サキさんが24時間テレビについて書いてた記事が思いの外面白かった。
24時間テレビについてひとことだけ言いたい(マラソンとジャニーズとサライその他) - あれこれやそれこれ
サキさんによると、24時間テレビの欺瞞っぷりがひどくなったのは15回以降で、それまでは貧しい人やアフリカの貧困にスポットを当てたキャッチコピーになっている。
サライを歌ったり、バラエティっぽくなったり、チャリティマラソンしたりするようになったのは、15回目以降なのだという…。
サキさんに便乗してちょっと僕も調べてみた。
24時間テレビはチャリティ番組ではなく、夏祭り
結果的にはバラエティ路線にしたことで視聴率も寄付金も増えたため、一定の成果はあったらしく、テレビマンでもなんでもない人が
「もっとチャリティなんだからチャリティ色出せよ」
と批判を受けても
「チャリティ色出すよりも、テレビっぽくしたほうが寄付金も視聴率も集まるから回り回ってみんな幸せなんだ。チャリティっぽい番組は昔作ってたけど、寄付も視聴率もよくなかったからてこを入れたんだ」
とか言われそうな状況になっている。
…変な状況だと思うけど、日本では
「弱者を直視することで、寄付やチャリティの必要性を理解して投げ銭する」
よりもむしろ、
「お祭りムードや、同調圧力によって、寄付にかっこいいイメージや、やらないといけないことのように煽ったほうが集まってしまう」
ということを、92年の段階で24時間テレビを作る側が気づいてしまっている。
よく「チャリティ番組なのに、ギャラを貰って、テレビに出てるタレントよりも貧しいはずの庶民にギャラを貰うなんて」とか問題になってるけど…アレも「チャリティごっこをするお祭り」「チャリティ風バラエティ」って言い張れば、納得行く。
バラエティ番組に出演したタレントが自腹で買い物していると見かけて、実際にはギャラが出ているような感じじゃない?
よく知らないし知りたくもないけど。
だから、改名したほうがいいんだよ。
「愛は地球を救う」なんて仰々しいタイトル、叩かれるし。
幾つか考えたから、この中から選んでみたらどうかな?
候補1:「お祭りは日本を救う」
→真面目に考えた
候補2:「あなたの気分が日本(経済)を救う」
→嘘は言ってない
候補3:「同調圧力は、結果的にみんなを幸せにする」
→日本人的でしょ♪
候補4「同情するなら金をくれ」
→日テレつながり
候補5:「しない善よりする偽善」
→僕が荒川弘ファンであり、1円も寄付しないネット民よりは欺瞞と偽善だらけの24時間テレビのほうが多少は寄付しているという皮肉な事実から。
この中のどれでもなくていいから変わって欲しいよ。
だってさ…「愛は地球を救う」ってフレーズ自体嫌いなんだもん。
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寄付は否定しない。だが、24時間テレビには「愛」なんかない。
もちろん寄付というやり方自体は否定しない。
所得の再分配の側面もあるし、24時間テレビの元ネタになったレイバーデイ・テレソンという番組自体が筋ジストロフィー協会によるチャリティ活動であり、チャリティを盛大にやること自体が病気や障害の周知活動になってることも否定しない。
でもさ…それはお金のある人がない人に寄付するから意義がある。
所得の再分配としての力強さもそうだし、お金や権力がある人の情熱が周囲を動かすから…。
実際、レイバーデイ・テレソンはジェリー・ルイスという俳優さんが発起人で、彼が引っ張り続けたから番組が続き、彼がいなくなったことで番組が終わってる。
寄付の金額も桁違いで最も多いところで比較して3倍、平均的には6倍~7倍の差が開いている。
しかも、向こうはギャラなし車代なし。
しかも、向こうはレイバーデイ…つまり、労働者の日に行われて、こっちは夏休み最後の土日に行われていることを加味するとどれだけ哲学性が違うか…。
病気・障害の周知や寄付のイベントでありながら、ちゃんと労働者の団結の日に行っていることがどれだけ違うか…。
本家がお金持ちの志や寄付も、障害者も、労働者もそれぞれ尊く扱われてる。
だから、寄付やチャリティだから馬鹿にできないバランス感覚がある。
でも、こっちは夏休み最後の週にやるお祭りで、別に寄付する側の労働者に感謝する要素は一ミリもない。
金持ちと障害者(を盾にしてる人)が一方的に寄付しろって言ってもそりゃ感じ悪いわ!
アフリカがどう、障害者がどうって以前に自分がまず身を切れって思う。
ジャニーズタレントやお笑い芸人が好きな人からお金が集められればいいお祭りなら別にそれでいいと思うよ?
でも、チャリティだって言い張るなら、お金持ちも労働者も障害者もそれぞれが尊重されるイベントになるように考えたら?
日本は一億総中流じゃなくて、今や階級社会なんだから。
寄付するほどお金がない人は寄付よりも隣人愛を
で、日本の場合はチャリティなんて呼ばれるものが往々にして同調圧力でしかないから「隣人愛を優先すべきでは?」って思うんだよ。
なんで、学校で赤い羽根募金しないといけないのさ?
なんで、24時間テレビなんてものにカネを払わないといけないのさ?
なんで、駅前で勉学が本分のはずの学生たちにあしなが募金なんてタダ働きさせてるのさ?
…どれも、お金や権力がある人達からの押しつけで、子どもや障害者をダシにしてるだけ。そんなお涙頂戴にお金を出せる人が出せばいい。
まぁ、出せるだけの社会的地位を持ってる人は出さないと思うし、事実俺の親父は赤い羽根募金に「寄付するなら自分でします」と突っぱねて、妹と小競り合いしてた。そんな親父を尊敬するよ。
大事なのはむしろ、アフリカよりも障害者よりもまずは自分と、自分の隣人だよ。
お金でできることもあるし、時としてお金より嬉しい親切もある。
ロハで親切をするよりも、お金を取って継続的にビジネスとして続けたほうがいい場合だってある。
とにかく、自分の周りの人がお金とか心とかが幸せになるようにできることをすること。そっちの方が最優先。
よく言う「あなたの幸せは私の幸せ」は嘘じゃない。知り合いやよく書き込みを見かける人には幸せであって欲しいし、そういう人が機嫌がいいと自分もいい気分でいられる。
幸せやお金が自分のコップを満たして溢れたり、飲み干せないぐらいになったら寄付したらいい。
寄付では続かなそうだったら、お金を使って何かの仕組みを作ったらいい。
または持っている仕組み自体に還元する要素を増やす…とかね。
その辺が日米で道徳観が根本的に違うから、24時間テレビってお祭りにしかならないし、お祭りであることを認めた上で寄付が集まったことを喜ぶか、知らないやつのお祭りに参加せずに自分の周りの人とお祭りを楽しむ。
どっちがいいとか悪いとかはないよ。
ただ、愛は地球を救わない代わりに、自分がいいと思った隣人は救える。
それだけの話。
24時間テレビみたいなお祭りには寄付の本質なんてないから、そういうものが読みたい人は社会起業家の本を読んだほうがいいかも