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21世紀への選択 『法華経』の教えは「多様性讃歌」 P103  投稿します。

 投稿者:赤胴鈴之助
 投稿日:2017年 8月26日(土)03時36分35秒 編集済
21世紀への選択 『法華経』の教えは「多様性讃歌」 P103  投稿します。
*、池田
・・・良識の声は無視され、危険な国家主義が広がりつつあります。

・・・『法華経』は、さまざまな多様性が花開く豊饒の時代の到来を、そしてそのための献身

を、私たちに呼びかけているといえるでしょう。

*、テヘラニアン

・・・国民の支持を得るために、経済的には自由主義を標榜する・・この現象を「笑顔のファシズム」

・・・「トルコ人とヒンズー人はしばしば同じ言語を話す。

 同時に二人のトルコ人が互いに見知らぬ存在であることもよくある。

心の言語はかくて特別なものとなりうる。

共感の言語は舌による言葉よりも優れているのだ」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日本の安倍首相は、戦前回帰・神道礼賛を目指して、日本人は優秀だと言いたいのです。

池田先生の言葉・・・それは危険な国家主義の入り口になります。

アメリカファーストのトランプ大統領も白人至上主義の馬脚を現しました。

世界人類を敵にする、差別主義者です。

ロシアのプーチン大統領も「危険な国家主義」独裁者への道を歩んでいます。

テヘラニアン博士は、この状況を【「笑顔のファシズム」】と表現されました。

本当に危険なのは北朝鮮だけではありません、イギリスのEU離脱もこの流れなのです。

我が国ファーストは、移民や難民、経済的弱者を見殺しにして、自国のみの平和、経済繁栄と言う

グローバル化の反対へ行こうとしています。

その解決法は、『法華経』の教えは「多様性讃歌」と池田先生は喝破されています。

そして、【『法華経』は、さまざまな多様性が花開く豊饒の時代の到来を、そしてそのための

献身を、私たちに呼びかけているといえるでしょう。】

社会的弱者、貧困層の教育を為政者が行わなければ、テロも決してなくなりません。

若い少年少女がイスラムの教えを知らずに「「アッラー・アクバル」と叫びながらテロ行為に走っています。

これほど悲惨なことがありますでしょうか・・・。南無妙法蓮華経

以上 鈴之助
 

『法華経』の教えは「多様性讃歌」 P103

 投稿者:赤胴鈴之助
 投稿日:2017年 8月26日(土)03時30分1秒
『法華経』の教えは「多様性讃歌」 P103

池田
 そのとおりです。良識の声は無視され、危険な国家主義が広がりつつあります。

テヘラニアン
 超近代的な社会は、トクヴィルがいみじくも「多数者の横暴」と名づけた

圧制に対し、あまりにも無防備になっています。

世界の各地で、民主主義の名の下に独裁的な政権がしだいに幅を利かせつつあります。

 この種の新政権は、新保守主義を装いながら、自己の特別な利益を損なうことなく国民

の支持を得るために、経済的には自由主義を標榜する・・・この現象を「笑顔のファシズム」

と呼ぶ人もいます。

池田
 この種の新しい権力は国民に、世俗的な欲望の満足と、悩める他者への無関心を与

えます。

それは、他者に奉仕するという宗教的信条を軽視する態度にも、つながっていきます。

テヘラニアン
 この新しい「暗黒時代」に希望はあるのか。私はあると信じています。

なぜなら、SGIのように、「他者」をどこまでも包みこんでゆこうとする宗教運動や、

非宗教的な運動が厳然と存在するからです。

 それこそが、希望の存在です。

 世界の動向がグローバル化することによって、対話の際に、お互いの相違をめぐって

交渉し合う前に、まず共通のものをよく認め合うことから始める、「理論と実践」として

の「普遍主義」が必要とされています。

抽象的な普遍原理から始まった十八世紀ヨーロッパの啓蒙運動とは違って、この新しい

普遍主義は、人間の多様性を認め、礼讃するものです。

 死は一様ですが、生は多様です。

 ですから、新しい時代への私のモットーは、有名なフランス人のモットーと同じ

"Vive La difference!(ヴイヴラデイフエランス・多様性万歳!)"です。

池田
  旧いタイプの普遍主義が実は画一主義であったことを、私たちは、二十世紀に、い

やというほど体験しました。

 翻って大乗仏教の精髄である『法華経』の後半部には、さまざまな菩薩が登場します。

知性の人、献身の人、歌のうまい人、他者を尊敬することを信仰実践とする人・・・等々。

『法華経』は、さまざまな多様性が花開く豊饒の時代の到来を、そしてそのための献身

を、私たちに呼びかけているといえるでしょう。

人間も、民族も、国家も、それぞれの個性を認め合い、生かしながら「共生」してい

くことを促しているのです。

テヘラニアン
 そうですね。『法華経』の教えこそ、まさに「多様性讃歌」といえるもの

かもしれません。

 実はルーミーの作品のなかに、宗教上の信仰における多様性と倫理上の相違点に触れた

同様の詩的な讃歌といえるものがあるのです。

 彼はこう述べています。

「トルコ人とヒンズー人はしばしば同じ言語を話す。

 同時に二人のトルコ人が互いに見知らぬ存在であることもよくある。

心の言語はかくて特別なものとなりうる。

共感の言語は舌による言葉よりも優れているのだ」
 

同盟題目

 投稿者:
 投稿日:2017年 8月26日(土)00時03分0秒
今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
純情で素朴な会員さん達が嘘、噂、査問で
黄金で目が汚れた
原田会長、副会長、弁護士、職員にイジメられません様に
御題目をおくりました
ありがとうございました
おやすみなさい
 

絶望と希望__

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール
 投稿日:2017年 8月25日(金)23時35分7秒 編集済
34歳、パレスチナの4人の子供を持った母親、5人目をお腹に抱え・・

エルサレムでイスラエル軍に連れ去られ・・

我らには未だ、ここまでの迫害や試練はない・・

世界広布は死闘・・革命は死なりとは師匠・・

南米浮かれ指導?旅行中の原田会長は革命家、それとも破壊魔?

皆様、どう思われますか・・
 

同盟題目は23時より!

 投稿者:信濃町の人びと
 投稿日:2017年 8月25日(金)22時56分54秒
よろしくお願い致します。

池田先生、奥様
お二人のご健康、ご長寿を今日も祈ります。
 

「体験」の誇示を超えて

 投稿者:小作人@地上の発心
 投稿日:2017年 8月25日(金)21時48分11秒
誰かに見せつけるのを意識した「幸福」は、はかない。

功徳の体験を誇示することが自身の「正しさ」を立証すると捉えているうちは、
功徳クレクレ福運ツケツケの乞食信心に大勢の人々を導く愚を犯す危険を孕む。

ありったけの悲憤慷慨に身を震わす者こそが「民衆の幸福」を希求することが出来る。
そこには「批判のための批判」は微塵も存せず、分け隔てなく他者を慈しむ眼差しがあるだけだ。

 日蓮は・なかねども・なみだひまなし

ちまちました功徳や福運に幻惑されて、自己完結の小善生活に安住するや否や。。
「私はこの信心で幸せになりました」と確信を掴んだからこそ、より一層、
この世界を覆う不条理、隠蔽される不都合な真実に鋭い視線を向けていかねばならぬ。
怒りを胸に、ありったけの悲憤慷慨に身を震わさねば一生成仏は叶わぬ。

そして、信仰を異にする人、題目一遍唱えることなく生涯を終えようとする人に対しても、
その生き方を尊重し、共に手を携え、この世の不義悪行に立ち向かう度量があるやなしや。。

ジキホーガキどもを相手にこれ見よがしに誇示する「体験」は不要。
池田思想の普遍化に邁進する我等は、どだい彼らとは戦うフィールドが違うのだ。

内向きの論理で内輪でしか通じない言葉が飛び交う「箱庭」を離れ、
創価学会員という属性そのものから一旦自分を解き放ち、
広々と世界を俯瞰する行程の中で、自立した信仰者としての立脚点を見つけ出そう。。


 

twitterより。創価学会の反戦平和運動をドブに捨てた執行部。

 投稿者:ツイート人
 投稿日:2017年 8月25日(金)21時45分15秒
創価学会は過去、日本各地の空襲に関する証言を集めるなどしてたくさんの反戦平和に関する刊行物を作ってきた。僕の母も戦争体験証言の収集に少し関わっていた。今の創価学会執行部はそれらの事績をすべてドブに捨てたのだ。  

一言児さんへ

 投稿者:のび太
 投稿日:2017年 8月25日(金)21時41分4秒
一体どのご本尊? 判りやすい表現ですね(笑)
反宿の論客のなかで海さんというひとがこのようなことを言っていました。

「日顕がいなくなったとき、大石寺の僧侶がもみ手で創価学会ににじり寄ってきたとき、大石寺に創価学会が再び復帰するような教学的余地(戒壇本尊信仰)を残してしまうところが、このレポートで最大に警戒を要するところであると思います。」

https://sgihiho.wordpress.com/2015/07/12/%e6%95%99%e5%ad%a6%e9%83%a8%e3%83%ac%e3%83%9d%e3%83%bc%e3%83%88%e3%81%ae%e6%ad%a3%e4%bd%93/

現在の教学部も創価教学を確立するための過渡期を歩んでいる。
また、こちらの板も弘安二年に随順するのか?新しい教学を指向するのか、人によって見解はことなる。堅樹院の教学的解釈を都合のよいところだけ拝借して展開しても仕方がないと思う。
 

ROM専 ですが

 投稿者:あの時と同じ
 投稿日:2017年 8月25日(金)21時40分5秒
日蓮仏法2.0氏の「凡夫即身成仏論」を支持します。
「凡夫即身成仏論 SGIのための日蓮仏法2.0」を読みました。暗愚な自分には、かなり難解であり、日蓮正宗教学、そして、学会教学にどっぷりつかって育ったせいか、かなり抵抗感がありました。しかし、特にここ数日の間の皆様の、熱く深い議論に、「ここには本物の求道者がいる」との実感が深まってきました。また、皆さんは、とても紳士的で、どんなに反対意見が出されても、誠実に受け答えをされていることに、驚きを禁じえません。正直に言うと、「凡夫成仏論」の理解は十分ではありません。しかし、日蓮久遠成仏論が、日蓮正宗の殿下の宝刀となりさがり、権威主義に落ちていき、現在の学会も、教学的に「独立」したことを根拠に新たな権威主義になるのではないかと、危惧していました。したがって、「凡夫即身成仏論」こそ、大聖人様、そして、3代の会長、なかんずく池田先生の本意であると確信します。ただ、浅学の上、暗愚な自分の考えが正しいと言うつもりはありません。しかし、これを機会に愚直に研鑽していこうと思います。皆様に心から感謝いたします。
 今後も、この板が誠実で真摯な研鑽の場となることを願いながら、投稿させていただきます。
 

釈迦と大聖人、組織の権威・権力とは?

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール
 投稿日:2017年 8月25日(金)20時19分37秒 編集済
赤胴鈴之助様

欧州では今の所、釈迦(ゴーダマブッダ)は仏教の創始者としての理解だけで本仏としての

認識・説明はなされていません。

また、日蓮仏法2.0様もそうは主張はされておらず、大聖人が末法の教主とされていると思います。

宗門、古代日蓮正宗教学はいまだ、日蓮大聖人こそ、久遠仏であり。

それを正しく継承している大石寺のみ、それを流通する資格があり、信徒は僧侶に

従え崇めと・・大聖人と我々の間に入ってしまっていますね。

さて、皆様、今の創価ではいかがでしょうか?

