吉田がキャラホビで企んでる

”今、自分がいちばん見たい番組みてキャラホビを目指す”というコンセプトのもとに吉田が話題のアニメに物申す!

放送まとめ

吉田がキャラホビで企んでる第30回「マジで生きるレジェンド松本零士」

投稿日:

今日のゲストは超巨匠! 吉田さん曰く「超巨匠に世の中で最も巨匠からかけ離れている人をぶつけてみたらどうなるかと思って、もう一人、この方をお呼びしました」ということで、ゲストよりも前にスタジオにスタンバイしているのは、ギャル漫画家浜田ブリトニーさん。

吉田
商売としてギャルやっているけど…

 
商売じゃないの! 未だに超ギャルなの!! 熟ギャルっていうジャンルの人間なんです!

吉田
そういうジャンルがあるんだ(笑)。ギャル文化の代表としてテレビに出ることが多い浜田ブリトニーさんですが、かなり濃い目の漫画ファンです。漫画家ですし

 
漫画喫茶に住んでいたじゃないですか。漫画喫茶って古い漫画もいっぱいあったので、読んでるうちに漫画家になるしかないなと思ったんですよ。一番好きな漫画は、藤子不二雄A先生の『まんが道』(※1)です

吉田
今日は、古い漫画からちゃんと読んでいる人ということでお呼びしていますから

前段が長くなりましたが、本日のゲストは、松本零士さんです!
ゲストProfile

松本零士(まつもとれいじ)。漫画家。御年75歳。1953年、15歳(高校1年生)のとき『蜜蜂の冒険』で商業誌デビュー。代表作は『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』で、吉田さんが一番好きな作品は『男おいどん』。ちなみに石ノ森章太郎とは生年月日が一緒。
浜田ブリトニー(はまだぶりとにー)。漫画家。自称20歳。学生時代に家出し、漫画喫茶での生活を始める。その後ホームレスギャル漫画家としてデビュー。現在は自宅があるそう。

松本零士はヤバイ!!

――藤子不二雄A先生など数々の巨匠漫画家とお会いしている浜田さん。「巨匠の漫画家さん好きなんですよ。パーティとかで見かけたらすぐに声をかけちゃいます。超ゴット(神)ですよね!」とのこと。今回、松本零士さんとは初対面だそうで「超緊張するー!!」と興奮気味。

吉田
それでは本日のゴット、お呼びしましょう!

 
よろしくお願いします

 
ゴットキター━━━━(゚∀゚)━━━━!!

 
お手柔らかに…

吉田
こちらこそ、夜の生放送に来てくださってありがとうございます

 
私らの時間帯では今がお昼なんですよ

吉田
お昼?

 
夜行人間ですから。午前中に起きて昼の12時ごろに朝ごはんを食べて、今がちょうど昼ごはんの時間ですね。夜中の12時ごろに晩ごはんを食べて、3時ぐらいまで働いてますね。徹夜するか寝るかのどっちかです

 
選択肢がすごい(笑)

吉田
今でも徹夜されるんですか?

 
平気ですよ。長年の生活習慣ですから。食欲も昔のままですね

吉田
そこまでしないと描きたいものに追いつかないということでしょうか

 
そうですね

 
先生、めっちゃ若いですよね。オール基本とか

 
幸い歯が丈夫なもので。なんでもバリバリ食べていますよ。ステーキでも果物も好きですし、スイカでもレモンでも柿でもかじりまくってます。とんかつもすき焼きもうなぎも食べます。偏食はしないでいろいろなものを食べるのが好きですね

吉田
まだ見たことも食べたこともないものが出ても食べてみる?

 
そりゃ食べてみたいですよ。食べたらギャーってものありますけどね

吉田
なるほど、そういうことを今でもやってみたいと思われている。今回、隣に見たこともないギャル漫画家というのがいますけど

 
表現力があることはいいことです

 
ヤバイ! 神に褒められた!! この短時間で表現力を見抜かれた!

