KUONのブログへようこそ。

ブログタイトル変えました。中身は変わらずKUONです。

ご挨拶。

気持ちが落ち着いてから書こうと思っていました。

ご存じの方はご存じでしょうか、でれでれ草と伏見顕正のブログが閉じられました。内容が規約に反したからと聞けば、なるほどと思います。

追記・トド子さまより

>私は規約違反云々でFDDを消し去った訳ではありません。
>あくまでも正攻法で法律の矛盾を突いただけです。


よくわかりました。

・・・あれらについては、もうここでは書きません。それでも信じておられる方は、思いのままにされるだけのことでしょう。

恐ろしかったのは、あの匿名の掲示板です。

あれらが放り出す無いこと無いことのネタを都合よくキャッチし、真偽かまわず当該ブログを読んだことも無い者たちが、理由もわからず突然ある日、捏造や誹謗中傷の嵐に突き倒されて身を庇うすべも無く転がされてしまった状態の、罪咎の無いブロガーさんがたを、嗜虐趣味をそこで同じくする仮想集団となって無茶苦茶に踏みまくり、顔写真を潰し、家族友人までを極限まで侮辱し、汚い言葉で貶め続けた、狂熱狂乱の時期のことでした。

こんな楽しいことやっていいのか、という感覚でもあったか。匿名で。自分は安全な場所から。どうやら同じ思いの仲間はいるし暴言吐くのは自分だけでは無い、やっちゃえ。

もっと強い刺激が欲しい、誰か写真を探して来い。もっともっと。もっと落としてやれ、もっと辱めてやれ。

自死を促す書き込みもあった、まだ生きているのかと言い捨てていた。もう関係ないとも書いてあった。人間ではないとわたしが感じたのは、そのあたりでもあります。レイプ犯のやり方です。それがまかり通っていた、ある時期。

良識的な書き込みもありました。いっしょうけんめい、それは違うと書いていた方もありました。しかし。

爆発的な狂乱のときには、まともな意見など通る隙間は無い。

ただただ、嵐は、何もかもを襲い、巻きこみ踏み潰して行く。

・・・狂ったような加虐の喜びに没頭したヤカラの中には、でれでれ草、伏見のブログのなき今、まるで何も気になっていない者もいるでしょう。

いつも考えるのですが、自分から「悪」を行う者もいれば、おそるおそる尻尾の方から、本当は投げたいかそうでもないのか判らないまま、皆に石を投げられている対象に向かって、エイヤと投げてみる者もいる。

一個投げたからいいや、ちゃんと、自分も投げたと言って、仲間のままでいられる。もういいや。そんな者もいる。

もっと投げる者もいる、人にツブテが当たるのが面白い者もいる。一度だけで、もう止めようと後ずさりする者もいる。

後になって、自分(も)石を投げた、逃げようのない人に向かってツブテを投げた、と。

心に痛みを持つ者は、ここに挙げた、どのタイプなのだろうかと。

自分が、ある日、何かに巻き込まれて。理不尽だと怒る時、過去のことを、思い出す者はいるか、いないか。

もしもいつか親になって、自分の子どもがいじめに遭ったらどうするのか、など、考えます。

わけのわからないことを書きました。

自分のことも含めて、これどうなるのだろう、どうすればいいのだろうと、途方にくれる思いでいた時に、立ちあがって下さったブロガーのトド子さんに、深い感謝を捧げます。

BBさんにも。

裏のコメントであれこれ支えて下さった方々にも感謝します。

黙って支えて下さった読者さん方に、感謝します。

もう私から離れますと、挨拶して離れて行かれた方、お気持ちはとてもよくわかります。よろしければまた、KUONのブログをのぞきにいらして下さいね。

こういう記事は、終わりにしたいです。

・・・この記事を持ち出すこと、禁止させていただきます。

誹謗中傷、なさりたいなら、どうぞ覚悟の上、なさって下さい。わかったな、ゲスども。

たいせつに思ってしまう


八月という季節は、もの思うこと多い季節です。

青島からの引き揚げ者で、戦争によって運命を無茶苦茶にされた一人でいらしたうたの師は、こんなうたを遺されました。

  ハイビスカス ブーゲンビリアの赤い花 平和といふは痛みのごとし

口に出しては言われませんでしたが、美智子さんのことが大嫌いでした。威厳とユーモアに満ち、何につけ抑制の効いた方が、美智子さんの話題になると変わられた。わたしを可愛がって下さいました。師のことも、あれこれと思い出す八月です。