創価のみ正き信心、血脈がある。だから、その組織の幹部、会長は偉い

となっていないか、つまり、権威・権力出所の問題となる・・

しかし、それはなんの権威・権力でしょうか?

御本尊認定力?・・愛人同伴、指導旅行権利? 幹部認定力?

幹部はなんの権威・権力があるのでしょうね?

従わないメンバーに対し罰を出す力? 功徳を受けさせる力?

この基本的な部分、大きな問いかけをする必要があると思います。


日蓮仏法2.0様は大聖人の願い、出世の本懐は民衆仏法の流布・・

凡夫が即身成仏できる方途・修行方法を示されたのであり、どこかに権力が集中し、崇める様な

あり方に疑問を持たれ、探求されたと思います。それは、池田先生の言わんとされているところを

違う言葉で表現されていると思います。

本日のクリアスカイ様の意見、つまり、私どもが胸につかえている点を

書いてくださった。そして、日蓮仏法2.0様が答えて下さいました。

私も、ずーっと、思考してきて、最近、理解しかけていた日蓮仏法2.0を改めて確認できたわけです。

日本の慣習と長年、日本で受けた訓練と教学で過ごしてきましたので、

違う観点からの見方には、やはり、大きな抵抗があったわけであり、

また、完全に・・とはいきませんけれど・・・反作用なんでしょう・・

しかし、日蓮仏法2.0様の観点、見方は今後の広宣流布の観点から見て、

正鵠を得ているのではないかと思うのです。

大聖人の仏法は人間の仏法であり、凡夫のための教え・修行方法・宿命転換の方途を教えたもの。

そこを先生はおっしゃられていると思います。

日蓮仏法2.0様は、それを、違う表現の仕方でなされ、そこに、科学的分析、実証を持って

より、多くの民衆に興味を抱かせられる方途を取られていると思います。

また、本人も実践されています。

この点は学問の世界だけで?大聖人を論じる何処かの教授とは違っています。

かの教授が狙っている釈迦こそ本仏とする、これも、民衆仏法から大きく離れた仏の神格化・

また、なぜ、諸天善神論は海外では受けいられないと言っているか、理解できません。

私も約20年間、海外の戦いで法を教え、伝えてきましたが諸天善神のことは喜ぶ人こそいて

不審に言う人は誰もいません。

ましてや、キリスト教においても多くの神は存在し、いろんな地域、国にもそこの神がいます。

諸天善神論は論理的であり、自然科学を否定するものでもありません。
 

いったいどのご本尊?

 投稿者:一言児
 投稿日:2017年 8月25日(金)19時47分16秒
 任用試験特集の大白、「ご本尊根本」こそ正しい信心の項目で「この曼荼羅、よくよく信ぜさせ給うべし。~」と説明に勢い。しかし、日興上人の「即ちご自筆の本尊(大聖人ご自身が認められたご本尊)これなり」も紹介。かっての弘安2年本尊が中心の表現を欠くと、学会のは一体どの本尊か、説明要る。ウチのは縁切れた大石寺のご自筆の写し?造りものの板本尊の模写です、大誓堂もその写しです、とか答えますか。寺旧来思考から脱せられなかったのがA谷H田5.6代執行部の内向き権威型でした。この板も教学力高き方が沢山おられますが、ご本尊扱いの過ち外すと、迷路に入ってしまう、と訴えたい。私めは直筆写しを明確にして何体かとの連携ワーク!党でっせ。学会がこのまま大石寺系写しの拡大運動は醒めた者にはとても恥ずかしい。  

お伽噺やお花畑の話!

 投稿者:螺髪
 投稿日:2017年 8月25日(金)19時44分40秒
 もう“お伽噺”や“お花畑”的な指導は、即刻、やめにすべきでしょう。うつ病など、精神的病いを人を増やしてしまうだけです。「万が一」のサクセスストーリー(成功体験)は、「発奮」や「求道」のきっかとして有益だとしても、それが当たり前のような“指導性”にしたり、まして、人に“強要”するに至ってしまっては、百害あって一利なしです。無用な錯覚に陥って真面目な人がかわいそうです。青年たちはついて来ません。

 おおよそ人のあり様は、千差万別、多種多様が大前提であって、似通ったものはあっても、同じものはないというのが「一念三千」の法理です。「こうなる!」とその人が決めるのは“自然”な行為であっても、「こうなれ!」と人に言うのは“強要”です。“他化自在天”です。持ち合わせた「心」も違うし、「福徳」も違うというのが生命の実相です。それを一つの「型」にはめ込み、一人が感じる固定観念だけで引っ張っていこうとするのは、良くないというより、危険です。

 どの人もサクセスストーリーでありたいし、それを目指すのは貴いことです。だが他者の成功体験はどこまでも他者の成功体験です。万人のものではありません。そこに向けた「発奮」や「求道心」だけが“波動”となって人に伝わるだけでしかありません。どこまでも「妙法」は「己心の法」です。「心」も違う、「福徳」も違う、まして周囲の「環境」も違う人々が、同じ事を行って、同じ結果になるということはない。草創期から強調されてきたのはその根幹の「発奮」や「求道心」の「信心」ですし、同志を護る「慈愛」です。どうなったら「金が儲かるか」的な「策」や「方法」ではなかったはずです。

 それが、「こうしたらこうなった」「こうすれば○○ができる」というような“お伽噺”や“お花畑”的な話があまりにも多過ぎます。ありもしない事実を脚色するなど、もってのほかの悪行です。また、「喜捨(きしゃ)」する「徳」も、「喜捨の徳」がその人にあるからこそ、「徳」が跳ね返ってくると見るべきです。「功徳、功徳」と追っかける「欲」に「徳」は舞い戻ってくるものではないというわけです。「喜び」が「喜び」を呼びます。

 他者は、自身の「発奮」や「求道」を促す「縁」に過ぎません。「振動」が「振動」を呼ぶということです。それを「共感」や「共鳴」というのでしょう。何か、特定の「行動パターン」を引き出そうとするかのように、「型」にはめた“御説教”はもうたくさんだということです。真面目な活動家は、もう見透かしてどんどん第一線から身を引いていっていますし、男女の青年はもう見向きもしなくなってきています。

 これで、「八割は残る」なんて、それこそ“お伽噺”や“お花畑”です。第一次宗門問題、第二次宗門問題でみんなが残ったのも、池田先生が陣頭指揮だったからです。



 

「凡夫即身成仏論」に支持に対する御礼

 投稿者:日蓮仏法2.0メール
 投稿日:2017年 8月25日(金)18時08分4秒 編集済
「凡夫即身成仏論」を支持  投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 8月25日(金)17時11分50秒

鈴之助さんは確かに頑固者で、私は正直言って何度も絶望状態に陥りました。
それだけに嬉しいです。

でも、誠意があって真摯で心の優しい方だと思う文章が散見されていたので、
いつかは分かってくれるかも、というかすかな希望を抱いていました。
同志ですので、真摯に対話を重ねていけば、互いに必ず理解し合えるわけです。

鈴之助さんをはじめ多くの方にとって、これまで何十年も信じていたことを否定されるのはつらいです。
その気持ちは十分理解しているつもりです。

SGには両面(本当はもっとたくさんの面がありあすが)あるので、もう一つ別の面も考慮しましょう、
今後はこちらの世界に開かれた在家仏教の面を全面的に押し出していくということです。
重点のシフトです。

海外ではやはり、釈迦仏教からの系譜としても法華経の伝統的な系列としても、
成仏の法を表にするのが正論でしょう。

日蓮久遠本仏論は神話の世界ですし、因習深く、宗教臭いです。
現代はもっとスマートに、人間主義の自己実現型成仏観がスッキリします。

でも、これはエゴイズムを増長するためではなく、先生の言う小我に対する大我とか、
まさに宇宙生命とか宇宙意識とかを薫発して、大きくダイナミックに、かつ自分も幸せになり、
人も幸せに導いていく生き方です。

これからも応援、よろしくお願い致します。
 

「凡夫即身成仏論」を支持

 投稿者:赤胴鈴之助
 投稿日:2017年 8月25日(金)17時11分50秒
生涯&広布一筋兄弟 様が日蓮仏法2.0氏の「凡夫即身成仏論」を支持を表明されました。

海外を飛び回る同志は、日蓮本仏論では説得に限界があることを、身で実践で知っておられるからでしょう。

鬼に金棒とはこのことです。

日蓮仏法2.0氏がいかに紳士であるか、真摯(^_-)-☆・・・に、私、頑固者に対して、説得を試みられたこ
とは嬉しかったです。

日寛上人の教学で学んだ者に対して、読みやすく改行され、分かりやすい言葉を選びされたことは、私と
しては「凡夫即身成仏論」は試論として認めてよいと判断しました。

日蓮本仏論を外国の識者にもし説いたらどのような反応が有るか、聞きたい所です。

EUでは、仏教は釈迦が本仏で、法華経は説いていないと言うのが常識なのでしょうか・・・?

私は、外国の仏教学者を「凡夫即身成仏論」で説得できる方は、他に代わる人は居ないと思っています。

これからも、無知な庶民を見捨てずに分かりやすく論陣を張ってください。

SGのほとんどの中堅幹部は、五重の相対を正確に理解できていないことを残念に思っています。

長年、任用試験の受験担当や教学支部責を務めてきて、教学の無さに危機感を持っています。

しかし彼らがSGの主力部隊です、これらの人に狂学が浸透しないようにしなければなりません。
 

先生の勇姿。

 投稿者:コンペー
 投稿日:2017年 8月25日(金)15時59分17秒
今日の先生の随筆。
勇気を頂いた。
先生と奥様の長野研修道場のお写真、お痩せになられて水色の上着の袖とお腹の部分の洋服のたるみが気になった。お元気な頃のものをそのまま着用されているのか…
側近の方もお体にあったものをとすすめてはいるだろう。

「着れればいいんだ。これでいいんだよ」

そんな先生の言葉が聞こえて来そうな写真。
先生のお人柄を感じる。




 

昭和54年問題再考004補足01

 投稿者:The logic in the place bot
 投稿日:2017年 8月25日(金)14時54分40秒
お詫び・訂正その六十一

昭和54年問題再考004補足01

投稿者:The logic in the place

投稿日:2015年 7月10日(金)16時32分43秒



「御法主日顕上人御指南」については、よく読むと昭和55年7月時点でかなり宗内が混乱していたことが分かります。特に16ページ「模刻御本尊」については、現在の様々なブログ(反学会)で延々と今もって書き込みしているところですので、よく読んでください。また31ページ「お題目の商標登録」については分かりやすい資料です。商標登録というのは、何も権利を売買するためだけの下世話なことではなく、悪質な行為を抑止するための目的がある視点を理解してください。今もってくだらない議論する檀徒(昭和法華講やら平成法華講?)はこの一冊で叩きましょう。

ただし、日蓮世界宗なんていう誰も、考えも、予断も、していなかった名称を商標登録するのは、それを使用するための下準備であったということになりますね(笑)。



私の記憶では、男子部移行して昭和59年の4月に転居した札幌市白石区南郷本部(今は分区して名称はないでしょうが)では、昭和56年時点で一支部全世帯(100世帯以上)が脱会して聖教配達区域の空白がありました。理由は、学会内部の不信(弓T川みたいな者が本部幹部であったため)が原因で、同区の行足寺(後に正信会へ移行して破門)へ学会員が大量流入していました。それだけ、あの時代は大変だったのです。はっきり言っておきますが、脱会・退転していった者がよく口にする「池田に騙された」とか「池田は信用できない」とか「池田は女狂い」と言った讒言の大半は不信を抱かせた今も学会に巣食う学会幹部に原因があるということです。だから、「師匠を守れ」という言に戻ることになります。弟子の行体が師匠をダメにするという譬えです。