 
漫画家というのは無表情で対人関係が苦手な人が多いんですよ。どう話していいかはわからない。私も若い時は相当陰気なガキだと思われていたもんです。どうしようもないワルガキだったんですけどね。関門海峡で泳いで魚を取っていましたから

吉田
ご著書を拝見したんですが、貨物船の船底をくぐったと書かれていましたが…

 
ええ、やっていましたね。若い人は真似しちゃいけないですよ、危ないですから。でもそこまでしないと魚が取れなかったんですよ。終戦直後の食糧難の時代のころの話ですね

――松本先生は小学3年生から高校卒業まで小倉(現在の北九州市)で過ごし、やんちゃな子供時代を送っていたそうで…。

 
漁師のせがれが同級生にいたんですが、彼が先に飛び込んで、私が岸壁でオタオタしていたら『こら、松本、飛び込め! 貴様、それでも男か!』と言われまして、『男か!』と言われたら飛び込まないわけにはいかないじゃないですか。私は、戦時中は肱川(※2)で泳いで魚を取っていたんですね。8月15日の正午も川の中にいましたし

吉田
終戦のその瞬間もですか

 
そうなんですよ。『戦争が終わったぞー』ってメガホンで叫んでいるおじさんを見て、慌てて家に帰ったら鍵が全部閉まっていまして。それをどうにかこじ開けて中に入ったら祖母が日本刀を磨いていたんですね。『それでどうするんか?』と聞いたら、『敵が入ってきたらこれで刺し違えて死ぬ、侍の子ならば覚悟せい』と言っているわけです。そのときはピンと来なかったんですが、後から考えたらそれは家族で刺し違えて死ぬということで、日本国落城の瞬間だったんですね。その前の日まではB29が頭の上を通って呉のほうへどんどん飛んでいってましてね。ものすごかったんです。私も戦闘機に機銃で撃たれました。でもその後、土にめり込んでいる弾を掘り起こしてみんなで山分けしたりしました

吉田
拾ってどうするんですか?

 
破裂するかどうか…

吉田
いや、ダメでしょう、それ!

 
破裂しなかったから、今生きているんです。2年ぐらいしたら父が南方から生還しまして。父はパイロットでしたから、その弾を見て『12.7ミリか、ふむふむ』と言うから、『これは爆発しないよ』と私が土間に叩きつけたら『バカモノ!それは不発弾だ。山に捨てろ』と頭を引っ叩かれましてね。山に捨てたんですけど、その後も気になって何年かして見に行ったらなくなっていました

吉田
なんで行ったんですか(笑)。危ないじゃないですか!

 
そういう世代だったんですよ(笑)。それから生まれ故郷の九州に帰りまして。食べ物がなくて、それで関門海峡に潜っていました。ちょうど真ん中あたりに沈んでいた貨物船が漁礁になっていて、そこで魚を取っていたんですけど、船がたくさん通るわけですよ。なので、避けたり潜ったりしながら陸に戻る。本当は、巌流島(※3)まで行きたかったんですけど、何度もトライしたんですが潮の流れが速いのもあって無理でしたね。でも、そのおかげで絶対に溺れない男になりました

吉田
先生、もうここまでで2回死にかけていますよ! このまま溺れない男の話も聞きたいんですけど、飲み物を頼んでいただいても…

 
『酒は呑め呑め呑むならば』のお国柄(※4)ですが、お酒を飲むと無限大になってしまうのでオレンジジュースで

吉田
そう言いながら指をさしていたところは麦焼酎でしたけども。ブリちゃんは?

 
溺れない男の話をまだまだ聞きたいので、ここはオレンジジュースでお願いします

 
小学生のころから学校の先生にお酒を飲ましてもらっていましてね。杯を出されたときに、たじろぐと『ワシの杯が受けられんのか!』と言われるんです。受け取ると杯に並々と注がれる。それでたじろぐと『貴様、それでも男か!』と言われる。そう言われたらしょうがないから呑む

 
うわー、時代パネェ!

