先日、新潮ドキュメント賞が発表され、ブレイディみかこさんの『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(みすず書房)の受賞が決定した。この作品を高く評価するのが、文藝春秋で数々の名ノンフィクション作品を送りだしてきた下山 進さん。本作の魅力がどういうところにあるのか、特別に寄稿いただいた。(HONZ編集部)
新潮ドキュメント賞を受賞したブレイディみかこ 『子どもたちの階級闘争』を読んだ。素晴らしかった。
300ページで定価2592円って、どれだけ部数を絞ってるんだ? と最初腹立たしく思ったが、読んでみて、このクオリティだったらまったく惜しくない。
1996年にクールな英国に憧れて渡英した筆者は保育士だ。
託児所の日常が描かれるのだが、ここで凄いのは、その日常を子どもたちやその母親、そして保育士たちの世界のドラマで読ませつつ、英国の政治そのもの、のみならず世界のあちこちで起こっている民族のいがみあいによる紛争や戦争を考えさせられる仕組みになっている点だ。
本はブレイディみかこがかつて勤めた「底辺託児所」に戻ってきて働く2015年から16年のスケッチから始まる。ブライトン地区という最貧困の区域に設けられた託児所は、ブレイディみかこが2008年に保育士の仕事を始めた託児所であり、労働党政権下では、英国人の「見えない最下層」の母親たち(10代の母親や、ドラッグやアルコール中毒者で生活保護で生きている人たち)が、子どもを預けていた託児所だった。ところが、保守党政権にかわって、そうした貧困地区の家庭に対する保育援助の一切が打ち切られてしまったため、現在は移民の子が通う保育園になっている。
移民の英語教室にだけは、保守党政権は金を出し、そこに併設されている形のこの託児所は、かつての地域の底辺英国人の子どもがほとんどいなくなり、移民の子どもたち一色になっている。
が、そうした中にたまに英国人の子どもが間違ったように預けられることがある。四歳児のケリーもその一人で、ハロウィンのかぼちゃをつくる時ブレイディみかこが、かぼちゃはわらった顔、皆どんな時に笑うかな? と幼児たちにたずねると、「人を殺した時」と応えるような問題児だ。
そのケリーを、移民の母親たちは毛嫌いする。ケリーを送り迎えしている姉のヴィッキーが、これまた底辺下層の不良少女然とした高校生で、そのヴィッキーの格好や連れているワルっぽいボーイフレンドに、母親たちの心はざわつく。
そのヴィッキーは、託児所で送り迎えをするうちに、ソーシャルワーカーの先生と話あって、保育士になるために、ヴォランティアで著者が務める託児所で働き始めるのだが、移民の母親たちが、いっせいに抗議活動をするのだ。
「ヴィッキーが働くのなら、この保育所には預けない」
それくらい、向上心がある移民の母親たちにとっては、生活保護で暮らす底辺の英国民は恐怖の対象であり、そう、「差別」の対象になっている。
が、不良少女のヴィッキーにとって保育士は「天職」だった、きれいな英語で読み聞かせをしていると、子どもたちはのりのりだ。
「くまは可哀相。ほんとうはみんなを食べたいのじゃなくて、一緒に遊びたかったのかもしれない」と一人の子ども。
「それは、ドープな質問だ! アタシも子どもの頃、実はそう思ったんだ。だって、このクマの後ろ姿、なんかサッドだもんね」とヴィッキー。
ヴィッキーはかつて労働党政権下で運営されていたこの保育園で育ったこの地区の子どもたちがティーンになった姿だ。
“わたしは子どもたちを迎えにきた母親たちのほうを見た。敵愾心むき出しの顔をした母親の中で、ポーランド人の母親は微笑していた。インド人の母親も彼女のほうを振り向く娘に、ちゃんと先生の話を聞きなさいという風に顎で合図している。
”
変化とはこうしておこる
というような感じで、緊縮財政下で崩壊していく地域コミュニティーとそれに抗(あらが)う人間のあたたかさを、子どもたちの姿を描きながら、浮かび上がらせていく。
ブレイディみかこ、すさまじい才能だ。
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