・・毎日訪問してはあれこれ学ばせていただいているブログの最新のページにあった、特攻に散った方々の辞世。

引かせてもらいます。



国のため   父母にうけたる  精神(こころ)もて

     我れは散るなり   桜のごとく

    《 松尾 登代喜 19歳 》



皇国の  弥栄(いやさか)祈り  玉と散る

     心のうちぞ  たのしかりける

     《 若杉 潤二郎 24歳 》


今更に  我が受けて来し  数々の

     人の情を 思ひ思ふかな

     《 鷲尾 克己 22歳 》


人の世ハ  別れるものと  知りながら

     別れハなどて  かくも悲しき

     《 上原 良司 22歳 》


大命の  まにまに逝かむ  今日の日を

     吾が父母や  何とたゝへん

     《 渡辺 綱三 18歳 》


しきしまの  大和心を  一ひらに

     こめて散りゆく  若櫻花

     《 高田 豊志 19歳 》


櫻花(はな)と散り  九段に還るを  夢に見つ

     敵艦屠らん  我は征くなり

     《 浅川 又之 23歳 》


来る年も  咲きて匂へよ  櫻花

     われなきあとも  大和島根に

     《 長澤 徳治 24歳 》


   君がため 雄々しく散らん 櫻花

     《 上成 義徳 25歳 》

来る年も  また来る年も  とこしへに

     咲けと祈りて  我は咲くらむ

     《 桂 正 21歳 》


君が代を  寿(ことほ)ぎまつり  我れゆかん

     死での旅路は  米鬼もろとも

     《 國吉 秀俊 21歳 》


かへらじと  思ふこゝろの  ひとすじに

     玉と砕けて  御国まもらん

     《 菊池 誠 22歳 》


岩が根も  砕けざらめや  武士(もののふ)の

     国の為にと  思ひ切る太刀

     《 熊澤 弘之 22歳 》



      【 死出の旅 】 


古郷の  梅をながめて  さまよひぬ

     これも遂に  最後となりぬ


死出の旅と  知りても母は  笑顔にて

     送りてくれぬ  我くに去る日


広き広き  ホームに立ちて  見送るは

     母と妹と   共二人のみ 


奉げたる  生命にあれど  尚しかも

     惜しみて遂に  究め得ざりき


我が生命  捧ぐるは易し  然れども

     國救ひ得ざれば  嗚呼如何にせん

     《 小林 敏男 23歳 》  


>終戦を数か月後に控えた昭和20年春・・・・

>紛れもなく、愛する者を守るために散った命があったのです


>靖國に眠る英霊に、感謝こそすれ愚かにも否定する

>現代人たちを見て、私は言いようの無い淋しさと

>恥ずかしさ、そして小さな怒りを感じています


>この問題は無理強いすべきものでもなく、日本人として

>どう向き合うべきか自身が判断すればよい事でしょう


>日本の元首である天皇、政(まつりごと)の長である総理大臣

>多くの日本人が素直な心で参拝したときに、英霊は成仏できるのだと

>私は思っています。

 

・・引用ここまで。ありがとうございました。


わたしの孫息子は、甲子園にはまったく無縁のフツーの高校の野球部員。夏休みのいまも、毎日、弁当とサブの弁当と二つの水筒を持って出かけて行く。家族旅行も今年は無いようです。テレビを見る時間は無くても、イマドキですから今日の試合はどちらが勝って、誰それがこんな記録を、などということもよく知っています。教えてくれます。野球が好きなのですね。

好きなことにうちこめているのはそれだけでシアワセ、などと要らんこと言うばあちゃんに、そうだよね、と、素直にうなずいております、今は。

雄々しい辞世をのこして、片道分だけの燃料を、おもちゃみたいな飛行機に積んで。明日は俺が征くからなと笑顔で見送る同輩に、笑顔でこたえて発って行った若桜たちは、でも、その多くは、望みが叶わなかった。

恰好の標的にされて撃ち落とされたり、体当たり地点に至ることができないままに墜落して海の藻屑になったり。

散華は、多く、叶わなかったのでした。

特攻に行かれた方々は、辞世に添えられた年齢も数え年で云った時代ですから、夢の甲子園で明日は準決勝を戦う球児たちと、ほとんど変わらない。

そんな風に、考えてしまうのです。

平和のこの世の球児たち。精いっぱい、頑張って欲しい。いまは、それが、できるのですから。


自分が若かったころは、こんなにも、人の命を惜しいと思うこころはありませんでした。

ひとの気持ちを、今のように大切なものと感じるこころを、持っていなかったと思います。




あきのひの

わすれなぐさ


        ヰルヘルム・アレント
        上田 敏 訳


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  ながれのきしのひともとは、
  みそらのいろのみづあさぎ、
  なみ、ことごとく、くちづけし
  はた、ことごとく、わすれゆく。

