「ゴリパパ一家」連載1万回・アニメ制作記念特集
2017年08月27日
日本農業新聞で連載中の4こま漫画「ゴリパパ一家」が5月1日付で通算1万回に達し、本紙創刊90周年を記念して初のアニメーション作品を制作した。幅広い読者から支持を集めた証しで、新聞でこれだけ長期間の連載漫画は珍しい。作品名は『ゴリパパ一家の農業はオモシロイ』。原作は神保あつし氏、提供はJA全中、JA全農、JA共済連、農林中央金庫。
ゴリパパは、郊外で農業をするイネと耕作の両親に駆り出されて農作業を手伝っていたが、イネがある日、ぎっくり腰で寝込んでしまった。これをきっかけに、ゴリパパが地域の農家やJA関係者らに支えられながら本格的に農業を始める姿や農村の風景を描く。連載1万回やアニメ化を受けて、神保さんと農業ジャーナリストの小谷あゆみさんが対談し、「ゴリパパ一家」の魅力などについて語った。
――「ゴリパパ一家」は1987(昭和62)年10月1日付から連載が始まりました。1万回を超えたことへの感想を教えてください。
神保さん 1万回ですか。ありがたいと思っています。日本農業新聞で連載を始めた時の条件は「面白くなかったら1カ月で打ち切り」でした。今日まで続けられたのは応援してくださる読者のおかげで、本当に感謝しかありません。3人の子どもがいるのですが、今年30歳になる次男が生まれた年からです。
漫画のタイトルは、ゴリラみたいな親父が登場したら面白いだろうなと思って付けました。家族が多いと面白いだろうと、「ゴリパパ一家」になりました。登場人物は家族を含めて50人程度になります。これに加えて犬や猫が出てきます。
小谷さん 農村の家族の何気ない「あるある」がユーモアを交えて描かれ、共感しながら拝見しています。アニメでは、ゴリパパがおばあちゃんの畑を手伝って、初めて農業のやりがいや喜びを感じる場面がありました。わたしもベランダ菜園をしていまして、小さな農体験から農業や農村に親しみを持ち、都市と農村がつながる関係を目指しています。体験したことって忘れませんからね。神保さんは農業や家庭菜園の経験はおありですか。
神保さん 実は農業の経験はありません。農業のことが分からず、漫画では最初の頃、農業のことは描いてないと思います。今でも何を作っているのか分からないような設定になっていますね。米を作っているような場面がありましたが、ダイコンを干しているシーンも出てきます。埼玉県所沢市の郊外に住んでいるのですが、自宅の前が畑なんです。漫画を描く2階の書斎から眺める風景や、犬の散歩で見た茶畑などが参考になっています。少し歩くと、富士山や「トトロの森」で有名な丘陵地などが見えます。
小谷さん 漫画のストーリーはどう考えるのですか。
神保さん 一度に7日分の漫画のアイデアを考えて仕上げます。1日1本ずつより、その方がリズムがあって作りやすいのです。ネタは新聞やテレビで探します。話題になっている面白いフレーズなどがヒントになります。メモ帳を持ち歩いていて、思い浮かんだら書き留めます。
小谷さん すごいですね。休刊日があっても年間360本近い本数になります。
神保さん 好きだからやっています。どんな仕事も知らない人から見たら大変ではないでしょうか。本当に1万回も連載をさせてもらって幸せだと思います。
――「ゴリパパ一家」は農村版の家族ドラマと言えますが、何かコンセプトはあったのでしょうか。
神保さん 僕の生まれは新潟県燕市です。20歳の頃に実家で経営していた旅館が倒産し、家族がばらばらになりました。旅館で出すエダマメを手でもがされていたことを思い出します。父親は小さい頃に亡くりました。幸せだった時代と、その後の激変した人生がトラウマになっているのかもしれません。だから家族がたくさんいて、常に笑っていた方が幸せかなと思っています。
ゴリパパは自分の分身のようなところがあります。そういう意味では「ゴリパパ一家」は自分が描く理想の家族像なのかもしれません。
出来上がった漫画を一番最初に読むのは家内です。新聞用語は難しいし、方言が出たときがあります。家内に読んでもらうのは、文字の間違いがないか見てもらうためです。周囲には夫婦共働きだと言っています。家内がいなければ、家庭を維持できないし、漫画にも集中できない。趣味は旅行で、家内と2人でアラスカにオーロラを見に行ったりしました。
小谷さん 夫婦合作なのですね。神保さんの家族や夫婦に対する優しい眼差しがあるから、「ゴリパパ一家」もどこか微笑ましく、家族っていいなあと、ほっと安らげるんですね。
