人は死せる存在で、時間が限られるゆえに、リスクを取り切れず、期待値に従って利益を最大化するよう行動できない。したがって、「神の見えざる手」は、需要が安定している状況という限られた条件の下で働くに過ぎないのが現実だ。しかし、企業が利益を最大限に追求できれば、世の中のためになるという思想は、持てる者には捨てがたい魅力がある。なにせ、緊縮財政、金融緩和、規制改革を正当化できるわけだから。
………
苅部直著『「維新」革命への道 「文明」を求めた十九世紀日本』は、歴史書だし、思想史だしということで、リアルなことしか興味がない者には、縁遠い一冊かと思いきや、江戸期の経済発展が明治維新を用意したという連続性を丁寧に説明する。特に、福澤諭吉の『文明論之概略』を引き、「王政一新」にとどまらず、「廃藩置県」まで至ったのは、「文明」により「智徳」が進み、「門閥を厭うの心」がペリー来航を機に爆発したとするのは説得的であった。
江戸期の封建制の身分社会は、天下泰平の下の経済発展に伴い、身分上では一番下の商人が力を持つようになり、才覚ある者が富を得る現実は、生まれや身分によって地位が決まる社会制度に矛盾を感じさせていた。近代化は外から持ち込まれるにせよ、それを良きものと受容できる社会意識の下地が既にあったのである。統治体制においても、封建制の世襲の家臣が担うのではなく、郡県制の下で能力を発揮できるようにするのが当然の流れとなる。
こうして眺めると、やはり、なかなか思想は変わらないという感慨を覚える。世の中に合わなくなり、歪が溜まっても保たれ続け、遂には耐えられなくなって瓦解するものらしい。開国の衝撃がなかったならば、どのような統治体制へ変化したのかと思うと同時に、現在の「神の見えざる手」の思想が耐えられなくなるのは、どんな局面に至った時で、それは近いか遠いかなど、想像は尽きない。
また、本書では、享保の改革の緊縮財政に対して、批判する言辞も現れていたことが紹介され、山下幸内という兵法家から、「金銀」が天下の全体に「融通」することが重要で、倹約によって流れを滞らせれば、容体はますます悪化して、万民が困窮に陥るという意見書が出されていたという。もっとも、この意見書には、吉宗も注目したものの、政策として採用されることはなかったとされる。いつの時代も、緊縮には、思想上の特別な魅力があるようだ。
………
人は期待値で行動できす、リスクの前では不合理だなんて、気づいてしまえば、何ということはない。能力主義も、古代においてすら、中央集権の郡県制と官吏登用の科挙によって、認識されてはいた。ただ、それを実際に社会思想として適用できるかは、別の問題だ。秩序を変えるとは、正しさの更新だけに、容易ならざることになる。それでも、「追加的需要で景気は分かるよ」とうそぶきつつ、漸進あるのみである。
(図)

(今日までの日経)
上場企業 一段と業績拡大。閑古鳥鳴く官民ファンド。
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苅部直著『「維新」革命への道 「文明」を求めた十九世紀日本』は、歴史書だし、思想史だしということで、リアルなことしか興味がない者には、縁遠い一冊かと思いきや、江戸期の経済発展が明治維新を用意したという連続性を丁寧に説明する。特に、福澤諭吉の『文明論之概略』を引き、「王政一新」にとどまらず、「廃藩置県」まで至ったのは、「文明」により「智徳」が進み、「門閥を厭うの心」がペリー来航を機に爆発したとするのは説得的であった。
江戸期の封建制の身分社会は、天下泰平の下の経済発展に伴い、身分上では一番下の商人が力を持つようになり、才覚ある者が富を得る現実は、生まれや身分によって地位が決まる社会制度に矛盾を感じさせていた。近代化は外から持ち込まれるにせよ、それを良きものと受容できる社会意識の下地が既にあったのである。統治体制においても、封建制の世襲の家臣が担うのではなく、郡県制の下で能力を発揮できるようにするのが当然の流れとなる。
こうして眺めると、やはり、なかなか思想は変わらないという感慨を覚える。世の中に合わなくなり、歪が溜まっても保たれ続け、遂には耐えられなくなって瓦解するものらしい。開国の衝撃がなかったならば、どのような統治体制へ変化したのかと思うと同時に、現在の「神の見えざる手」の思想が耐えられなくなるのは、どんな局面に至った時で、それは近いか遠いかなど、想像は尽きない。
また、本書では、享保の改革の緊縮財政に対して、批判する言辞も現れていたことが紹介され、山下幸内という兵法家から、「金銀」が天下の全体に「融通」することが重要で、倹約によって流れを滞らせれば、容体はますます悪化して、万民が困窮に陥るという意見書が出されていたという。もっとも、この意見書には、吉宗も注目したものの、政策として採用されることはなかったとされる。いつの時代も、緊縮には、思想上の特別な魅力があるようだ。
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人は期待値で行動できす、リスクの前では不合理だなんて、気づいてしまえば、何ということはない。能力主義も、古代においてすら、中央集権の郡県制と官吏登用の科挙によって、認識されてはいた。ただ、それを実際に社会思想として適用できるかは、別の問題だ。秩序を変えるとは、正しさの更新だけに、容易ならざることになる。それでも、「追加的需要で景気は分かるよ」とうそぶきつつ、漸進あるのみである。
(図)
(今日までの日経)
上場企業 一段と業績拡大。閑古鳥鳴く官民ファンド。