       

   落葉


              ポオル・ヴェルレエヌ
              上田 敏 訳

  秋の日の
  ヴィオロンの
  ためいきの
  身にしみて
  ひたぶるに
  うら悲し。

  鐘のおとに
  胸ふたぎ
  色かへて
  涙ぐむ
  過ぎし日の
  おもひでや。

  げにわれは
  うらぶれて
  こゝかしこ
  さだめなく
  とび散らふ
  落葉かな。


                 「海潮音」より



八月も無事に  みんなのうた

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八月もみなさま、うたをお寄せ下さり、ありがとうございました。

いろんなことがありましたが、今もまだ続いていることもありますが、私のおめでたい幸せの一つは、ほとんどの時間、ほとんどの事象に対して、ボーっと暮らしていられることかとおもっています。

こうして、これからもボーっといられたら、はた目にはどうでも、自分としてはいいよなあ、と。

呑気に考えております。

また来月。ここで、言葉の愉しみを分かち合えたら、と願っております。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


     おてもやん の詠める

・・八月のうた

〇仏壇のひい爺じぃに手を合わせお供えの桃孫が持ち来る


     きく かおる の詠める


「遠方で 生前偲びて 手を合わせ初盆の棚に 思い寄せつつ」

「飛び込めば 水底に透く 陽の色淡し このときのため 皆泳ぎたる」



     黒猫アビ の詠める


・おだやかな 暮らしを願い 手にいれし
  残りの余生 おくる居場所

・おだやかな 心もとめて 万葉の
  歌のせかいに 身をおきしずめ

・靖国の 絵馬にたくした 願いごと
  叶えてほしい 日本の未来

・定位置で いつも寝そべり 傍にいた
  猫の視線を いまだに感じ


     おてもやん の詠める


〇草むらにサボテンの鉢捨て置かれ愛の渇きに枯れそうになる



     KUON の詠める


・今年またこの日来たれり 舌の奥の鉄錆色に匂ふ八月

・たっぷりと水をまいらす身じろぎもならず灼けゐる父祖の墓標に

・墓参了へやや豪華なるランチ了へ姉たち帰途に就くなり われも



     過保護な今出川 の詠める


・「さよなら」の替わりにいつも「また来るわ」
 言い忘れたと駆け上がる階段

・月初め よくきてくれたと義理母笑う
 供えた羊羹 両親と食す

・ひらがなで「かった」だけのラインあり
 今日も勝つよ 頑張れ息子

・大学のフェイスブックを見る夫
 息子の笑顔に「いいね」押す      (コラッ夫!)



     かりそめ の詠める


・どこだつて住めば都といふけれど病院食は喉を通らじ

・わが前にいつも無防備この背中たまには尖れ若きに戻り

・本当はとどまりたきが去ぬシェーン恋の行く末読めるがゆゑに

・・(原爆の日に健康診断に赴く天皇夫婦。この人たちのことはもう口にもしたくないと思ひしが......)