ーーーーーーーーーーーーーーーー



この「昭和54年問題再考004補足」は、大極善弟子、大極善会員を誹謗する悪しき投稿です。トンデモナイ投稿でした。

謝罪・お詫びいたします。ほじくり返すようなことは致しませんよ。



この投稿は、会則の



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第14章 賞罰

(懲 戒)

第78条 この会は、会員としてふさわしくない言動をした会員に対し、その情状に応じ、戒告、活動停止または除名の処分を行なうことができる。

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に主観的に該当する投稿であり、村八分・査問・除名に該当します。



全て大極善幹部様方々を守る為に、会員資格停止(供養だけはOK?)、発言も活動も停止!会館デキンの処置をされます。

反逆者!裏切者!極悪!大極悪人です。



私が極悪人です。誠に(×16)お詫び致します。

二度(×14)と欠点を挙げつらうことは致しません。極善弟子になるために、二度(×14)とこのような投稿は致しません。だから許して下さいね。何度も丁寧に謝ってます。



だから、私は何度(×16)も、お詫び・訂正・謝罪・改心を、大極善会員の皆様のように『裏』ではやらずに、この宿坊の掲示板で『公』に謝罪しますね。これが一般社会通念です。



会則における全権統理する会長が『黒は白だ、偉いんです!』と次々に認定発言されれば、我々末端の会員は、それに付き従い『その通り、黒は白です!』と次々に口裏合わせするのが当たり前です。

それが極善弟子になり、改心した証ともなり、処分も解雇もクリアーできる営為です。



極善弟子、極善会員に間違いなど無い!間違いを糾す者が間違ってる!と言うことを私は繰り返して、頭悪いんで、また繰り返すかもしれません。この繰り返しが極善会員への改心活動です。



その都度、何度も訂正して、『間違いが間違っているから、間違いなんだ?いや、会長が認定している!池田先生も認定しているはずだ!だから、これで良いのだ!』と三段論法的に謝罪・訂正・お詫びをば今後共にしていきたいと存じます。ちゃんと監視している大極善弟子の極善会員の皆さまは記録して下さいよ。



今更、改心しても手遅れですが、頭悪いんでこれからもどしどし誠実にして真面目な極善会員になれるよう、改心した極善会員の証を投稿したいと存じます。

もっと早く大極善会員さま方(特に高位の本部職員)のように用意周到に、情報源を叩き潰してコッソリ改心していれば良かったと草葉の陰で反省しています。



処分の撤回は二度と無く、今生では査問やら対話も全く有りませんが、今後も謝罪・訂正をば続けていきますよ。



ありがとうございました。
 

ClearSky様の2/5へのコメントです

 投稿者:日蓮仏法2.0メール
 投稿日:2017年 8月25日(金)14時54分21秒 編集済
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73387
日蓮仏法2.0様からのコメントに… 2/5
投稿者:ClearSky  投稿日:2017年 8月24日(木)01時14分25秒

ClearSky様の見解は次の通りです。
(1)日蓮本仏を支持
(2)池田先生の指導を根幹に学会は進むべき
(3)2014年11月以降の一連の教義改定は不要

>(1)に関しては、先に述べたように、私は、日蓮仏法2.0様の
「日蓮本仏を否定した前提での凡夫本仏」には抵抗感があります。<
・・・ 先回指摘しましたように、誤解があります。
「日蓮久遠本仏論」という中近世の寺院仏教擁護論を非合理的な神話で
宗祖信仰のイデオロギーだ、と否定しているだけです。<

>(2)に関しては・・・日蓮仏法2.0」と私の支持する「従来の学会教学」とは
相違がありますが、それは「日蓮本仏の採否」という一点から起きているのだと
個人的には考えています。<
・・・ 宮田説や2014年の会則の教義条項変更などに見られる「池田先生の指導と異なった教義」、
・・・ 「先生の成し遂げられてきた功績を破壊する何かがある」と、心配しておられます。
が、これも先に指摘したように、ClearSky様が支持する従来の学会教学とは、
冨士大石寺顕正会なども含めた伝統的正宗・日寛教義と同じです。
ここで大事な点は、SGには別の思想潮流があったという事実です。
これは外部の学者である西山茂氏が指摘している通りですし、
私もずっとそのように理解してきています。
つまり、SGには正宗の寺院仏教のための教義とSG本来の面目である世界に開けた
在家仏教の二面性があったということです。

>また著作(凡夫即身成仏論)を拝見しても、
①池田先生の著作から論点を説き起こしたいという姿勢が感じられる、
②池田先生との思い出を大事にされている、
③欧米SGIの不条理な組織実態(「教団内部の権威主義と階層制度、寄付金・財務の不透明な管理、・・・・思想・言論・批判の自由の抑圧・・・」)に対し
危惧していることが記されています。日本の創価学会、SGIに於いて、
どのような教義であるべきか考えたいとのベクトル(方向性)は
同じ方向かもしれないと考えています。<
・・・ その意味では私たちは問題意識を共有しています。しかし、一つの大きな違いは、私はずっと海外にいたので、
日本的な思考・文化・体質や信仰形態から自由だったということです。
それで抵抗なく、「破門」以後すぐにSGのグローバル社会で活動する在家仏教徒の立場を選択できたわけです。

>故に、このシリーズで、「日蓮仏法2.0」を、「現・学会教学」と同様の批判の対象としてはいません。
・・・日蓮仏法2.0様の主張を先ずはもう少し理解したいと思います。<
・・・ こうしたClearSky様の前向きな姿勢を評価し、大切にしたいので、
私も誠意を持って、理解してもらう努力をしていきたいと思っています。

生涯公布様の投稿、ありがたいです。孤軍奮闘は疲れます。援護射撃をしていただくと、本当に助かります。
 

久遠元初・菩薩仏・凡夫仏・凡夫

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール
 投稿日:2017年 8月25日(金)14時21分8秒 編集済
日蓮仏法2.0様

非常に明確な回答ありがとうございました。

<引用開始>・・
凡夫本仏論とは、凡夫の身に仏界が湧現することです。

その仏界が生命力や知恵や勇気や希望や喜びとして現実生活に作用します。

価値創造の人生です。

これは皆さんがずっと日常的に体験してきていることです。

何も奇異なことを主張していません。

ご指摘してくださった引用がその意味です。

>日蓮仏法2.0でいう「本仏」の定義は「『本仏』とは実在する人間に仏性が現成すること」
(凡夫即身成仏論 99頁)とあります。<

凡夫本仏は、凡夫そのままで本仏という意味ではありません。

それは悪しき現状肯定の本覚思想です。

凡夫本仏論は妙法の実践による仏界湧現を前提にしています。

・・<引用終わり>

日蓮仏法2.0様の着眼点は信徒の信仰の姿勢・大聖人仏法の見方と実践論のように思います。

大聖人様は自分を決して本仏として崇めとは言われていない。

ここのところ・・

法華経の智慧では・・


名誉会長:そうです。「久遠元初」とは「無始無終の生命」の異名です。 時間論ではなく、生命論です。

     生命の奥底の真実 - 無始無終に活動し続けている宇宙生命そのものを指して「久遠元初」と呼んでいる

     のです。それは「無作三身如来」と言っても同じです。 大聖人は「久遠とは、はたらかさず・つくろ

     わず・もとの儘と云う義なり」(御書p75)と仰せだ。

     「はたらかさず」とは、途中からできたのではない、本有ということです。

     「つくろわず」とは、三十二相八十種好を具足していない、凡夫のありのままということです。

     本有常住であり、「もとの儘」です。これを「久遠」という。

     「久遠」とは「南無妙法蓮華経」のことです。御本尊のことです。

そして・・

名誉会長:寿量文底の「仏因」とは、言うまでもなく無始無終の妙法であり、南無妙法蓮華経です。

     これは「仏因」であると同時に「仏果」です。「因果倶時・不思議の一法」です。

     これを寿量品の説法を聞いて覚知したのです。

     寿量品を、虚空会上の“三十二相の、きらびやかな釈尊の話”と思ったら間違いです。・・・・

     そうではなく、五百塵点劫の説法で、どんどん過去にさかのぼっていったあげく、

     自分の究極の“原点”は、釈尊の“原点”と同じであったとわかったのです。

     “虚空”を見上げていて、はっと“足もと”に気づいたのです。


日蓮仏法2.0様の本日投稿内容の本意と異なっているところはない様に思えます。
 

題目

 投稿者:宿坊2の愚人
 投稿日:2017年 8月25日(金)12時40分55秒
題目は、梵語読みで「ナモ・サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」と唱えたらどうだ。  

正義を顕彰、悪は弾劾

 投稿者:ミネルヴァの梟
 投稿日:2017年 8月25日(金)12時24分39秒
ずっと雨だった東京では、近頃晴れた日が続いているのだが、怪鳥ダーハラが日本を離れているらしい。
なるほど、そういうことかと納得。すごい害毒が垂れ流されていたのだな。
こういう現証は、今後ますます、ハッキリと現れて来ると思う。

佐川国税庁長官の罷免を要求する、市民運動が拡大中。
現役の税務署職員も、署名に参加しているそうだが、正しい行動だ。どんどんやればいい。
頼まれれば、ほぼ全員が署名してくれるだろう。私もしたい。

高須クリニックの院長に対し、池田先生とも馴染みの深い、サイモン・ウィーゼンタール・センターが、アメリカ美容形成外科学会からの追放を要求。さすがナチハンター。こちらも徹底的にやってもらいたい。

今日の聖教新聞、池田先生の随筆は良かった。
代筆なのかどうなのか、私には分からない。
しかし、仏が説いたから法華経はすごい、のではなく、法華経を説くからその人は仏、なのだ。
先生のご精神そのものの、今日の随筆だった。

大白の任用試験教材。
南無妙法蓮華経 に、わざわざフリガナを付けて、なんみょう…となっているが、なむみょう…でいいだろう。
幼稚園児に教えている訳ではないのだ。強烈な違和感を感じる。

帰命する事を、なむするとは言っても、なんするとは言わないし、引き題目の時どう発音するのだ。

とにかく自分達の言う事に従わせたいという、偏狭な画一化の生命が伝わって来るようだ。
文字で書く時は、なむ、と書くのが教養というものだ。

今の教学部は、こんなものだろう。
早く入れ替えないとダメだ。
 

twitterより。最近、「威風堂々の歌」を歌わないけど?公明党が与党で五濁悪世じゃ困るから?

 投稿者:ツイート人
 投稿日:2017年 8月25日(金)12時23分8秒
(このネタ既出ならすみません。)

最近、「威風堂々の歌」歌わないよね。

初っ端から「濁悪のこの世行く」だもんね。

広布が進んでいて(妄想だけど)、公明党が与党で、五濁の悪世じゃ困っちゃうもんね。

「駒を進めば草木もなびく」のはずが、自分たちがなびいちゃってたりする。
 

(無題)

 投稿者:宿坊2の愚人
 投稿日:2017年 8月25日(金)12時06分53秒 編集済
ブッダにしてみたら、本仏?。迹仏?。「何それ?」でしょうね。  

会則改定から3年。どれだけ変わりましたか?