吉田
なんか『貴様、それでも男か!』が魔法の言葉みたいな

 
そう言われたらやるしかないですよ

吉田
このお話をずっと聞いていたいのですが、せっかく生放送に来ていただいているので、生放送らしいこちらの企画を。現在、先生の縁の地へ番組スタッフを放っています

――今回、札幌のジャックナイフは、松本先生が上京してから住まわれていた本郷三丁目に行っています。本日のジャックのコスプレは車掌さん。

 
おお、本郷三丁目

吉田
先生、本郷三丁目には反応しているけど、キミのその格好にはノータッチだから。彼は単なる番組のリスナーで、面白そうだったから呼んでみた一般人です

 
マジで!

 
本郷三丁目は私が上京してから5年ぐらい下宿していた場所ですね

ジャック「今日はここで松本先生のファンの方を探してみたいと思います![/speech_bubble]
吉田
見つかったら教えて下さい。ただ、スタジオが楽しすぎるので見つからなかったらまったく触れない可能性もあるんで、がんばってください

ジャック「はーい」

【編集注】
※1 藤子不二雄Aの自伝的漫画。自身をモデルにした主人公・満賀道夫が、才野茂(藤子・F・不二雄がモデル)と出会い、漫画家として成長していくストーリー。手塚治虫など親交が深い漫画家や往年の漫画雑誌が実名で登場している。漫画家を目指す人のバイブル。
※2 愛媛県大洲市。坂本龍馬が脱藩したときに通った橋が保存されている。松本先生は6歳から小学校2年生まで大洲市で暮らしている。
※3 関門海峡の下関側にある島。宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘をした島として有名。
※4 福岡県に伝わる民謡・黒田節の一節。安土桃山時代に、黒田家家臣・母里太兵衛が、福島正則との飲み比べに勝利し、名槍日本号を手に入れたという逸話を元にした歌。「日本一のこの槍を 呑みとるほどに呑むならば これぞ真の黒田武士」と続く。

松本零士伝説はまだまだ続く

――ここで松本先生の画業60年をVTRで紹介。番組ではさいたま市立漫画会館で行われている松本先生の展覧会『生きる伝説・松本零士展』(現在は終了しています)を取材。そこには『銀河鉄道999』や『宇宙戦艦ヤマト』の原画が展示されていました。さらに、デビュー作『蜜蜂の冒険』などの初期作品展示も。SF漫画の巨匠と言われていますが、実は少女漫画を描いていた時代も。ちなみに松本先生の作品は500作品以上。生きるレジェンドなのです。

 
うれしいですよね。見てくれる人がいるのは。見てもらうために描いているんです

吉田
どんな作品でも最初は自分の中のビジョンなわけですよね。今、お話を聞いていて、こんな言い方は失礼だと思うんですけど、話がお上手だなと思ったんですね。ものすごく絵画的なお話をされる方だなと。今のVTRにもありましたけど、10歳の子どもにも伝わっていましたけども

 
印刷物になると長く残すことができるんですね。いろんな世代の人に見てもらえるんです。私も、先人たちの古い漫画を読んでいますしね

吉田
そこなんですけど、もしかしたら日本最古のマニアなんじゃないかなと思えてきたんですけど。藤子不二雄先生の『UTOPIA』という作品があって、日本で数冊しか現存していないそうなんですけど、それを松本先生がお持ちだと聞いたんですが

 
そうです

 
えー!! スゴーイ!!

 
これは高校2年のときに、学校の帰りに繁華街の小倉の商店で見つけたんですよ。『UTOPIA 最後の世界大戦』、作者は足塚不二雄(※5)なんですよ。棚から半分出したところで、『貴様は高校生にもなってまだ漫画を読むのか』ってひょっと横を見たら、物理の先生が立っていたんですね。しょうがないから『これは参考資料であります』と言って、130円で買ったんです

吉田
値段まで覚えているんですか!