・水を欲る被爆者の声聞けよかし己が健康憂ふる前に



     KUON の詠める


・終日を雨降り続く止まざりて何処も昏し 人の心も

・ひもじさにまんままんまと逝きし子と詠み続けたる人のいま亡し

・逝きし子を黄河に投げてあと二人を守りしと詠みしかの人も亡し

・背にゐる子死ぬると知りつつ三日間降ろさず顔見ず逃げしと詠みぬ

・やうやくに乗り込み得たる引き揚げ船に子の死なば海へ投げるほか無く

・祖国日本見え来たる朝に果てし子を負ひて雨中に下船したりと

・あさましく人を罵る顔ばかり映る平和の日本の朝を

・大袈裟なる笑ひ誰れ彼れの噂話は消して四角くテーブルを拭く



     イッサ の詠める


・・8月15日に


★靖国の御霊仰いで合わす手に入道雲と蝉セミ時雨

★鎮魂の心は見えぬ幸いに亀首下げて大根演技

★水の害多きこの夏いかならむ祭祀忘れし帝咎有り



     さやかの詠める


・・KUON さまに刺激を受け、拙いながらも初めて作ってみました。


まどろみて小さな寝息頬に受け熱の下がりし額に安らぐ

紫に染まる浜辺独り占めさざなみ寄せる夏の夕暮れ

君来ぬと知りつつ視線を投げ掛けた窓の向こうは激しい夕立



     かげろう の詠める


・・亡き父の青春の地をたづねて

  父が戦中戦後に学んだ地を訪ねました。



亡き父の残しし爪と髪の毛を携えて今立つ筑紫の大学の門

戦よりもどりし父は筑紫の地学びの舍ではげみをりしか


・・父の学んだ大学が移転してしまうそうで、行ってきました。

  戦前の建物はいくつか保存されるようでほっとしました。



     Nちゃん の詠める


・・終戦記念日に

  終戦記念日に日本最大の陸軍墓地を歩く



●淋しげな陸軍墓地に金髪二人
  この日ばかりは来るなと思う

●人の無き陸軍墓地に横たわる
  終戦の日の黒とハチ割れ (猫)

●誘いみた陸軍墓地を断られ
  皇室などを憂うオトコに



アルジェリマン の詠める


・・お盆の15日がなぜ終戦の日なのだろう、

  お盆だから終戦の日なのかしら、と、

  小学生の頃、いつも不思議に思っておりました。

  偶然の一致だったのでしょうか。それとも。



風を呼ぶ迎え火高くきゃあきゃあと母と寄り添い背で壁作る

黒犬が枝から落とすコガネムシ 死んだ振りして命拾いす

もうすぐに雨は止むよとスズメ啼く 送り火見たいと黒犬が鳴く

霧雨の集まり落ちて叩く石 ピクンピクンと黒犬の耳



     おてもやん の詠める


・・八月十六日に生まれて


〇盆明けの実家の居間で産気づき我を産む母助産師の祖母

〇我に問う誰かの生まれ変わりならこの日生まれの意味はあるかと

〇前世に何があったか知らねども今は平和に生きております



     KUON の詠める


・ひとごとに愚帝「反省」とまたも言ふ英霊たちを踏みにじるがに

・ええかっこしいの愚帝さかしげに「反省」とどちらを向きておほざきあそばす

・息子らは静養中とや蝉さえがうつむきて鳴く葉月十五日



     おてもやん の詠める


〇反省と言うなら今の内廷の愚行の極み省み籠れ



     かりそめ の詠める


・・(思い出・シアトル)


・市場にてポンドで買ひし桜んぼふたりには多すぎる嵩

・海沿ひの市場への道下り行くひと足ごとに濃くなる魚臭

・御真影二世の店にありし頃やや甘すぎるカツ丼を食ぶ

・日本を遠く離れて仰ぐ山たれ名付けしかタコマ富士とふ


・・(思い出・パリ)


・早朝の巴里に降り立ち入るカフェにまづはひとくちクロワッサンを

・十年後ウェイトレスの皺ふえて同じ仕草でカフェオレを注ぐ

・おそらくは二度と行かざる巴里の街少女期ひたに憧れゐしが



     たまき の詠める


山の上
廃遊園地に
ただふたり
そらは秋いろ
ただ果てしなく

今度こそ
最後のメールと
うつ指は
震え震えて
意味をなさず

扇風機
の音キィと鳴る
盆過ぎの
誰もいない
畳の部屋に

おかあさん
夢にて叫ぶ
一夜あり
あんなに嫌って
いたはずなのに

誰にでも
懐かない猫
四年経て
憐れでもあり
愛しくもあり

・・きたーーー

深い反省
言うならば
だれがだれにか
説明よろしこ



     KUON の詠める


・床しもよ老舗旅館は廃業の知らせに浅葱の和紙を張りをり

・ゆかた着て幼な児のゆく紺屋町茶町綿町ながき夕ぐれ

・遊郭の名残りの路地に首細き少年ひとり花火してゐる

・真っ白き足裏二まいひらひらと潜りゆきたる児を見失ふ



     わすれんぼ の詠める


代替わりへ激しく動くこの一年余
なりふり構わぬ動きに驚く

“天皇は権威はあれど権力なく
たみくに思いて祈る“はマヤカシ

権力者が良識モラル踏み潰し
国壊しゆくさま目撃す 

数年前は東宮批判できていた
言論界が今沈黙す

満を持して批判のブログを攻撃す
後ろにいるはあの連中か

攻撃に負けてはいないという人たちの
おられることに希望見出す

戦わずに得られるものなどないという
若き日の教訓今思い出す

戦うには日ごろの準備こころがけ
弱さを剋す生き方持たねば



     ROM の詠める


・・和歌なんて私には無理だなあと思いつつ、数日前、飼い猫が近所の野良猫(たぶん)との喧嘩に負けて帰宅。外傷が見つからないまま、興奮状態が続いた後ぐったりした翌日から医者に診てもらうまで、喪うかもしれない不安と悲しみとの闘いの数日の気持ちを、勇気を出して駆け込みで書いてみました。