 投稿者:虹と創価家族
 投稿日:2017年 8月25日(金)09時39分59秒 編集済
聖教新聞は有難い。
池田先生のご状況を知れる、唯一の情報源だからです。
本日、池田先生と奥様のお写真が掲載されました。
より強く、池田先生と奥様の、ご健康とご長寿を祈って参ります。

広宣流布を阻む悪とは徹して戦う。正義の声を上げる。
権力の魔性に対し一歩も引かない。

悪と戦う目的は、一般会員の幸福を守るため。
広宣流布を進め一人でも多くの民衆を救うため。

戦いの根底に、一般会員・民衆への愛情と尊敬の念が無ければ、広宣流布は進まない。
なによりも師弟不二ではありません。


80歳を超える祖母が入会した時を思い出す。
勤行を覚えられず教学もない。
ましてや師弟とは何かわからない。

しかし幸福になりたいという思いで、必死に「日蓮大聖人様、日蓮大聖人様」と御本尊様に題目だけ上げ続けていました。
そして「池田先生は正しい」とだけ、会う人に語っていた。

亡くなる数カ月前から、全身に白斑ができ、皮膚がまだら模様になった。
しかし題目を上げ続けると、顔が真っ白になるまで皮膚の色素が白く抜けていった。
日焼けで色黒のおばあちゃんは、綺麗な真っ白いお顔で亡くなりました。
多くの方が、綺麗で幸せそうな成仏の相に心を動かされていました。
戦争で夫を亡くし、苦労に苦労を重ねたおばあちゃんの人生は、成仏の相で幕を閉じた。
おばあちゃんは勝った!身で信心の正しさを示して逝かれたのです。