 
それをずーっと持っているんです。世代は(藤子不二雄さんと)変わらないですから、自分が描きたいと思っているものと同じところ、違うところがあって勉強になりました。だから大事に、人が触れない本棚に立ててあります

 
人が触れない本棚って、完全にオタですよね

吉田
そうなんですよ。買ったのが17歳のときですよね。さっきお伺いしたら75歳だとういから、スゴイ記憶力ですね

 
15歳の時に漫画少年の新人王募集というのがありましてね。それに応募して入選しました。応募締め切りの前日まで必死で描いていて、解析の期末考査の朝だったんですよ。郵便局で入選しますようにと拝んで学校に行ったんです。期末考査は0点だったんですよ。再試験を受けることになって、貧乏でしたから留年するわけにはいかないので、教科書1ページに対して1問しか出ないので、3ページ丸暗記して100点で突破しましたね。あのころの記憶力はすごかったですよ

 
今もスゴイですよー

 
いやぁ。意味がわからない数式を覚えて試験にトライするんですから。その試験のときに、隣を先生が『お前はできとる』と言って通っていくんですが、隣のヤツが『このxの2乗の次はなんだ』って聞いてきたんですけど、自分は丸暗記だからどこを聴かれているかがわからない。だから『わからない』と答えたら『冷たいやつだな』と言われまして。試験が終わった後に『丸暗記だったんだよ』と白状しましたけどね。数式の途中でプラスとマイナスを間違えていたんですけど、でも他のところがちゃんと合っているから先生も書き間違えだと思ったらしくて、100点をもらったんです。今から思うとあの時代が記憶力が一番よかったと思います。(浜田さんも)記憶力が最高のところにいると思いますよ

 
ほんとですか!?

吉田
こう見えても結構いい年ですよ

 
そうなんですよーっておい!!

 
でも若さの力というのはそういうところにあると思いますよ。今、同じことをやれと言われると難しいでしょうね

吉田
そのとき答えた数式はまだ覚えていますか?

 
さすがに覚えてないですね。でもその答案用紙は記念品で取ってあります

吉田
僕もかなりマニアな人間なのでいろいろなものを集めているんですが、20年マニアとして生きてきただけで部屋は限界です

 
あはは、確かに! 泊まりに行ったことあるから知ってます

吉田
いろいろ取ってあるんですが、さすがに高校の答案用紙は捨てています

 
私も自称20歳で高校生は近いところですけど捨ててますね

 
私は机の引き出しに答案用紙やら通信簿やら全部入っていますよ

吉田
お家、どうなってるんですか?

 
仕事部屋ですから、机は誰にも触らせません。引き出しにいろいろ押し込んであります。何部屋もパンクしそうになっています。自分で家を建てたときに収納しやすいように作ったんですけどね。私は使いやすいんですけど、他の人は入ったら出口がわからなくなるかもしれないですね

 
えー、迷路なんですか!!

吉田
そこに『UTOPIA』もあるんですか

 
大事なものですから耐火部屋にあります。その世代の漫画やアメリカのコミックも全てそこに入れてあります。もし破られてもすぐに私にわかるようになっているんですよ

吉田
もう実生活が作品世界のようですね

 
子どものころから科学力に憧れていて、自然環境の中で暴れまわってきたでしょう。スズメバチを襲って蜂の子を採ったり、学校の行き掛けに山にワナをいっぱい仕掛けて帰りに取って帰ったり、川に飛び込んでうなぎを捕まえたり、そういうことをやってきました。一つだけ申し訳ないことをしたなと思っているのが、亀の体はどうなっているんだろう思って首を引っ張ったことがあって、亀が死んでしまったんです。それで亀の甲羅は体と一体になっているんだということを知ったんですが、本当に申し訳ないことをしたなと思って、最敬礼して弔ってやりました。これは胸が痛みました。でも、学校の行き帰りではメダカの丸飲み競争をしている。何百匹飲んだかはわからないですね。そんなことをしながら、何が毒で何が食べられるのかを学びました。戦時中は母の実家の四国(愛媛県大洲市)に疎開していたんですけど、家の前にある柿の木の天辺で、隣のお寺の同級生と柿の実をかじりながら、その同級生が「10年経ってもオラを忘れんなよ」、「ダレが忘れるモンか!!」とか言ってたら、ボキっと枝が折れて下に墜落したんですよね。でもそうやって何度も落ちているうちに落ち方を学習していくんです。川で遊んでいてもうなぎだと思ってひきずり出したら蛇だったり。蛇だったら回してぶち殺すんですが、向かってくるヤツがいると思ってぶち殺して持って帰ったら祖母に『毒蛇ぞ!』と言われたりもしました

吉田
本日3回目の死にかけです!