どうしたの?声をかけてもふりむかず引きこもる背中に戦いのあと 

寝付かれぬ傷負いし猫のただじっと私をみている真夏の夜更け

一夜明け医師の注射に生き返る見返すまなざしチカラが宿る



     きく かおる の詠める


・公平に 出来れば誰も 引かぬもの 貧乏くじの 当たりの紐を

・権力を 持たせて判る 地頭の 弱き者達 鈍い判断

・身を削り 額に汗して 働けど 伝わることなき このマンパワー


・・近頃の我が国、我が職場を詠みました

ながれきにけり

京の五山の送り火を、テレビに眺めて。今年は奈良の万灯籠にも行きませんでした。

ばたばたと自分なりに忙しかったお盆の行事も済ませることができました。

豆腐や冬瓜や茶がゆや揚げさんや。病人食みたいな和のごはん、びっくりするようなお値段ですが、お盆休みの終わりの日に、落ち着けるその店でいただくのが、習慣のようになっています。若いころはまるで物足りなくて、その「禅ご飯(笑)」解散後に、肉を食べに行ったりもしました。

今はもう、お腹と気持ちをじんわりとぬくめてくれる茶がゆの美味しさを、夏の終わり近くの味の記憶として(大層ですが)家に持ち帰るようになりました。


このごろ、美味しいかき氷を出してくれる店が増えたように思います。

もう、今はむかし、の話になりますか。

奈良の三条通(JR奈良駅から春日大社までまっすぐな道)に、客が三人も入ればいっぱいの、小さな小さな甘味処がありました。

ご夫婦で、かなりのお歳になられるまで営んでおられたその店の、かき氷が、なんともふんわりと美味しかった。

いつも小倉抹茶を頼んでいました。卓は、かき氷とスプンを載せた小さなお盆のほかは何も置けないサイズ。年代物の四角い椅子は、私には窮屈なものでしたが、時々、通りかかった時にふらりと入って、注文をして、透明な氷の塊りが、シャッシャッシャッと削られて行く音を楽しみ、明治のガラスみたいな古風な花びら型の容器が、濃い抹茶色のシロップをかけられ、奥さまが炊かれると聞いた小豆を戴いて、運んで来られるのを、ひそかにわくわくと待ったものでした。

下戸ですが、そんなに甘いものが欲しくてたまらない、というのでもない。その店のかき氷が、好きでした。

自分の店を閉じてそのあたりを歩かなくなり、通っても車で走り過ぎるくらい、十五年が経った今では、あの甘味処はありません。


時々モーニングサービスを食べに行く珈琲店の小倉抹茶を、先日つれあいが頼んだら、ふんわりほわほわのかき氷が運ばれて来て。

先に奪ってわたしが一口食べた、美味し!。キカイのええのが出来たのか。

それから、これも時々サンドイッチを食べに行くコメダでも、頼んでみました。ここのも美味しかった。

この夏、五回くらい、かき氷に吸い寄せられました。

お伊勢参りの帰りに食べた、焙じ茶のかき氷も忘れ難し。


いまごろのうたを探していたら。


すてきな一首が見つかりました。



  ただひとつ 風にうかびてわが庭に 秋の蜻蛉のながれ来にけり

     ただひとつ かぜにうかびて わがにわに あきのとんぼの ながれきにけり

                                      若山 牧水


それと。芥川龍之介の俳句一句。


  初秋の蝗つかめば柔らかき

     はつあきの いなごつかめば やはらかき


まだ稚(わか)い、からだの固くなっていない蝗だったのですね。触感の句、さすがとうなります。

自死の少し前の句とのことです。



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KUONの久遠

Author:KUONの久遠
・・・・・


としどしに わがかなしみは ふかくして 

いよよはなやぐ いのちなりけり


      岡本かの子

             


・・・・・・・・・・・・・・・


やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

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