一般会員と民衆を守らない戦いは煙のようなもの。
それは、根底に広宣流布の一念が無い証でもある。

自分が正しい信心をしていると言うなら、実証を示し広宣流布を拡大できるはず。
会則改定から3年で、どのような実証を身で示したのか。

虹は戦いを変えた。
声を上げるだけでなく、身で正しさを伝える戦いに。


~~~~~~~~


体験が無い?! もったいない信心をしていませんか。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73365

 

師弟不二の道こそが世界広宣流布への道

 投稿者:虹の戦士
 投稿日:2017年 8月25日(金)09時24分8秒
YouTube動画サムネイル>>この動画を再生する

・師弟不二の道こそが世界広宣流布への道なのだと
あらためて確認できました。三代の師弟不二の道
をまっすぐに進みましょう。

---------------------------------
・日女御前御返事

日蓮が弟子檀那等・正直捨方便・不受余経一偈と無二に信ずる故に
よつて・此の御本尊の宝塔の中へ入るべきなり・たのもし・たのもし、
如何にも後生をたしなみ給ふべし・たしなみ給ふべし、穴賢・南無妙法蓮華経
とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり、信心の厚薄によるべきなり仏法
の根本は信を以て源とす、

---------------------------------
・十字軍の戦場へ行き敵のサルタンに会見した聖フランチェスコ

1220年代に入ると、フランチェスコ教団の5人の兄弟がモロッコへ布教
に赴き、殉教するという事件が起こりました。その報告がアッシジにも
たらされた時、フランチェスコは「私はこの5人を、心から真の兄弟と思う」
と叫んだとも、あるいは「ひとの殉教をではなく、自分の殉教を誇るようにしよう」
と叫んだとも伝えられています。 実はこの事件の2年前、フランチェスコは
イスラエルに行っているのです。この時代は十字軍の遠征がしきりに企て
られたし、フランチェスコもまた「殉教」に対する強い思いを抱いていました。
1219年、フランチェスコは軍用船に乗って、アドリア海岸のアンコーナ港を
発ち、聖地へ向かいます。聖地は折しも大激戦の最中で、ダミエッタの要塞
ではイスラム軍2千人余りが戦死したり、続いてキリスト教軍の大敗北があ
って5千人が死傷していました。このような戦場に姿を現したフランチェスコが、
何の悲壮感もなく殉教の喜びを説いたのですから、兵士たちはさぞ感動したこ
とでしょう。事実、宣教は大きな成果を挙げました。しかしフランチェスコは、
戦意を高揚しようとしたのではありません。敵の本営にもはばからずに入って
行って、守備兵に取り次ぎを頼み、サルタンに会見しているのです。どんな言葉
で説いたのか、とにかくサルタンにキリストの教えを説きました。想像を超えた
不思議な光景です。サルタンは強く心を動かされたのでしょう。「いずれの信仰
が神のみ心にかなうかを、神が私に教えてくれるように祈ってほしい」と
フランチェスコに頼んだと伝えられています。

http://www.b-family.org/public_html/omoi/021/francdoc.htm
---------------------------------


http://imagine-happy-life.tokyo/

 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、ブラジル・パラナ州が慶祝議会の挙行、誠におめでとうございま~す(笑)

 投稿者:カンピース
 投稿日:2017年 8月25日(金)07時16分54秒
おはようございます。原田怪鳥様、「8・24」池田先生の入信70年を世界が寿(ことほ)ぐとして、パラナ州で慶祝議会の盛大な挙行、

誠に、誠におめでとうございま~す(笑)

あれれぇ~、原田怪鳥様、御姿が見えませんねぇ~(笑) たしか南米にいらっしゃるんじゃないデスかぁ~(笑)

昨年は、リオ五輪観戦、もとい、南米指導とやらで、ブラジル・アルゼンチンと徘徊、もとい、歴訪されてましたケドぉ~(爆)

今回は、ペルーだけデスかぁ~? どぉ~してブラジルは避けられたんデスかぁ~(笑)

そして、今回のブラジルでの顕彰状授与にも、博正サンの姿はありませんデスたぁ~(笑)

南米訪問団には、やはり博正サンはいらっしゃらなかったんデスねぇ~、いったい、誰と、何人で御訪問されたんデスかぁ~(笑)


それと、政教珍聞創刊原点の日として、8・24記念の勤行会の開催、誠にご苦労様で~す(笑)

原田怪鳥様、弟様や長谷川様が御出席されてマスが、この報道には「師匠の入信記念」という文字が一言もありませんよぉ~(笑)

会社の創立は祝うが、師匠の入信は祝わないんデスかぁ~(笑)

全国の支社・支局で行われたそうデスが、やはりそこでも、師匠の入信記念は祝わなかったんデスかぁ~(笑)

報道がありませんので、全国の会館でも、師匠の入信記念を祝う会合は無かったみたいデスねぇ~(笑)

ナニ? 座談会週間だから? では、「下半期のスタートを飾る座談会」だそうデスが、新潟・佐賀での紹介記事に、

池田先生の入信70周年を祝うという文字がないのは、ナゼでしょうかぁ~?

政教珍聞の推進の喜びを語るより、池田先生の入信70周年を祝った記事のほうが、イイんじゃないデスかぁ~(笑)


「永遠なれ創価の大城」も23回目を重ねられ、誠におめでとうございま~す(笑)

でもねぇ~、今月、長野研修道場でとして、師匠の写真が掲載されてマスが、どうして、こんな遠いアングルなんでしょうかぁ~(笑)

これでは、師匠の表情や目線や、また、奥様のお顔も、全然わかりましぇ~ん(笑)

近いアングルだとナニか、マズいことでもあるんデスかぁ~? 周りに誰もいないのは、何故デスかぁ~?(笑)

「お元気な池田先生」を演出しているだけと見えマスが、原田怪鳥様、いかがデスかぁ~(笑)


ともあれ、原田怪鳥様に、師匠の入信70周年を祝おうとする気持ちが読み取れないのは、非常に残念でぇ~す(笑)

東京にお戻りになれれた際には、ゼヒとも、ペルー御旅行、もとい、御訪問の報告がありマスことを、期待しないで待ってまぁ~す(大爆)





 

わが友に贈る 2017年8月25日

 投稿者:どうみょうてん
 投稿日:2017年 8月25日(金)07時13分10秒
きょうも聖教と共に!
この心で地域を駆ける
新聞長の皆様に最敬礼!
人間主義の哲理を伝え
社会に幸と正義の光を!
 

ClearSky様の1/5へのコメントです

 投稿者:日蓮仏法2.0メール
 投稿日:2017年 8月25日(金)06時07分38秒 編集済
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73386
日蓮仏法2.0様からのコメントに… 1/5   投稿者:ClearSky  投稿日:2017年 8月24日(木)01時14分18秒

(1)従来の学会教学(2014年11月以前)
(2)日蓮仏法2.0説
(3)宮田学説
の三説を整理していただき、ありがとうございました。
主に(2)に関する特徴の記述で、気になった点についてだけ回答します。

>日蓮仏法2.0様の主張は、文底仏法は堅持しながらも、「本仏とは凡夫」であり、
「日蓮大聖人は久遠の本仏ではない」との主張から全てが始まっていると考えます。<
・・・ 違います。
私の出発点は、大聖人が一切衆生皆成仏道のための仏法を提唱したという認識です。
まさに、凡夫が即身成仏しながら、一生成仏していく成仏観です。
ちなみに、赤胴鈴之助氏が指摘するような煩瑣な天台流の議論も、
勝手な文底を持ち出す拗れた日寛教学のような議論もしていません。
非常に素直で明晰な論理展開を目指しています。

そのために、拙書の第三部では、大聖人が若いころから十界互具の即身成仏観に注目し、
それをさらに一念三千論で固めた経緯を記述しています。
そこで私の結論としては、十界互具・一念三千・即身成仏を末法の成仏三大原理と呼んでいます。
これは南無妙法蓮華経・唱題行の実践に他なりません。

この立場から見ると、大聖人の本地を久遠元初自受用報身如来とする「日蓮久遠本仏論」は
矛盾するので、これは全面的に否定しています。

この大聖人だけを神格化し特殊化する考え方に対して、私は、まさしく『法華経の智慧』で先生が
「「久遠元初」とは「無始無終の生命」の異名です。時間論ではなく、生命論です。」と
仰る普遍化の方向を支持し、継承しています。
つまり、永遠の仏界・仏性であれば万人に開かれています。
これは一切衆生皆成仏道のための仏法を提唱した大聖人の立場と整合性を持ちます。

>一見すると「従来の日蓮本仏の学会教学」の上に、「凡夫こそ本仏」を強調した論であるとの印象を
受けますが、実は「日蓮本仏」を否定した上での「凡夫本仏」だと考えます。<
・・・ 違います。
上述のように、「日蓮本仏論」ではなく、「日蓮久遠本仏論」だけを否定しています。
したがって、「末法の御本仏」という表現は、限定的に容認しています。
つまり、久遠元初と無関係に、唱題行を提唱した大聖人が三徳具備の下種仏法・本因妙の教主
であるのは当然だと考えています。
が、それも凡夫即仏の意味で人間・日蓮のことです。
その意味では「日蓮凡夫本仏論」です。
だからこそ、私たちも自行化他の題目を通して、地涌の菩薩として大聖人に直結します。
親分子分の関係はあるとしても、本質的には皆が凡夫即仏の菩薩仏です。

「凡夫本仏」について、もう少し説明する必要がありそうです。
>凡夫本仏論での「本仏」は「迹仏」に対する用法に由来しているのだと思いますが、
この認識は正しいでしょうか?<
・・・ 若干違います。
日本語の「本仏」を英語や独語に訳そうとすると、その意味の違いに注意せざるをえません。
一応の区別ということで整理してみます。
1 諸法実相抄の迹仏に対する本仏は True Buddha、これは月と水面に映る影のように、
仮の実体のない迹仏に対し、実在する真の仏。これは生身の凡夫です。
2 久遠の本仏は Original Buddha、つまり根本的な仏。この場合、三世諸仏は
その根源的な源泉から発出するという発想です。
3 権仏に対する本仏は Provisional Buddhaに対する Essential Buddhaでしょうか。
これは本門(Essential Teaching)と迹門(Theoreticall Teaching)の区別に近く、
また「理」の一念三千と「事」の一念三千の区別にも相当します。

凡夫本仏論は1で、日蓮久遠本仏論では2の意味で使用されているはずです。
そこで、「末法の本仏」と言う場合は前者に相当します。これは投影された諸仏に対する批判的立場となります。
それで、実体のある成仏とは何かという問いがあれば、1の他に3の視点も意味を持ってきます。
2については、人ではなく法を表にします。
その本因下種の妙法を実践する処に、人法一如となります。

>多くの学会員が、「本仏」に関しては「主師親」や「仏の十号」で述べられているところの
「仏」のイメージを有していると私は感じます。<
このイメージは興味深いですね。
だから、>「凡夫こそ本仏」と言われると、「自分が救済者・師匠になる」<と
勘違いすることになるのでしょうか。

また、>「私が本仏だ」<とか>嫌いな人物・・・も本仏」だという素直に宣言できず、
抵抗感が生じているのではないでしょうか?<
・・・これもまったくの誤解です。

凡夫本仏論とは、凡夫の身に仏界が湧現することです。
その仏界が生命力や知恵や勇気や希望や喜びとして現実生活に作用します。
価値創造の人生です。
これは皆さんがずっと日常的に体験してきていることです。
何も奇異なことを主張していません。

ご指摘してくださった引用がその意味です。
>日蓮仏法2.0でいう「本仏」の定義は「『本仏』とは実在する人間に仏性が現成すること」
(凡夫即身成仏論 99頁)とあります。<

凡夫本仏は、凡夫そのままで本仏という意味ではありません。
それは悪しき現状肯定の本覚思想です。
凡夫本仏論は妙法の実践による仏界湧現を前提にしています。

>一般的な感覚では、「皆が仏なんだから・・・」とは思えても、
「皆が本仏なんだから・・・」という感覚は、仮に正しいとは分かっていても、
感情的には修行が必要だと思います。
「皆が仏…」と「皆が本仏…」の両者は似ているようですが、意味が違ってきます。
読んだ方が抵抗感を感じるのは、このようなことなのではないでしょうか?<
先述のように、この「本仏」の意味は実在できる成仏の姿を意味しています。

歴史上の釈尊も凡夫の身で悟りを開いたわけですが、後に超能力を持つスーパーブッダに
仕立て上げられてしまいました。大日如来や西方浄土の阿弥陀仏などもその投影です。
実在しません。
その意味では、大聖人も久遠実成の釈尊を再往、つまり文底の立場からは、
「我等が釈尊は・・・」と私たちの生命に内在する仏性・仏界と解釈しています。
これは池田先生の場合も同様で、「久遠元初とは・・・生命論です」という再往の視点があります。

>「従来の学会教学」とは、・・・ 日蓮大聖人を主師親の仏として、凡夫の成仏を目的とする本仏観と考えています。<
・・・ 違います。
日寛教学を基礎にしていた昔の学会教学は、インターネットで検索してヒットし‘た次の
冨士大石寺顕正会の【勤行】の御観念文と同様です。
「南無本門寿量品の観心、文底秘沈の大法、本地難思境地冥合、久遠元初自受用報身如来の御当体、
事の一念三千、無作本有、人法体一、南無本門戒壇の大御本尊、御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の
御為に。」
「南無久遠元初の自受用報身、無作の三身、本因妙の教主、末法下種の主師親、大慈大悲、
南無日蓮大聖人御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為に」
この考え方では「凡夫の成仏を目的とする本仏観」には絶対になりません。
信仰の方向性がまったく異なっています。

久遠元初自受用報身如来=人法一箇の大御本尊。
人に約すと、本因妙の教主=上行再誕=末法下種の主師親三徳具備の日蓮大聖人=末法の本仏。

つまり日寛教学では日蓮久遠本仏論と大御本尊信仰がセットになっています。
その意味で「日蓮本仏」について語るのは正宗教学の枠内となります。
宗祖崇拝信仰の一形態です。
先に若い世代の方が私の主張を正しく理解してくれていたような、