家族が仲良くいっていれば、子どもはいったん地元を離れても、また親や祖父母のいるふるさとへ帰ってきます。家族愛は、郷土愛や地域の誇りに通じると思うんです。アニメの「ゴリパパ一家」のように、サラリーマンをしていたゴリパパがおばあちゃんの後を継ぐかもしれません。家族が仲良くすることが実は農業、農村、そして地方の活性化につながると思います。
――今後の抱負や期待をお願いします。
神保さん 1万回も描かせてもらって、うれしい限りです。抱負というわけではありませんが、昨日よりも今日、今日より明日はさらにおもしろい漫画を描き続けたいと思います。登場人物はこれぐらいにして、アニメのように直売所を舞台にした漫画ももう少し描いていければなと思います。
「ゴリパパ一家」は日本農業新聞の寄席のような存在だと思います。読んだら笑わなきゃ損だという漫画にしたいです。昨日よりは今日、今日よりは明日、さらにおもしろい漫画を描いていくことをライフワークにしていきたいですね。
小谷さん 素敵ですね。食料自給率がまた1%下がり、農業については明るくない話も多い中、それでもやっぱり、農業、農村を身近なものとして発信し続けることが大切だと考えています。1万5000回、2万回とずっと続けて、これからも神保さんの目線で昔ながらの日本らしい家族や農業、農村を描き続けてほしいと思います。
動画が正しい表示でご覧になれない場合は下記をクリックしてください。
https://www.youtube.com/watch?v=w9J5qY0azo8
ゴリパパは、郊外で農業をするイネと耕作の両親に駆り出されて農作業を手伝っていたが、イネがある日、ぎっくり腰で寝込んでしまった。これをきっかけに、ゴリパパが地域の農家やJA関係者らに支えられながら本格的に農業を始める姿や農村の風景を描く。連載1万回やアニメ化を受けて、神保さんと農業ジャーナリストの小谷あゆみさんが対談し、「ゴリパパ一家」の魅力などについて語った。
農村の「あるある」ユーモアに共感 小谷 あゆみさん
――「ゴリパパ一家」は1987(昭和62)年10月1日付から連載が始まりました。1万回を超えたことへの感想を教えてください。
神保さん 1万回ですか。ありがたいと思っています。日本農業新聞で連載を始めた時の条件は「面白くなかったら1カ月で打ち切り」でした。今日まで続けられたのは応援してくださる読者のおかげで、本当に感謝しかありません。3人の子どもがいるのですが、今年30歳になる次男が生まれた年からです。
漫画のタイトルは、ゴリラみたいな親父が登場したら面白いだろうなと思って付けました。家族が多いと面白いだろうと、「ゴリパパ一家」になりました。登場人物は家族を含めて50人程度になります。これに加えて犬や猫が出てきます。
小谷さん 農村の家族の何気ない「あるある」がユーモアを交えて描かれ、共感しながら拝見しています。アニメでは、ゴリパパがおばあちゃんの畑を手伝って、初めて農業のやりがいや喜びを感じる場面がありました。わたしもベランダ菜園をしていまして、小さな農体験から農業や農村に親しみを持ち、都市と農村がつながる関係を目指しています。体験したことって忘れませんからね。神保さんは農業や家庭菜園の経験はおありですか。
神保さん 実は農業の経験はありません。農業のことが分からず、漫画では最初の頃、農業のことは描いてないと思います。今でも何を作っているのか分からないような設定になっていますね。米を作っているような場面がありましたが、ダイコンを干しているシーンも出てきます。埼玉県所沢市の郊外に住んでいるのですが、自宅の前が畑なんです。漫画を描く2階の書斎から眺める風景や、犬の散歩で見た茶畑などが参考になっています。少し歩くと、富士山や「トトロの森」で有名な丘陵地などが見えます。
小谷さん 漫画のストーリーはどう考えるのですか。
神保さん 一度に7日分の漫画のアイデアを考えて仕上げます。1日1本ずつより、その方がリズムがあって作りやすいのです。ネタは新聞やテレビで探します。話題になっている面白いフレーズなどがヒントになります。メモ帳を持ち歩いていて、思い浮かんだら書き留めます。
小谷さん すごいですね。休刊日があっても年間360本近い本数になります。
神保さん 好きだからやっています。どんな仕事も知らない人から見たら大変ではないでしょうか。本当に1万回も連載をさせてもらって幸せだと思います。
ゴリパパは分身 理想の家族像投影 神保 あつしさん
――「ゴリパパ一家」は農村版の家族ドラマと言えますが、何かコンセプトはあったのでしょうか。
