ツービートの古いジョークに:
・道に犬のうんこが落ちていて
・近寄ってよくみたらやっぱりうんこで
・匂いを嗅いでみたら本当にうんこで
・なめたらやっぱりうんこだった
というものがあった気がする。調べてないからツービートのジョークではないかもしれないけど。
このジョークを聞いてバカだなぁと人は笑うんだけど、同じような行動を取っていることもある。
一つの例をあげるとすれば...
・彼女ができたものの、相手の気持ちが気になりすぎて、
・拘束したり、卑屈なギコチナイ行動が多くなり、
・そんな自分から彼女が離れて行くと、
・やっぱりオレはモテない、と確認する。
これが、ツービートのジョークよりもひどいのは、せっかくできた「恋愛関係」を自分で「犬のうんこ」にしてしまうことだ。
似たようなことは、日常の生活の中でもたくさんある。
何かの記念日にケーキを買ってきたとする。自宅に帰ってみると、家族の誰かもケーキを買ってきていた。ここで二つの道が開ける。
・「ダメじゃない!ケーキ買ってくるならひとことラインで教えてよ。無駄なお金使っちゃたし、ケーキ食べきれないからもったいないでしょ!」
この道は不幸へと続く道だ。
・「ぐうぜん同じ考えになって、ちょっと失敗しちゃったね、あはははは!」
この道は、少なくとも不幸には続かない。
無駄になったケーキの代金の数千円、それは不幸でも厄災でもない。それをなじることがそんなに大切なことなのか?
ケーキを食べることが目的ではない。二人で笑顔になることが目的なのだ。ケーキは手段なんですよ。
幸せに、笑顔になりたくて、ほほえんでもらいたくてぼくたちは暮らしている
でも、それがうまくいかないことはある。失敗しちゃったり、あるいは相手が自分の期待通り動いてくれなかったりと。
ささいな「正しさ」、自分で思い込んだ「あるべき姿」それに拘泥して、それが叶わなかったことを重要視するのか。
それとも、そんな小さな「正義」や「信念」にとらわれず、笑顔を創造するのか。
どっちを選ぶか?
ぼくはどちらを選んだこともある。これからもどちらも選ぶことがあるんだと思う。
ただしこうも思う。
不幸を確認すると不幸になるんだよ。
ほら、テレビの子供向けの怪談番組では、お化けが出るんじゃないかなって思うところでお化けが出るじゃん?ヽ(´▽`)/
© 旅芸人・tavigayninh・朽木鴻次郎
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