立神神社(たてがみじんじゃ)の御神体
馬追川河口に鎮座する立神神社 本殿の窓から御神体である立神岩が見える
本殿の奥の窓からまっすぐに見える立神岩
地元の氏子の方に特別に開けてもらいました
枕崎市の立神神社(たてがみじんじゃ)は、馬追川河口にあって、市街地から火之神公園に行く途中の左手に見えます。
枕崎市誌によると、次のような由来があるようです。
元々枕崎市西鹿篭田畑集落の海岸近くの小丘にあったが、明治42年、南方神社に併合され廃社となった。
(現在は造成されてこの丘はない)
その後、集落民は同地に天神を祀って今日に至っている。
社(やしろ)は最初木造であったが、昭和40年頃、現在の鉄筋コンクリートで造営した。
南方神社に併合前の神社は、次のとおりである。
社格 無社格
祭神 速秋津比古神(はやあきつひこのかみ)・速秋津比売神(はやあきつひめのかみ)
位置 西鹿篭4072番地(田畑集落・馬追川左岸丘上)
境内 官有地第一種 五畝三歩
本殿 平木葺 二坪二合五勺
枕崎市誌より
以前の祭神であった、速秋津比古神(はやあきつひこのかみ)と速秋津比売神(はやあきつひめのかみ)は、大綿津見神(おおわたつみのかみ)と共に「綿津見三神」と言い、海の神として祭られることが多いですが、現在の祭神である「天神」は菅原道真と結びついた「火雷天神」という地主神であります。
普通、神社には鳥居があって、拝殿があり、その奥に御神体が納められている本殿があるのですが、立神神社には本殿しかなく、本殿の奥の窓から立神岩がまっすぐに見えるのです。
枕崎市には、山幸彦が無くした釣り針を探しにたどり着いたという山幸伝説があります。
(詳しくは shusenのホームページ参照)
→ 鹿篭という地名の由来(前編)
山幸彦は、火遠理命(ほおりのみこと)と言い、別名を「火之神」と呼ばれ、枕崎にたどり着いた場所も火之神と呼ばれています。
現在の祭神とされる「天神」も、火之神と結びついた「火雷天神」として祭られたのではないでしょうか。
火之神地区にある立神岩も地元の人々にとって神聖な信仰対象であることから、地元の人々は立神岩を立神神社の御神体としたと思えるのです。
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