はじめると続く、やめるとやめっぱなしというモメンタム
ご無沙汰しております
毎日更新を心掛けてはいるものの、8月上旬に旅行に行ったとき「旅行期間中にはブログは書かなくていいや」と考えて以来、ほぼ書くことがなくなっておりました。
しかし、下記の記事とそのコメントを見て思うところがあったので久しぶりに書きたいと思います。
書きはじめればおそらく毎日更新に戻ると思います。
問題になっている記事はそれほど問題だったか
くだんの記事を切り出してみる
上記の記事について、見出しと太字周辺を切り出すと次のようになる。
炎天下の中、赤ちゃんを連れまわす意味はあるのか?
親自身が出掛けたい(中略)その欲望って、抑えることはできないんでしょうか。
炎天下の中、大衆の中、何時間も連れまわされることは、少なくとも赤ちゃんにとって迷惑以外の何物でもない
出掛けるのはどうしても今じゃなきゃダメ?
・それって、来シーズンじゃダメなんですか?
・「どうしても赤ちゃんを連れて行かなければならない」という状況は、そう多くないように思います。
いとことの年が離れているので、高校生くらいのときにいとこ夫婦の子供の面倒を見ていた時期がある。
そのケースが例外的でなければ、泣きっぱなしなのは最初の半年くらいだけで、1年もすれば泣きっぱなしではなくなる。
今じゃなきゃダメかという視点に立つのなら、確かに今でなくてもよいように思う。
生後数か月の赤子を連れて旅行に行くような人たちを見ると、確かに「もうちょっと子育てに専念したほうがいいんじゃないの」と思うこともある。
“ベイビーハラスメント”について
・常識的な人だって、静かにゆっくりしたいときに、隣で赤ちゃんに泣き喚かれたらうるさいはずです。
・泣き喚く赤ちゃんを放ったらかしにして、周りに鳴き声をまき散らすのは、もはや「ベイビーハラスメント」と呼んでいい
さて、こちらはどうだろうか。
私は、静かにゆっくりしたいときには自宅にいるタイプなので、この主張にはあまり共感できない。
あとは「静かにゆっくりしたいとき」にこの人がどこにいるのかによるとは思う。
ベイビーハラスメントはわきまえない親の方に問題がある
・楽しみにしてた立川談志の落語を、隣に座った赤ちゃんのせいで集中できず、ぶち壊しにされています。
・ベイビーハラスメントは、赤ちゃんの問題ではなく、わきまえていない親の問題なのです。
事実として、電車内で泣いている赤子をほったらかしてスマホでパズドラをやっているような親もいる。
「わきまえていない親」が何を指しているのがよくわからないが、親側に何らかの問題があるケースは少なくないように思える。
筆者の主張に問題があるか
全体的に「親の都合で出かけるのは我慢すべき。子供の都合で出かけるのは仕方がない。」という文章になっている。
赤子が泣くことについては「泣くのは仕方がないから、泣いたときは少し人の少ないところに移動しろ。」という書き方である。
冷静になって読めば、それほどおかしな文章ではないと思う。
少なくとも、はてなブックマークのコメント欄で我を忘れて指摘したくなるような内容には見えない。
どこがおかしいのか
しかしながら、一部には確かに常識を疑う部分もある。
はっきり言って、私は、移動時間にゆっくりしたいのに、赤ちゃんが泣き喚かれたら迷惑です。
この前も、海外旅行に行った友人から、「前の席の赤ちゃんが泣き続けるから、飛行機の中で全然寝れなかったよ」という話を聞き、同情しました。
このあたりには賛同できない。
要するに「泣くのがうるさいから乳児の親はタクシーを使え」というような言い方だが、それは逆で、「泣くのがうるさいから、私はタクシーを使います」のほうが自然だ。
こういった端々に見える「泣き声がうるさくて迷惑」という思想には、確かに問題がありそうだ。
批判と賛同があるときには、批判を口に出したくなる
とてもあいまいだが、心理学の本だったか何かに、人間は「Yes」よりも「No」という単語に強く反応を示すと書いてあった。
否定的な挙動に対する反応が、肯定的な挙動に対する反応よりも極めて大きいのだ。
割合でいえば、上の記事は「まっとうな主張9割:怪しい主張1割」といった比率だ。
ニュートラルな意見を言い方をするのなら「一部おかしい点もあるが、大まかには理解できる」といった表現になるはずだと思う。
しかし、くだんの記事のはてなブックマークのコメントを見ていると、ほぼ純粋な反論ばかりだ。
おそらく、人間という生き物は、賛成できる部分と反対の部分があったときに反対を口に出したいものなのだろう。
実際、私もこうして記事を書いているのは「はてなブックマークのコメントは偏りすぎじゃないか?」というある種の反対意見があったからだ。
重要なのは、賛成部分をしっかりと受け止めたうえで反対意見を表明すべきであって、とりあえず反対の部分について否定をするような言い方はすべきでないということである。
思考停止して、条件反射的に反対意見を述べるのが良いとは思えない。
最後に、私のポジションを書く
誤解がないように言っておくが、私は外出時に「泣き声がうるせえなあ」と思うようなことはない。
もっとも、私があまり外に出ないからという点と、外に出るときは比較的高価格帯の店・場所にしか行かないという背景は明記しておくべきかもしれない。
電車もそれほど頻繁には使わないので、赤子との遭遇率は低い。
しかし、乳児をほったらかしてスマホゲームをやっている母親や、明らかに子供とは無関係な娯楽のために乳児を連れまわしている親を見かけるのは事実である。
こうした一部の無責任な親のために、「乳児の親」という概念が批判されるのは避けるべきではなかろうか。
そして、同じように「一部の無責任な親」に対しては、しっかりと批判していくべきではないだろうか。