昔、下土井黒住教の道場の裏山に親子の狸が住んでいました。
ある時子狸が中山照男の田圃に出てミミズを取っている処を照男に見つかり逃げました。
照男が春になったので田起こしをしていて「狸の奴は何かを掘り出そうとしていた」と思い子狸が漁っていた辺りを何時の年よりより深く掘ってみると、鍬に石が当たったので掘り出してみると首の欠けた地蔵でした。
「狸の奴 地蔵を盗んで何かに化けさせ悪さをしようとしていたのか 罠を仕掛けて捕まえお仕置きしてやる」と呟きながら、首が欠けているとは言っても粗末に扱えないので田の畔に祀っておきました。
子狸が再び遊びに来ると照男の仕掛けた罠に掛かりました。
すると腰痛持ちの心優しい福井久七が罠に近づいて来て「照男に謝らにゃぁおえんじゃろうかのう」と言いながら、罠から子狸を解いてやりました。
子狸は物陰に逃げて親切な久七の様子を伺うと、野に祀られ(まつられ)ている名もない首なし地蔵を見つけ両手を合わせ腰痛の快癒(かいゆ)を祈願(きがん)をしていました。
山深い父狸の元に逃げ帰ると父狸は「恩を受けたらまず感謝し礼を言い、受けた恩を返さねばいけない」と子狸を叱り(しかり)ました。
子狸が罠に掛かった時逃れようとして腰を痛めているのを見た父狸は「黒住経の神主は、前を向き屈まず背筋を伸ばす座禅し、枕をせず仰向けに寝、目線を水平に保ち、背筋を伸ばし腰を回転させるように手を振り脹脛(ふくらはぎ)を使うように地面を蹴りながら歩けば腰痛が治ると弟子に指導していた」と教えてくれました。
腰痛が治ると子狸が久七にお礼を言いいに行こうと決心し麓(ふもと)に向かうと、久七は山に芝刈りに行く途中で、首なし地蔵に両手を合わせていました。
子狸は、地蔵の後ろの藪(やぶ)に隠れ、厳か(おごそか)に言いました。
「この下の河原の坂道を、わしが告げるように腰を伸ばした良い姿勢で3往復して、芝刈りに行きなされ さすれば腰の痛みは消える」と言うと、久七は、仏のお告げに喜びました。
お告げ通りにすると翌日から腰痛は改善し始め3日も続けるとすっかり腰痛は消えてなくなりました。
久七はこの祠の地蔵尊のご利益(ごりやく)は神に仕えるあの子狸の発行(はっこう)と悟って村人に伝え、近くの神社の神主の横山加平を住職に迎え、横山様と名を付けたお堂を建て首なし地蔵を祀りました。
腰痛持ちの村人が「物は試し」と久七と同じ修行をしました。
際立っ(きわだっ)て苦しい修行ではないのに多くの人の腰痛は治りました。
治った人達は横山様に幟(のぼり)を奉納しました。
そして、その噂(うわさ)は日本全国に伝わり、四国の金比羅山に匹敵する程の賑わい(にぎわい)となりました。
お堂の前に屋台や幟が建ち並び、笛太鼓の音は止まず、花火が毎夜打ち上げられました。
しかし、近代医療の発展で、このような運動療法は廃れ(すたれ)、現在は横山様に詣出る(もうでる)者は激減しました。お医者さんに相談し運動しても良いと診断されたら、横山様をお参りすれば、劇的な腰痛改善が約束されているよ。
ぎゃあてい ぎゃあてい はらぎゃあてい そはらぎゃあてい 行こう 行こう こぞって行こう さあ行こう横山様へ。
平成23年(2011年)7月11日