合いの場合、相手のことをそこまで考えるでしょうか?
考えないでしょうね。完全に他人の人生ですもの。自分との関係が薄すぎる。
ネット上での絡みがあったとしても、その場の雰囲気が明るく楽しく、後で「最高の時間だった〜!」とでもTweetできれば満足でしょう。
ここに、あえて「否定的な意見」を潰す理由はどこにもないですよね。
ではなぜ、「否定的な意見」を潰す必要があるんでしょう?意図は?
それは、盲目的な視点を与えて人をインスパイアする為です。
そしてその先にはなにがあるんだろう?
それは、「肯定的な意見を言う人」を神格化・教祖化する為です。
「肯定的な意見を言う人」て誰?
そう、「否定的な意見を潰している人」その人ですよね。