解離性障害である。
医者はまず、彼女の異常行動の一つを解離性障害のうちの解離性同一性障害(多重人格=解離性障害の一種)と診断した。これは、受け入れがたい現実が目の前に迫ってきた時、自分が壊れないように別の人格をつくって受け止めようとする症状だ。
恵子さんは震災という大きな出来事と、両親の死、それに家庭内のDVを正面から受け入れることができなかった。それで知らない間に、4人の別人格を自分の中につくっていた。真夜中に子供になって泣いたり、中年男性になって叫んだりしたのは、まさにそれだったのである。
また、解離性遁走(=解離性障害の一種)と呼ばれる症状もあるとされた。解離性遁走とは、何かが起きた時に何キロも何十キロも移動してしまい、しかもその記憶が失われるというものだ。彼女は震災の後、寝ている間に何度も鵜住居の実家跡地まで行って瓦礫の中で佇んでいた。それは解離性遁走によるものだったのだ。
こう考えてみると、彼女の霊体験は一つとして霊によるものではなく、すべて震災やその後に降りかかった困難が彼女の精神を追い詰めたことによって起きた病気の症状だったのである。(『新潮45』2017年2月号「精神疾患、自殺、孤独死――大震災、5年後の被災者たち」石井光太)
今、彼女は岩手県内の大学病院に通院しながら、乖離障害の治療につとめている。だが、これは薬の服用で治癒する病ではなく、何年もかけてバラバラになった人格とうまく付き合っていくしかないそうだ。
被災地の開業医に恵子さんの話をした時、次のように言われた。
「被災地で患者さんを見ていると、恵子さんのようなケースは時々あります。誰もあんな大きな震災を受け止められませんし、ましてや家族の死や、それにつづく家庭の荒廃を受け止められる人はいません。それで、いろんな心のバランスが崩れてしまう。
わかりやすい例でいえば、PTSDによるフラッシュバックを体験しているのに、本人がそれを霊体験として受け取るようなことです。幻聴とか幻覚を、幽霊に声、幽霊の姿と捉えることもある。
もちろん、全部が全部そうだとは言い切れません。しかし、霊体験はかならずしも美談だけではない。病理という面から見れば、すぐに治療を受けなければならないことだっていう場合もあるんです」
拙著『遺体 震災、津波の果てに』(新潮文庫)には、遺体安置所に集まった大勢の遺族を描いた。遺族があの時、あの場所で、何を感じ、何を背負わなければならなかったのか。
震災から6年経って語られる霊体験を、単なる不思議な話ととらえるより、被災者の心のケアという面からも考えていきたい。