中国(なかつくに)の長者の浦(ちょうじゃのうら)で能力ある狸(たぬき)が産まれました。
とても正直で神仏に良く仕え悪さをしなかったので、永遠の命、恐れを知らぬ心、病気をしない体、暑さ寒さに耐える精神力を神様から頂いたのです。
暫く(しばらく)は、長者の浦で国の法律や良い習慣、良い風俗を守り暮していました。
大人になったある日、狸が大和と言う国が有って、沢山の神様や仏様がおられるという話を聞くと、大和に行きたくなりました。
丁度、その頃南蛮に君臨していた王、大合甚尾大王(おうごうじんびだいおう)が黄金の国の日本の富が欲しく、永禄11年(1568年)基督(きりすと)教を世界に広めようとしていた伴天連(ばてれん)を利用し、日本を乗っ取ろうと企てました。
狸は伴天連が大和に向け船出するとの情報を聞き付け、日本へ行く絶好の機会だと考え宣教師(せんきょうし)に化けて船にコッソリと乗り込みました。
船は無事に航海を終え、狸は堺の港に上陸しました。住吉神社を訪ね近くの森に住み、大和の神様の研究を始めましたが、詣で(もうで)る人の願いが叶わ(かなわ)ないので、日本の神々の力不足にがっかりしました。
伊勢にもっと素晴らしい神社が有ると言うので、お伊勢参りしたくなりましたが、運良くお伊勢参りに旅立つと言うお百姓が通り掛かったので、その人の連れていた牛の背の柳行李(やなぎごり)の中に隠れ込みました。しかし、お百姓さんは途中で気が変わり、牛の故郷の砦部村(あざえむら・上房郡北房村)に来てしまいました。仕方なく湯どの山に洞穴(どうけつ)が有るのを見つけ住み付きました。暫く(しばらく)は、ここでも神仏の力を観察しましたが、これまた、たいした御利益を認められなかったのです。
今度は、総社に立派な神社が有ると聞いて行商の荷物に隠れ、総社にやって来ました。
総社の鬼祭の賑わい(にぎわい)には感心しましたが、又も神様のご利益を受けた人を見なかったのです。
総社の里にとても可愛ら(かわいらら)しい牝狸(めすたぬき)がいたので恋し、楽しい愛に満ち満ちた日が続きましたが、有能な狐狩りの犬がいて惨い(むごい)事に牝狸を食い殺してしまいました。
落胆したこの狸は大和に来た事を悔い(くい)て「日本の神仏に尽く(つく)せるもんか」とやけくそを起こしたのです。
この地に泥棒(どろぼう)や放火が頻繁(ひんぱん)に起こるようになったたので、村人は摩利支天神社で災難除けの祈祷をし若宮を作り摩利支天の法の守護神を祀りました。後に魔法様と呼ばれます。
狸は図ら(はから)ずも神通力を認められて魔法様に祀り上げられ、気まずくなって惣社を離れました。
元文6年・寛保元年(1741年)黒杭(くろくい)の高見山(たかみやま)に備中砦部の者が資本を出し銅山開発が始まると、藩役人、工夫、遊女で黒杭は賑わい出しました。
すると狸は黒杭にやって来て人に化け、木の葉や小石をお札や銭(コイン)に変えて飲み食いし、女遊びを楽しみました。時に乱心し駆け巡り、不評を買う事もありました。
しかし、化けるのがあまり上手(じょうず)でなく人間に化けたと言っても、顎(あご)は細く口髭(くちひげ)が濃く、腹が出ていて、足が短く、いかにも狸々していて狸が化けている事が誰でも解ったのです。
姿を見破られ悪さを咎め(とがめ)られると、愛嬌(あいきょう)のある仕草をしたり洒落(しゃれ)た事を言ったりして人を笑わせ「邪な糞(じゃなくそ)をした すまん すまん」と詫び(わび)ておどけ事を無難に過ごしていました。黒杭の里は潤って(うるおって)いて心理的にも経済的にも余裕があったので村人はその間抜けさ故に寛容(かんよう)だったのです。むしろたわいのないにない悪さやギャグを楽しみにし、褒美(ほうび)をやる等して狸の生活を支えてやったのです。
とは言っても、栄える者は久しからず、必ず衰退します。明和の頃(1764年頃)に銅山が閉山されると、町は当然ながら寂れ(さびれ)てしまいました。
狸は高見山の銅山の廃坑(はいこう)を住処(すみか)に変えました。
