松江さんはドキュメンタリー監督の代表格として知られる人で、様々なメディアで「ドキュメンタリー」について語ってきた。マイノリティの立場から発言する文化人として認識する人も多いと思う。
そんな松江さんの代表作『童貞。をプロデュース』撮影中に性的暴行を受けたこと、実はドキュメンタリーではなくフィクションであることを告発したのが、「プロデュースされた童貞」の一人である加賀さんだ。
部外者である私たち観客には、この事件の背景にある真実はわからない。唯一わかることは、加賀さんは一方的な主潮をし、松江さんは黙秘したということだけだ。
その真実や作品そのものについては語るべき人がたくさんいるだろうから、この事件が持つ「ふたつの問題」との関連性をまとめる。これは単に「舞台挨拶という公の場で、著名人が下半身むき出しの男にフェラチオを強要した」おもしろ事件ではない。
ひとつは昨今のAV出演強要問題である。この記事での川奈まり子氏と中村淳彦氏の証言によれば、松江さんがAV業界にいた頃には既に出演強要は横行していて、2004年まで路上スカウトが合法だったという。
AV出演強要問題、この15年で業界は驚くほどホワイトになった | JAPAN Another Face | ダイヤモンド・オンライン
吉田豪氏の記事によると、元女優の穂花氏はこんな体験をした。
「AV時代、どうしても忘れることができない、許すことができないエピソードがひとつある。それは結果として私がAVの世界でナンバーワンを目指すきっかけにもなった事件でもあったし、人に対しての信用や距離感を改めて考え直すことになった出来事でもあった。ある、同業者の女優さん、そして彼女の周囲の大人たちがグルになって私を騙したあの事件......。事務所を移籍する、しないで彼女の優しい言葉に甘え、信じきってしまった......でも......それは初めから仕組まれたことだった。『事務所をやめる意志がバレた以上、家に帰れば拉致されるぞ』。そう言って、私はマンションらしき一室に連れていかれた。こういうのを『拉致』『監禁』って言うんだろうか」
その同業者の女優に何度電話してもつながらなかったことで、彼女はようやく騙されていたことに気付いたらしいんですけど、これでもAV出演強要みたいなものは存在しない、クリーンな業界なんですかね? 2人とも、ここまで有名になったから「実は騙されてデビューしました」と言えるようになっただけで、立場的に本当のことを言えずにいる人も多いんじゃないのかなあ、と。
穂花氏が監禁された部屋に大人が何人いたのかはわからないが、加賀さんの主潮によれば、『童貞。をプロデュース』の制作現場でもこのような事が起きていた。
現場では無理矢理言わされていたが「AVは汚い」なんて僕は全然思っていないし、「女性器を見たことがない」というのも嘘だ。
というのも、僕はしばらくの間AVの仕事でご飯を食べていたし、その結果、色々な女性器を嫌というほど見てきたワケだし。
再三に渡って出演をお断りしたにも関わらずゴリ押しされた挙句、2部の冒頭では僕をステレオタイプな悪役に仕立てる為に、監督の連れて来た見知らぬ女性と並ばされて、あたかも僕が童貞を喪失してヤリチンになったかのような画を撮られた、というのも隠された事実だ。
それに、初対面の人たちの視線の中、パワハラ的な状況下で恫喝され性暴力を受けた結果、好きな女性への告白を決意するなんて、そんなアホな話ある筈がない。
告白シーンも嘘。ただのヤラセだ。
確かに、カンパニー松尾さんの「迷惑はかけるものだ」という言葉は説得力があって、実に良い言葉だと思う。
しかし、実際のところ迷惑をかけていたのは僕ではなく、監督の松江さんに他ならない。
僕は松江さんの顔をたてる為に、わざとああいう風な言い方をしたのであって、僕と松江さんとの間の話で言えばそれは全く別な話だ。
「取材に行くだけで何もしない」と嘘をついて僕を連れてきたのは松江さんなワケだし、土壇場で僕が拒否したところで、そのケツを持つのは松江さんというのが本来の筋だろう。そこを履き違えてもらっては困る。
本当のヘタレはどっちなんだ?