 
でもそうやって身につけていくものなんです。崖からの落ち方、木からの落ち方、たんこぶの作り方。手加減とかやっていいこと悪いこと。体験は必要だと思いますよ

吉田
今までいろんな方の話を聞いてきて、野生児の話は野生児のままで終わることが多いんですが、松本先生の場合、野生児でありマニアでもあるんですよ。こんなことってないと思うんですよ

 
南太平洋バヌアツのニューカレドニアに行った時に激流に飛び込んでしまったんですよ

吉田
え、なんでバヌアツに?

 
戦記モノを書いた時にそこを舞台にしたので取材に行ったんです。現場を見てみたくて、船から海に飛び込んだら激流だったんです。そのときに思い出すんですよ。関門海峡で泳いだときのことを。激流に立ち向かうとダメなんです。ジグザグに泳いでどうにか船の上流に出て船に這い上がる。そうしたらオーストラリアの船長さんが『You are good SAILOR』って褒めてくれましたよ。子どものころに関門海峡を泳いでこの泳法を会得してなかったらそこでサメに喰われて死んでいましたね。やっぱり、子どものころの体験はすごく大切で、自分の限界を知ることが大事なんですよ

吉田
必要にかられてそうされてるのはわかるんですが、漫画家になるためにそうされていたわけではないですよね?

 
ないですね。ただ全部が参考資料です。漫画を最初に描いたのは6歳のころだったと思います

吉田
私が調べたところで間違いなければ『潜水艦13号』というタイトルだったかと思います

 
私は昭和13年生まれですから『潜水艦13号』としたんですよ

吉田
ブリちゃんはいくつのときだっけ?

 
えーと、自称20歳のときですね。家を出て流れ者生活をしていたときです。先生も家を出た派なんですよね?

 
そうですね。父がパイロットだったので公職には就けなくて(※6)、路上で八百屋をやっていたんです。その八百屋を手伝いながら漫画を描いていたんです。同級生なんかは応援してくれましてね。描いているうちに新聞や雑誌で描きたいと思うようになるでしょ。私の家の目の前が朝日新聞西部本社だったんです。すぐ近くに毎日新聞西部本社があって、映画館も古本屋も山のようにある環境で、文化的なものと出会うにも有利な立場だったんですよ。占領軍がディズニーやバットマン、スパイダーマンなんかのコミックを読んでは捨てていくから、それを拾って売っているおばちゃんがいて、当時は『占領軍のものを売買してはならん』というお触れが出ていたんだけど、タイトルをちぎればただのゴミだから5円で売っていたんです

吉田
へー!

 
ところが私は完全なものが欲しいから『おばちゃん10円のはないの?』って聞くと、おばちゃんが座っているりんご箱の下から完全なものが出てくるんです。だから当時のバットマン、スーパーマン、スパイダーマンも持っていますよ

 
持ってるんですか!!

 
だからアメリカのものを見て、手塚さんを始めとする日本の戦後の第一期漫画ブームの直撃を受け、戦前、戦中のものも見ている。全部の違いを理解できたわけです

吉田
さっきの体験はやむにやまれずなところがありましたが、文化的な体験は?

 
昭和18年、1943年、私は5歳だったんですが、父が明石の航空飛行場でテストパイロットをやっていたので明石にいたんですけども、ある日曜日、明石の映画館で『くもとちゅうりっぷ』(※7)というミュージカルアニメ―ションが1週間だけ上映されたんです

吉田
僕はそれを美術館で一度だけ見たことがあって、うっとりするようなきれいな白黒映像ですよね

 
姉に連れて行ってもらったんですよ。それでこれを作りたいと思ったんですよ。家にも父の趣味で映写機があったから、兄と一緒に紙でフィルムを作って遊んでいたのでアニメがどうやってできるのかは知っていたんですね。手塚さんに『(『くもとちゅうりっぷ』を)どこで見たんだ?』って聞かれて、『明石で日曜日に見ました』と答えたら『俺も明石で日曜日に見た』っていうんです。同じ日同じ時間、偶然手塚さんも同じ画面を睨んでいた。すごく縁を感じましたね

 
ええええ!!!!