神保さん 僕の生まれは新潟県燕市です。20歳の頃に実家で経営していた旅館が倒産し、家族がばらばらになりました。旅館で出すエダマメを手でもがされていたことを思い出します。父親は小さい頃に亡くりました。幸せだった時代と、その後の激変した人生がトラウマになっているのかもしれません。だから家族がたくさんいて、常に笑っていた方が幸せかなと思っています。
ゴリパパは自分の分身のようなところがあります。そういう意味では「ゴリパパ一家」は自分が描く理想の家族像なのかもしれません。
出来上がった漫画を一番最初に読むのは家内です。新聞用語は難しいし、方言が出たときがあります。家内に読んでもらうのは、文字の間違いがないか見てもらうためです。周囲には夫婦共働きだと言っています。家内がいなければ、家庭を維持できないし、漫画にも集中できない。趣味は旅行で、家内と2人でアラスカにオーロラを見に行ったりしました。
小谷さん 夫婦合作なのですね。神保さんの家族や夫婦に対する優しい眼差しがあるから、「ゴリパパ一家」もどこか微笑ましく、家族っていいなあと、ほっと安らげるんですね。
家族が仲良くいっていれば、子どもはいったん地元を離れても、また親や祖父母のいるふるさとへ帰ってきます。家族愛は、郷土愛や地域の誇りに通じると思うんです。アニメの「ゴリパパ一家」のように、サラリーマンをしていたゴリパパがおばあちゃんの後を継ぐかもしれません。家族が仲良くすることが実は農業、農村、そして地方の活性化につながると思います。
――今後の抱負や期待をお願いします。
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「ゴリパパ一家」は日本農業新聞の寄席のような存在だと思います。読んだら笑わなきゃ損だという漫画にしたいです。昨日よりは今日、今日よりは明日、さらにおもしろい漫画を描いていくことをライフワークにしていきたいですね。
小谷さん 素敵ですね。食料自給率がまた1%下がり、農業については明るくない話も多い中、それでもやっぱり、農業、農村を身近なものとして発信し続けることが大切だと考えています。1万5000回、2万回とずっと続けて、これからも神保さんの目線で昔ながらの日本らしい家族や農業、農村を描き続けてほしいと思います。
動画が正しい表示でご覧になれない場合は下記をクリックしてください。
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2017年08月26日
[にぎわいの地・インタビュー] JA岡山西組合長 山本清志氏 自己改革の推進力に 失敗恐れず前へJAが応援覚悟を持って産地つなぐ
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――総社もも生産組合は地域にとってどんな存在ですか。
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――JA管内では若い後継者や新規就農者が活躍していますね。
全ての品目で若い農家がいるわけではない。水稲は後継者が少なく、耕作放棄田が増えている。JAがどう対応するかが課題だ。
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新規就農者の声を受け、農林中央金庫との連携で融資相談会を行ったところ、農業融資は2015年度から16年度で倍に増えた。他にも、新規就農者を育てる親方農家の意見を聞き、ローンの優遇措置も変えた。現場の声に耳を傾けて自己改革をしていく。
――若者力をどうみますか。
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JA改革で「所得向上」とよく言われる。だが、地域には小規模な農家もいる。負け組と勝ち組をつくるのではなく、規模に関係なく多様な農家をしっかり応援していく。
私が考える若者力は、新しいことに挑戦する力、失敗しても前向きに進む力、つながり発信する力。若者力を育み、生かし、支えようとする本気の大人たちがこの地域には多い。若い農家を育んでいる出荷組織では、親世代、祖父母世代が覚悟を持って産地をつなごうとしている。
若者たちが抱く農業への夢や希望を、JAやベテラン農家たちが応援する体制を広げていきたい。国が言うからではない。地域や現場が求めているから自己改革を進めていく。
(若者力キャンペーン第2部は終わります。第3部は10月に掲載します)
2017年08月26日