緒川城

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緒川城址(2010年8月)
公園と城址(2010年8月)

緒川城(おがわじょう)は、尾張国知多郡小河(愛知県知多郡東浦町緒川)にあった日本の城

歴史[編集]

文明年間(1469年1487年)に水野貞守により築城。のち賢正、清忠、忠政信元と続いた。天正8年(1580年)の水野忠守の入城に際し、居所の移転がなされる。慶長6年(1601年)に緒川藩が成立、水野分長が城主となるが、新城藩移封に伴い、慶長7年(1606年)に廃城となる。

構造[編集]

南から北に、出丸、二つに区切られた主郭、家臣の屋敷、忠守および分長の居城となった曲輪群からなる。貞守の築城による主郭およびその周囲の曲輪を「緒川古城」と称し、忠守らの居城区域を「高薮城」もしくは「緒川新城」と呼ぶことがある。それぞれ現在の東浦町緒川字古城と緒川字屋敷三区に相当する。

遺構[編集]

「緒川古城」の主郭は児童公園となっており、僅かに北側の土塁の一部が残存する。土塁に隣接して「緒川城址」の石標と城趾全体の縄張り図を含む案内板がある。城址は東浦町指定史跡となっている。

「高薮城」周辺は一面宅地となり、当時の面影をとどめていない。かつては石碑(愛知県)が建てられていたが、今は東浦町役場の北に移動されている。但し水野氏菩提寺の乾坤院の総門は「緒川新城」廃城の後に移築されたもので、現存する唯一の建物であるとの伝承が同寺にある。

アクセス[編集]

JR武豊線緒川駅より徒歩15分。雑多な住宅街の一角にあり、駐車場は無い。

関連項目[編集]