人々の生活も困窮し、狸の生活を支えてやるどころではなく、狸や狐(きつね)を捕り狸汁や狐汁を食べるようになりました。それでも、高見山に狸狩りに人が登る事は無かったので、仲間が殺されるのを我慢(がまん)して見ていました。
高見山で得られる食料は腹一杯に食べる程には乏しく、それを補うために生活に必要な小銭稼ぎ(こぜにかせぎ)をする必要に迫られました。そこで、9年間、狸は化ける術に磨きをかけ、鍬(くわ)の欠片(かけら・古先)をコンコンと打ち良いリズムを取る練習をし、さらにサンヤサンヤと掛け声をかけ踊る(おどる)練習をしました。
旅人や村人に踊りと歌を見聞させて小遣い(こづかい)を救望(きゅうもう)したり、畑仕事を手伝ったり草取りを手伝ったり、稲刈りを手伝ったりして労賃を救望したり、盆踊り(ぼにおどり)があると踊り子になりまた踊りを教え、お祭りが有ると奴に化けて参加し太鼓(たいこ)を叩いたり太鼓の叩き方を教えたりして駄賃(だちん)を求望しました。
村人は求望狸が余りにしつこいいので、うっとうしがったのです。邪魔者(じゃまもの)扱いされ小銭が稼げ(かせげ)なくなった求望狸は、四国修行の僧侶に化けてお布施を求望したり農場実習と称して野菜や果物を失敬(しっけい)したりするようになりました。
牛や馬にも餌(えさ)を別けて呉れと求望して、横取りもしました。牛も馬も求望狸がうっとうしくなったので、求望狸が来ると蹴飛ば(けとば)そうとしたり角や頭で突きかかろうとしたりしました。狸は腹を立て、足に咬み(かみ)付いたり毒草を食わせたりしました。
一方が憎しみを持つと、他方も憎しみを持ち互に憎しみを高騰(こうとう)させるものです。
この不埒(ふらち)な奴をを村人達は追い払おうとして狸が大嫌いな犬に追い掛けさせると、糞狸は仕返しに有る事無い事、村人の悪口を付近の村々に言いふらしたのです。
頭に血が上った村人は不埒者の住処を見つけ罠(わな)を仕掛けたり住処の坑道の前で生木(なまき)を焚い(たい)て寝ている糞狸を薫り出し(いぶりだし)たりしました。
「坊主憎けりゃ袈裟(けさ)まで憎い 仲間を殺すばかりか・わしにも害をなす 我慢(がまん)ならん」と糞狸は怒って家々に放火し報復しました。
村人も正体を現した糞狸に最大級に激怒し「狸憎けりゃ皮まで憎い 殺してひん剥かねば我慢ならん」と弓矢、鉄砲を持ち寄って「求望狸狩りをしよう」と相談ました。村人の大騒ぎが気になり様子を覗っ(うかがっ)ていた狸はそれを盗み聞きしました。
翌朝「さあ求望狸狩りだ」と集まってみると、高見山の周りに7つ頃・暁(あかつき)の2時(ふたとき)ばかりの間に巨大な注連縄(しめなわ)が張り巡ら(めぐら)されていました。
これを見て、大縄を引き回した狸の怪力ぶりに恐れをなすばかりか、信仰心の熱い者ばかりの村人は困りました。
注連縄の張られている所は、古(いにしえ)より神様がおわせられる聖域とされている領域なので入る事が許されません。
狸は神主に化けて、山の上から大声で村人に告げました。
「我ぁ與那国(よなくに)の長者の家に生まれた 大和は神の国じゃと知って海を渡りやって来た 元々は神仏に仕え(つかえ)ていた者じゃ 難儀(なんぎ)をしたので悪さをしたので村の人に憎ま(にくま)れた 悔い改め(くいあらため)再び神仏に仕える事にした 與那国の神々の思し召し(おぼしめし)で年を経る程に心が清浄となり健康で病知らずの身となっている もし村人が年に2回・腹一杯になる程の御供え物(おそなえもの)をして呉れ(くれ)れば我が命は続く 我が命の続く限り摩利支天の法力を以て牛馬(ぎゅうば)の難儀(なんぎ)を助け・火難や物盗り(ものとり)を事件になる前に村人に知らせ、我を信じ敬う者の幸せを保証する 頼むので今までの悪行を許して呉れ さもなければ祟る」と脅し(おどし)たり賺し(すかし)たりして身勝手な事を求望しました。
村人達もこのまま高見山に入れないのでは、山菜採り、茸狩り(きのこかり)、薪拾い(まきひらい)、柴刈り等ができず困りますので、知識深い円城寺の御尚(おしょう)に相談しました。御尚は古い文献を調べ、狸が遠い昔は正直で有った事が解ると山に入りました。
求望:何じゃ。円城寺の御尚か 注連縄を破るとはけしからん。
