がんと闘う(4)

がんと闘い、来年創作活動40周年、阿久悠。
        僕はアナログの鬼になる。
                白か黒かのデジタルより、大切なのは「灰色」の部分

1、闘病「みつかって運がいいのか」

自著「生きっぱなしの記」で腎臓がんの闘病を告白しましたが、その後の経過は?

2001年5月、うちの事務所の社長の健康を気遣って健康診断をしてもらった。ついでに僕も診てもらおうという軽い気持ちで検査を受けたら、僕のほうが「がんです」といわれた。
「見つかりにくいところだから運がいいですね」といわれたけど、がんが見つかって運がいいのか、と複雑な気持ちだった。9月に入院。
あの米中枢同時テロの9.11をもうろうとした体調の中で見ていた。一瞬。コマーシャルかなと思った。同じ場面を何度もくり返すから。そこの病院は窓から羽田から飛び立つ飛行機がよく見えた。
ビルをかすめて飛ぶ姿に、あの悪夢がよみがえって奇妙な恐怖感に駆られたのを思い出す。その8日後に手術。腎臓のひとつを摘出した。

知識欲、好奇心旺盛な阿久悠さんのこと、医学書を山のように取り寄せて猛勉強?

いや逆。ゼロ。ここが悪いと分かっていても病気ばかりはどうなるものでない。どうにかなるなら別だが、自分ではならないのだから、運命論者ではないけれども、まな板のコイ。いい医者との巡り合わせに期待するしかないと腹をくくった。

なるほど。

それにしても(病気に対して)頑張るとか頑張らないとかじゃなく(病気をすると)周辺にプレッシャーをかけてしまう。家族や仕事の関係者に。それに僕にプレッシャーとなってはね返ってくるのがつらかった。無神経に振る舞うとか、甘ったれることはできない方だから、どうすれば自然だろうかと一番不自然なことをやってしまったりした。

その間、各新聞、雑誌などの連載を1度も休まなかったのは凄い

でも、まだスタミナが不足中。何事も集中的に仕上げたい性分で、小説も2、3取り組みたいものがあるのだが、スタミナが足りない。今年はリハビリに集中して力をためようかと。年寄りぶる年齢ではないしね。

2、盟友「ショックだった3人の死」

病気をすると、変わるものですか。

テレビを見ながら腹を立てるようになった。世の中に対して、芸に対して。「こんなの、人前でやるなよ」とテレビの前で怒っている。芸能に限らず文学でも映画でもそう。新作を見ても「ア~ア!」とため息が出てくる。
全体がアマチュア化している。これでは(日本の)文化がなくなるよって。たとえば栄が1本、CDアルバム1枚なら小学生5年生でも作れる。しかし、それが文化的な水準をクリアしているかどうかは別。それが今はイコールになってしまった。厳しいチョイサー(選ぶ人)がいなまなった、ある程度売れるという裏づけがあれば通ってしまうのが現状。小説でも「18歳だけど売春しちゃいました」とか書くのは作品でも何でもない。

それにしても久世光彦さんの急逝は、阿久さんにとって上村一夫さん(劇画家)の死以来のショックだったのでは?

うん、そう。上村一夫と渋谷森久(音楽プロデューサー)と久世光彦の3人の死は特別だった。彼らとわれわれだけの隠語が通じるというか、同じ目線の高さから時代を見ていた。隠語とは歌謡曲のフレーズだったり映画の1場面だったり。

久世さんが阿久さんに対してたった1つコンプレックスを持っていた。それは久世さんも作詞家でありながら誰もが口ずさめるような大ヒット曲を書いていないこと。

久世さんは美文家でしたね。僕もたくさんの小説を書いてきたけど、一体誰がこれを読んでくれるんだろうと不安になることがある。手ごたえがない。その点、歌は出た途端にすぐにはね返ってくる。それが歌の強み、凄みだろうと思う。

大ヒット曲に出せば「天下を獲った」って気分になれるでしょう?

それが天下かどうかは知らないけれど、記録として、今までにないものを作ったという自負はあった。ところが、上村に死なれたら(86年)急にそんな自負がしぼんでしまった。人を巻き込んでワーッと大騒ぎしてやっていることに疑問が出だした。「これは売れる。やりば売れるに決まってるけど、やっちゃいけないな。幼稚園児がまねし始めたらよくないな」と思うようになった。時代に媚びることへの抵抗か、その理由は今もよく分からないけど。

3、時代「手書きの縦書きを押し通す」

久世さんは最後まで両切のピースを切れ目なく吸っていたチェーンスモーカーでした。阿久さんもラークをいつも手放さなかったけど。

1日100本吸っていた。手術のときもラークを3カートン抱えて入院した。別に医者からダメともいわれていなかった。退院した日に吸ったらうまいだろうなどと思っていたけど、結局、1本も吸わずに、そのまま縁が切れた。だけど、久世さんの葬式のときは「たばこを吸いたいなあ」と退院後初めて衝動に駆られた。吸いませんでしたが。

ところで時代は「デジタル」。何から何までデジタル化。2大政党の流れも2者択一のデジタル化の表れ。世の中、白か黒かしかないのって、それでいいんですかね?

黒でも白でもないその闇の灰色の部分があるからこそ、そこの部分を作品にしてきた。黒か白かしかなかったらどうでもいいことになる。何かの弾みでどっちかにぶれそうだとかがあるから書いてこられた。「そんなことってあるかい!」と疑問を呈しても「いえ、私がそうでした」とか「私がやったから真実です」と一方的にいわれても困るよね。デジタルにはそういう極端に走る傾向がある。僕は「アナログの鬼になる」と宣言しているんですよ。人間には、昨日とつながる今日があり、今日とつながる明日がある。1つだけポンと取り出すこと自体、不自然なこと。デジタル的発想とはそういう不自然で成り立っている。デジタル化なんて誰もリクエストしていないのに、でも流れは止められない。僕は手書きの縦書き、それも「ぺんてる」のサインペンで書くことを押し通します。

石原慎太郎さんや井上ひさしさんら多くの文化人が反対している小学生の英語必修の動きはどう思いますか?

今までの日本の社会の中に、家庭の中に丁寧語や敬語がきちんと生活習慣のようにあればいいんだけど、全くといっていいほどにない状態のままで小学生に英語教育をしてたら、ただ単に英語教育をしてたら、ただ単に国語力が低下するだけでしょう。
日本語で語るべき何ものもないのに、どう英語で語れるのか。強制することで逆に英語を嫌いになる子が増えることにもなるでしょうね。

阿久 悠(あく・ゆう)
作家・作詞家。1937年(昭和12)2月7日、兵庫・淡路島生まれ。59年、明治大学文学部卒業後、広告代理店宣弘社に勤務するかたわら副業の形で放送作家を始める。66年フリーとなり本格的な文筆業に。尾崎紀世彦「また逢う日まで」沢田研二「勝手にしやがれ」ピンクレディー「UFO」ペトロ&カプリシャス「ジョニーへの伝言」八代亜紀「舟唄」森進一「北の蛍」など手がけた曲は5000曲以上。企画・審査員として携わったテレビ番組「スター誕生」では森昌子、山口百恵、岩崎宏美、小泉今日子、中森明菜らスターを世に送り出した。小説は「瀬戸内少年野球団」など多数。97年菊池寛賞、99年紫綬褒章。



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