自己実現型成仏観にはなりません。

先に無冠さんが引用してくれた戸田先生の言葉です。
末法の我らと縁のないもので、我々凡夫(ぼんぷ)自身が、近因近果の理法をたたき破って自然(じねん)の仏身を開覚(かいかく)する法がただいまでは必要でありますが、この必要に応じられて実際生活に過去世からの運命をたたき破り、よき運命への展開の法をたてられたのは日蓮大聖人様でいらせられる。・・・ すなわち帰依(きえ)して南無妙法蓮華経と唱えたてまつることが、よりよき運命への転換の方法であります。この方法によって途中の因果がみな消え去って、久遠の凡夫が出現するのであります。

そして、これが池田先生の言葉です。
◆ 「仏とは人間」「人間こそ仏」
☆ そもそも日蓮大聖人の戦いも、ある面から言えば、『仏教を人間化する』戦いであられたと拝される。人間の実生活から遊離していた仏教を、人間の手に取り戻し、現実の生活法として教えられた。
 「仏とは、人間(凡夫)である」「人間(凡夫)こそ、仏である」
 こう叫ばれた。
 当時、日本でも、阿弥陀仏とか、大日如来とか、「仏」を遠い、超越的なものとして説く仏教が流行
していた。
また法華経での仏も、一般には、人間とはかけ離れた存在としてとらえられていた。
それらを大聖人は逆転された。
 「日蓮本仏論」の思想的な意義も、ひとつには『仏教の人間化』にあったと拝される。
 妙法を信じ、行じる「人間」こそが、「仏」だということである。妙法の「信心」にこそ「仏界」は
あるということである。

その意味では、西山論文で指摘されているように、
私は代々の会長の、日寛教学の傍らに常に鼓動し脈打っていたSGの根本理念を
継承しようとしているだけです。
少し体系的に整理して論理展開しているだけのようです。
 

真夜中の独り言

 投稿者:虹の戦士
 投稿日:2017年 8月25日(金)05時16分2秒
もし、みなさんが創価学会、SGIの会長さんだったら
いま海外に行くとしたら、どこでしょうか?

北朝鮮とアメリカだと思います。

政治的理由、外交上の問題などあっても
どうしても北朝鮮のリーダーとアメリカの大統領に会って
仏法対話し、核兵器の開発をやめさせ
世界の平和のために何ができるのか
対話すべきではないでしょうか。

日蓮大聖人様の立正安国論の精神を
金正恩とトランプさんに知ってもらうのが
創価学会、SGIの会長の使命では
ないでしょうか
それができないで世界広宣流布と
安全な場所で叫んでも、なんだかな???

北朝鮮の核ミサイルを恐れて
安全な場所に避難するような
臆病な会長さんは獅子王の心ではなく
鷹をおそれて、穴に逃げ込む野うさぎ
の姿にみえてしまいます

あるいは、私が知らないだけで
創価学会、SGIの会長さんはもう
行動しているのかもしれませんね。
そうだったら、すみません、でも
みんなにそのことを知ってもらったら
創価学会のイメージアップになるのに
どうして黙っているのでしょうか?

http://imagine-happy-life.tokyo/

 

21世紀への選択 冷笑主義の蔓延する現代の病理とどう向き合うか P100  投稿します。

 投稿者:赤胴鈴之助
 投稿日:2017年 8月25日(金)03時17分10秒
21世紀への選択 冷笑主義の蔓延する現代の病理とどう向き合うか P100  投稿します。
ポイント
*、池田
 続いて、現代社会の問題に対して、仏教とイスラムという二つの宗教が、どのよう

な視点を示すことができるのかを考えたいと思います。

現代社会が抱える大きな問題の一つとして、永遠なるもの、普遍的なるものに対する健

全な精神が枯渇していることが挙げられるのではないでしょうか。

*、テヘラニアン
 おっしゃるように、現代は「混迷の時代」「冷笑の時代」です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここで、池田先生は現代における深刻な病理を述べられています。

【現代社会が抱える大きな問題の一つとして、永遠なるもの、普遍的なるものに対する健

全な精神が枯渇】と・・・・

引き続いて

【個人主義が徹底する一方で、普遍主義は後退しました。

個人主義は、普遍的なものに対する健全なまなざしに裏付けられていない場合、他者へ

の無関心、冷淡さに堕落してしまいます。

 現代社会に蔓延するシニシズム(冷笑主義)は大変気がかりです】

この二点を先生は人々を幸せにしない思想だと考えられています。

SGの中でも【「どんなものも大差ないさ」「どっちにいっても、かわりはないよ」という冷ややか

な態度は、とてつもない邪悪なものの跳梁を許すことにつながらないともかぎりません】

現執行部の査問体制を、一般の会員は冷ややかな目で、私らには関係ないです・・・と言う態度を

先生が危惧されている所です。

堕胎怪鳥、勃起体制というその邪悪なものの跳梁跋扈を許すことになってしまっています。

現代世界の人々の考え方にも、シニシズム(冷笑主義)は浸透し、貧しい人にあるいは、発展途上国に対し

て暖かな手を差し伸べている、菩薩界人たちは少ないのではないでしょうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ClearSkyさまの論考を先ほどで3回ほど読みこみました。

同意の部分が大半なので、多くの学会員またはこの板の読者も異論は出ないと思います。

現状維持と言う事ですか・・・。

引用失礼します。
*、私は「池田先生の築き上げてこられた功績(教学体系も含む)を破壊する行為は容認できない」

と考えています。

*、その意味で、「試論」というのは価値のある方法だと考えます。

*、2013年夏に先生が仰った「自身と創価学会の発迹顕本」とは何を意味するのでしょうか?
終わり

賛成です。この先生の功績である、普遍的な人間学をどのようにしたら、世界宗教として確立でき

るかを提案して頂きたいのですが・・・。

正宗の化儀、勤行に法華経読誦が要否件、御本尊の件、組織の件、教学の件、SGI職員の権限の件、等々・・・・。

正宗から決別して、正宗の化儀を引きずっていたら、当然世間からは日興門流の亜流だと思われる

ことを覚悟しなければなりません。

発迹顕本と言うからには、もっと革新的なことが必要だろうと試論としていずれ申させていただき

ます。

日蓮仏法2.0様は私に対して日寛上人の教学が根底にあるから、「凡夫即身成仏論」が読みにくい

のだと記されました。

それは違うと思います、日蓮仏法2.0様の天台流の語句がSGの教学とは違いすぎるせいだと思って
います。

これから、第3章を読もうかどうか考え中です、ClearSkyさまの記事を見て読む必要はないかなと思っています。

以上 鈴之助
 

冷笑主義の蔓延する現代の病理とどう向き合うか P100

 投稿者:赤胴鈴之助
 投稿日:2017年 8月25日(金)03時04分3秒
冷笑主義の蔓延する現代の病理とどう向き合うか P100

池田
 続いて、現代社会の問題に対して、仏教とイスラムという二つの宗教が、どのよう

な視点を示すことができるのかを考えたいと思います。

現代社会が抱える大きな問題の一つとして、永遠なるもの、普遍的なるものに対する健

全な精神が枯渇していることが挙げられるのではないでしょうか。

個人主義が徹底する一方で、普遍主義は後退しました。

個人主義は、普遍的なものに対する健全なまなざしに裏付けられていない場合、他者へ

の無関心、冷淡さに堕落してしまいます。

 現代社会に蔓延するシニシズム(冷笑主義)は大変気がかりです。

「どんなものも大差ないさ」「どっちにいっても、かわりはないよ」という冷ややかな態

度は、とてつもない邪悪なものの跳梁を許すことにつながらないともかぎりません。

テヘラニアン
 おっしゃるように、現代は「混迷の時代」「冷笑の時代」です。

 なかには「脱近代の時代」という人もあれば、「超近代の時代」という人もいますが。

 呼び方はどうであれ、長い歴史のなかで、私たちの時代の特徴は際立っています。

 その特徴をいえば、第一に、現代は歴史の加速が著しい時代です。

 かつては数百年か数十年を要した出来事が、今日では数年内か、数週間内に起きます。

 それも、テレビを観ている私たちの目の前で起きるわけです。

池田
 スピードそのものが私たちの時代の象徴です。

そして情報化・・・すべてが実体験ではなく、テレビ画面上の情報として猛烈なスピード

「メディアの隣人」という概念がありますが、テレビに出てくるスターのほうが、実際の

隣人より親近感を感じることもあるようです。

 現代人は、何も体験しないまま生きていく時代に入ったのかもしれません。

テへラニアン
 歴史の加速の正の側面については、例えば、ヨーロッパ諸国の帝政が崩壊するには二つの

世界大戦を要しましたが、一九八〇年代のソ連の体制の自壊は平和的な対話を通して十年内

に起きました。

 同様にイランやフィリピン、東欧の独裁者たちは数年のうちに権力の座を追われました。

 独裁政権の永続は、グローバル(地球規模)なコミュニケーションが発達したゆえに、困難

になっています。

 一方、負の側面をいうと、歴史の加速が、アルヴィン・トフラーのいう「未来の衝撃」

を生むとともに、人々の消費生活では拝物主義を横行させること挙げられます。

 個人は自己のアイデンティティー(自分らしさ、個性)を守るものを、必死に探さなくては

ならなくなっているのです。

池田
 情報社会のなかで、人間はあふれる新しい情報を選択するのに汲々として、まったく委縮

した存在になってしまっています。

テへラニアン
 「超近代主義」の蔓延は、現代の病として社会を分裂させています。

 利己心が跋扈(ばっこ)しており、宗教的な信仰心や、市民の公共精神は薄れています。

このことが、過激な無神論や冷笑につながっているのです。

 すべての人の行動の動機を疑い、ウラを読み、人間相互の信頼と連帯の絆を弱めています。
 

最近の投稿について

 投稿者:珍説 谷川革命 (笑笑
 投稿日:2017年 8月25日(金)02時09分11秒
頭が熱くなるような教学展開もためになりますが、悪を笑い飛ばすような投稿(カンピース様を超える)もお願いします^_^  

現代人の心の疲れ・・

 投稿者:史人
 投稿日:2017年 8月25日(金)01時30分12秒
生きている以上、こうあらないと、またこうなっている等言われることは多々あるもの・・・。
凡そ人間の頭で考えられるもの、悩み等は、どう考えても解決の出来る問題は非常に少ないと言えます。

つまり、人間には何らかの支えが無くては生きていけないです。
現代社会程、人を苦悶させるものはない。
そこにどうしようもない眠けなどが起きてきて、眠ることにより人は心の疲れを癒す・・・。

毎日洗濯やあれこれ掛け持ちでの仕事や、低設備や仕入れ材料の不良品手直しなどで休憩時間は食事する時のみという状態の中で生きていかざるを得ないのが現実です。それは議員などが休憩しようとか言っているのとは正反対の世界です。
それが事業者や従業員の生活を支えているだけという社会の実情を議員さんは知っていても何も出来ません。

法律上は縛れても、タイムカードを21持前には押さなくてはいけないのと、実際にはそれ以上の時間までの労働状況があります。
私はそこまですることは年に1・2回あるかないかです。

10時前後に勤行を始めました。
どうしようもない睡魔でご観念文の時に力尽きました。

世間一般の信心をされていない方々は、こうして自分達がこれだけ仕事をしているのにという不満の中で仕事をしていて、辞めるの一言は禁句となり、それが言えないが為に、大手○□通のように自殺に追い込まれていきます・・・。

この現実社会は早い時間に帰宅している私ですら、心の束縛感ははんぱないです。
未来の自分を思い描いて、思い願った通りになったと言い聞かせてみると、世間一般の人々は不平不満の渦の塊であるとハッキリ感じることが出来たのです。

手元で池田先生のご指導集を見るスペースはありませんが、「これでよし!」「人生とは自分自身に生きて自分自身が充実して自分自身の使命を全うすることが本当の幸福ね」等々言われていた意味がようやくわかりかけてきました。
未来に視点を向けたメッセージだと思いました。

未来に自分はこうなったと思い描き、過去に自分はこう願った通りなんだと決定付けることは、人の中の不平不満を追い出す為にどうしても必要なことでした。

ある掲示板で、「法華経流布の国に生まれて此の経の題名を聞き、信を生ずるは宿善の深厚なるに依れり。設い今生は悪人無知なりと雖も必ず過去の宿善有るが故に、此の経の名を聞いて信を致す者なるが故に悪道に堕せず。」(P70)と紹介されていました。

不平不満がどんどん溜まって行くことは、人の中に仏という概念が失われていく原因の一つともとれます。
信心とは結局は自分自身の置かれている状況やまだ見ぬ未来のことまで決定付けていく心であるように思います。
なので、自分でこうなると願ったんだ等、自分に当てはめてみたならば、未来も明るいものとなるのでしょうね。
 

虹の戦士様、他の皆様

 投稿者:ClearSky
 投稿日:2017年 8月25日(金)00時33分44秒
末端信者様、虹の戦士様、生涯&広布一筋兄弟様、ミネルヴァの梟様、螺髪様、SaySaySay様、お声掛け頂き、また、読んで頂いた皆様、有難うございました。

本仏を考える上で、生命それ自体に関する思索が必要だと感じています。
そのため、螺髪様や一人のSGI様の生命に関する考察、興味深く拝見しています。有難うございます。

虹の戦士様、アッシジの聖フランチェスコについて、勉強してみます。

有難うございました。
 

昭和54年問題再考005

 投稿者:
 投稿日:2017年 8月25日(金)00時11分10秒
The logic in the place bot  様
昭和54年問題再考005  投稿者:The logic in the place bot  投稿日:2017年 8月24日(木)12時54分23秒
のリンク先をクリックしても
メッセージ
(0004)該当のファイルは削除されました。
の表示になってしまいます
お手数ですが、よろしくお願いします
 

同盟題目

 投稿者:
 投稿日:2017年 8月24日(木)23時58分44秒
今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
真面目で誠実な創価学会員の足を引っ張る
