今日の通訳は戸田奈津子なのか?
こんな習慣を持っているのは私だけなのだろうか。ラテ欄や番組内の事前告知で、あのハリウッド俳優がゲスト出演する、と知らされた段階で「今日の通訳は戸田奈津子なのか?」と問いを投げかけ、実際に戸田が出てきた様子を見て「あ、戸田奈津子だ!」と確認する習慣。声に出すわけではなく、Q&Aの両方を頭の中で済ませている。今日は戸田奈津子なのか、やっぱり戸田奈津子か、というやり取りを百回くらいは繰り返してきた。そのくせ、なぜその問答を繰り返すのかについて考えたことが無かったので、この機会に考えてみたい。
仮に、番組の司会者を山田、ハリウッド俳優をジョンだとする。その場での言葉のやり取りを示せば「山田←→通訳←→ジョン」になるわけだが、通訳者はできるだけジョンの陰に隠れて、それこそ物理的にもジョンの後ろに位置し、「山田←→ジョン(with通訳)」という見せ方を心がける。「山田→ジョン」の時には、通訳はジョンの耳元に顔を寄せ、相当な速度で訳して伝えていく。でも、戸田奈津子の場合、明らかにその場が「山田←→戸田←→ジョン」との構図になる。戸田奈津子だけがこの構図になるのは、彼女が業界屈指の大御所だから、という平凡な理由だけなのだろうか。
字幕は1秒につき4文字
津田塾大学に通っていた戸田は、大学の教務課から「第一生命保険の社長秘書にならないか」と誘われ、英文関係の秘書として就職した。しかし、当時、処理すべき英語の手紙といえば週に数通くらいのもので、彼女は部屋でとにかく暇を持て余していた。勤め先の第一生命ビルは、戦後、GHQの庁舎として接収されたビルであり、戸田が暇を持て余していた部屋は、かつてのマッカーサーの執務室の隣だったという。そんな場で、海の外の文化への憧れを膨らませ、いよいよ耐えきれなくなった戸田は、一年半で見切りをつけ、字幕の仕事を模索し始める。当時、英米映画の多くの字幕を担当していた清水俊二の門を叩き、シナリオの到着が遅れている映画のヒアリングの仕事をもらうようになり、字幕翻訳の道を歩み始める。
字幕技術を体得する過程で真っ先に問われたのは、言葉をカットする技術だった。字幕は1秒につき4文字を基準に作られるので、英文をそのまま訳していては秒数が足りない。例えば、清水は“If you don’t listen to me, you’re gonna see a side of me you’ve never seen before.”(おれの言うことを聞かなければ、君は君がいままでに見たことのないおれの一面を見ることになる)を、「君がまだ知らぬおれをみせるぞ」と訳したという(戸田奈津子『字幕の中の人生』)。
字幕のために、原文を尊重しながらスリムにする訳は、書物の翻訳とは異なる取り組み。字幕翻訳をやりつつ、通訳者としてもメディアに頻出した戸田は、そういった場でもスリムな訳に徹してきた。戸田の「誤訳」についてはネット上にまとめが転がっているが、それを問うたところで、自分がなぜ「戸田奈津子のQ&A」を繰り返してきたかという命題には辿り着きそうにない。ちなみに当の本人は「お叱りや間違いの指摘は真摯に受け止めますが、基本的には気にしないことにしています」(戸田奈津子『KEEP ON DREAMING』)と述べている。
「山田←→ジョン(with戸田)」にはならない
戸田は数々のハリウッド俳優との交友があり、トム・ハンクスが戸田のことを「Mom!」と呼ぶ……みたいな話は方々で聞かされてきたし、『地獄の黙示録』を作っていたフランシス・フォード・コッポラが、フィリピンロケが長引いて日本に立ち寄る度に、通訳兼ガイドに戸田を指名し、それがきっかけとなって『地獄の黙示録』の字幕担当に抜擢されたこと等々、今回調べていて、いくつものエピソードを知った。でも、それらはいずれも「あ、戸田奈津子だ!」を繰り返してきた理由にはならなかった。
字幕は1秒につき4文字。政治家の会見や国際会議なら話は別だろうが、ワイドショーのエンタメコーナーに登場した俳優の同時通訳というのも、とにかく簡略化が求められる。秒単位でコーナーが区切られている以上、多くの質問をし、多くの答えを得る事が求められる。それは、戸田であろうとそれ以外の通訳であろうとも、求められることは一緒。少しでも翻訳の秒数を縮めなければいけない。短ければ短いほど、話がどんどん進む。でも、そんな時、私はまず「あ、戸田奈津子だ!」という確認に1秒か2秒を使う。その間にも話は進んでいく。会話の最中にも、戸田奈津子だ、と時折確認する。「山田←→戸田←→ジョン」という構図がずっと崩れない。「山田←→ジョン(with戸田)」にはならない。聞いて、答えてもらう間に、その都度、頻繁に戸田が介入してくる。
戸田奈津子にのみ該当する事案
いや、別に、彼女が介入しているわけではない。でも、TVを見ているこちらは、翻訳している彼女の姿を「介入」だと捉える。話はずんずん進んでいくから、その介入に気をとられていると、話についていけなくなる。司会と俳優の会話がうまくいっていないな、と感じることが少なくないのだが、それって、司会のせいでも俳優のせいでも戸田のせいでもなく、「あ、戸田奈津子だ!」と確認する時間が生じる事によって、流れから置いていかれるから、ではないかとの選択肢が浮上する。
つまり、誰が悪い、ではなく、見ている私が悪い可能性。「今日の通訳は戸田奈津子なのか?」「あ、戸田奈津子だ!」という自問自答、その姿勢によって数秒の時間をとられている。これって、日本でただ一人、戸田奈津子にのみ該当する事案ではないかと思うのだが、どうだろうか。どうだろうか、だなんて、ひとまず疑問形で逃げて終わるが、個人的にはかなりの大発見で、ひとり興奮している。
(イラスト:ハセガワシオリ)
メディア分析ラボ 第9回「ワイドショーと芸人」
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