 
手塚さんが九州に誰も連れずに脱走してきたことがあって、僕は高井研一郎くんなんかと九州漫画研究会というのをやっていたので、手塚さんに呼ばれて手伝いに行ったことがあったんですね。そのときに手塚さんから『なんであんた『くもとちゅうりっぷ』みたいな漫画を描くんだ?』と言われて、そこで『くもとちゅうりっぷ』の話になって、『なんだ同じ日に見てるじゃないか!』とでんぐり返ったんですよ

吉田
手塚先生との邂逅も脱走の話もすごいんですけど、それよりも、先生は九州にいてもすごい作品を生み出したに違いないんですが、なぜ東京に出ていらっしゃったんですか?

 
九州の新聞社の仕事をしていたんですが、学校を卒業したらそこの嘱託になる予定だったんですね。ところが、部長さん以下編集部が全部が大阪へ栄転されたんですね。他の作家さんも引き連れて行ったのに私だけ置いてきぼりにされてしまったです。私は高校の卒業直前で、間に合わなかったんです。本当は機械工学部に進みたかったんですが、うちの家計の状況では私が働かないといけない状態で、新聞社の仕事をしようと覚悟を決めていたのに置いて行かれてしまった。1、2カ月ぐらい失業して、今度は雑誌に描いたんです。光文社の『少女』という雑誌で『黒い花びら』という作品でした。それから雑誌の連載が始まるんです。『ほらあなのひみつ』『銀の谷のマリア』といった、思春期だったんで『想い人のことを思って涙すると雪が崩れる』みたいなロマンティックなストーリーを描いていました

 
うわー少女漫画ですね

吉田
その少女漫画を、ヤマカガシをグルグル回していた少年が描いているんですか

 
思春期でしたからね。最初に影響を受けたのは『風と共に去りぬ』。スカーレット・オハラが『私は二度と飢えない』って言うでしょ。それは私も自分の言葉に置き換えて『俺は二度と飢えない』と心に誓いました。それと17歳のときに学校の帰りに見た『わが青春のマリアンヌ』。ドイツの有名な古城で絶世の美女と出会うという話です。原題は「悩ましきアルカディア」って言うんですよ。その映画で、マリアンヌ・ホルトという女優さんが演じていたんですが、あまりの美しさに影響を受けましたね。そこから『銀の谷のマリア』を着想したんです

吉田
いつ上京されるんでしょう…?

 
そうやって雑誌の連載をしていたら、『一刻も早く勇姿を現したまえ』という手紙が来たんですよ。『勇姿を現したいのはやまやまですがお金がありません。つきましては原稿料を前借りできませんでしょうか』と返事を書いたら、『来れば渡す』と連絡があったんです。なので、何もかも質屋にぶち込んで、蒸気機関車の時代ですから24時間かかるんです。鉄郎の旅立ちと一緒ですよ。駅に行ってあの通りの旅立ちをしたんです。『死んでも帰らん』と画材だけ持って上京しました

吉田
それで住んだのが本郷三丁目

――ここで本郷三丁目のジャックに動きが!

吉田
どうやらファンを見つけたようです

 
おー!!

ジャック「松本先生の作品の中で一番印象に残っているのは?
ファンの男性「戦争シリーズの中で『本当の戦争というのは映画とは違うんだ』と塹壕の中で言っているところが印象に残っています
ジャック「一番好きな作品はなんでしょうか?
ファンの男性「『わだち』が好きです
 
『わだち』か…

ジャック「せっかくなので松本先生に質問ありますか?」
ファンの男性「もしヤマトが先生の設定通りの最後を迎えていたら、最後はどうなっていたんでしょうか?」
吉田
おー、それは気になる! 先生、いかがでしょうか?