原田会長、副会長、弁護士、職員の不倫詐欺師集団の方々に
御題目をおくります
ありがとうございました
おやすみなさい

 

プロブレム

 投稿者:SaySaySay
 投稿日:2017年 8月24日(木)23時13分22秒
ClearSkyさん、一人のSGIさん、8・24プレゼントをありがとうございました。(実はまだ読めていない。だからグリグリさん、急がなくていいですよ。)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73386
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73350
そう言えばまだJACKさんのレポートにもお礼を言ってなかったような。ありがとうございました。

ツイート人様
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73401
2年前までの私もそうでしたが、みんな師弟不二のつもりでいるんですよ。首を傾げながら。ところがそうじゃなかった! 池田先生について行っているつもりでいたが実は怪鳥について行っていた!?
そのことに気づいた時は痛恨の極みでした。悔しいやら情けないやら。師弟不二のつもりでいたら実は提婆達多について行っていた!? 提婆と不二だった!?
知りたくなかった真実でした。多くの学会員もそんなことは知らさないでくれと言うでしょう。お花畑に居たいのだと……三途の川を渡りたいのかな? 信心の。

ところで“宮武 外骨(ミヤタケ ガイコツ”という人を御存じでしょうか。『滑稽新聞』を出版していたことから明治のジャーナリストに一応は分類され、糸井重里ら、一部に猛烈なファンを持つ人物です。

>モットーは『威武に屈せず富貴に淫せず、ユスリもやらずハッタリもせず、天下独特の肝癪(かんしゃく)を経(たていと)とし色気を緯(よこいと)とす。過激にして愛嬌あり』。時事批評だけでなく下世話な世相の話題まで扱い、現代の週刊誌に相当する内容であった。外骨の記事は巧みに仕込まれた毒とパロディー精神に富み、さらに挿絵も腕の良い職人(実名がはっきりしているのは墨池亭黒坊こと前野一廣、竹久茂次郎)の手になるもので一般大衆に人気を博した。<Wikiより

何度も発禁処分、逮捕されながらも言論の自由を訴え続けた人です。晩年は真実を残すため全国の旧家を回るなどして新聞・雑誌の収集をしました。

まだ決意とまではいかないのですが、貴重な学会出版物の収集をしたいと考えています。古市駅の「善意の本(ステーション・ライブラリー)」のように、誰もが自由に簡単に学べるように。私設図書館は誰でも作れるようなのですが、何かいい方法がないか、考えたいと思います。何かいいアイディアがあれば聞かせて下さい。

ところで「8・27関西座談会」まと3日。
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-119.html
こんな感じの集まりだったりして。こんな人を産み出して来た大阪が好きです。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170804-00000069-it_nlab-sci

雨男は南米に行っていて天気は良さそうです。『サラバ!』怪鳥。

“もっと利口にならなきゃ 現実を直視しないとね”
“お前がいなくなって厄介ごとが1つ減ったよ”
“お前がいなくなって厄介ごとが1つ減ったよ”
“お前がいなくなって厄介ごとが1つ減ったよ”
“あなたは絶対に改心したりしない”
『プロブレム』アリアナ・グランデ
https://www.youtube.com/watch?v=iS1g8G_njx8
 

同盟題目は23時より!

 投稿者:信濃町の人びと
 投稿日:2017年 8月24日(木)22時54分24秒
本日もよろしくお願い致します。

8.24
池田先生の入信記念日です。
三代の会長に報恩感謝のお題目を唱えます。
池田先生、奥様のご健康とご長寿を祈ります。
 

twitterより。替え歌ね。我ら庶民は笑い飛ばして楽しくね。

 投稿者:ツイート人
 投稿日:2017年 8月24日(木)20時07分38秒 編集済
原田学会 新・男子部歌 「仮面無道会」ですね!
ゲスな言い訳 師弟でかくして♪
祈ろ祈ろ~身延と同じ勤行♪
きっとお前も文底いらない♪
棄てな棄てな~師弟を師弟不二を今は♪
迷走する座談会
時が止まった同中
むきに眉をひそめると直ぐに査問だ
こんなにも処分が増えてるじゃないか♪
 

生命が求めているのは喜び!

 投稿者:螺髪
 投稿日:2017年 8月24日(木)17時35分28秒
 ClearSkyさん、まるで“宝石”を散りばめたような「法門」満載の投稿をありがとうございます。おかけで“池田生命論”の探求が思い切ってできます(笑い)。生命論の探求を続けます。

 「生命」が求めているのは「喜び」であると言ってよさそうです。「歓喜」といってもいいでしょう。それは、単なる「欲望の充足」という意味からの「喜び」ではなく(そのひとつではあります)、「生命体」がその存在とともに求める本然の働きといえます。「生命」の働きの中の「開」と「合」から生じる「喜び」といえます。「生死の二法」ということです。「原子核」が“核融合”でも“核分裂”でもエネルギーを放出するのと同じです。

 「妙は死 法は生なり 此の生死の二法が十界の当体なり 又此れを当体蓮華とも云うなり」(生死一大事血脈抄1336㌻)

 法華経序品第一の始に「如」の字、普賢菩薩勧発品第二十八の終わりに「去」を置かれていることの御義口伝には次のようにあります。
 「去は開の義 如は合の義なり 開は分別の心なり 合は無分別の意なり、此の開合を生仏に配当する時は合は仏界 開は衆生なり、序品の始に如の字を顕したるは生仏不二の義なり=中略=如去の二字は生死の二法なり、伝教云く『去は無来之如来無去之円去』等と云云」(御義口伝782㌻)。
 ここでの「開」は法界に開くの意味です。つまり「生」です。

 分裂と融合の「開」と「合」も、「生」と「死」も、言ってみれば、「エネルギーの放出」が「喜び」の実像であるということになるでしょうか。それは、小は微細な素粒子の世界でも、巨大な宇宙でも同じで、ありとあらゆる「生命体」が希求する「生命」の実像であり、実態なのではないでしょうか。「エネルギーの放出」が「法性」と捉えられます。

 「生命」の活動の表現に「煩悩」があります。
 本来、「法性」が生命の根源の力であるはずなのに、現実のこの娑婆世界で「生」あるために生じさせたその変化相の「煩悩」が逆に「法性」を食(は)む結果になっています。「法性」が「煩悩」に使い切られてしまうという見方もできます。「有漏、無漏」の、穴の開いた「有漏」という視点です。
 「煩悩」は、とくに初期の仏法では迷いや苦しみの原因とされています。奪命者だという捉え方もできます。「有漏」というのはそうした煩悩によって、生命の発動力としての「法性」が“漏れる”状況をいうのでしょう。

 唯識論では「煩悩」を「三十四」に分類しているといいます。

 貪、瞋、癡の三毒(さんどく)は、三つの煩悩を毒に例えたもので、その三毒に慢、疑、悪見の三つを加えたものが六根本煩悩(ろくこんぽんぼんのう)というようです。

【三毒煩悩】
 ①貪(とん)むさぼり ②瞋(じん)いかり ③癡(ち)おろか(以上が三毒煩悩)

【六根本煩悩】
 ④慢(まん)おごり 他と比較の上でのおごり ⑤疑 (ぎ)うたがい(以上が五鈍使)
 <⑥、悪見(あくけん) ※ → 悪見に五つある=五利使>

 ⑥有身見(うしんけん)我執。我愛。我が身と人の身、我が物と人の物を分かつ見方 ⑦辺見(へんけん)一辺に固執した見方 ⑧邪見(じゃけん)因果を否定する見方 ⑨見取見(けんしゅけん)自分の考えに固執する見方 ⑩戒禁取見(かいこんしゅけん) 自分の行動に固執する見方

(①~⑩を十根本煩悩といい、「悪見」を五つに立て分けると全部で十になるとします)

 私たちは、生命の「濁り」を「五住の煩悩」(三界の見惑、欲界の思惑、色界の思惑、無色界の思惑、三界の無明惑)、「五濁」(劫濁、煩悩濁、衆生濁、見濁、命濁)、あるいは上記に挿入したように「煩悩濁」の五鈍使、「見濁」の五利使などとまとめ上げられた形で学んできていますが、こうして列挙してみると、より生の人間に迫ったもののようなニュアンスがあります。

 先人の知恵をちょっと拝借すると、さらに「煩悩」には付随した「随煩悩」があるとします。その中で三毒を根元とする煩悩を「小随煩悩」というそうです。

 【小随煩悩(しょうずいぼんのう)】

 ①忿(ふん)激怒の心。「瞋」を根元とする ②恨(こん)恨みの心。「瞋」を根元をする ③覆(ふく)罪をかくす心。「貪」、「癡」を根元とする ④悩(のう)いらだち悩む心。腹立ちや恨みから、ひがんだり悩んだりする心をいう。「瞋」を根元とする ⑤嫉(しつ) ねたみの心。「瞋」を根元とする ⑥慳(けん)物おしみの心。「貪」を根元とする ⑦誑(おう)たぶらかしの心。「貪」、「癡」を根元とする ⑧諂(てん)へつらいの心。「貪」、「癡」を根元とする ⑨害(がい)無慈悲に他を害する心。「瞋」を根元とする ⑩憍(きょう)おごり高ぶりの心。憍は比較しないでおごることとされる。「貪」を根元とする。

 漢字の字義でも、「瞋(じん)」いかって目をむくこと、「嚇(おどす)」はかっとして怒鳴ること、「怒(ど)」は「喜」の反対で腹を立てて表立っておこること、「忿(ふん)」腹を立てて恨むこと、「恚(に)」は恨みいかること、「愠(おん)」は心の中でむっとすること、「憤(ふん)」は怒りが吹き出しそうになること、としているのも、こうしたことを根拠にしているのでしょう。“象形文字”はこういう時に力を発揮します。

 また、随煩悩の中で他の煩悩とともに働く煩悩を中随煩悩というようです。
 【中随煩悩】
 ①無慚(むざん)「自分自身と真理」に恥じることがない心 ②無愧(むき)「世間」に対して恥じることがない心

 随煩悩の中で他の煩悩を生じさせる煩悩を大随煩悩というようです。
 【大随煩悩】
 ①掉挙(じょうこ)昂ぶった落ち着きのない心 ②昏沈(こんちん)沈んだ心 ③不信(ふしん)不信心な心 ④懈怠(けたい)怠惰な心 ⑤放逸(ほういつ)だらしない心 ⑥失念(しつねん)誓願を忘れる心 ⑦散乱(さんらん)散乱する心 ⑧不正知(ふしょうち)真理を誤解する心。

 時と場合によって善にも悪にもなる煩悩もあるとします。
 【不定(ふじょう)】
 ①悪作(おさ)=後悔する心 ②睡眠(すいみん=眠たい心 ③尋(じん)=浅い推しはかる心 ④伺(し)=深い推しはかる心。

 こうなると、もう、精神医学か、心理学の世界です。詳細の大部分の展開は専門家に委ねなければなりませんが、少なくとも、池田先生が仰るように仏法の志向と科学の検証が一致することを意味します。戸田先生、池田先生が打ち出した「仏法生命論」の脈流の真骨頂はこうしたところにありはしないでしょうか。


 

twitterより。師匠という軸が外れたら学会は空転する。

 投稿者:ツイート人
 投稿日:2017年 8月24日(木)16時42分2秒
先生が自分のために自分を守れと言ってきたのではないこと分かりますよね
師匠という軸が外れたら学会は空転する
社会の幸福の基盤が失われる
みんな幸せの土台を壊す
 

原田偽会長┐('~`;)┌遊びにいっちゃった┐('~`;)┌

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール
 投稿日:2017年 8月24日(木)13時57分6秒
栃木の久保田です。m(._.)mヽ(^○^)ノ

原田偽会長┐('~`;)┌遊びに行っちゃいましたね。

『原田偽会長は偉いんです。』

『お偉い偽会長は会員に査問する権限が有るのだ。』

『私の偉さが分からない下々の者達よ┐('~`;)┌』

『私のように高学歴で策士で人を騙すのに長けていれば世の中を小判鮫のように楽して渡り歩くことが出来るのだ』

『権力者に取り付く事だよ(//∇//)金を持ってる
奴(//∇//)そして権威権力を持っている奴に上手く取り次いで虎の威を借りるのだ(*`Д´)ノ!!!』

『それが出来る私が一番偉いのだ!』

『選ばれた人間なのだ』

『こちらの掲示板』でゴチャゴチョ言っているやからが居るようだが『何か言ったか?』って所かな(//∇//)

『偽会長は一番偉いのだ!』

ってバカ偽会長┐('~`;)もう帰ってくるな(# ゜Д゜)

 

昭和54年問題再考005

 投稿者:The logic in the place bot
 投稿日:2017年 8月24日(木)12時54分23秒
お詫び・訂正その六十

昭和54年問題再考005

投稿者:The logic in the place

投稿日:2015年 7月 9日(木)14時24分1秒



昭和55年11月には、学会組織内でも小冊子の配布がありました。

また、外部識者と名乗る左翼系の方々も創価学会問題を取り上げて内閣調査室の陰謀やら

自民党右派の暗躍などと山崎正友・原島嵩と月刊ペン事件をリンクさせて大々的な悪者

追求の言論を展開することになりました。



仕組まれた創価学会批判

http://firestorage.jp/download/d8864feabd535d67d6237c4b6244d93a79cb78eb

ダウンロードパスワード czggjsng



もう、山崎正友・原島嵩がすべて仕組んだ学会批判だという徹底した教宣活動(笑)。

そして、昭和56年8月には北林芳典著「大陰謀 悪の天才・山崎正友のすべて」が

三天書房より出版されて、池田大作批判から宗門と学会の破断、学会組織破壊すべて

が山崎正友による事件であったと結論付けていました。



当時、学生部であった私は、「そうか~なるほどね~」としか、認識していませんで

したが、今再び北林著の「大陰謀」を読むと山崎正友はスーパーマンのように八面六臂で、私利私欲のために宗門と学会の分断、週刊誌への情報提供、墓苑事業から冷凍食品経営等で終いに大変な借財を作り学会を恐喝して逮捕されるという、滑稽なストーリーです。

ひとりで出来ることではない。まさに北林自身の大陰謀であり、邪智顛倒、暁闇であった

ことが分かることになりました。誰を庇うために、これほどまでして「山崎正友」のみを

叩いてきたのか?これが第二次宗門問題のキーワードになります。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーー





