あなたの性生活は充実しているか?この質問に「はい」という人は、はたしてどのくらいいるのだろうか。愛し合って結婚した男女でもセックスレスになり、年に数回あるかないか、そんな話も聞く。ぼくの性生活は砂漠のような現状である。だからこそ、セックスする勇気を持って生きて行きたいと考えた結果を以下に記しておこうと思う。
セックスしない勇気
セックスする勇気があれば、反対にセックスしない勇気もある。まずはここから考えをスタートしてみよう。セックスしないとは、極端にいうと「異性と関わらない」という意味だ。引きこもりが良い例である。彼らは他者と関係しないことによって、自分の世界観を壊されることもないから、プライドが傷つくこともない。つまり彼ら引きこもりには、セックスしない勇気があると考えられる。
同じく童貞や処女もセックスしない勇気がある。初めは誰でもセックスに対して恐怖心を抱くからだ。そんな彼ら彼女らに経験者や熟練者は「大丈夫だよ」とアドバイスする。普通は年齢や回数を重ねるごとに、だんだん慣れていくものだと。もしそれでもセックス恐怖症がなくならない場合は、専門医に相談すればいいからだ。
セックスする勇気
では、本題のセックスする勇気とは何か?上の引きこもりの例で話したように、セックスしないためには異性と関わらなければ良い。これだけだ。では、セックスするためにはどうすればいいのか?答えは「異性と関わる」ということだ。それも積極的に。
こう言うと、男の中には風俗でお金を払えば、めんどくさくて煩わしい人間関係をカットして、エッチがデキるんじゃないのと思う人もいるだろう。しかしそれでは身体的な満足は得られたとしても、精神的に充実した幸福感を味わうことはできないのだ。真に幸福な人生を歩もうとすれば、お店ではない、プライベートな性の充実は避けては通れないのである。
人と関わらない限り問題は解決しない
人は他者との関り合いの中でしか、幸福を感じることはできない。小さな世界に閉じこもっていたいと、異性(同性愛者なら同性と)と関わらなければ、自分が傷つくことはない。しかし、それは真に問題が解決されたわけではないのである。積極的にとまではいかなくても、交際を断られたり、嫌われたり、ときには好かれたりしながら、徐々にでも他人との人間関係をある程度深めようとしなければ、真に充実した人生とはいえないのだ。
そう、あなたにも、ぼくにもセックスする勇気さえあれば、たとえ他人と意見や思いがぶつかっても切り抜けていくことができるのだ。彼女や彼氏、妻や旦那がいるのなら、今夜辺り「どう?」なんて誘ってみてはいかがだろうか。ぼくは…。また会おう!