 
そうですね。自分自身の思いとしては、人は生きるために生まれてきたのだから、死ぬ物語は書きたくないんですよ。たとえ死ぬ瞬間でも前途に希望を残した物語にしたい。命あるかぎり希望を持っていたい。そういう物語を描きたいんです。音楽も私はクラシックマニアでもありますし、歌謡曲も好きなんです。頭の中ではBGMも流れていて、こういう物語をしたいというのができています

吉田
それをここで言っていただくことは…

 
物語というのは機密事項でありまして

 
うわー、聞きたい!!

 
創作というのはそのときの発想というのが大事で、ぶっちゃけるものじゃないんです

 
あんなにぶっちゃけてたのに(笑)

吉田
たぶん過去の自分は縛られちゃいけないんだと。そのときの感情が大事ってことですよね

――ここでチャイム。吉田さんはどうしても「最近のアニメ」という映像に行きたかったようだけど、スタッフに止められしょんぼり。「なら、直球で聞きます!」
吉田
今までたくさんの作品を見て来られて、最近のアニメってどう思われますか?

 
あんまりたくさんあって訳がわからないんですが、世界中の若者が目覚めてこの世界のトライしているんですよ。日本のアニメーションとか言っている場合じゃなくて、世界のアニメーションという時代が来ます。アニメーションには国境も確執もない。1つの大きな世界なんです。世界全域でがんばれるものだから皆でがんばってほしいです

【編集注】
※5 漫画家の故・藤子・F・不二雄(本名:藤本弘)と藤子不二雄Ⓐ(本名:安孫子素雄)の合作ペンネーム「藤子不二雄」に先立つ初期のペンネーム。『UTOPIA 最後の世界大戦』は2人の初の単行本。
※6 1946年に出された「公職に関する就職禁止、退職等に関する勅令」で、ある一定の階級以上の元軍人は公職に就くことができなかった。松本零士の父は、陸軍少佐だったためその対象になった。
※7 1943年に公開された国産アニメーション映画。セル(透明シート)が貴重だった時代にすべてセル画で描かれた作品。花畑を舞台にてんとう虫の少女とくもの追いかけっこが描かれている。

今日の一筆

松本先生、浜田さん、吉田さんをあっという間に描き上げてくださいました。

 
すべての経験が参考資料になるんです。今日の浜田さんとの出会いも新しい発見がありました。私はあらゆる角度から世界を見てみたいと思っているんですね。それで世界中いろいろなところに行っているんです。一番感動した場所はキリマンジャロです。『愛と哀しみの果てに』という映画の舞台になっている場所で、頂上まで登り切ったわけではありませんが、大自然を前にしていると悟りが流れこんできます。そこから外界に降りたら生まれ変わった気分になりましたね。あとは、ずっと宇宙に憧れていて宇宙から地球を見ていたいです。宇宙飛行士の毛利(衛)さんが宇宙へ行ったときには時計を託して宇宙に行ってもらいました。それに若田(光一)さんに宇宙から電話をもらったこともあります。あとは自分が行くだけなんですが…。片道切符でいいから宇宙に行ってみたいと思っています

 
どうも渋谷のメーテルです。松本先生マジでゴットでした! 吉田さんにはホームレス時代に家財道具一式を背負って押しかけたこともあり、大変お世話になっています。今は会社も作り、家もある生活をしていますよ。今日はたくさんお話が聞けて楽しかったです。また番組に呼んでください

想像力には限界はなくて、いくらでも想像力って広がるんだと思います。死ぬギリギリまでいろんなことが経験できる。大した経験しかしていない人の想像力ってあまり意味がないんだと思うんですよ。先ほど、松本先生はキリマンジャロで『悟りが流れこんできた』とおっしゃっていましたけど、僕らは悟りは開くものだと思っているんですね。でも体験した人だからそういう言葉で表現できる。想像は体験に勝てないんだなと思いました。改めてすごいと思いました。

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