御尚:狸殿が張ったのだろうが 大和の神でもないのに注連縄を張るとはけしからん。
求望:それはなぁ… 與那国の神 ウーン…ここは大和か…ウーン 正しい理屈じゃ 許してつかぁせぇ。
御尚:先に言った事は本真か 本真ならお前様を日本の神様になったと村人に告げよう 火雷神(ほのいかづちのかみ)殿の承諾を得ている。
求望:腹が空いても高楊枝ともいかん 戦の前の腹ごしらえじゃ 腹が減っては力も入らん 力が入らんと村人を助けてもやれん。
御尚:あい解った。お前の申出通り年2回、お祭りしてやるよう村人に頼んでやろう。
相談がまとまると、村に帰り御尚は「狸は泣いて謝り助けを求望するので、わしが情けを掛け火雷神社の神に掛け合い狸を魔法神(まほうしん)にさせてやった 狸の奴(やつ)は喜んで村人を守ると火雷神社の神に誓うた 狸が魔法神になったのだから供物を沢山(たくさん)添え(そえ)て年2回必ず祭りをしてやって欲しい」と話しました。
村人は「お尚の言う事なら間違いはなかろう」と言って、魔法様と呼んで火雷神社に祀っ(まつっ)たのです。
そして5月4日と10月4日に祭をすると、牛馬を連れてお参りする人で大賑わいしました。
この狸には頬四朗(ほほしろう)と言う子がいました。
頬四朗の子に頬赤すけ、せ四朗、よつ四朗がいました。
頬赤すけは水谷(みずたに)、せ四朗は和田(わだ)、よつ四朗は落合の清水谷に住みました。
それぞれ、不思議な術(わざ)で人々を驚かしましたが、善行が認められ妙見山(みょうけんざん)に魔法様として祀ら(まつら)れました。
「加茂川町史」「https://ja.wikipedia.org/wiki/魔法様」参考
住吉神社:兵庫県明石市魚住町中尾1031番地。北緯34度41分10秒・東経134度54分1秒 兵庫県内には神戸市兵庫区切戸町、三田市大川瀬、宝塚市安倉、加東市上鴨川、加西市北条町、加古川市別府町等にも住吉神社が鎮座します。
伊勢神宮内宮:三重県伊勢市宇治館町1番地。北緯34度27分18秒・東経136度43分33秒
伊勢神宮外宮:三重県伊勢市豊川町279番地。北緯34度29分14秒・東経、136度42部13秒
上房郡砦部村:現在の真庭市阿口、上呰部、下呰部 この地の魔法様は摩利支天の事で、家や株内を鎮守する神であり、狸ではないとされます。上合寺(じょうごうじ)、上合公会堂から北に向かった地点付近に、北緯34度58分54秒・東経133度37部32秒の近くと予想する地点に、摩利支天社が建つそうです。
北房村湯どの山:どの山か特定できていません。城山の事でしょうか。
総社魔法神社:岡山県総社市槁(けやき)字梶木 北緯34度46分2秒・東経133度39分6秒 墓石状の奉納石柱に「魔法神社 牛馬繁栄」「伯楽天王」と刻まれており、狛犬は見つかりません。
黒杭の高見山・銅山の廃坑跡・三納谷城跡:三納谷839番地の南東東の山で北緯34度52分54秒・東経133度46分56秒 三納谷城城主は、高見小四郎です。
與那国:沖縄県八重山郡与那国町。日本西端地のあるの島で、北緯24度28分6秒・東経123度0分17秒
円城寺:円城742番地 北緯34度53分31秒・東経133度48分22秒。
久保田神社・妙見神社・細田天津神社:細田1372番地 北緯34度53分39秒・東経133度47分6秒 境内を妙見山と呼びます。狸と貉のハーフが狛犬替わりです。
火雷神社・ほのいかづちじんじゃ:上田西158番地 北緯34度53分09秒・東経133度47分10秒に建ち、多くの人は「からいじんじゃ」と呼びます。
吉備中央町神瀬水谷:集落は旭川右岸にありましたが、旭川第一ダム建設により水没しました。水谷川の支流に、地蔵滝が有り、地蔵が祀られます。
吉備中央町和田小坂摩利支天神社:北緯34度53分19秒・東経133度44分55秒、和田1597-5番地
落合清水谷:調査中です。
サンヤン:インドネシアのバリ島のサンヒャン踊り。月夜に初潮前の女性が土地の安全や豊作を願って凶因を除くために舞います。「www.youkaiwiki.com/entry/2015/07/16/143526」参考
平成23年(2011年)9月7日