この「昭和54年問題再考005」も、池田先生が現在執筆中の新・人間革命にて端的にまとめられており、それを無視した悪しき投稿です。トンデモナイ投稿でした。

謝罪・お詫びいたしますよ。ほじくり返すようなことは致しませんよ。



だから、私は会則の



???????????????

第14章 賞罰

(懲 戒)

第78条 この会は、会員としてふさわしくない言動をした会員に対し、その情状に応じ、戒告、活動停止または除名の処分を行なうことができる。

???????????????



に主観的に該当する投稿であり、村八分・査問・除名にぃ該当します。



全て大極善幹部様方々を守る為に、会員資格停止(供養だけはOK?)、発言も活動も停止!会館デキンの処置をされます。

反逆者!裏切者!極悪!大極悪人です。



私が極悪人です。誠に(×15)お詫び致します。

二度(×13)と欠点を挙げつらうことは致しません。極善弟子になるために、二度(×13)とこのような投稿は致しません。だから許して下さいね。何度も丁寧に謝ってます。



だから、私は何度(×15)も、お詫び・訂正・謝罪・改心を、大極善会員の皆様のように『裏』ではやらずに、この宿坊の掲示板で『公』に謝罪しますね。これが一般社会通念です。



会則における全権統理する会長が『黒は白だ、偉いんです!』と次々に認定発言されれば、我々末端の会員は、それに付き従い『その通り、黒は白です!』と次々に口裏合わせするのが当たり前です。

それが極善弟子になり、改心した証ともなり、処分も解雇もクリアーできる営為です。



極善弟子、極善会員に間違いなど無い!間違いを糾す者が間違ってる!と言うことを私は繰り返して、頭悪いんで、また繰り返すかもしれません。この繰り返しが極善会員への改心活動です。



その都度、何度も訂正して、『間違いが間違っているから、間違いなんだ?いや、会長が認定している!池田先生も認定しているはずだ!だから、これで良いのだ!』と三段論法的に謝罪・訂正・お詫びをば今後共にしていきたいと存じます。ちゃんと監視している大極善弟子の極善会員の皆さまは記録して下さいよ。



今更、改心しても手遅れですが、頭悪いんでこれからもどしどし誠実にして真面目な極善会員になれるよう、改心した極善会員の証を投稿したいと存じます。

もっと早く大極善会員さま方(特に高位の本部職員)のように用意周到に、情報源を叩き潰してコッソリ改心していれば良かったと草葉の陰で反省しています。



処分の撤回は二度と無く、今生では査問やら対話も全く有りませんが、今後も謝罪・訂正をば続けていきますよ。



ありがとうございました。

 

実績の無いものは信じない

 投稿者:ミネルヴァの梟
 投稿日:2017年 8月24日(木)12時53分11秒 編集済
2014年の会則変更以前までに、学会教学は既に完成されていたという、ClearSky様のご意見に同意。

池田先生が、伝えるべき事はすべて伝えた、と本幹で言われていたのを、私も確実に聞いた。
だが、本仏を変えるなどと言う話は、一度も聞いたことがない。

私の教学は、池田先生の立正安国論講義が原点。
受験生の頃、1年ほどかけて、注釈まで1行も漏らさず精読した。

注釈がそれ自体単独で、別の論文になっているというもの凄さ。マックス・ウェーバーみたいだ。
大聖人の御書って凄いな~という感動があり、その感動が、五大部十大部の研鑽へと導いてくれた。
当時、池田先生直々の講義集が家に在り、すべて研鑽したものだ。

おかげで教学試験は一度も不合格にならず、教授まで行き着けた。

当時と比べて今の教学はぜんぜん物足りないし、おかしい。現場ではいまだ古い経本を使っている人は多いし、私も新しい経本を買ってすらいない。変更はぜんぜん受け入れられていない。大白の今月の御書なども、同じ御書ばかりで、こんなんじゃダメだろうといつも思う。

感動も足りない。
ルソーの、社会契約論や学問芸術論、人間不平等起源論、等、題名を聞いただけで頭が痛くなりそうだが、実際には下手な小説などよりよほど面白く、理論プラス感動がある。

だからこそフランス市民は動き、革命は成功したのだろう。
理論だけでは庶民は動くまい。

最澄の愚かな弟子どもが、当時流行の真言の邪義を取り入れ、像法時代の正法を台無しにしてしまったのと同じことが、今まさに、創価学会で起きている。

それをまずやめさせなければ。
 

こういう記事が・・加計学園

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール
 投稿日:2017年 8月24日(木)11時06分50秒
8月22日・・田中真紀子氏が「犯人は阿部・・・」と述べる

https://www.youtube.com/watch?v=F5pvCLkxDR8

http://www.asyura2.com/17/senkyo231/msg/173.html

公金でワインセラーを・・・


さて、クリアスカイ様、力作ご苦労様です・・

皆さんの主たる問いかけを代弁されていると思います。

松戸氏の回答、楽しみにしています・・

しかし、宮田氏の方向性危険極まりない様に見えますね・・

元教学部の方々の宮田氏論陣への徹底破折期待します。
 

ClearSkyさんへ

 投稿者:虹の戦士
 投稿日:2017年 8月24日(木)09時57分4秒 編集済
>”教義に関しては【2014年11月の会則改変以前までに、学会教学は完成】
されており、【2014年11月に会則の教義条項を修正する必要はなかった】
と考えています。
宗門離脱後、御本尊問題、人間主義の仏法の確立等に関して、池田先生は着実
に手を打たれていたと考えます。
特に1990年代の10年間はそのための期間であったように思います。
今後数十年間、百年・二百年間のための基礎は磐石に構築されていたと思います。
そして、2014年当時も現在も、何も修正する必要はなかった筈です。”

詳しい教義に関する投稿ありがとうございます。
とても参考になるとともに、私もClearSkyさんと
同じように、教義を変える必要など
何もなかったと思っています。

結局は、教義の探求の旅に旅立っても
気がつくと元の場所にもどってたということに
なるのではないでしょうか。

問題は教義を変えて、今を生きる人が幸せか
どうかではないでしょうか、疑問や対立を深める
のではと心配しています。

学ぶことでさらに自分の信心に確信をもつための教学研鑽
ではないでしょうか。

毎日勤行唱題をして、日蓮大聖人様の仏法を
信じてる人の体験談には説得力があり、参考に
なりますが、勤行唱題をしたことのない方が
日蓮大聖人様の仏法を語っても、説得力は
ないのではないでしょうか?
たとえば、幸福の・・・さんが日蓮の本を出版
されても、興味がわかないようにです。

唱題行のすごさは、お題目を唱えなければわからない
のだなと思います。

http://imagine-happy-life.tokyo/

 

キリスト教の聖者、アシジの聖フランチェスコ

 投稿者:虹の戦士
 投稿日:2017年 8月24日(木)09時20分47秒 編集済
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ClearSkyさんへ

>”未だ嘗て、一般信徒が宗教指導者の過ちを正したことはないかもしれません
(宗教の歴史に詳しい人がいれば、正確なところをお教え下さい)。
ちょうど500年前の1517年にルターが改革を始めましたが、ルターは宗教者でした。
在家信徒ではありませんでした。”

在家信徒という視点ではないですが、
私はキリスト教の聖者、アシジの聖フランチェスコは腐敗した当時の
教会の宗教指導者の過ちを正し、教皇さえも自分の過ちに気づかせた
人物だと思っています。広宣流布の天地に一人たち、自らの行動で
宗教指導者の過ちを正した人物ではないでしょうか。

教会からみると、司祭職の権限を持たない俗人が、説教を行って
いたので、これは在家の立場に近いかもしれません。


「ブラザーサン、シスター・ムーン」の映画を
みて青春時代に感動しました。

以下はWikipediaからです。

”1210年、仲間の数が12人になっていた小さき兄弟団はローマに向かい、
教皇イノケンティウス3世に謁見し、活動の許可を求めた。これには
アッシジ司教グイドの斡旋があったものとされている。
フランチェスコたちの活動は問題を孕んでいた。そもそも当時の聖職者や修道士は
托鉢を禁止されていたし、司祭職の権限を持たない俗人が、説教を行うことも
問題視されていた。修道院の中に閉じこもって祈りと瞑想に身と心を捧げる
従来の修道会と、小さき兄弟団はまったく性格を異にする集団であった。
この時代に少し先行して、古い修道院制度を刷新したと言われているシトー会
は労働や生産活動を行ったが、托鉢や街頭での説教などを行ったわけではない。
一切を所有しないという清貧の実践、托鉢や宣教活動は、当時の教皇庁を悩ませていた
「リヨンの貧者」(ワルド派)、あるいはファミリアーティ派と呼ばれたグループなど
とも共通するところがあり、異端として弾圧されたこれらのグループとフランチェスコ
たちが同一視される危険性は十分にあった。

やせ細って、汚れたぼろを纏った兄弟団を最初に見たとき、教皇は不快に感じたとも
伝えられている。しかし何度かの謁見の後、口頭によるものではあったにせよ、
小さき兄弟団の活動に認可を与えた。聖人伝の伝えるところでは、教皇は夢の中で傾いた
ラテラノ聖堂をたった一人で支えた男の姿を見ており、その男こそがフランチェスコで
あると悟ったからだという。”

"主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。
憎しみのある所に、愛を置かせてください。
侮辱のある所に、許しを置かせてください。
分裂のある所に、和合を置かせてください。
誤りのある所に、真実を置かせてください。
疑いのある所に、信頼を置かせてください。
絶望のある所に、希望を置かせてください。
闇のある所に、あなたの光を置かせてください。
悲しみのある所に、喜びを置かせてください。
主よ、慰められるよりも慰め、理解されるより理解し、愛されるよりも
愛することを求めさせてください。
なぜならば、与えることで人は受け取り、消えることで人は見出し、
許すことで人は許され、死ぬことで人は永遠の命に復活するからです。"

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%82%B8%E3%81%AE%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%82%B3

http://imagine-happy-life.tokyo/

 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、国立サンマルコス大学が池田先生に名誉博士号を授与、誠におめでとうございま~す(笑)

 投稿者:カンピース
 投稿日:2017年 8月24日(木)07時58分34秒 編集済
おはようございます。原田怪鳥様、ペルー国立サンマルコス大学が、池田先生に名誉博士号を授与されたとのコト、誠におめでとうございま~す(笑)

原田怪鳥様におかれましては、「代理」での授与、誠にご苦労様で~す(笑)

でもねぇ~、原田怪鳥様、ナゼ原田怪鳥様なんデスかぁ~(笑)

通常こういった授与は、身内が受けるのが、通例じゃないデスかねぇ~(笑)

リオでも博正サンを差し置いて、原田怪鳥様が出しゃばって授与されてましたよねぇ~(笑)

「訪問団」とブチ上げたのなら、当然、博正サンも、この一員として参加されているのが当然なのデスが、博正サンは不参加デスかぁ~(笑)

それとも、原田怪鳥様の「じ・き・で・し」の証明の演出のための代理授与デスかぁ~(笑)

政教珍聞上には、訪問団と銘打っても、原田怪鳥様と笠貫女史の御名前しかありませんよぉ~(笑)


それと、原田怪鳥様、「池田大作先生」は止めてもらえませんかねぇ~(笑)

なぜなら、池田先生の公的な正式名称は「池田名誉会長」もしくは「池田SGI会長」なのでぇ~す(笑)

こういった、公の正式な式典の報道においては、創価学会としても、公的な名称を使用するべきと思いマスけどねぇ~(笑)

小生などは暗愚のため、三代会長の尊称を「先生」に統一する、なんて言われても、未だ師匠は御存命であり、

ワザワザ「統一」するのは、師匠を「過去の人」にしたいという原田怪鳥様の邪心じゃないのぉ~、って感じるんデスけどぉ~(笑)

ちなみに名誉博士の授与証がでておりマスが、小生はスペイン語が分かりませんので、どなたか訳して、公表いただければ幸いでぇ~す(笑)


ともあれ、池田先生の入信70周年の報道、誠におめでとうございま~す(笑)

さぞ、明日の珍聞には、各地での記念勤行会が開催された報道があるコトでしょ~う(笑)

ところで、原田怪鳥様の御帰国の予定はいかがなっておりマスでしょうかぁ~(笑)

原田怪鳥様が御帰国されるまでは、きっと東京も晴天が続くでしょうから(大爆)、

できるだけ逢瀬を楽しんで頂いて、もとい、南米各国を御訪問頂いて「じ・き・で・し」の振る舞いをされるコトを、期待しないで待ってまぁ~す(爆)



 

わが友に贈る 2017年8月24日

 投稿者:どうみょうてん
 投稿日:2017年 8月24日(木)07時20分47秒
徹して一人を大切に!
これが創価の心だ。
誰もが生き生きと輝く
励ましのスクラムを
座談会から広げゆこう!
 

創価の本部職員が同士討ちするんですよー爆笑

 投稿者:珍説 谷川革命 (笑笑
 投稿日:2017年 8月24日(木)07時14分6秒
だから、一般会員は声を上げて、本部職員(供養消費者)が改革するんですよ!
一般会員は、生産者(供養する側)です。声を上げる事は出来ますが、宗団の改革は本部職員がやらなければならないの!!この掲示板を覗き見している供養消費者の皆さん、ちゃんとやる事が沢山有ります。
さっさとロクデモナイ奴らを宗団から追放して下さい。そうしないと、あなたがたも一般会員から追放されることになります。
そうしないと、あなたがたの未来はありません!!
 

感謝

 投稿者:末端信者
 投稿日:2017年 8月24日(木)06時54分30秒
ClearSkyさん、有難うございます。  

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