『男の産後うつ』になったようだけど女装したら治ったみたい

自分が癒やされれば、家族も癒やされる。

私が癒やされれば、家族も癒やされる。そんな関係を模索するブログ。

自分は加害者であると認める勇気

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私が愛読しているYasukun-papaさん(id:Yasukun-papa)のブログ。

はてなブロガーのなかで、もっとも私と似た経験をお持ちであり、もっとも私と似た趣旨でブログをしていると、私が勝手に思っています。

どういう点で似た経験なのかは、ぜひYasukun-papaさんのブログをご覧ください😊

 

www.yasukun-papa.com

 

 

 

私がDV加害者であると公言する理由

私はこのブログで何度も、奥さまに対して精神的DVをしていて、DV加害者のワークショップに通っていたことを書いています。

 

www.utsu-joso.com

 

こういうことを顔出しブログで書くことは、実はとても勇気がいる。

私自身、DVをする自分を正当化するつもりは微塵もないし、むしろそんな自分に当惑し、後悔もしているし、自分に対するいらだちや恥ずかしさを覚えている。

「そんな卑劣な行為をしている男の顔はこちらです」と公言するのだからね。いわば「私はバカです」という張り紙をつけて、街中を裸で歩き回るようなもの。

だって私はバカでどうしようもないんだから。それは事実なんだよ。

 

それをあえて公言するのは、自分が加害者であることを自分自身が受け入れなければ、自分のDVを止めることもできないし、ひいては奥さまとの関係を改善することができないからなんですよ。

 

加害の裏側にある被害者意識

私の場合、精神的DVをしていた時に「私は悪くないのに、奥さまが私のことをわかってくれない」という被害者意識を持っていた。

私は奥さまから不当に扱われている。夫婦なのに、私のことを尊重してくれない。私をないがしろにしている。そういう気持ちをもっていた。

この時、毎晩スマホで「妻 ないがしろ」みたいなキーワードで検索していた😅

 

で、それが行き過ぎたので

「私をないがしろにする奥さまは敵だ。敵には攻撃をしてもいい」

という風に思考してしまい、無視や暴言をしていた。

私は加害をしているというよりもむしろ被害者なのだから、奥さまはその報いを受けて当然であるという歪んだ思考をしていたんだよね😫

 

罪を犯したものだけ石を投げなさい

イエス・キリストのエピソードとして「罪を犯したものだけが石を投げなさい」っている話があるよね。

(キリスト教には詳しくないので、具体的に言えないが)

 

ちょっとwikiを引用しよう。

イエスを試すために、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来た。律法では石打ちの死刑に値する。イエスは「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」と言った。これを聞いた者は全員、自分が罪を犯したことがあると知っているので、誰も女に石を投げることができず引き下がった。また、イエスも女の罪を許した。

 

このエピソードからもわかるように、石を投げないようにするには、自分が罪を犯したと自覚しなければならないんですよ。

私のケースでいうと、奥さまへの精神的DVを止めるには、私はないがしろにされている被害者なのではなく、加害しているという自覚をもたねばならない。

 

ちょっと角度をかえて言うと、私が好きな文言評論家の千野帽子さんが、こういうことをおっしゃっている。

(以下、ツイート引用)

 

 

自分の抱える加害性を認めるのは怖い。怖いからこそ他責にし、攻撃(差別)をしてしまう。その怖さを克服し、加害性を認めることなしには、攻撃も差別も止めることはできない。

 

ならば加害性をオープンにしようじゃないか

言葉で表現できる以上に、私はDVを憎んでいるし、DVをしてしまう自分を嫌悪している。本当に、心底、DVを克服したいと思っている。

そういう思いから、自分の加害性をオープンにしている。確かに私もオープンにするのは怖い。でも。これは紛れもなく私が行った卑劣な行為であると開示することによって、自分の中の加害性を自分で認めるという、私自身のための作業なのです。

 

Yasukun-papaさんも、紹介した記事の中でこういうことをおっしゃっています。

 

自分が抱える負荷から逃れるために「現実から目を背ける」方法を選ぶと、今後、同じことが繰り返されるような気がします(←所詮、数十年の人生経験・・といい謙虚さは忘れない)。

「あの人が〇〇だったから・・」と他責にしたくなった途端に、悪魔が微笑み始めます。そして、心地良さそうな世界が目の前に広がります。

 

ただ、今の私は、そんな世界に足を踏み入れるつもりはない。

「自分は痛い人間」であっても気にしない。そんなこと、どうでもいい。

今まで通り「目を背けない」で、淡々と生きて行こうと思います。

 

そうなんです。「自分は痛い人間である」と、目をそらさずに自分で受け入れる。

これができないから、誰かに石を投げたくなる。(他責にしたくなる)

私も「痛い人間であること」(DV加害者であること)をオープンにすることに勇気が必要だったように、Yasukun-papaさんも、自分が痛い人間であることを告白することは勇気が必要だったに違いない。

 

私の気持ちとしては、自分の加害性をオープンにすることこそが重要なのであって、そこに賛同や共感というのはほとんど必要がない。他人に承認してもらうということよりも、自分が自分の加害性を承認するということが重要だから。

 

だから、あまり賛同も共感もしないでね😅

でも、批判も否定もすべて受け入れるよ😉

そういうつもりで、私は私のために、ブログをやっているんだから。

 

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