いくら大の男だといっても、密室で知らない大人に囲まれた非常にアウェーな空気の中で、苛立ちをあらわに「早くしろよ!」と恫喝され、パワハラ的な状況下に追い込まれたらどうか?
あれを暴力でなかったと言い切れるのか?
人として卑怯な行為ではないのか?
それをコミックリリーフとして使うその神経が僕には理解出来ない。
まー、イジメる側の人間にはイジメられる側の気持ちなんてわかんねぇんだろーけど。あれは、一方的な価値観の押し付け以外の何ものでもない。
被フェラチオを強要された加賀さんは、性的暴行を受けただけではなく精神的苦痛を味わった、という、舞台上でもちんこを丸出しにしながら松江さんに繰り返していた主潮だ。
バッキー事件やV&Rプランニングのマジキチ作品(鈴鹿イチロー追悼作品など)が映し出していた光景が作品の裏にあったのだとしたら、この作品を見る観客の目は大きく変わってしまうだろう。そもそも、「童貞をプロデュースするドキュメンタリー」という作品の根幹が成立しなくなってしまう。いくら監督自身が登場人物に干渉するのが作家性とはいえ、犯罪行為が行われていたとなると話は違ってくるだろう。
もうひとつは、去年、ベルナルド・ベルトルッチの名作『ラストタンゴ・イン・パリ』のレイプシーンが本物だったのではないかという疑惑が持ち上がった件だ。
映画 「ラスト・タンゴ・イン・パリ」の暴行場面めぐる非難に監督反論 - BBCニュース
記事によれば、主演のマリア・シュナイダーはレイプシーンの詳細を聞いておらず、同意を得ていなかったと監督自らが語った。シュナイダーは
実際の性交はなかったものの、場面は脚本になかったため、撮影は「屈辱的」で、「マーロンとベルトルッチの両方に少し強姦されたような気分だった」と話していた。またシュナイダーさんは、自分が後に薬物依存症となり自殺未遂を繰り返したのは、この映画でいきなり世界的な注目を浴びたせいだと述べていた。
さらに2013年のインタビューで監督は、シュナイダーさんはその結果「その後一生、僕を憎んでいた」と認めた。
ベルトルッチは、打ち合わせをしなかった理由について、
演技ではなく本物の「屈辱」を表現してもらいたかったからだ
と主張し、以下のように弁明している。
「ある意味でマリアにひどいことをした。何がどうなるか言わなかったので。なぜかというと、女優ではなく女の子としての反応が欲しかったからだ」と話し、「罪の意識は感じる」ものの撮影手法について「後悔はしていない」と述べた。
加賀さんの主潮から、『童貞。をプロデュース』の撮影現場でもこのような事態が起きていたと思われる。『ラストタンゴ・イン・パリ』におけるベルトルッチとシュナイダーの関係は、『童貞。をプロデュース』における松江さんと加賀さんの関係に酷似している。「映画の撮影」という特殊な状況のもとで、個人の尊厳は「おもしろさ至上主義」に押しつぶされたのである。
このように、ふたつの大きな問題があり、舞台挨拶があった。そこで繰り広げられたスリリングなやり取りは想像以上に重たいものだったのだ。
松江さんは舞台挨拶以降沈黙を続けている。とても苦しい立場に追いやられ、下手に発言できないのだろう。私には彼がどのように立ち回っても昨日までのステータスには戻れない気がする。沈黙を貫いても、突っぱねても、しゃぶっても…。以下のような認識を持ってしまった人にはどのように見えるだろう。
個人的には、舞台上で大人の対応を取ってしまったことがすべてだと思う。加賀さんは「許すためにケンカしに来た」のであり、それを跳ね除けたのは明らかに悪手だった。若手映画人の代表的存在であり、Twitterを中心にクリーンなイメージを作り上げてきた松江さんにとって、沈黙を破るツイートは重大な意味を持つ。